食を楽しむ

【瞬間クリームソーダ】特集、はじめます。

真っ赤なチェリーにグリーンの炭酸水、重量感のあるバニラアイス。

それを見つけると、考えるより先に「あっ」と心が声をあげる。どうしてだろう、珍しいものでもないのにね。

「クリームソーダ」。

それが日本で始まったのは今から100年以上も昔、明治時代のこと。本物志向の街・銀座から、クリームソーダは誕生する。

1902年、資生堂薬局内のソーダファウンテンというコーナー(現在の資生堂パーラー)で、日本初のソーダ水と当時は希少だったアイスクリームの製造・販売が開始。資生堂パーラーが現在も提供する「アイスクリームソーダ」もそこから生まれた。

クリームソーダを愛したのは、明治の終わりから大正、昭和初期を生きた偉人や文豪たち。

「今夜は、姉さんが鈴岡さんからの電話で、銀座へおでかけ。婚前交際というやつだ。二人で、いやに真面目まじめな顔をして銀座を歩いて、資生堂でアイスクリイム・ソオダとでもいったところか。(太宰治『正義と微笑』)」

饅頭が一個が一銭で買えた時代に、アイスクリームソーダは一杯25銭。当時のクリームソーダは上流階級の嗜好品で、一般ピーポーには贅沢品だったことが読み取れる。

『資生堂パーラー』のアイスクリームソーダ(レモン)
写真手前は、月替わりとなる季節のフレーバー(7月のブルーベリー)

時が経って、戦後。豊かになった昭和時代。

高度経済成長を経て、街には喫茶店が林立する。冷凍庫付きの冷蔵庫が普及したおかげで喫茶店やデパートで、クリームソーダが提供されるようになったそう。

昭和43年生まれの母は、「クリームソーダを見ると、懐かしい気持ちになる」と言う。それまで贅沢品だったクリームソーダは、昭和の時代には一般家庭の子どもでも食べられるものとなったのだ。

戦前は贅沢品として一部の富裕層に愛されたそれが、戦後には一気に普及し広く愛されるものに。

上野の老舗喫茶『ギャラン』のクリームソーダ

──そして、平成。

100年以上も歴史を持つクリームソーダは、時代の流れとともに廃れるどころか、今や喫茶店やチェーン店に、サービスエリアに、お祭りに、存在感を放っている。

インターネットの発達で、オリジナルクリームソーダをつくって発信する人が登場し、夏にはメディアがクリームソーダ特集なんかもして、クリームソーダ専門店までできた。

平成のクリームソーダは、これまでにないアプローチで愛され、人々の好奇心を駆り立ててきたように思う。

この国でクリームソーダが始まってから今日まで、時代の気分を反映したクリームソーダの楽しみ方が人それぞれにあって。そしてクリームソーダがある限り、クリームソーダと誰かの物語はこれからも紡がれていく。

けれど、それは形に残しておかないと、まるでなかったことになってしまう。

メーン会場さんのオリジナルクリームソーダ

「クリームソーダはそこにあるのに、それを飲む人たちの気持ちが残っていなかったら、それはちょっと寂しい」。

だからこそ、ただひとりのクリームソーダ好きとして、クリームソーダを愛する人の心のうちを覗いてみたい。

「この瞬間、クリームソーダになにを想う?」

筆者を含めたすべてのクリームソーダファンに捧ぐ、【瞬間クリームソーダ特集】はじめます。

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探求者

小山内彩希

編集者・ライター。1995年生まれ、秋田県能代市出身。

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