誰もが教科書で地名を見たことがある、奈良県斑鳩町(いかるがちょう)――法隆寺のある場所が出身地の坂ノ途中代表・小野邦彦さん。

大学は京都大学へ。学生時代は友人らとアンティーク着物ショップを運営したり、「自分が起業できるのか見定めたい」と一路バックパックを背負い、ユーラシア大陸を横断したり。

卒業後は修行期間として、外資系金融機関へ就職。すごく知的で活動的な青年かと思いきや、好きな野菜を聞いたら「オクラとカブとしいたけが好き。なんかちょっと、変わってますよね。王道じゃない……」と照れ笑いするような親しみやすさを持つひと。

自分自身を「サブカル文系男子と、バリキャリ外資系ビジネスパーソン要素が混ざる男性」だと分析する彼は、どうして環境と農業を軸とした「野菜提案企業・坂ノ途中」を立ち上げ、経営し続けているのでしょう。

この記事では、小野さんの過去と、いまと、これからの話をお伝えします。

1J8PP

(以下、小野邦彦)

「僕はもう、食事をしない」。多感だった幼少期

きっかけは分かりません。でもどうしてか、僕の根底には「人間は滅んだほうがいいんじゃないか」という気持ちがあります。これはずっと昔、幼少期の頃から思っていました。

たとえば僕には小さい頃、「肉である僕が食べているのは、“肉”じゃないか」と、自分がすごくグロい存在だと感じられた瞬間がありました。

あれ、これはみなさんにはないですか……?(笑) 僕は、じつはみんなが一度は思ったことがあるんじゃないかと考えているのですが。とにかく僕はそんなことを思いすぎて、「もうごはんは食べない」とか、それどころか「外にでない」と言い出したりした時期がありました。

小野邦彦さん

なぜなら、肉や野菜を食べるのはほかの生命を奪う行為だし、外に出たら虫や草を踏んでしまうかもしれないから。そんな犠牲を払ってまで、僕が生きている必要あるの?って思っていた。

でも、親には「そんなこと言わないでご飯食べなさい」と言われるし、学校にあがったら「普通」とか「みんなと同じであること」が大事になる。いつしか僕もみんなと同じようにそんな気持ちを抱いたことがあることも忘れて育ってしまいました。

思い出したのは、地元を出て大学進学のために京都に行って、ひとり暮らしを始めた頃。

スーパーで買った野菜を食べたら、今まで食べていた野菜と全然違う味がして、「えっ、何これ?」と驚いたんです。振り返ってみると、実家で食べていた野菜は両親が育てていたものがほとんど。父が糖尿病だったこともあり、中学生のころから手作りの野菜中心の食事が主だったんですが、僕はそれがすごく嫌でした。「肉食べたい」と毎日思っていましたからね……。

でも、大人になって別の野菜を食べてみたら、味が違う。「これ、おもしろいな」と新鮮に思うと同時に、「どうして違うのか?」という原因に意識が向いて、現代農業の仕組みを勉強するうち、小さい頃抱いていた「人間は罪深いもの」という意識と農業が密接に関係するんじゃないか?と考えるようになりました。

なぜなら農業は「ひとと自然の間にある産業」だと捉えられるから。どんな農業をするかって、人間がどんなふうに自然環境と向き合っていくかと同義だと思ったんです。

働くって、自分の想いを表現できる場所なんだ

小野邦彦さん

ところで、うちは先祖代々、高卒の一家です。だから潜在的に、高校を出たら働かなければいけないという意識がありました。

でも兄や姉もバイト先の店長も、周りの大人たちはみんな、なんとなく嫌そうに働いてました。「そんな人生はいやだ!」と思って周りを見渡すと、友だちたちはどうやら大学進学というものをするようだぞと。「そうか、そうしたら社会に出るのを遅らせられるのだな」と思って、大学への進学を選びました。

そんな後ろ向きな理由での進学だったので、大学生になったところで何も前向きなことはできません。1・2回生は時間を溝に捨てるような感じで過ごしてしまいました。

転機は、3回生になる手前くらいの時期。友だちがアンティークの着物屋をやると言い出して、その手伝いをし始めました。そこでの仕事は想像以上に楽しく、ここでやっと僕は「働くことは、時間を切り売りすることじゃなくて、目指す世界観や価値観を伝えられるもの。楽しいことなんだ」と知ることになります。

長い間、バックパックの旅にでよう

そのままアンティーク着物の仕事を続けてもよかったのですが、どこかに引っかかる気持ちもありました。

なぜなら僕はすぐに「罪の意識」を抱いてしまうから。僕らの店を気に入ってくれて、通ってくれるお客さんがいる。着物を買ってくれる。購買が10着、11着と増えていく――。

でも、みんながみんな毎日着物を着るのかと聞かれたら、そうじゃない。「応援したいから」と優しさで買ってくれるひとも中にはいる。買ってくださる方がいるのは嬉しいけれど、僕の中では「これは両者が本当にハッピーなのか?」と疑問視する気持ちがどうしても消えませんでした。

「ではどうすればいいのだろう?」と考えて、僕が出した答えは「まず旅に出ること」。前からやりたかった中国の上海からトルコのイスタンブールまでの、バックパッカーの旅をすることにしたんです。

新しい出来事の連続を、果たして自分は楽しめるのか?

