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ポータルサイト上野「文化の杜」と訪日外国人観光客|“日本初”がいっぱいのUENOを、みんなでもっと楽しもう!

日本に来る海外からの観光客の数は右肩上がり。なかでも東京の上野は、街を歩けば半分以上が観光客の人々で日夜あふれかえっています。

観光情報を発信するメディアも、媒体の形式を問わず数多く立ち上がっていますが、その中でも上野の魅力をより多くのひとへ発信したいという思いのもと、上野という地域に特化したメディア上野「文化の杜(ぶんかのもり)」が2016年3月にオープンしました。

上野「文化の杜」
上野「文化の杜」

これまでは、各館が独自に情報発信を行なってきましたが、本サイトでは、上野エリアに集中する美術館・博物館をはじめとした文化芸術施設の情報や展覧会、イベント、公演情報を横断的に発信しています。上野「文化の杜」は、この上野エリアの多様な魅力を多面的に国内外に発信することで、現在年間約1,300万人の上野地区への来場者を、2020年までに3,000万人まで引き上げることを目指しています。(上野「文化の杜」プレスリリースより)

……そういえば「灯台もと暮らし」編集部は上野にあるのですが、じつは私たちはあまり上野のことを知りません。

「灯台下暗し」だなんだと言っておきながら、我が身省みずではいかん! ということで、「文化の杜」の立ち上げチームである、上野観光連盟事務総長の茅野雅弘さんと、サイト制作を担当されたCINRAの嶋田茜さんに、上野公園で上野の魅力や「文化の杜」にかける思いを伺いました。

茅野雅弘さんと嶋田茜さん
左)上野観光連盟事務総長の茅野さん 右)CINRAの嶋田さん

日本初の公園は上野公園だった!

── ちょうど桜が満開の時期ということもあり、上野公園は大賑わいですね。

茅野雅弘(以下、茅野) そうですね。例年、来場者の6割は海外からの観光客の方々です。

上野公園

── 上野が観光地として注目されるようになったのはいつ頃でしょうか。

茅野 もともと日本のなかでも新しい日本と古きよき日本の風景がどちらも見られる場所として上野をPRしていました。でも、目に見えて増えたのは、2012年頃からでしょうか。

── 私たち灯台もと暮らし編集部のオフィスは上野にあるのですが、じつはあまり上野のことを知らなくて……どんな街なのか、教えていただけますか?

茅野 はい。僕は上野生まれ上野育ちですから、なんでも知ってますよ(笑)。

分かりやすく、今いる上野公園の成り立ちからお話しましょうか。

── ハイ、お願いいたします!

茅野さん

茅野 上野公園が開園したのは1876年のこと。大政奉還をして権力が幕府から明治政府と天皇家へ戻ったあと着工された公園ですから、公的建造物の所有者は天皇ということになります。上野公園の正式名は上野恩賜公園と言うのですが、恩賜とつくのはそのためで、日本で初めての公園となりました。

── 上野公園は庶民が天皇から賜った公園、という位置づけなのですね。

茅野 そうです。公園という概念自体も、ここが始まりです。ですが、はじめは公園ではなく病院になる予定だったんですよ。

── そうなんですか?

茅野 ボードワン博士というオランダ人軍医の男性が、上野公園の敷地内にある自然や周りの環境を見て「ここは病院ではなく公園にしたほうがいい!」と提案したんです。

ボードマン博士
ボードワン博士の胸像。上野公園敷地内にある

── そうだったのですね。上野公園は広場や自然だけでなく、動物園や美術館、博物館や図書館も集結していますが、これはほかの公園にはない形態だと思います。

茅野 それはですね、上野公園を開園しようと決まったあと、西欧諸国の公園を参考にしたからです。たとえばフランスのルーヴル美術館がある広場や、ベルリンの博物館島なんかを見ると、いろんな文化施設が一箇所に凝縮されているんですね。当時は西洋諸国に追いつけ追い越せという時代でしたから、上野公園もそれらに倣おうとしたのです。

そのほかにも、上野には“日本初”がいっぱい

── 上野公園が日本で初めての公園だと、先ほどおっしゃっていましたが、昔はどういう街だったのでしょうか。

茅野 上野には日本初のものが集積している地域です。公園もそうですし、それからロープウェーやカツサンド、エレベーターなんかもそう。上野自体が、国の実験とプライドをかけて開発され、国を代表する場所として位置づけられたんですね。

── そうなのですね。上野がそこまで特別なものだとは意識していませんでした……。

茅野 今はそうですよね。でも、上野には日本の歴史が感じられる場所がたくさんあるんですよ。博物館や美術館に行かなくても、公園を歩いているだけで、いろいろな歴史の物語を語ることができるんです(笑)。

── たとえば、どんな歴史でしょうか?

茅野 そうですね……上野は、江戸時代の頃に京都に見立てて設計された地域なんですね。不忍池を琵琶湖に、清水観音堂を清水寺に見立てて、お寺や庭を設えました。今は埋め立てられていますが、昔は上野公園の前には川が流れていて、その川の上に橋が3本かけられました。両端は庶民用、真ん中は将軍様用の橋ですね。だから、この界隈は三橋町という名前がつきました。

── へぇ!

コマツオトメ
コマツオトメ

茅野 それから桜。日本ではソメイヨシノが一般的ですが、上野公園内にはコマツオトメという品種の桜の原木があります。どうしてコマツオトメというのか、ご存知ですか?

