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【島根県海士町】マリンポートホテル海士が“島まるごとで”JALファーストクラス機内食の監修に挑戦した理由

島根県隠岐諸島に、海士町(あまちょう)という名の島があります。そこは、人口約2,300名の小さな島。

灯台もと暮らし編集部が、「この島は世界の縮図たり得るか」というテーマで地域特集を組ませていただいたのは、2015年4月のことでした。

島根県海士町

あれから3年。

2018年3月に、海士町最大規模のホテルである「マリンポートホテル海士」は、JALファーストクラス機内食の監修を務めました。

機内食のコンセプトは「島まるごと」

どうして海士町が、海を越え空を飛び、島の食材をはじめとした海士の魅力を伝える役割を担えたのか? その裏に、どんなドラマや努力があったのか?

この記事では、マリンポートホテル海士の今とこれからをレポートします。

マリンポートホテル海士と、青山敦士の関係性

マリンポートホテル海士外観

マリンポートホテル海士の創立は1994年のこと。客室は約43室あり、海士町の玄関口である菱浦港を見渡す丘の上という素晴らしい立地で、島内でその存在を知らないひとはまずいない、大きな存在感を誇る歴史あるホテルです。

現在の代表取締役は、青山敦士さん。2018年で海士町在住歴12年目を迎え、海士町観光協会、旅行・リネンサプライ企業の「島ファクトリー」代表期間を経て、2017年6月にマリンポートホテル海士の代表取締役に就任した人物です。

海士町在住12年目。現在は3児の父親でもある

青山さんは、海士町にふらりと旅をしに来た際、島の未来について島民同士が時には涙を流しながら討論している姿を見て、「自分もこんな風に生きたい」と心打たれて移住しました。

そんな青山さんからすると、最近の海士町は「移住の島として注目を浴びていたステージから、もう少し成熟し、次の段階を考えるステージまできた」ように見えるそう。

島の未来を考え続けてきた青山さんは、マリンポートホテル海士の代表取締役を決めるという岐路に立ち、覚悟をもって引き受けたといいます。

「島もホテルそのものの在り方も、従来のままではいけない。ただお客さまに宿泊してもらう『受け身』のホテルではなくて、島の玄関口としてスタッフも島民も誇りを持って、五感いっぱいで海士町の魅力を感じてもらえる、ある種の『攻め』のホテルの形がこれからは必要だ」という熱い気持ちが、就任の決意を後押ししました。

「JALファーストクラスの機内食の監修をしませんか?」

そんな彼が、代表取締役になってから数ヶ月後。2017年の秋、マリンポートホテル海士に、ひとつの大きな話が舞い込みます。

それは、フラッグシップであるJALファーストクラス機内食の監修と食材提供の元締めを、ぜひマリンポートホテル海士にお願いできないかという提案でした。もともとは地域の魅力発掘のためのプロジェクト「地域紹介シリーズ」の一貫として、県内の他ホテルと同時に声がかかった話でしたが、別のホテルは「ファーストクラスが求める食材需要量に応えられない」という理由で、断念しました。

けれど青山さんは、海士町を広く世間に知ってもらうよい機会だと捉え、ぜひこのプロジェクトに挑戦したいと考えます。

「マリンポートホテル海士の年間の利用客数は約1万人。JALファーストクラス機内食への食材提供は、2018年3月の1ヶ月間限定の予定でしたが、ホテルの年間利用客数と同等レベルの最低9,000食は用意しなければいけない見込みでした。

そもそも3月は、海士町に限らず、どの地域も食材の種類がそこまで豊富ではない時期です。

果たして、膨大なロット数に対して、海士町は期待に添う食材を安定して届けられるのか? また、マリンポートホテル海士がやると決めても、プロジェクトの実現には島全体の理解と協力がなければ成り立ちません。

プロジェクト開始から実施まで半年もないというこのスケジュールで、島の同意を得て、なおかつ実現まで走り続けることなんてできるのか……?

解決しなければならない課題は山積みでしたが、とにもかくにも、僕はこのプロジェクトに挑戦したいと心を決めました。なぜなら、それが海士町の新しい未来を切り開く突破口になってくれるように感じられたからです」(青山さん)

海士町に集う3名のチームワークで

2018年3月に都内で行われた報告会イベントの様子より

青山さんがまず相談したのは、マリンポートホテル海士の経営企画部長・春馬清さん、そして実際にこのプロジェクトを進めるにあたって欠かせない、海士町在住で人望の厚い料理人の佐藤岳央さんでした。

春馬さんは、一度海士町を出て就職した後、島に戻ってマリンポートホテル海士で働き始めたUターン組。

佐藤さんは、19歳から日本料理を学び、30歳で独立開業、39歳で在サウジアラビア日本国総領事館公邸料理人に従事。そしてその後、海士町の「島食の寺子屋」プロジェクトに従事するため日本に帰国。その後、海士町で暮らし始めた人物です。

料理人の佐藤さん

「僕の任務とこだわりは、とにかく海士町の食材100%で料理を提供することです。2016年に移住した当初は、誰も顔見知りがいない状況でしたが、足繁く農家さんの現場に足を運び、たとえば米農家であれば籾殻処理から一緒にやったりして、徐々に人間関係を築いていきました。

