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【宮崎県小林市】「作品を置いた場所が自分の空間になる」陶芸家・川路庸山のタブーなき不思議な世界

南九州唯一の磁器専門工房「庸山窯」。カフェとギャラリーを併設したその場所は、宮崎県小林市の山中にあります。

庸山窯の内観1

庸山窯の内観2

庸山窯の内観3

陶芸家・川路庸山さんは、有田焼で有名な佐賀県有田町で陶芸の基礎を学んだのち、メキシコへ遊学し、現在の創作活動の基となる気づきを得ます。

その後、2001年にGLAYエキスポのアートディレクション、2005年にシャ乱Q・つんくグッズ製作、2016年には水彩画家・橋本不二子さんの絵画用の花器制作など、陶芸という枠に収まらない活動を行ってきました。

庸山さんの作品群は、伝統的な陶芸というよりは美術的、芸術的な作品が多く、見る者の感性を揺さぶり、心の奥深くに直接訴えかけてくる感覚を覚えます。

「自分が使いたい器をつくるけど、実際に使っても高揚しない」

「部屋にコップを置くと、10センチ四方の空間が、僕のつくった世界になる」

「指の間に水滴を垂らすと、水の形をつまめる」

庸山さんのお話を聞いていると、「川路庸山」という名の世界に、吸い込まれていくようです。

(以下、川路庸山)

陶芸家を志す前の夢は、料理人

『ペルソナ』
『ペルソナ』

仮面を見る庸山さんと編集部

そのお面、気になりますか。『ペルソナ』という作品です。嬉しいとか悲しいとか、感情をお面から読み取ることもできると思うんですけど……。そういう作品名を付けてしまうと、具体的な表情しか見えなくなるじゃないですか? だから、名前は『ペルソナ』。

僕は、幼い頃から陶芸家になろうと考えていたわけではなくて、もともとの夢は料理人だったんです。ホームパーティーをするときに母がいつもパンを焼いてくれて、その影響か料理がずっと好きでした。漫画の『クッキングパパ』をよく読んでいて、それを見て、自分で初めて料理をして、カツ丼をつくりました。

今でもたまぁーに料理はするんですよ。最近、魚が好きになってきました。先日、ちっちゃい鯛の切り身をもらったんです。皮のパリパリ感を味わいたくて、フリットにして食べました。熱々にしたフライパンに、熱々にした油をこう、ななめにして、すーっとかけて。自分の食べたいものを、自分でつくって食べるんです。

庸山さん1

つくった器で食事をすることもありますよ。基本的に、自分が使いたいものをつくるんです。つくりたいものをつくるというのが、うちの窯の信条。タブーはありません。

やりたくなくて嫌々やるより、やりたいときにやったほうがいい

庸山さん2

高校受験のときに、父親から北大路魯山人のことを聞いて、器にハマっていきました。器をつくって、自分の器を使った店を出せたらいいなっていうのが、陶芸に興味を持った最初のきっかけですね。

小さい頃から料理だけじゃなくて、粘土細工も好きだったんです。油粘土で、ずーっと遊んでいて。恥ずかしながら、高校時代まで粘土で遊ぶ子どもだったんですね。結局、今もそれの延長上なんだと思います。

高校を卒業して、佐賀県有田町にある「有田窯業大学校」という学校へ行きました。1年中、有田焼をずっとつくるんですが、職人の手をつくる学校なんです。僕はずっと劣等生で、なかなかうまくいかなかった。あるとき、一ヶ月くらいかなぁ、しばらく学校をサボったんですよ。

と、言っても、まったく焼き物をやらなくなったわけじゃないんです。学校自体が、ろくろのコース、絵付けコース、本科コースなどに分かれているんです。サボったときは、本科コースの生徒に紛れて、石膏から上絵付け、デザインと、他の制作過程を勉強しました。

一ヶ月経ったら無性に土が触りたくなって、自分の授業に戻ったんですよ。そうしたら、急にコツが掴めてできるようになっていた。やりたくなくて嫌々やるより、ちょっと休んでやるとこんなに違うんだなぁ、と思いました。サボったことが意外にいい転機になったんです。

有田には伝統とタブーがあった

庸山さん3

庸山窯はタブーのない窯にしようと思ったのは、有田が、歴史と伝統をすごく重んじる場所だった反動なんですね。伝統ももちろん重要ですが、有田は変化を求めない街だった。僕が学生だった頃だけでも、さびれてきていました。

ここは変わったらいけない街なんだと感じて……。僕は僕で「カチッとしたものをつくらないといけないなんて嫌だなぁ、でもそれしかない」って頭が凝り固まっていました。結局、卒業まで通ったのですが、卒業式の日は式に参加せずにメキシコに行ったんです。

現地では、運良くいろんな出会いに恵まれました。メキシコに「銀の街」と呼ばれる、タスコという街があるんです。本当に山奥なんですけど、タスコにいるひとたちは、銀細工で指輪などをつくって生計を立てているんです。そこでトニーというひとに知り合いました。

トニーは顔中、耳まで刺青だらけ。その入れ墨には、いろんな国の言葉で「トニー」って書いてあったらしくて。そんな怪しい人が話しかけてきて、通訳に「なんて言ってんの、この人?」って聞いたら、「日本語でトニーって文字を教えてくれたら案内する」って言うんです(笑)。

