営みを知る

約40年以上前から移住者を受け入れてきた和歌山県那智勝浦町の色川村。理想の暮らしはここにあり?

いま、体ひとつでポーンと都会の外に放り出されたとしたら、生きていけるかな?

「灯台もと暮らし」の取材を続ける中で私(編集部・立花)は、そんなことを考えるようになりました。新規事業の取り組みや夢を掲げて移住する方もいれば、身の回りの暮らしを徹底して自分の手で築くべく、あえて不便な場所を選んで移住する方々をたくさん見てきたからです。

暮らし方や生き方は、ひとの数だけある。じゃあ私は? どうやって生きていく?

そんなことを考えていたら、偶然にも雑誌「Discover Japan」で、「紀伊半島への移住体験者を募集」と書かれたモニターツアーを見つけました。

これからの暮らしのヒントが、見つかるかもしれないという思いを胸に、東京から新幹線を乗り継ぎ和歌山へ。向かうは、那智勝浦町色川村という過疎地域。那智勝浦駅から蛇行する山道を車でぐんぐん登っていくと、パッと視界がひらけて、段々畑や棚田が広がる人里があります。

那智勝浦町

ここ、那智勝浦町は1955年に那智町(なちちょう)、勝浦町、宇久井村(うぐいむら)、色川村の4ヵ町村が合併し、1960年には下里町(しもざとまち)、太田村が加わってできた地域です。紀伊半島の南東に位置しており、11月下旬に訪れた際もまるで春のような暖かさでした。

その那智勝浦町に2013年に移住してきた壽海(じゅかい)夫妻。おふたりが営む農家民宿「JUGEMU」で2泊3日の里山暮らしを体験してきました。

壽海夫妻
壽海千鶴さんと壽海真也さん

那智勝浦町に移住した理由

おふたりが出会ったのは、長野県の上高地にあるホテル。職場で出会い、松本市で二人暮らしをした後、一度真也さんの地元である大阪に引越しました。なんとなくしっくりこない生活を送る中で、色川に住んでいた千鶴さんの友人が移住を勧めてくれたことをきっかけに、今暮らしている場所を見つけたと言います。

農家民宿JUGEMU
農家民宿JUGEMU

「松本ってゴマ油が凍るくらい寒かったんです。だから次はあたたかい所で暮らしたかった」という真也さん。もともとアウトドアが好きでキャンプをしたり上高地で働いていた時もテントを立てて生活していたそう。

ですが、自然の中で過ごす時間を娯楽ではなく、本格的に日常として根付かせるために移住を決意。以後、農業を独学で勉強し、今は農家民宿JUGEMUの裏の山を切り拓いて有機農業を営んでいます。

壽海夫妻の畑

「どういう暮らしが理想なのかを実践せずに推論だけで語るのが嫌だったんです。ここで暮らし始めてからは、野菜が去年よりうまくできるようになったり、気候によって土の質が変わったり、火を起こすのがだんだん早くなってきたり、自分の技術が向上していくのも感じるし、暮らし自体が去年とまったく違うから、とても楽しいですよ。

同じことが二度とないからこそ刺激や変化がいっぱいあるのが、色川での暮らしです。だから、田舎から都会へ出て暮らし方を変えることはできるけれど、都会にずっといたひとが田舎の暮らしを選んだら、もう都会での暮らしには戻れないと思いますね」(真也さん)

宿泊部屋でおしゃべり

一方、奥様の千鶴さんは昔からバックパッカーで、アジア諸国を旅していました。その後、タイの男性と現地で結婚し、8年間ラーメン屋を営んでいましたが旦那さんが亡くなり、帰国。しばらく群馬の実家で過ごした後、就職した先で真也さんと出会いました。

「私の友人の知り合いが、たまたま色川に空家を持っていたんです。その空家の借り手を探していて、私たちに『空家があるけど興味あるか』と、声をかけてくれました。畑や山もついて家賃15,000円で、すごく安かったのも決め手ですね」(千鶴さん)

