阪神淡路大震災をきっかけに脱サラし、1995年、宮崎県小林市に移住した梶並達明(以下、梶並)さん。霧島山の北東部に位置する夷守岳(ひなもりだけ)のふもとで、減農薬野菜を栽培する「生駒高原農園」の営業を始めました。

宮崎県小林市

青い空が広がる晴天の日、編集部は梶並さんのもとへ。案内していただいた畑は、まさに野菜研究室。ここで梶並さんは野菜と徹底的に向き合い、毎年新しい品種に挑戦し、自分が食べたいと思う最高の野菜をつくっています。

現在は銀座にあるフランス料理の名店「ESqUISSE(エスキス)」など、東京や福岡を中心に野菜を出荷。シェフや地元の人々に愛される野菜をつくる心意気には、モノづくりをするならば見習うべき、生産者としての哲学がありました。

自分の身を守れるように、宮崎県小林市に移住した

── お住まいだった大阪から宮崎県小林市に移住した、そのきっかけから教えていただけますか?

梶並 きっかけは阪神大震災。震災後も大阪で働いていたんだけど「もしまた地震が来たら、誰が助けてくれるんだろう?」と思って、もう仕事は辞めようと思ったんだよね。

梶並達明さん

梶並 ここだったら、家と家との間隔が広いでしょう? だからたとえ家が潰れても、その一軒だけだったら道が広いから周りにいる全員が助けに行ける。だけど、大阪や東京みたいに建物が密集していたら、誰がどこで暮らしているのか把握できないじゃん。小林だと違うよね。「ここの家は誰々の家だから中におばあちゃんがおるはずや、みんなで行くぞー!」って、助けられるじゃん。田舎は自分の身が守れると思って移住したんです。

孫やその先の世代に食べさせられる野菜をつくる

── 奥様のご実家が小林市にあったから、ここにIターンしたと聞いています。移住した当初は、農業すると決めていたのでしょうか?

梶並 いや、農業すると決めていたわけではないね。関西にいた頃から、生のままでも安心して食べられる、本当においしい野菜を探していたの。こっちに移住した時に自分が食べたい野菜がどっかにあるやろって思っていたんだけど、見つからなかったのよ。で、家内の親の土地も農業用の機械もあったし、自分で野菜をつくることにしたんです。

── 今はどんな野菜をつくっていますか?

梶並 スイートコーン、肥後の赤ナス、白ナス、水ナス、賀茂ナスがあって、メキシカンサワーガーキン、こどもピーマン、トマト、アイコ、黄色アイコ、バジルが3種類と……。

── いっぱいありますね!

梶並 ニンニクとジャンボニンニク、ズッキーニが3種類あって、それから何があったっけ……。とにかく、年間を通して50種類以上の野菜を育てているんですよ。

梶並さんに園内を案内してもらう

無農薬野菜

── 大阪で暮らしていた頃と、小林に移住して農業をするようになった今とを比べると、どんな変化がありますか?

梶並 今は大阪にいた頃よりも、すごく幸せですよ。ほぼ農薬を使わないで野菜を栽培できるようになって、それを食べたひとが笑顔になっているのを見るのはものすごくうれしい。

── 減農薬で野菜をつくるようになったのは、なぜでしょうか。

梶並 おいしい野菜を食べたいっていう動機で農業を始めたからね。自分で食べる野菜に薬はかけたくないじゃん。この仕事をしていると、野菜の葉の先に粒剤(りゅうざい)が付着しているのを見ることもあるの。本当は粒剤を1,000倍、2,000倍に薄めて使うのが農薬の使用方法なのに、粒をそのまま野菜の上にかけるって、とても危険。「おじさん、自分で食ってみろ。生のまま小さな子どもが食べることだってあるんだよ! おかしいじゃんよ!」って、つくったひとに言いたいんだけどねぇ。

