宮崎県小林市内の名だたるスナック街「仲町」に、人気の焼肉店「牛心」の一号店はあります。
美味しさの秘密は、ブランド牛である「宮崎牛」の産地である小林市産の牛を一頭買いして、冷凍保存なしにお店で捌いて提供していること。
地元のひとにも観光客にも人気の秘密は、多種多様な部位を心ゆくまで楽しめる焼肉セットが、たとえば飲み放題込みで4,000円(!)など、とてもリーズナブルな値段で提供されているところ。
何を隠そう、灯台もと暮らし編集部もこの牛心の大ファン。出張のたびに訪れすぎて、今では牛心を食べたいがために行っているのか、取材のために行っているのか分からなくなるほどです(もちろん比喩です、ご安心ください)。
そして今回、私たちはついに牛心社長・坂下晃平さんの取材に成功。この記事は、坂下さんの牛心と、小林市への想いを伺ったものです。
坂下晃平(さかした こうへい)
小林市出身、牛心オーナー。21歳の時に起業、宮崎県小林市に精肉店「牛心」をオープン。現在は精肉店の他、小林市に焼肉店「牛心」を2店舗、宮崎市にステーキ店「GYUSHIN」1店舗の合計4店舗を経営。将来は100店舗展開を目指す。
(以下語り:坂下さん)
起業は21歳。予想よりずっと早かった
出身は小林市。学生の頃から、いつか自分で事業がしたいと考えていました。
小林市はブランド牛「宮崎牛」の産地であることから、畜産業が盛んな地域です。高校生の時に精肉店でアルバイトを始めて、そのまま就職。肉の修行をして肉屋をやろうと考えていた矢先、20歳の時に突然社長が亡くなりました。
そのまま働くことも考えましたが、ひとつの分岐点だと捉えて、21歳の時に自分の会社を作ろうと決めました。それが「牛心」です。
最初の1年は「死のうか」と思った
前の会社が精肉店と焼肉屋を経営していたので、牛心もそうしたいと思っていました。でも、ひともいないし資金も回らないということで、まずは精肉店をオープンさせ、後から焼肉店を出そうと考えました。
でも、全然うまくいかない。
アルバイト時代は、精肉の仕事を指名でお仕事をいただけることも多かったんです。だから、その方たちが付いて来てくれるかなと思っていたのですが、そんなことはなくて……(笑)。お客さんは来ないし、肉も売れない。
生活ができなかったんですよ。もう死のうかと思いました。
でもじっとしているわけにもいかなくて。精肉店は実家の母に店番を任せて、まずは牛心の名前を知ってもらうために、車の移動販売を始めました。
小林市は、大きく市街地・須木・野尻の3つのエリアに分かれています。須木方面はお店が多くないから、そっちに売りに行ったりして。
ドアを叩いて自己紹介して、「肉を売ってます」と一軒一軒訪ねて回りました。
結果、それが転機になりました。時折怒られたりしながらも、少しずつお客さんがついて売上が上がるようになって。1年半くらい続けたところで軌道に乗って、念願の焼肉店のオープンに漕ぎ着けました。それが一号店の仲町の焼肉店・牛心です。
肉屋の仕事は肉を捌くだけじゃない。人だ
その間に学んだことがたくさんあります。一番大きかったのは「仕事の捉え方」がガラリと変わったこと。
アルバイト・会社員時代は、「肉屋の仕事は、肉を捌くこと」と捉えていました。でも、自分で実際に肉屋を経営してみると、畜産農家とのお付き合いや、お客様とのつながりが見えてきます。さらには、焼肉店を始めるとなるとスタッフを増やす必要も出てきました。
結局、そこにあるのはひととのつながりであって、自分はそれが本当に好きなんだなって実感したんです。肉を捌いてお客さまに提供するだけが、自分の仕事じゃない。ひとと関わりあって、そのひとたちを幸せにできて、初めて自分の仕事なんだなって。
今は、「畜産農家さんとのよい関係性を築いて、従業員を幸せにして、そして従業員にお客さんを幸せにしてもらう。牛心は、その流れを実現したい場所だ」と考えています。
大前提はおいしさ。大切にしたいのは出し方と接客
牛心でこだわっているのは、とにかく小林市産の肉を出すというところ。