那智勝浦町は、30年以上も前から移住者を受け入れている地域。現在、色川小学校に通う子どもたちは、そのほとんどが移住者の家族だといいます。

また、色川村では移住希望者は、移住者の先輩数名の面接を経る必要があるというのも驚きでした。移住希望者は仮移住というかたちで廃校を改修した滞在施設に泊まり、まず村のひとたちに顔を覚えてもらうことから始めます。その中で那智勝浦のどの地区が向いているか、実際に暮らしながら選ぶのです。面接では「本当に色川に移住したいのか、移住したら何をするのか」ということを質問され、徹底的に考える時間が設けられます。

「初めから民宿をしようと思っていたというよりは、移住してくる時に生計を立てる方法を考えてたどり着いたのが農家民宿でした。ホテルでの従業経験もあったし、家もふたりで暮らすにはすごく広いので。最初は移住者の先輩たちに『こんな所で農家民宿なんかやってもお客さん来ないよ』って言われたんですけどね、おかげさまでなんとかやっています」(真也さん)

JUGEMU

誰でもウェルカムではなく、本当にここで暮らしていきたいのか、もしくは暮らしていけるのかを村全体で考える仕組みが、40年も前から整っているという地域は、私は他に知りませんでした。

移住を希望するひとにとっては、少し物怖じしそうなハードルですが、けれど誰も知らないところへいきなり飛び込む恐怖や不安は抱かなくて済みますし、何より「自分がやりたいこと」を見守ってくれるひとたちがいることは、移住後の暮らしへの覚悟を後押ししてくれそうな気がします。

農家民宿JUGEMUで地元のひとたちの暮らしを体験

農家民宿JUGEMUさんでは、有機農業のお手伝いや薪割り、竈(かまど)でご飯を炊くなど、宿泊者に希望によって体験することができます。

「色川では自給できるものが多いんですよ」と真也さんがおっしゃるとおり、水は水道ではなく川の水を使い、野菜やお米も自分で育てている方ばかり。村を歩けば黒いホースがあちこちに伸びているのを見ることができますが、あれは山の水を生活用水として使うための、大事な水道なのです。

川の水でネギを洗う
川の水でネギを洗う

というわけで私も、2泊3日の間に少しだけですが農作業などのお手伝いをさせていただきました。

有機農業の畑でお手伝い

一面苔が生えていたという、農家民宿JUGEMUの裏の畑。苔が深く根を張っているため、野菜を育てるための土壌にするのに3年はかかったといいます。雑草などの根が耕耘機に絡まり、機械が壊れてしまうことも。移住して一番大変だったことは、この畑の土づくりだったと教えていただきました。

壽海夫妻の畑でニンジンを採る

育てている野菜は、ニンジンやカブ、ネギ、ハーブにイモなどなど。有機農業のため、自然に種が飛散して、畑の脇でいつの間にか野菜が育っていることもあるそう。

壽海夫妻のニワトリ小屋

畑にはニワトリ小屋もありました。時々ニワトリたちを小屋から出して畑に放し、害虫などを食べてもらうといいます。壽海さんたちが畑仕事をしているとニワトリたちはみんな、ふたりのあとをついて歩いていました。

新鮮卵

産みたて卵も発見! 廃鶏といって卵を産まなくなったニワトリは、鶏肉としていただくそうです。

ニワトリ抱っこ
人生で初めてニワトリを抱っこ。ぎゅっとすると羽が潰れてしまいそうで、かなり恐る恐る

鴨の屠殺

畑仕事をした翌日には、飼っている鴨の屠殺も体験させていただきました。と言っても、私は鴨の足を持ってぶら下げているだけで精一杯でしたが……。

なるべく苦しまずに屠殺するため、首を斬って心臓を抑えたあと、沸騰した鍋に入れて羽を取り、解体していきます。息絶える直前の、鴨の足が震える感触は、今でもはっきり覚えています。

