仕事に誇りを持つ。

それは社会人として憧れる姿のひとつのように思います。

楽しいとか嬉しいとかだけじゃなくて、苦しいとか悔しいとか、そういう気持ちも全部内包して、「それでもこの仕事を」と奮って働くひと。長い冬を耐え忍ぶ理由を自分の中に持っているひと。

そういうひとが、仕事に誇りを持って働いているひとかもしれない。と、昭和村のかすみ草農家・栗城久登さんに出会って思います。

栗城さんがかすみ草の栽培を始めたのは、今から15年前。夏秋期では日本一のかすみ草生産地・昭和村の新規農業参入推進事業の第一号として就農しました。

栗城さん

栗城 久登(くりき ひさと)

福島県大沼郡昭和村のかすみ草農家。南会津にあるたかつえスキースクールの校長先生も務める。15年前にかすみ草新規就農者として昭和村にUターンし、研修先の方からいただいた畑でかすみ草の栽培を続ける。

「最初は、何度畑から逃げ出したいと思ったか(笑)」と、栗城さんは10年以上も前のことを振り返ります。

そんな栗城さんは今、若手の従業員を4人抱え、大好きなスキーを続けながらかすみ草を栽培しています。大きなハウスで育つかすみ草もとっても元気で、頂点にたくさんの小花を咲かせます。

かすみ草

「こんなこと言うのは恥ずかしいんだけど、今は、誇りを持ってかすみ草をつくっています」

日本一の産地。それだけでも充分誇り高いことと思いますが、栗城さん自身の誇りというのは、そのネームバリュー以上にもっといろんな要素が重なり合ってつくられたものかもしれない。

栗城さんとかすみ草の間には、どんな日々があったのか。栗城さんのハウスでお話を伺いました。

かすみ草ハウス

試行錯誤の5年間が、効率のいいかすみ草生産につながった

栗城さんがかすみ草農家に就農したのは15年前。それまで農業の経験は全くなかったのだそう。

「かすみ草の栽培を始める前は千葉県で会社員を、土日や祝日はスキースクールのインストラクターをしていました。

そんな私が昭和村で農業をすることになったのは、実家がある昭和村で暮らす両親が、どちらも病に倒れてしまったから。そのときにちょうど、昭和村ではかすみ草の新規就農者を募集し始めていたんです。

両親の面倒を見ながら働くとなったらこれだ、と思って募集に飛びつきました」

栗城さん

けれども栗城さんのかすみ草づくりは、決して順風満帆なものではありませんでした。

「最初の1年間は地元の農家さんの下で研修を積んで、2年目からは実際に自分でやってみたんです。

けれど全然うまくつくれない。花が咲かないまま雪の時期を迎えちゃったこともあるし、咲かせても全部枯らしちゃったこともあります。5年間はほとんど収入がない状態でした」

何回も辞めようと思った。
畑から逃げ出したいと思ったこともあった。

栗城さんは当時の気持ちをこのように振り返ります。それでも、栗城さんは畑に踏みとどまりました。

「5年目が過ぎた頃ですかね。収穫するまでのサイクルや、それに必要な準備などがわかって、収入が上がったんです。

つまり、『効率がよくなった』ということなんですけど。それが農業の肝なんです。でも、効率よくって、たった1回経験しただけじゃ、どこをどう改善すればいいかわからない。

きっと、あの頃たくさん失敗を重ねたからこそ、今楽しくかすみ草をつくれているのだと思います」。

スキースクールとかすみ草で二足のわらじを続ける理由

かすみ草農家ともうひとつ。「スキースクールの校長先生」という顔も持つ栗城さんに、スキーはどんな存在なのかお伺いしました。

「スキーは子どもの頃からずっとやっていたんです。たぶんもう60年近くになりますね。

かすみ草の作業期間は春から秋口までの約半年間。だから冬はべつの仕事でお金をつくっていくのが昭和村のスタイルです。それが私の場合はスキースクール。

ほとんど採算が立たなかった時期でも折れないでやってこれたのは、大好きなスキーがあったからだと思います」

スキーは、栗城さんのかすみ草づくりにいつも活力を与えてきました。

栗城さん

栗城さんの元で働く従業員の方々もまた、「栗城さんとの出会いはスキースクールだった」と言います。

「スキーのインストラクターって若い人が多かったりするのですけど。結婚とか先のことを考えたときに辞めてしまったりするんです。

けれど、そういう若い人たちにこそ示したいんです。『好きなことををやりながらでも生活ができるんだよ』って。夏はかすみ草をやって、冬はスキー。そんな生活もアリなんだって。