理由は美味しいから。あとは僕自身が小林市出身なので、地元愛です。僕は、この町から出たことがないんですよ。これからどんなに会社が大きくなっても、小林市産という軸は絶対にずらしません。
肉は、冷凍せずに店でさばいて、そのままお客様に提供します。それが美味しさの秘密だと思います。でも、美味しさだけで言ったら、肉はさばいて出してしまえば、大きくは変わらないと思うんですよ。
大切なのは、出し方と接客です。
居酒屋さんとかでもそうじゃないですか? 美味しい、美味しくないは当然重要だけど、出し方と接客が鍵を握っている。結局、そこだと思うんですよ。
価格はできるだけ下げて、月に1回しか外食できなかった人が、2回できるようになったらいい。盛り付けは皿にまでこだわって、美しく。メニューづくりは、自分がもともと大好きなので、お客様の気持ちに寄り添って「選ぶ楽しさ」が味わえるように工夫しています。
接客の基本は、当たり前だけど「いらっしゃいませ」と「ありがとうございました」のお迎えとお見送りをきちんとすること。従業員の教育と、適材適所の配置を実現するための努力は惜しみません。
僕が店に立つときはキッチンで洗い物をします。店には店長がいるので、それより前には絶対に出ない。でも、自分が現場に立っていた方が、言いやすいんですよね。実際に現場にいない人間の言うことは、誰も聞かないんで。
あとは僕、一切怒らないです。今の時代、怒ったら若い子はついて来てくれません。「怒らないで、やらせる」。そのための試行錯誤を頑張っています。
夢は100店舗。小林市産の肉と一緒に、自分も東京に出ていきたい
最近、初のステーキ店「GYUSHIN」を、宮崎市内にオープンさせました。夢は牛心ブランドの店を100店舗持つことです。開業当時は、30歳までに焼肉屋を出店できたらいいなと思っていました。今、27歳。もっとスピードアップできる気がしています。
周りからは、「展開のスピードが早すぎる」と反対されることも多いですが、自分の夢は自分しか動かせないので。
余談になりますが、自分は小林市に本社を置く企業「株式会社イートスタイル」と「小林まちづくり株式会社」の代表取締役を務める、柊崎庄二さんという方を尊敬しています。
お名前は知っていたのですが、以前牛心を訪れてくださった時にご挨拶させていただいて、それから時折事業の相談などをさせていただくようになりました。
柊崎さんにいただいた言葉で、忘れられないものがあります。それは、「できると思ったら明日にでも早くした方がいいよ。早くして失敗したなら失敗した時戻って来たらいい。それも1つの勉強になるから、早く進みたいなら、早く実行に移して頑張りなさい」というもの。
その言葉を胸に、今はできるところまで走ってみたいなと考えています。
店舗拡大という夢を前に、今、可及的すみやかに乗り越えたい課題は、肉を保存する真空パック技術の向上です。肉は、切り分けてから10分ほどするときれいな赤色を発色します。でも、この色が出た後に真空パックをしてしまうと、開封後になぜかきれいな色が出ないんですよ。
この課題さえクリアできたら、次の5店舗目、6店舗目、それ以上の店舗拡大が実現できると思うんですよ。あとはそこなんです。今よりももっと若い時、小林市から出て暮らしたいという気持ちを、自分ももちろん抱きました。でも今は、自分だけがこの町から出ていくというよりも、牛心というお店と一緒に県外へ出ていきたい。そして、小林市産のおいしい肉をもっとたくさんのひとに、食べてもらいたい。
小林市には、柊崎さんをはじめ、活動を応援してくれる人がたくさんいます。いつか小林市産の肉を持って、九州、山陰、関西と「牛心網」を張り巡らせながら、東京やそれ以北にも出店できるように、これからも精進します。
- 牛心の詳細はこちら(各店によって営業時間、メニュー、金額は異なります。来店の際はぜひお問い合わせくださいませ)
文/伊佐知美
写真/伊佐知美、小松崎拓郎
(この記事は、宮崎県小林市と協働で製作する記事広告コンテンツです)