青山さんから、JALファーストクラスの機内食のメインの料理人をお願いしたいと聞いた時は、『僕に頼むからには、覚悟は決まっているんですよね?』と問いました。

僕に頼むということは、一切妥協をしないということです。島の食材100%でやると決めたら、とことんそれを貫きたい。今までもあったんですよ。『小さな海士町島内で食材を安定供給するのは難しいから、ここは隠岐諸島全体で賄うのがいいんじゃないか』とかね。

けど僕は、それだとあまりわくわくしないし、最終的に海士町の魅力を食を通じて表現して伝えるという目的が、果たせないなと思っていました。だから最初に覚悟を問いました。返事は『覚悟はある』とのことだったので、やることを決めました。

……まぁそもそも、青山さんって人はとても不思議なひとで、彼の提案に乗っかるといつも必ず事態は面白い方に進む。だから今回も、彼が言うならやってみようという気持ちは最初からあったんですけれどね(笑)」(佐藤さん)

佐藤さんは、このプロジェクト実現のため、3月に採れる海士町の食材を一つひとつリストアップし、機内食に提供できる量を確保できるか、生産者さんに相談するため歩いて回ったといいます。

では一方、春馬さんはどんな気持ちだったのでしょう?

マリンポートホテル海士の春馬さん

「正直、最初に話を聞いた時は『実現は難しいんじゃないか』と思いました。でも、青山と佐藤と一緒に話すうち、これは絶対に成し遂げたい仕事だなと感じるようになっていって……。

その気持ちに一番火が付いたなと思ったのは、JALさん側と食材の質について言い争いに近いような議論をした時。お互い、お客さまに納得のいくものを提供したいという想いが強かったので、時折意見をぶつけ合うように話したり、したんですよね。

その際に、海士町の生産物に対して『このクオリティじゃ、難しい』と指摘されたことがあったんです。島の生産者さんが丹精込めてつくって、佐藤や青山が心を砕いて選んだ食材に対して、いくらファーストクラス向けの質を担保しなければいけないといえども、『難しい』とはなんだ! ……と、ついカッとなってしまって(笑)。

でもそういうやり取りは、今となっては自分の中で必要な作業だったのだろうなと感じています。プロジェクトを進める過程で、今まではまったく意識していなかった『自分の中の、海士町への愛』みたいなものを自覚できたから。

海士町出身者って、『島の魅力』と言われても、当たり前になってしまった部分が大きいために、じつは魅力に対して意外と無自覚だったりするひとが多いんです。

僕も例に漏れません。だからこそ、海士町と海士町がつくったものが認められないことに、憤りの感情を抱く事実に自分でもびっくりして。『なんだ俺、海士町のことこんなに好きなんじゃん』と思えて、嬉しかった。

さらには、結果としてですが、そうやって本音を言えたことで、JALさんとはより深い話し合いができるようになった気もしました。表面上だけでなく、腹を見せあっていいものをつくる工程を、島の外のひとと協力しながらやれた経験は、非常に貴重でしたね」(春馬さん)

そんな試行錯誤の末に完成した機内食が、改めてこちらです。

JAL国内線ファーストクラス機内食(夕食)[1]

小鉢:
あかもくとほうれん草のこじょうゆ味噌和え 人参 干し椎茸
神葉(海藻)との飛龍頭 小松菜 銀餡

主菜:
栄螺酒蒸し 岩海苔餡掛け
白烏賊 隠岐の酒粕 こじょうゆ味噌掛け
さつま芋のすり流し
飾り人参 絹さや パプリカ
隠岐産あらめ

俵御飯 海士町産コシヒカリ
焼きばら海苔の味噌汁

茶菓:
松江からころ橋

JAL国内線ファーストクラス機内食(夕食)[2]

前菜:
鰤ふくぎスモーク寿司(みかん
隠岐牛ふくぎ茶煮込み 焼葡萄つめたれ掛け チンゲン菜
みかん南蛮酢漬け 人参 大根
シュガーピースのすり流し
安納芋の水晶寄せ

主菜:
かぶら蒸し 豆乳ソース
大根人参含ませ煮 じゃが芋 ブロッコリー 桜麩
俵御飯 海士町産コシヒカリ

茶菓:
ふくぎ花茶ゼリー寄せ 干し柿

JAL国内線ファーストクラス機内食(夕食)[3]

小鉢:
栄螺酒蒸しと隠岐産あらめ割醤油和え みかん 白烏賊 小松菜
野菜の炊き合わせ(大根 人参 干し椎茸 里芋 絹さや)

