畑の広がる景色の中を抜けていく途中、いくつか並ぶビニールハウスが見えてきます。「風の丘ガーデン」という看板が見えてきたら、澁田さん一家が営む、澁田園芸までもうすぐです。
「風の丘ガーデン」は2016年5月にオープンしたばかりのお花屋さん。けれどお花を売るだけでなく、ワークショップやイベントも不定期で開催しています。
家族全員で風の丘ガーデンの運営をはじめ、花き農家として仕事をしています。今回は、澁田家のみなさんに集まっていただき、就農したきっかけや家族で仕事をする楽しさについてお話を伺いました。
宮崎県小林市にIターンして始めた「澁田園芸」
── 宮崎市内で脱サラ後、小林市に移住して花き農家を始められたとうかがいました。
澁田信英(以下、信英) 移住することは前から決めていて、家内の実家がある小林にするか、若い頃よく遊びに行っていた北海道かどちらに行こうか考えていました。結局、小林に決めたんですが。
澁田和子 平成元年に移住して、澁田園芸を始めたのが平成8年なので、ここ今年でちょうど20年目になりますね。
── 花き農家という生業を選んだのは、どうしてだったのでしょうか。
信英 僕はサラリーマンでしたが、福岡の実家は、米と花とミカンを作っていたんですよ。だから小さい頃は花市場が遊び場で、身近な存在だったんです。
脱サラして小林に移住してから仕事を何にしようか考えて、39歳の時に花き農家になるための計画を組みました。移住後の2年間は、松永一さんという有名な育種家の方に弟子入りをして花の勉強をして、その後、独立して新規就農して今に至ります。農園と併設している、この「風の丘ガーデン」っていうお店は、2016年の5月にオープンしたばかりです。
── 奥様は、旦那さんが突然花き農家になると言い出した時は、どう感じられたんでしょうか?
和子 抵抗はありませんでした。むしろ、自然の流れなような気がしましたね。小さい頃は家業を少し手伝っていたのも知っていたので、興味はあったでしょうし、松永さんのところでも熱心に勉強していましたから。
── 新天地で新規就農というのは、新しいことづくめだったかと思うのですが、不安はなかったのでしょうか。
信英 ほとんどないかなぁ。こっちから地元のひとたちの輪の中に入っていったら、自然と受け入れてもらえましたしね。移住したら飲み会でもなんでもいいけれど、地元のひとたちの輪に入る努力をした方が楽しく暮らせるのかもね。
── 具体的に、何を栽培していらっしゃるんですか?
澁田真一(以下、真一) うちは主に鉢苗物を生産していて、品目はカーネーションとポインセチアが中心です。それ以外だと、出荷のシーズンの合間に他の花の苗の生産を行っています。
── ご家族で役割分担はあるのでしょうか。
真一 母と父が庭づくりをメインにやっています。花の生産のほうが忙しくなってくると、家族総出です。店は、姉が店長をしています。
夫婦一代だけのつもりが、家族ぐるみで生業をつくることに
── 真一さんと瑛美子さんは、ずっと小林に住んでいらっしゃるんですか?
信英 高校卒業後は、息子と娘はそれぞれ大阪と東京に出ていました。
── おふたりが小林に戻って、家族で働き始めたきっかけというのは、何かあったのでしょうか。
伊藤瑛美子(以下、瑛美子) 私のきっかけは、出産です。前職では、服飾関係のお仕事をしていたんですが、3人目の子どもを授かった頃に仕事を辞めて。子どもを見ながら、ゆっくり仕事ができる環境の方がいいなと気持ちが変わって、戻ってきました。もともと花も好きだったし、ちょうどいいかなって。
真一 僕は、どうしても親父が来てくれって言うから(笑)。
信英 いやいや、強制は何もしてないですよ。まぁ、いつか帰ってこいよとは言っていたけれど、予想に反して突然だったからね、びっくりしましたよ。
真一 僕は2012年に戻って来たので、まだ新米なんですが、まさか家族で働くことになるとは思ってもみませんでしたね。
── 前職は何をされていたんですか?
