2014年12月、日本のジーンズ産業の集積地である瀬戸内から、新たなジーンズブランドが立ち上がりました。その名は「EVERY DENIM」。兄の山脇耀平さん、そして弟の島田舜介さんが兄弟で立ち上げたジーンズブランドです。
ふたりは、日本のモノづくりの技術を後世に受け継ぎ、世代を超えて愛される一本をつくることを目標に掲げています。今回は、若き兄弟が「EVERY DENIM」を立ち上げた背景を、じっくり語っていただきました。
山脇 耀平(兄)
EVERY DENIM共同代表。1992年生まれ。兵庫県加古川市出身。筑波大学在学中に、ジーンズに関するプロフェッショナルを育成するための試験、第1回ジーンズソムリエ資格認定試験に合格。子どものころからジーンズ好きだった影響もありEVERY DENIMの立ち上げに参画。瀬戸内のデニム製造工場から情報発信するWebマガジン「EVERY DENIM MAGAZINE」現編集長。
島田 舜介(弟)
EVERY DENIM共同代表。1994年生まれ。兵庫県加古川市出身。岡山大学への進学を機にジーンズ加工を手がける工場へ。岡山は国産ジーンズ発祥の地であり、瀬戸内に集積する工場の技術が世界で高く評価されていることを知る。ものづくりの素晴らしさをより多くの人に知ってもらうため、作り手と売り手の距離を縮めることをテーマに「未来の伝統を織りなす。」という理念の下、実の兄と2人でジーンズブランドEVERY DENIMを立ち上げた。
工場でジーンズがつくられていく過程を見て感動しました
── 「EVERY DENIM」を立ち上げる最初のきっかけは、舜介さんにあるとうかがっています。
島田舜介(以下、舜介) そうですね。兄とぼくは兵庫県出身です。大学進学を機に岡山県に来たぼくは、岡山大学のベンチャー研究会というサークルに入りました。起業家を輩出したり、ベンチャースピリットを養ったりするようなサークルです。そのサークルの会長がたまたまジーンズ好きで、「ぼくもジーンズが好きなんです」と話したら、工場見学に行くことになりました。
── さすが、国産ジーンズ発祥の地である岡山県ですね。
舜介 ただ、モノづくりの現場を見るのはそのときが初めてでして……。一本一本ぼくらが履いているジーンズが手作業でつくられていること、国内外の有名なブランドと仕事をしていること、そして日本には誇るべき技術があることを知りました。
── 特に何に心を動かされましたか?
舜介 目の前で作業している工場の職人さんの姿が、本当にかっこよかった。新しいジーンズを試行錯誤して研究開発している様子も見ました。工場の中で実際にモノがつくられていく過程を見て感動したんです。ジーンズとの最初の出会いは、大学1年の5月のことでした。
── やっぱり岡山県ともなると、「ジーンズ産業の集積地」であることを、周りの友人も知っているのですか?
舜介 一緒に行った4、5人のメンバーの全員が初めてジーンズづくりの現場を見て感動したくらいなので、じつはそれほど産業の集積地であることは、地元で暮らしているひとにも知られていないと思います。だから大学に帰って周りの友だちに話してみても、瀬戸内のジーンズづくりの凄さがわかってもらえなくて。ぼく自身、今までモノづくりの裏側を見ることはなかったですし、きっかけや入り口がありませんでした。
舜介 ただ素直に、ぼくの感動をみんなにも共有したい、瀬戸内でつくられるジーンズとモノづくりの現場をみんなに知ってほしいと思って、最初はウェブメディアという形で工場を取材して発信していきました。
── そのウェブメディアというのが「EVERY DENIM MAGAZINE」で、このメディアの制作から耀平さんは関わり始めたのですね。
山脇耀平(以下、耀平) そうですね。ちょうどその頃のぼくは大学を休学して、「EVERY DENIM」と似たような想いでアパレルのEC事業をしている「Factelier」(以下、ファクトリエ)というベンチャー企業のインターンシップに行っていまして。この企業も工場と距離の近いモノづくりをしています。
── なぜ耀平さんはファクトリエで働いてみようと思ったのですか?
耀平 つくられているものの裏側をもっと知りたくなったからです。自分がものを選ぶときに、機能はもちろんつくられる背景や過程も含めて、なぜ自分がその商品を選んだのか、という理由に納得して買いたいですよね。
「Beautiful JAPAN DENIM Exhibition」発起人・デザイナーの吉村恒夫さんとの出会い
── 数ある商品の中からそれを選ぶ理由がほしいと、ぼくも思います。耀平さんは企業でインターンシップをしながら「EVERY DENIM」の活動をスタートしたのですね。
舜介 ぼくも「EVERY DENIM MAGAZINE」の立ち上げ・運営と並行して、2016年の春に開催を予定していた国産ジーンズの総合展示会「Beautiful JAPAN DENIM Exhibition(ビューティフルジャパンエキシビジョン)」で、学生唯一の運営メンバーとして参加していました。
── ジーンズの総合展示会とは……?