主菜:
隠岐牛ローストビーフ キウイつめたれ掛け
海士の山椒塩 おからとさつま芋のサラダ フリルリーフ
小豆すり流し 人参含め煮 シュガーピース

ご飯:
俵御飯 海士町産コシヒカリ

味噌汁:
焼きばら海苔の味噌汁

茶菓:
松江からころ橋

3月の海士町のめぐみと美味しさと、ふんだんに詰め込んだ機内食。太字部分は、すべて海士町産の食材で、約9,000食がJALの翼に乗って日本の空を飛びました。

プロジェクトの成功が、海士町の新しいステージの扉を開いた

右)青山さん

「最初は島の方々にとっては、僕や春馬、佐藤たちが勝手に決めて代表者たちだけが動かす……そんなプロジェクトに見えていたかもしれません。でも、3人で島内を駆けずり回って食材をかき集めるうちに、このプロジェクトの輪は島全体に拡がり、変化していきました。

たとえば、分かりやすいところでいえば、ホテルスタッフたちの変化が挙げられます。『アカモク』という海藻は、海の中で育つうちに別の海藻やエビがついてしまうので、食材として提供する前は必ず掃除をしなければいけません。はじめは頼み込んで始めたこういった地道な作業も、気づけば厨房スタッフをはじめ、レストラン・フロントスタッフたちも日々の業務の合間を縫って協力してくれるようになりました」(青山さん)

プロジェクトの報告会イベントを、東京・神楽坂の「離島キッチン」で行った際の様子

「あとは、生産者さんたちの変化ですね。主菜の『鯛かぶら蒸し 梅豆乳ソース』というメニューのために、鯛のフィレが数百キロ必要でしたが、普段はそこまでの需要が海士町島内にはない。そこを漁協の職員が音頭をとって漁師さんに協力を仰いでくださり、最後は漁師さんが足りているか心配してくださっていました。

農家さんの中には、残念ながらJALが求めるクオリティレベルに達しない野菜が見つかったり、そもそも生産量が足りずに供給ラインにのせられないというケースもありました。でもそれをマイナスに捉えるのではなく、『今後クオリティを追う上での、よい指標になった』『胸を張って海士町産だといえるように、もっと頑張ってみたい』という言葉が、僕たちにも届きました。

つまりプロジェクトの成功は、JAL機に乗る多くの方に海士町を伝えるきっかけになったことに留まらず、海士町の新しい一体感を醸成して、次の未来を切り開くための新しい扉を開く機会にもなったのだと思います。そしてそれが、これからの海士町によい影響をもたらすであろうことは、言うまでもありません」(青山さん)

プロジェクト終了後に、食材を提供してくださった生産者のみなさんを招き、実際に機内食を味わう会を催した。関係性がより深まった一日

プロジェクトが、島に新しい風を吹かせたことは、間違いないでしょう。

それは、2015年に実際に海士町を訪れ、月日を経て再び取材させていただいたこの記事の筆者の伊佐も、感じているところです。

けれど、一方で青山さんはこんな反省点もこぼしていました。

「マリンポートホテル海士の役割についても、深く考えた半年間でした。なぜかといえば、このプロジェクトの一番の懸念点であった食材ロットの原因は、一次産業の担い手の高齢化。つまり、『後継者不足』にあったからです。

一次産業に従事しても、消費量は減っているし、単価も下がる。仕事は大変なのに、なんだか報われない。一度そう感じさせてしまったら、一次産業の担い手は減少の一途をたどってしまいます。だからこそ、海士町内の一次産業の担い手は高齢化し、息子・娘たち世代は島を出ていってしまい、僕たちはその流れを止められなかった。

けれど、この数十年間、もし『島で一番の集客を誇るマリンポートホテル海士』が、島外からのお客さまが絶えない人気のホテルであり続け、島内で生産される食材のクオリティにこだわり、それに正当な対価を支払い、生産者さんを安定して下支えすることができていたら。『もし』『〜だったら』と考えることは何も解決しないと分かってはいますが、もしそうであったら海士町の現在の一次産業の様子は、全然違っただろうと考えてしまう瞬間が多々ありました。

だからこそ、今回のような挑戦を、マリンポートホテル海士はこれからも続けていきたい。今回のような試みが、未来の海士町を変えていくと確信できたんです。ホテルが、島全体の魅力の底上げに一役も二役も買っていく。そしてそれは、島で一番の規模を誇り、たくさんの方を迎えるキャパシティと可能性を持っているからこそ、実現できることだと思います」(青山さん)

JALファーストクラス機内食のプロジェクトを成功させたマリンポートホテル海士が、これからの海士町の未来に対してできることは無限にあるように思えます。

「結局は、海士町のファンになってくださる方をどれだけ増やせるかが、この島の未来の鍵を握っている。

移住は、旅の延長線上にあると最近よく言われます。マリンポートホテル海士ができることは、どんな小さなことであれ、挑戦します。テーマは『島まるごと』です」(青山さん)

これからの海士町が、私たち灯台もと暮らし編集部も、とても楽しみです。

左から、春馬さん、青山さん、佐藤さん

マリンポートホテル海士について

(この記事は、マリンポートホテル海士と協働で製作する記事広告コンテンツです)

文章:伊佐知美
写真:伊佐知美、高橋奈々
一部写真提供:マリンポートホテル海士

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伊佐 知美

旅するエッセイスト、フォトグラファー。1986年生まれ、新潟県出身。世界中を旅しながら取材・執筆・撮影をしています。→ さらに詳しく見る

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