── いえ……。

茅野 原木が、明治期の皇族である小松宮彰仁親王銅像の近くにあるからなんです。こんな感じで、上野にはいろんな歴史の片鱗が感じられるところがあるんですよ。

コマツオトメ

「文化の杜」は入口。上野という地域に愛着を持ってもらいたい

── そういう文脈を知っていると、上野を歩くのが楽しくなりそうですね!「文化の杜」では、今後そういった歴史の表舞台には出てこない豆知識も発信していくのでしょうか?

茅野 具体的なことが決まっているわけではありませんが、やはり街歩きをするうえで、日本の文化や歴史に興味のある人は国内外にたくさんいますから、情報が集まっている場所になるといいなと思っています。

嶋田 「文化の杜」には、上野に来る観光客向けの情報発信という目的もありますが、今まで個別で企画展などをおこなっていた文化施設の、横のつながりをつくろうという狙いもあるんです。

上野地区文化施設共通入場券
上野地区文化施設共通入場券。2,000円で上野地区にある8つの文化施設へ入場できる

── といいますのは?

嶋田 今まで博物館や美術館などで、何をやっているかということは各施設が告知していたんですが、上野に来る方は目的地をひとつしか知らずに訪れることが多かったんですね。たとえば鳥に興味があるひとが、上野動物園だけを目指して来たとしても、美術館で鳥の絵の展示があることを知っていたら、そこへも足を運べるかもしれません。

── せっかく一箇所にまとまっているのに、その便利さが生かされきれていない、と。

茅野 そうです。楽しめるコンテンツは、各施設が十分すぎるくらい持っているのに、それがうまく広がっていかないのって、もったいないじゃないですか。しかも、上野自体が国家の威信をかけて開発された歴史ある土地。なのに、その魅力を満喫しきれないまま、ただパンダだけ見て帰るのじゃあ……もったいないですよね?

── そうですね。ましてや海外から来るとなると、足を運んだら楽しみ尽くしたいと思う方も多いと思います。

茅野 その情報の隙間を埋めていくのが、僕らの役割であり「文化の杜」プロジェクトの目的です。

嶋田茜さん

嶋田 ポータルサイトは、あくまで入口という意識です。その日に上野で何をやっているかを、一目瞭然の状態にしておく場所がサイトの役割。実際に上野に来た時に、何が上野で催されているのか、きちんと情報提供できるように環境を整備したいと思っています。

茅野 その手段として、スクリーンを設置したりWifi環境を整備するなど、いろいろアイディアはあります。

何よりも、暮らすひとにとって心地よい場所へ

上野公園

── 上野は、今後ますます海外からの観光客の方々が増えると思います。

茅野 そうですね。でも僕としては、まずは、なによりも上野や近辺で暮らすみなさんが、より市民参加できるような地域になることが理想です。観光客の方々も、純粋な観光地としても上野は十分楽しんでいただけると思いますが、そのせいで地元の方々が上野から離れてしまうようなことが起きては本末転倒です。

特に上野公園は、暮らす人々のためにつくられた場所ですからね。上野にいるすべてのひとの憩いの場になるといいなと思いますし、「文化の杜」プロジェクトが観光客の方々だけではなく、逆輸入的にでも地元の人々がもっと上野に愛着を持ってもらえるきっかけになったら、うれしいです。

── いろいろな企業や文化施設、国策も2020年の東京オリンピックがひとつの大きな節目だと考えていると思うのですが、上野公園や上野まわりの文化施設は今後もあり続けますよね。より長期的な視点で見たときに、上野が憩いの場としてどんな地域になっていたら良いなと思いますか。

茅野 上野全体の地域で言うと、先程もお話したとおり、情報を共有するためのインフラ面は、きちんと整っている街になることが理想です。

あとは、やはり暮らすひとにとって心地よい場所であることが重要だと思います。ニューヨークのセントラルパークって、9割くらいの運営資金が市民の寄付で成り立っているんです。国の手がほとんど入らなくても、市民が求める場所として公園が守られている。上野公園も、自然とみんなが大事にしてくれる存在になったら、と思います。

茅野さんと嶋田さん

お話をうかがったひと

茅野 雅弘(かやの まさひろ)
1959年11月7日生まれ。上野で生まれ上野育ち。慶應義塾大学卒業後、商社にて16年間勤務後、株式会社かやの商店代表取締役就任。上野中通り商店街理事に就任し各種商店街活動等に参加。平成18年より上野観光連盟事務総長に就任。各種観光連盟事業を推進、現在にいたる。

嶋田 茜(しまだ あかね)
1988年富山県生まれ。一橋大学入学とともに上京。卒業後は、テレビ番組制作会社に入社。2014年からCINRA, Inc(https://www.cinra.co.jp)でディレクターとして勤務、今に至る。江戸東京博物館のリニューアルプロジェクトや、上野文化の杜ポータルサイトの立ち上げを担当。休日は、中央線沿線をぷらぷらして過ごす無類のネコ好き(飼ったことはない)。

ポータルサイト「文化の杜(ぶんかのもり)」はこちら

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立花実咲

1991年生まれ、静岡県出身の編集者。生もの&手づくりのもの好き。パフォーミングアーツの世界と日常をつなぎたい。北海道下川町で宿「andgram」をはじめました。→ さらに詳しく見る

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