タスコは、2畳くらいの狭い店でも出入り口に防弾着を着たガードマンが必ずいるくらい、すごく治安が悪い街です。そんな場所で顔中刺青のトニーを見たときは、さすがにビビリましたが「トニー」という文字を教えて「アートが見たい」「セラミックのものが見たい」と伝えたら、いろんなところを案内してくれました。

メキシコのタスコで、タブーはないと知った

トニーが案内してくれた中に、1メーターくらいある陶板があったんです。工事現場にあるような鉄のスティックが、その陶板に刺さっていました。土物に、鉄柱ですよ。

庸山さん4

これって、日本の陶芸の世界じゃタブーなんです。鉄柱を刺したまま焼くと「窯が傷むじゃないか」「不道徳だろう」と言われてしまうのが、伝統の世界です。土を冒涜しているっていう観点があるから、やらないというのが常識。でもタスコでは、当たり前のようにやっていました。

その作品をつくった作家に聞きました。「日本ではこれタブーなんだけど、なんでこんな、鉄柱なんか入れたの?」って。そしたら「おもしろいから」と言われたんです。

それを聞いて「あぁ、これでいいんだ。自由にやっていこう」と思えた。タブーだと教わってきたことは「楽しいから」という理由で、やっていいことだったんだって気づけたんです。

だからこそ、僕は自分がやりやすいように、父のふるさとだった小林に出てきて、自分なりのスタイルを突き詰めようと決めました。今では、木片を練りこんだり、1回焼いたくずを練りこんだり、伝統的な陶芸の世界ではありえないようなことでも、いろいろチャレンジしています。

メキシコからの帰国後は宮崎県立美術館で、展示会をしました。1ホール借り切って、自分だけの初めての個展です。映像もつくって、手伝いのみんなにはスーツを着てもらって。それがNHKさんとか、いろんなところで毎日のように放送してもらえました。

初めての個展に、2,000人ものひとが来てくれたんです。このスタイルでいいんだな、と確信しました。

作品で空間を支配する

作品たち

僕がこれから何をやりたいかも、ちょっと説明しますね。勝手に自分で「空間支配」と呼んでいるのですが、たとえばつくったコップを友だちの家に持っていくんです。それを部屋に置きますよね。するとそのコップの周囲、10センチ四方の空間が、僕のつくった世界になるんです。

それに気づいて、友だちの部屋にいろんな作品を持ち込んだんです。あるときはロウソク立てを持っていきました。火を灯すと照明になって、僕のつくったものによって部屋中が照らされます。部屋全体の空間を支配することができた。「部屋が全部俺のものじゃん」と思いました。

庸山さん5

僕は、買ってくれたひとの空間を、自分の作品で変えたいっていう願望があって。僕の作品は使われているイメージよりも、飾られているイメージのほうが想像しやすい。空間の様子がガラッと変わるような、インパクトの大きい媒体をつくっていきたいんです。

感覚を形に残して、似た感覚のひとを増やしたい

だから、今後やっていきたいと思っているのは、自分の感覚を残していくこと。自分の感覚をちょっとでも知ってもらいたいと思って、去年まで新聞の連載をさせてもらっていました。土の触り方、水の触り方、一番指にとって心地よい感覚って、忘れちゃうんですね。そういう感覚を、記事にして残しておきたかったんです。

たとえば人差し指と親指を、5ミリぐらい開けて、間に水滴を垂らすと、水の丸っこい形がつまめるんですよ。形がわかるんです。それって、誰でも感じることのできる感覚なんですね。そういったことを書き溜めて、本なのかDVDなのか今はまだわからないけれど、まとめたい。

それこそPokémon GOみたいにデジタルだけの世界で遊ぶのは、ちょっともったいない。緑や土を触るのってすごくおもしろいんですよ。雨が降ったあとの雫でできた地面の隆起の感じは、遺跡のようでかっこいいし、おもしろい。そういうことを発見すること、感じることが、楽しいはずなんです。

陶芸家の目線を活かして、僕がおもしろいと思う感覚をいろんなかたちで残していきたい。作品を並べてドカンッと展示会をやるのは、もう達成できたので。これからは、自分と同じように楽しめる感覚を育てたい。

それをやると何が起きるかって? やっぱり、自分と似た感覚の人が増えれば増えるほど、楽しみが増えるじゃないですか。大層なことではなくて、話相手がたくさんできておもしろいだろうから、やってみたいんです。

作品たち・お皿

(この記事は、宮崎県小林市と協働で製作する記事広告コンテンツです)

お話をうかがったひと

庸山さん6

川路 庸山(かわじ ようざん)
1976年2月5日、宮崎県宮崎市生まれ。幼少の頃より手離さなかった油粘土を磁器土に変え、昔ながらの自由な感覚のまま制作を続ける。大人になりきれない大人。 現在、制作物が空間に与える「空間支配」に興味を持ち、南九州唯一の磁器専門工房という看板を背負いつつ、布地を使った制作にも取り組む。 陶磁器工房「庸山窯」、帽子制作工房「YOHZAN」の2ブランドで、様々な活動に取り組む。

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くいしん

編集者。1985年生まれ、神奈川県小田原市出身。→ さらに詳しく見る

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