小野邦彦さん

なぜ旅かといえば、この目で世界を見たいという気持ちももちろんありましたが、起業との共通点も見出していたからです。

会社をつくるということは、続けるということが前提にあります。誰かの人生を巻き込んで「やっぱりやめます」なんて簡単には言えない。そして会社を続けていくということは、新しいことの連続なのだろうと考えていました。

旅は、そもそもが新しいこととの出会いの連続です。それまで1ヶ月程度の旅はしたことがありました。でも、それを超えた長い期間の旅に出た時、果たして自分の好奇心は擦り切れてしまって、新しいことやひととの出会いを楽しめなくなってしまうのか? あるいはそうじゃないのか? それを見極めてみたいと思ったんです。

そして結果は、とても楽しかった。どうやら自分は、新しいこととの出会いを楽しみ続けられる人間らしいぞ、と知ることができたんです。

「そういえば僕は……!」幼いころの記憶が戻ってゆく

それとはまったく別軸の収穫もありました。旅は「自分と向き合う時間を持つこと」でもある。その中で、過ぎゆく日々の中ですっかり忘れ去ってしまっていた、幼い頃に「もう外に出ない」と言ったことや、大学初期の頃に「野菜のおいしさについて再発見した経験」があったことなど、いろいろと思い出していったんです。

そういえば、周りが「何言ってるの?」と白けてしまうから言わなくなってしまったけれど、僕はずっと、「どうしてひとはこんなに自然環境やほかの生き物に迷惑をかけながらしか生きていけないのだろう」という想いを抱いてきたぞ!とか。

旅をすればするほど、建前の自分や、妙な虚栄・見栄が剥がれていくような感覚でしょうか。

そして旅先・チベットで持続可能な暮らしと出会ったことも影響し、「帰国後は農業と環境をかけ合わせた分野で仕事がしたい」と考えるようになりました。「その仕事なら、ずっと強い想いを持って続けていけるんじゃないか」と思えたんです。

帰国、起業。そして今後は農業関連のプラットフォームへ

小野邦彦さん

その後、経営を学ぶための修行期間として、外資系金融機関での勤務を2年経験。退職後、坂ノ途中を起業しました。

本社を置く場所に京都に置いたのは、単純に京都が好きだったから。あとは、土地自体に発信力があると考えていたからです。

現在の事業内容は、「新規就農者を中心とした提携生産者が栽培した農産物の販売」や「環境負荷の小さい農業を広げるためのあれこれ」です。

会社立ち上げから8年。「環境負荷の小さな農業の担い手を増やして、持続可能な農業を広めていく」ための最初の一歩である「ちゃんと価値を伝えられる販路の確保」については、僕らのサービスが少しずつ解決し始めてきたんじゃないかと思っています。

でも、僕らがやれていることなんて、必要なことのごくごく一部。新規就農者が抱えている問題点は、それ以外にもあります。

たとえば今、農家の高齢化や担い手の減少で農地はどんどん空いてきています。それは、今まで条件のよい農地を借りるのが難しかった新規就農者が、農地を選べるような時代がやってくるかもしれないということも意味しています。

そうすると、「少量生産だけど質のよい野菜をつくる」という農業ではなく、「中規模・大規模な農業に挑戦していきたい」と考える新規就農者も出てくるでしょう。

そうしたら、今のままの坂ノ途中の販路や手法では、カバーしきれなくなる可能性も出てきます。売り方の多様性が、今まで以上に求められる時代がくるというか。実際に最近は、野菜以外にも米や果物をつくる新規就農の方が増えてきたので、その取扱量を増やし始めたりもしています。

このように、いま農業を取り巻く環境はドラスティックに変わってきています。高齢化や、空き農地などが暗いニュースとして取り上げられる向きも多いけれど、僕はそれを「新しく何かを仕掛けるチャンス」だととらえています。今年挑戦を始めた、農家に挑戦するプレイヤーを支えるプラットフォーム作りは、その柱。

一貫して実現したいのは、「環境負荷の小さい農業を実践する、農業者を増やすこと」。

「坂ノ途中が、農業の前向きな転換点をつくったよね」といわれるような変化を起こせるように、これからも地道に進んでいきたいと思っています。

お話をうかがったひと

小野邦彦さん

小野邦彦(おの くにひこ)
株式会社坂ノ途中 代表。1983年奈良県生まれ。京都大学総合人間学部卒業後、外資系金融機関での「修行期間」を経て、2009年京都にて株式会社坂ノ途中を設立。「未来からの前借り、やめましょう」というメッセージを掲げ、農業の持続可能化に取り組んでいる。2012年には世界経済フォーラムよりglobal shapersに選出された。好きな野菜はカブ、オクラ、しいたけ。

公式サイトはこちら

(この記事は、株式会社坂ノ途中と協働で製作する記事広告コンテンツです)

文章:伊佐知美
写真:タクロコマ(小松﨑拓郎)

【京都・坂ノ途中】特集の記事一覧はこちら

ほかの記事も、鋭意執筆・制作中……