父から技を継ぎ、草木染めでファションブランドをつくる染色家。もうすぐ100周年を迎えるお茶農家の茶葉を販売し、その文化を広めようとするデザイナー……。
家業のない家で育った僕(編集部・タクロコマ)は、脈々と受け継がれる仕事に携わる方にお会いすると、羨ましさを感じることがあります。
でも、家業の継ぎ手として期待され、育ったひとの気持ちをちゃんと考えたことはありませんでした。
祖父が始めた観光農園の仕事を、父が継ぎ、そして順番が回ってきた宮崎県小林市出身の小原勇太さんには、本当は就きたかった職業があったそう。しかし描いた道には進まず、果樹農家の3代目として家業を継ぎ、梨とぶどうの生産と観光農園を経営しています。
最近では「好きなことを仕事にするべき」と聞く機会が増えましたが、自分の目の前にある仕事を選び、それに打ち込むことも正しい選択ではないでしょうか?
今日は、後者の道を歩んできた小原さんの笑顔に迫りたいと思います。
小原さんがやっている果樹農家の仕事
── (農園を訪ねて)こんにちは! ここが農園なんですね〜。
小原勇太(以下、小原) おぉ、どうもどうも。
── 今日は果樹農家の仕事や家業を継いだ理由をお聞きしたくてお邪魔しました。梨とぶどうを育てているとうかがっているのですが、この畑では何を育てているんですか?
小原 ここは梨の果樹園ですね。品種は幸水(こうすい)、豊水(ほうすい)、新高(にいたか)、新興(しんこう)、愛宕(あたご)と、5種類くらいの梨を育てています。ぶどう農園はピオーネ、シャインマスカット、クイーンニーナ、ハニービーナスという品種をつくっています。
── 10月は収穫の最盛期でしょうか?
小原 いえ、8月から9月が梨とぶどうが実る時期なので、ピークはもう過ぎていますね。10月からは梨だけが採れるんですよ。
── 5種類くらいずつ栽培していると仰っていましたが、小原さんが好きな品種は……。
小原 最近はシャインマスカットですね。とにかくうまいっす。糖度が高くて皮ごと食べられる。今は皮ごと食べられるような品種がどんどん増えてきているんですよ。
── 種なしのぶどうも増えていると思います。
小原 うちは全部種なしでつくっています。大変ですが、全て手作業で。
── 小原さんひとりではやりきれない作業だと思うんですが、どれくらいの人数でやっているんですか?
小原 父ちゃんと母ちゃん、妻とじいちゃんばあちゃんの6人でやっていますね。
── ご家族で。直売所もありますが、販売するのもご家族の方ですか?
小原 いや、そこまではもう手が回らないので、販売を担当してくれる方を雇って、お手伝いしてもらっています。
バイクの整備士になりたかった。けど、家業の果樹農家を継いだ
── 小原梨園が観光農園としてスタートしたのはいつ頃ですか?
小原 昭和50年からなので、41年前。1975年頃からですね。
── 先代からやっていらっしゃるのですよね。なぜ始めることになったのかご存知ですか?
小原 今、農園がある坂下地区は戦後の開拓地らしくて。じいちゃん達がこの地へ移り住んできて、最初は今と別の作物をつくっていたみたいなんです。途中から梨とぶどうをつくるようになって、それと同時に観光農園も始めたみたいですね。小原梨園はじいちゃんから続いているので、僕で3代目です。
── じゃあ農家としての技術は代々受け継いできたと……。
小原 就農してからはそうですね。それまでは農業大学校に通っていて、卒業後に岡山県のぶどう農家さんのところで勉強させてもらいました。
── 修行されて小林に戻ってきた。ご実家の仕事を継ぐということに対しては、どう思っていましたか?
小原 本当はバイクの整備士になりたかったんです。なんでも自分で整備するところが好きで。
── それでもバイクの整備士ではなく、果樹農家としての道を選ばれた。
小原 うちの近くに何軒か梨園があるんですけど、月一で集まって農業の勉強会をしているんです。その時に地域のおじちゃんに「お前どげんすっとか」って言われて。要は「家業は継がないのか?」って説得するかのように、聞かれることはありました(笑)。高校3年生の頃からですね、家業を継ごうと意識し始めるようになったのは。
兄弟は姉ちゃんがふたりと俺です。うちは男ひとりやったから、最終的には流れに身を任せてみた感じですね。
── 家業で仕事を近くで見ていたとは言え、就農後は苦労したことや悩んだこともあるのではないですか?
小原 もし自分がお客さんだったら、梨やぶどう狩りしにうちの観光農園まで来るからにはおいしい果物を食べたいと思います。でも、自然を相手にする分、絶対に今年が一番おいしいとは言い切れないこともあるんですね。そういう時にはお客さんに対して少し申し訳ない気持ちになります。俺が小さい頃は大型バスに乗って観光客の方たちが来てくれたんですが、今は個人のお客さんがわざわざ足を運んでくれるから、尚更そう思うのかもしれません。
── 今年通用した技術が来年通用するかわからないような、自然相手だからこそのむずかしさですね。
小原 あとはぶどうだったら、小林は雨の日が多いから、実を守るためにビニール張りするのも大変です。梨を人工授粉させる作業もそうですが、手間がかかることはたくさんあるんですけどね(笑)。
── 苦労する分、おいしい果物ができたらすぐに食べたくなりそうです。
小原 つくったやつは自分で一回は食べますよ。しれーっと(笑)。
農業はなんでもできる。だから楽しい。
── それでも果樹農家の仕事を続けられる、仕事の一番モチベーションになるものはなんですか?
小原 ありきたりな答えですけど、良いものをつくりたいっていうことかな。粒が大きくて、糖度も高い梨やぶどうができた時はうれしいですね。
そんなうれしさがあるからこそ、今はね、家業を継いで良かったと思っていますよ。いざ農業をやってみたらいつの間にか楽しくなってきましたし。
── バイクの整備士になりたかったけれど。
小原 ハーレー(ハーレーダビッドソン)に乗りたいと思っているくらいバイクが好きですけどねぇ。でも今は農業の方が好きになっていますね(笑)。
── どうしてですか?
小原 バイクの整備士やったらバイクの整備しかできんわけじゃないですか。対して農業って、自分でなんでもできる。梨とぶどう以外の果物や野菜を育ててもいいわけです。観光農園と直売所は販売のことを考えないといかんし、農業やったら農作業用の機械を使いやすいように改造したり、壊れれば修理したりもしますしね。
── 農業はずっと土をいじっているように見えることもありますが、むしろやることはたくさんありますよね。さいごに、小原さんが考える農業の楽しさについてお聞きしたいです。
小原 自分が1年間、心を込めて手入れしてきた成果が出るからこの仕事はおもしろいですね。果樹は1年に1回だけの収穫やから大変なんですけど、一回おいしい梨とぶどうができたら、次の年も頑張ろうって思える。そういう結果の積み重ねで、農業が楽しくなってきたんですよ。
だから俺と同じように家業を継ぐとか、もともとは望んでいない仕事を引き受けるかもしれない時には、流れに身を任せてみればいいと思います。いざやることになっても、その仕事に打ち込めばきっと結果が出て、楽しくできる日がくるはずですから。
(この記事は、宮崎県小林市と協働で製作する記事広告コンテンツです)
お話をうかがったひと
小原 勇太(こばる ゆうた)
家業を継ぎ、梨とぶどうの生産と観光農園を経営する果樹農家の3代目。仕事の一番モチベーションは「良いものをつくりたい」という想い。