その日の夕食に、鴨肉をいただきました。捌いたばかりですから、やわらかく臭みも一切ない新鮮なお肉を前に「いただきます」「ごちそうさまでした」と手を合わせる意味を、痛感せずにはいられませんでした。

村が一望できる千鶴さんお気に入りの景色の中でゆず狩り

また、千鶴さんがお気に入りだという高台にも連れて行っていただきました。

千鶴さんのお気に入りの場所へ連れて行ってもらう

那智勝浦町大野区にある楞巌寺(りょうごんじ)からは、町一帯と那智湾が望めます。

寺から望む景色
楞巌寺から望む景色

千鶴さんと立花

ゆず

しかもここのお寺の近くには、ゆずの木がたくさん。地元のひとが自由に採っていくそうで、まるで共用のゆず畑です。あちこちにごろごろ転がっており、あっという間にカゴが一杯になりました。

壽海夫妻

暮らしのエネルギー源である薪割り

ゆず狩りのあとは再び裏の畑へ。暮らしに欠かせない薪割りを体験します。薪は、ご飯を炊くための竈を使ったり、お風呂を沸かしたりするのに必要な、大切なエネルギー源なのです。

薪割りします

腰を入れて真上から斧を下ろすのですが、変なところに力が入っていたり、少しでもためらいがあったりするとなかなかスパン!と割れてくれません。

薪割り中

ちなみに薪の材質として、ブナ科の常緑樹であるウバメガシは和歌山県の県の木でもありますが、くべすぎると高音になり竈が壊れてしまうこともあるといいます。ですがお風呂を炊いたりご飯を炊く時は、檜を少しだけくべて、じっくり温めることで保温効果が増すそうです。

ほかほかのご飯を竈で

夜は、昼間に割った薪を使って竈でご飯を炊きました。

かまどでご飯を炊く

薪割りはイマイチでしたが、火起こしは「上手だね!」とお墨付きをいただきました。やったー!

かまどでご飯を炊く

千鶴さんいわく、竈の音を聞いていれば中を確認しなくても炊き上がりが分かるのだそう。たしかに一度も蓋を開けて確かめることなく、ほかほかのご飯ができあがりました。

ごはんできた!

いただきます

待ちに待った夕食の時間。畑で採った新鮮な野菜を使ったおかずと、粒が立っているご飯をいただきます。食事をしながら壽海さんたちと旅の話をしているうちに、色川の夜は更けてゆきました。

街灯はなく、獣の声もしません。その日の夜は、近くを流れる川の音をBGMにぐっすりと眠ることができました。

自分の目で耳で肌で感じるということ

ゆず

私たち編集部は幸いにも、日本各地で様々な暮らしをしている方々とお会いして、暮らしの知恵や経験、思いを直接伺うことができます。

でも聞いているだけでは、やっぱり足りないのだと感じたのが正直なところです。やはり自分で体を動かして、触れて得た感覚には嘘がありません。

実際、私は火を起こすのも鴨の屠殺も、想像以上に抵抗も戸惑いもありませんでした。もちろん、暮らしていくためのスキルは赤ちゃんレベルですし、できないことだらけですから、体ひとつで放り出されればてんやわんやになってしまうでしょう。

けれど、自分の理想の暮らしの延長に、農家民宿JUGEMUさんで体験した日々があるのかもしれないと、今までよりはっきり感じることができました。

(写真:山北茜さん

(この記事は、エイ出版社と協働で製作する記事広告コンテンツです)

お話をうかがったひと

壽海 真也(じゅかい しんや)、壽海 千鶴(じゅかい ちづる)
2013年に和歌山県那智勝浦町色川村に移住。農家民宿JUGEMUをオープン。宿の裏で有機栽培の野菜を育てながら自給自足の暮らしを営んでいる。空き状況と予約はこちらから。

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立花実咲

1991年生まれ、静岡県出身の編集者。生もの&手づくりのもの好き。パフォーミングアーツの世界と日常をつなぎたい。北海道下川町で宿「andgram」をはじめました。→ さらに詳しく見る

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