真一 もともとIT関係の仕事をしていました。朝から晩までずーっとパソコンとにらめっこをする日々で、残業も多い生活で。でも、20代後半に差し掛かって、これからのことをリアルに考え直した時に、もうちょっとひとと触れ合う仕事をしたいなと思って、小林に帰ってきました。サラリーマン時代と比べると、ストレスはまったくないですね。少しは親父の言うことも聞きますけど(笑)、自分の言いたいことを我慢せずに言えますし、やりがいがありますよ。
信英 ここは、8:00~17:00で終わるからね。
真一 そうだね。
信英 それをモットーにして農業してますから。僕もサラリーマンだったから分かるけれど、残業をしていると子どもと過ごす時間がないんですよ。脱サラして農業をしようと思ったきっかけのひとつは、息子と野球を一緒にしたかったからなんですよね、じつは。
── 素敵ですね。
信英 自営業の農家だったら、学校から帰ってきた息子に、午後3時とかに「今からグローブ持って行こうよ」って言われたら、会社勤めだと無理でも、自営業ならすぐ行けるじゃないですか。それがきっかけかな。
和子 でもよかったね。花き農家を始めた当初は、私たち夫婦の代で終わるかも、と思っていたのに。
── そうなんですか!
信英 子どもたちが帰ってきてくれて、できることが増えましたし、助かっていますよ。
異業種だったからこそ分かることがある
── 少し、お花のこともお伺いさせてください。カーネーションとポインセチアをメインにしているのは何故ですか?
信英 花の需要が一番多いのは、母の日とクリスマス。なので、その2種を選びました。一度に何万鉢というまとまった量を出荷しなければいけないから、繁忙期はものすごく忙しくて。どちらも毎年時期が決まっているから、一日でもズレたら全部の鉢がパーになってしまうという難しさもありますね。
── 花を育てるにあたって、大変なことはなんですか?
真一 水やりと温度調節ですねぇ。基本的に自然のものなので、正直光の量や強さはお天道様次第です。ポインセチアは、適温が30度以下の植物なんですけど、冬に出荷するために真夏に育てるんですね。ただ宮崎県はご存知のとおり夏はとても暑いので、日差しで葉が焼けてしまうんです。でも、完全に遮光してしまうと日光不足で品質が悪くなってしまうので、うまく調節しています。
ポインセチアに比べたらカーネーションの方が難しいですね。温度調整も、カーネーションの方が気を遣います。カーネーションの中の品種でいうと一番綺麗で一番売れる花が、一番つくるのが大変ですね。
信英 美人薄命ということわざどおりですね(笑)。
── 花について、同業の方にノウハウや技術的な相談をすることもあるんでしょうか。
信英 分からないことはもちろん聞いたり自分で調べたりします。ただ僕は異業種から入っているからこそ、気づけることもあると思っています。
たとえば、ふつうは花をつくっているひとのハウスの中の通路は土なんだけど、うちは全部アスファルトなんです。
和子 台車が入れるようにしいてるんですよ。一輪車だと鉢を入れたケースが4~6ケースしか乗りませんが、台車なら15ケースとか多ければその倍のケースを乗せて運ぶことができます。
信英 自分たちの自由な時間をつくれるのを優先したくて、できる限り効率化するように工夫しているんです。
真一 何世代も農業をやっていると、自然とノウハウは身に付きますが、良くも悪くも親の背中を見て覚えるから、選択肢がそれしかなくなってしまうのではないかなと思っていて。でも外の世界を知っていると、違った視点でできることもあると思うんですよね。そういう面では、まったくの異業種の経験があってよかったなって感じます。
── 効率化を行って得た時間で、こんなことがやりたいというのはあるんですか?
信英 今は、この寄せ植え教室をしているスペースを、いろいろなひとに貸し出しているんです。フラワーアレンジメントとか、パッチワークのワークショップとかをやったこともあるんですが、このスペースをもうちょっと活かして、何か新しいことをやりたいなと思っていますね。
和子 多目的教室ですね。
信英 農園で花を育てているから、せっかくならそれを生かしたイベントや教室もやりたいなと思っています。花を上手に撮影する写真教室を開いたりとか、うちの庭で摘んだ花でフラワーアレンジメントをしたりとか。
アメリカの有名な園芸家の、ターシャ・テューダの庭とか世界観がイメージに近いかもしれません。まだまだやりたいこと、いっぱいです。
(この記事は、宮崎県小林市と協働で製作する記事広告コンテンツです)
この場所のこと
風の丘ガーデン
住所:宮崎県小林市南西方7548
電話番号:0984-23-8789
営業時間:木・金・土曜日 10:00~16:00
公式サイトはこちら、Facebookページはこちら