夏だけ雇ってくれる会社ってなかなかないけど、冬は手を動かさなくていいかすみ草農家なら、それを実現できる。だから私の今の目標は、売上を上げて法人化すること」。

スキースクールの校長先生としての栗城さんには、若い人たちにこそ、好きなことと仕事の両立を諦めてほしくない、という想いがありました。

スタッフの佐塚功さんと宇野未来さん
スタッフの佐塚功さんと宇野未来さん。栗城さんのことを「とても優しいひと」と話す

お客さんの泣き笑いを知ってから、かすみ草に誇りを持つように

「スキーがあったからかすみ草も頑張れた」と語る栗城さん。ですが、かすみ草と付き合う年月を重ねるごとに、栗城さんにとってのかすみ草も、少しずつその意味を変えていきます。

「上手く栽培できるようになってから、この仕事が楽しくなってきたんです。もともと、農業っていうのも肌に合っていたのかもしれない。

また、この仕事を尊く思えた瞬間が、今も記憶に残っていて。

娘の結婚式で自分が育てたかすみ草を使ってもらったんです。そのときにはじめて、育てたかすみ草がどういう使われ方をしているのかわかりました。花嫁のブーケになっていたり、ベールガールの子どものブレスレットになっていたり」

昭和村のかすみ草は花に色を吸わせた「染めかすみ」も人気。写真はハーバリウムにしたかすみ草それは栗城さんにとって、やっぱりいい花をつくらないと!と奮い立った、大きな経験となったのだそう。

「こんなこと言うのは恥ずかしいんだけど、今は、誇りを持ってかすみ草をつくっています。

食べ物でもないかすみ草は、言ってしまえば贅沢品。だけど私たちのその先にはお客さまがいて、花を手にしたときに泣き笑いがある。

それを想像すると、『なんだかこの農産物もいいもんだな』と思うようになりました」

栗城さん

日本一の産地にいながら、栗城さんは「最初から誇りを持っていたわけではなかった」と言います。

栗城さんにとってかすみ草がかけがえのない存在になるまで、たくさんの試行錯誤やひとから求められていることを実感する経験がありました。

長く愛され求められ続ける昭和村のかすみ草

栗城さんは今、「花にどれだけタッチできるか」を大切にかすみ草づくりに励んでいます。

「どれだけ広大な畑を持っていたとしても、大雑把に見ないで、ひとつひとつ丁寧に触れてあげることが大切だと思っています。

虫に食われていないかな、水が足りていない花はないかな、というふうに。

植えっぱなしじゃダメなんです。1日のうちに何回タッチしてあげるかで、咲いたときの花の美しさや生命力が全然ちがう」

その姿勢はまるで子育てをする母親のように。いいものをつくるため、栗城さんは手をかける時間を惜しみません。

かすみ草

また、自らもかすみ草をつくりながら、JA会津よつばの部会長を務める立川幸一(たちかわこういち)さんからは、昭和村全体を通したかすみ草づくりについて教えていただきました。

JA会津よつばの部会長を務める立川幸一(たちかわこういち)さん

「現在、昭和村のかすみ草農家51人のうち、なんと3人が今年の新規就農者です。農家さんたちは、個々に誇りを持って栽培に取り組んでいます。

生産量だけではなく、日持ちや品質も抜群の昭和村のかすみ草は、現在日本28箇所の花市場に出荷されています。だから街の花屋で見かけるそれが、じつは昭和村産であることは決して珍しいことではありません。

そんな昭和村のかすみ草は、贅沢品が飛ぶように売れたバブルの時代だけでなく、2011年の東日本震災直後も人々に求められてきました」

かすみ草

昭和村のかすみ草は、生産量・取引する市場の数ともに、夏秋期の産地として日本一。それは裏を返せば、日本一の人気者であることを証明します。

もしも、花屋さんで昭和村のかすみ草を見つけたら、ぜひ手にとってみてください。

栗城さんをはじめ、昭和村の農家さんたちが手がけたかすみ草が心に訴えかけてくることが、きっとあると思います。

文/小山内彩希
写真/小松崎拓郎

(この記事は、福島県昭和村と協働で製作する記事広告コンテンツです)

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