どんな野菜にしたってさ、思いっきり薬をかけて市場に出荷している。だけど、そういう野菜をつくっているひとたちは、自分では食べないんですよ。

梶並達明さん

梶並 農薬がいっぱいかかった野菜を孫に食べさせるのか、形が悪かったりするけどできるだけ農薬を使わずに育てた野菜を孫に食べさせるのか。どっちがいいと思う? 人間が生きるってことの原点って、食うことじゃん。食べるということは、未来を考えることなんですよ。本当に安全なものを子どもに、孫に、その先の世代に食べさせられる野菜づくりをしなきゃならない。

究極のスイートコーンを求め続けた15年間

── 梶並さんのように、安全に配慮した食品関係の仕事や取組みをしているひとが、ここ数年でとても増えていると思うんです。組織でも、個人でも。

梶並 たしかに最近は僕と同じような考えで野菜をつくるひとも増えてきたので、うれしいね。

── そういう方々が梶並さんくらい仕事を楽しみながら、より活動を深めていくにはどうしたらいいでしょうか。

梶並 農業だったら、毎年ある野菜を同じ日に植えて収穫するという繰り返しではなく、違う種類の野菜を毎年増やしていくことかな。いつも初めて育てるとなると、慣れていないし失敗するかもしれないから「お前アホか」って言われるよ(笑)。でも、それが一番楽しいんですよ。自分が食べたい野菜を自分がつくりたいようにつくるという、なんというわがままな人間だろうって思うんだけどね(笑)。

梶並さんが育てた野菜

── 新しい品種の野菜はどこで見つけていますか?

梶並 自分が食べたいって思えば、自然と探すじゃない? お菓子でも、あそこのお菓子がおいしいから買いに行きたいとか、それと一緒。おいしい野菜、おもしろい野菜、まだ見たことがない野菜はいっぱいあるからこそ、それを探して育てるって楽しいじゃん。

ワクワクする種が見つかったら、畑じゃなくて、ポットでも鉢でもいいしプランターでもいいから、まず種をまいて実験する。うまくできたら次の年は畑とか広い場所に移せば、ちょっとずつ出た芽が育っていくからね。僕、まだ育てる品種を増やそうとしているんだから、馬鹿だよねぇ(笑)。

── 新しいことを始めれば、当然うまくいかないこともありますよね。

梶並 うまくいかなかったら自分が悪い。たくさん雨が降っても、逆に雨が少なくて水不足でも、野菜をちゃんと育てているひとはいるんですよ。だから絶対、不作の理由は自分の努力が足りなかったから。それだけのことで、天候のせいにはしたくないなぁ。

── 納得のいく味や品質に到達させるのに、苦労した野菜はありますか?

梶並 たくさんあるけど、一番はこれかな。

── スイートコーン。

梶並 これは生のままで全部食べられます。東京のレストランでは、芯だけで取った出汁を使って冷製のコーンスープをつくってくれるんですよ。

けど納得できるスイートコーンを育てられたのはここ数年で、栽培に大変苦労しました(笑)。だって15年間育てているといっても、まだたったの15回しかつくれてないからねぇ。技術と経験次第で、もっとおいしいスイートコーンができるだろうなと。

── 仰ることはわかりますが、梶並さんくらい時間をかけて野菜を栽培してきたつくり手の多くは、「味の品質はもう充分」だと満足するのではないでしょうか。これほどおいしさを追求できる理由が知りたいです。

梶並 朝、スイートコーンを収穫していると、絶対これはうまい!って思えるのが1日で3本くらいあるんですよ。「これは俺が食べる分!」って、ポケットに入れて帰るんだけど(笑)。この3本が増えて、100本になればもっとうれしい。「本当にうまいぞ、これ食ってみろ」って、お客さんに出せるじゃん。喜んでくれるひとがいるから、死ぬまで一生勉強して、おいしい野菜をつくる努力をする。終わりがないから農業は楽しいんだよね。