舜介 岡山と広島にあるジーンズの工場をシャトルバスでつないで、海外や国内のひとに来ていただく展示会です。職人さんの次の仕事につながって、かつ瀬戸内の技術を発信できるような場として準備をしていました。
── なるほど。
舜介 「Beautiful JAPAN DENIM Exhibition」の発起人が、今も「EVERY DENIM」に携わっていただいている吉村恒夫(以下、吉村)さんです。ぼくたちにとって、吉村さんとの出会いはターニングポイントでした。もともとは「BIG JOHN JEANS」(ビッグジョンジーンズ)というジーンズブランドで約35年間デザイナーをしていた方です。定年退職した後に、「お世話になった業界や地域を盛り上げたい」と、「Beautiful JAPAN DENIM Exhibition」を始めたんです。
ところが2015年の1月、実行委員会のみんなでキックオフ会を終え、やるぞ! と意気込んでいた後に、開催ができなくなってしまいました。
── どうしてでしょう……?
耀平 いろんな理由があります。工場側とブランド側の利害関係が一致しなかったというか……。ブランド側は、下請けの工場と横並びになって表に出ても、メリットはないと判断したんですね。自分たちがどれくらいのコストをかけて商品づくりをしているか公(おおやけ)になってしまうなどの、デメリットの方が勝ってしまったのだと思います。
舜介 工場側からすると、ブランドから仕事をいただいて生計を立てているので、展示会のような消費者の目に触れるような場に出ても、受注先とやりとりできるわけではないから、それほどメリットがないと。そして大きな問題として、「瀬戸内」と一言で括ってみても、工場同士で技術を隠し合っている仲でもあったんです。
耀平 吉村さんは本当に慕われている方です。どこかの組織に所属しているわけでもないのに、「よっさんのためなら」とプロジェクトに賛同してくれる工場の方が多かったんです。でも、その吉村さんであっても「Beautiful JAPAN DENIM Exhibition」は実現できなかった。実行委員会のメンバーとして動いていた彼からずっとプロジェクトの話を聞いていたので、ぼくも凄くショックでした。
舜介 さいごに実行委員会の解散会のような集まりがあって、そのあと吉村さんとぼくたち兄弟で、岡山の宇野港にある「たまの湯」という温泉に行きました。お昼から3人で裸になって(笑)。
耀平 温泉に浸かりながら、「これだけやって何もできんのやったら、どうしようもない。わしはもう引退やあ」って、吉村さんが仰っていた。それがぼくはすごく切なくて、でも同時に“まだできることはあるんじゃないか”って思ったんです。
ぼくたちが、吉村さんの叶えられなかった夢を叶えます
── おふたりが共感する、吉村さんの活動や想いとは、どのようなものでしょうか?
耀平 大先輩なので、こんなことを言うのも恐れ多いのですが、吉村さんとぼくらは40歳以上も歳の差はあるけれど、今後のジーンズ産業のために考えていることが共有できると思っています。
── 共有できること、とは?
耀平 ジーンズ工場が集積している瀬戸内で、小さな工場が「同志」として協力し合う必要があること。最悪の場合「日本からジーンズ産業がなくなってしまう」と危機感を抱いているということです。
舜介 今は、インターネットで調べれば、いくらで商品がつくれるのか誰でもわかります。ぼくたちは小さい頃からインターネットに親しんでいるので、ジーンズ産業の厳しい現実を直視する感覚が染み付いています。けれども年上世代になると、ぼくらが危惧していることは理解されにくいことでもあって。
耀平 そんな現状の中、吉村さんとジーンズ産業に対する感覚が一致した。ジーンズ業界で大先輩の吉村さんが、ぼくたちと同じ考えを持ってくださっていることがすごくうれしくて……。
── 「Beautiful JAPAN DENIM Exhibition」は、それでも解散することになってしまいました。
耀平 実行委員会が解散したときに、「ぼくたちが、吉村さんの叶えられなかった夢を叶えます」と伝えました。このひとの想いはぼくたちの想いにもつながるから、引き継いでやっていきたかったんです。
瀬戸内のジーンズ工場が「同志」として、次の未来をつくっていく
── 吉村さんという先輩の知見を提供していただきながら、「EVERY DENIM」はスタートしたのですね。「Bengala(ベンガラ)」「Relax(リラックス)」と商品展開をしてきたわけですが、その商品づくりの背景には、「ジーンズ業界の構造を変えるモノづくりをしたい」という想いがあるとうかがいました。
舜介 はい、そうですね。
── 現在のジーンズ産業の構造について教えていただけますか?