農薬ではなく、「先人の知恵」に頼りたい

── 梶並さんは自分が納得できる野菜をつくるために、減農薬での栽培を選んでいますよね。時には野菜が病気になったり、虫に食べられたりしてしまうこともあると思います。それでも、農薬に頼らずおいしい野菜を育てられる秘訣はありますか。

梶並 ひとりのおっちゃんが教えてくれたの。「昔はね、家に植えている柿の木の葉っぱにスイートコーンの種が3つ乗ったら、種のまき時だよ」って。何月何日って、言わないんですよ。どんな時代でも、野菜ごとに適切なタイミングで種をまけば、病気にならないし虫も寄らない、種まきの旬のような日があるんです。小林の土や水、標高や気温に合った、種まきの旬がね。そういう昔ながらの知恵を、地元のひとたちが教えてくれたんですよ。

宮崎県小林市

── 地域の先輩に頼るというのは、とても大切なことなんですね。

梶並 そうそう、普遍的な知恵を活かせれば農薬なんていらない。知らないなら、地元のひとに聞けばいい。僕のところに農業を教えてほしいと訪ねてくる若者には、「お前らもっと地元のひとに聞け」と伝えているんです。

ひとより早く種をまいて、そのせいで虫が付くから投薬して、薬で生命力が弱くなるから栄養剤と殺菌剤を入れて……って、しなくて済むんだよね。

── その土地の風土に適したモノづくりをするためにも、地域に根付く食の文化に注目することが求められているのでしょうか。

梶並 そうだと思うよ。たとえば、自宅の庭に植えて家族で食べるから市場には出ない、地元のひとが昔から育て続けている野菜があるんですよ。

── どのようなものでしょうか?

梶並 10個の角がある、十角(とかど)へちま。知ってる? 皮をむいて、醤油をかけて食べると絶品なんですよ。この辺の若いひとは知らないけど、おじいちゃんとかおばあちゃんがつくっていて。宮崎の昔ながらの野菜を探したい。海外の野菜もおもしろいんだけど、みんなに食べられていない地元の野菜って、まだいっぱいあると思うんでね。

「早く大きくなれよ、おいしくなれよ~!」

── 梶並さんが野菜をつくるうえで一番大切にしていることはなんでしょうか。

梶並 種まく時に、早く大きくなれよ、おいしくなれよ~って、心を込めて植えることかな。これって大型機械で種まき機を後ろにつけて、一気にまけばそんなこと何も思わないで、よし終わった、これで遊びにでも行こうかって考え始めちゃうよね。それって、食べるひとのことをちゃんと想像していないと思う。

じゃなくて、汗流しながらでも早く芽を出せよ、大きくなれよ、おいしい野菜になれよ!って思いながら植えるほうが、すごくおもしろいじゃん。だから芽が出た時に感動するし、収穫した時も感動する。

梶並達明さん

梶並 野菜をレストランに出荷するまでの種をまいている時、箱詰めしている時でさえも、どうやってこれを料理しよう……って悩むシェフの顔が想像できるんです。

そして、僕が育てた野菜をふるまってくれるひと、食べてくれるひとの姿が本当に想像できるから、おいしい野菜をつくってあげんといかん。「おいしかったです。また食べに来ます」って、お店のお客さんがシェフと握手している姿を想像するところまでが僕の仕事。手をかけて野菜をつくるって、すっごい面倒くさいし、大変。それでも「自分が食べたい」っていう気持ちが根底にあるから続けられるんですよ。

(この記事は、宮崎県小林市と協働で製作する記事広告コンテンツです)

お話をうかがったひと

梶並 達明(かじなみ たつあき)
1957年岡山県生まれ。1995年小林市にIターンして就農。妻和枝さんの両親と4人で農業を営む。いろいろな西洋野菜を栽培しており、イタリアンやフレンチ、ドイツ料理や中華料理などのシェフも顧客に多い。

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