耀平 端的に言うと、商品がつくられてからお客さんの手元に届くまでに、つくられたときの想いが届かないくらい“長い”構造になっています。
舜介 商社がさまざまな工場とつながっているので、アパレルブランドは商社に発注しているんですね。いざ商品ができたら、販売専門の業者に任せることも多いです。場合にもよりますが、大量生産大量消費の時代なので、できたジーンズを流し売ることも当たり前のようにあります。
耀平 あと、モノづくりの構造が上下の階層型になっていて、つくり手よりも売り手のほうが立場的に強いんです。最近は小売りの価格競争が激しくなっているから、安く生産する必要もある。となると、コスト削減分のしわ寄せが工場に来てしまう。工賃が安くなる、納期がギリギリになる……という現状です。そういう負の構造は、今後正しい形にするべきだとぼくたちは思っています。
舜介 生産者の方々を敬い、発注側となるブランドと受注側となる工場との関係性をフラットにしたいという想いがあります。
── 吉村さんでも実現できなかったことに、おふたりが希望を見いだせるのは何か理由があるのでしょうか。
耀平 いま、これだけ工場がなくなっている現状には、工場が淘汰されている事実がある。けれど逆にいうと、いま残っている工場にはキラリと光る技術があるということです。そこでしか染められない風合い、手作業で丁寧にやらないと実現できない縫製……、やっぱりそれぞれの工場で得意な技術があるんです。
舜介 だからこそ工場同士がもっと手を合わせて、次の未来をつくっていくべきだと思っていて。
── ジーンズ業界は、横のつながりが弱いんですね。
耀平 そうなんです。ジーンズは1960年代から50年以上つくられているにもかかわらず、ジーンズそのものの進化があまりにも少ないなぁと、ぼくは疑問に感じていて。他の産業だったら素材の機能性を追求するだとか、もっと洗練されていくと思うんですけど。
舜介 そもそもジーンズの生産は、生地をつくる・染める・加工するステップで分かれています。瀬戸内は産業の集積地であるにもかかわらず、ひとつの工場で完結する生産ラインをつくっていますから、それぞれの工場が独立してジーンズをつくっているんです。
── 工場同士で協力できたら、ジーンズのつくり方が大きく変わる可能性がありそうですね。
耀平 そうですよね。瀬戸内が一体となれれば、今まで世界になかったような新しいジーンズが日本から生まれると信じています。縦と横の構造を両方変えていくことを、ぼくらは夢として描いています。
履き手が愛着を持てる。誰もが履ける「EVERY DENIM」へ
── 夢を叶えるためには、何が必要だと思いますか?
耀平 つくり手が自分たちにしかできない価値を提供することが必要だと思います。「Bengala」は加工技術、「Relax」は縫製技術を結集してつくりました。ただ、「技術力があるから」「つくられる背景が違うから」買ってくださいとお客様にお願いするのは違和感があります。
お客様に新しい価値を提供することで、長く履いて欲しい。今回の「Relax」という商品では、今までにない快適な履き心地を喜んでくださる方がたくさんいます。
── さきほど履かせてもらいましたけど、本当に新感覚の履き心地ですね。ピタッと身体にフィットするジーンズなのに、ゴワゴワした肌触りや動きづらさがなくてびっくりしました。
舜介 「EVERY DENIM」のジーンズを持っていたら毎日履いて出かけたくなるくらい、履き手が愛着を持てる一本をつくりたいですね。
耀平 だからこそ、初めて「EVERY DENIM」を知ってくださるお客様との出会い方を大切にしたい。ジーンズを履くところからがスタートではなくて、ぼくたち「EVERY DENIM」を知ってくれたところからがスタートです。
舜介 「EVERY DENIM」を知る「きっかけ」から、ぼくたちが商品づくりに込める想いやモノづくりの過程を伝えることが大切。
耀平 商品を手にした瞬間は、お客様にとっては買う過程。「EVERY DENIM」と出会い、買い、愛着を持って履き続ける全ての過程で、商品を楽しんで欲しいと思っています。
お話をうかがったところ
EVERY DENIM フィッティングルーム
住所:岡山市北区伊福町1-15-18スカラトーレ伊福町202号
営業時間:毎週土・日12:00〜17:00 不定休があります。詳しくはこちら
電話番号:ご教示頂きたく存じます。
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