ここは、都会の喧噪から引き離された知る人ぞ知る老舗スナック。
夜な夜な少なの女性が集い、想いを吐露する隠れた酒場。

確かに近年、女性が活躍する場は増えて来たように私も思う。

自由に生きていい。そう言われても、

「どう生きればいいの?」
「このままでいいのかな」
「枠にはめられたくない」

私たちの悩みは尽きない。

選択肢が増えたように思える現代だからこそ、
多様な生き方が選べる今だからこそ、
この店に来る女性の列は、絶えないのかもしれない。

ほら、今も細腕が店の扉を開ける気配。
一人の女性が入ってきた……

連載 今を生きる女性の本音「かぐや姫の胸の内」

第16回目となる今回は番外編。マレーシア・クアラルンプール在住の実業家、小倉若葉さんを国を越えて訪ねます。

右から2番目:小倉若葉さん
右から2番目:小倉若葉さん

── こんにちは、ここが、「HIBANA flower & gift studio(以下、HIBANA)」のアトリエスペース「HIBANA LAB(以下、LAB)」……?

小倉若葉(以下、小倉) えぇ、LABへようこそ。今日はフラワーアレンジメント教室に参加してくださって、ありがとうございます。主宰の小倉若葉です。まだほかの参加者の方はいらっしゃっていないので、少し中でお待ち下さい。

── ありがとう。突然参加の連絡をしてしまって、ごめんなさいね。「誰も見たことのない、静かなる情熱の花よ」っていうHIBANAのキャッチコピーに惹かれてやってきたの。あとは、公式サイトの花の美しさに魅せられて。HIBANAは、お花屋さんなのかしら?

小倉 えぇ、花屋です。ただし、マレーシアのクアラルンプールを拠点とした、ウェブショップ中心の花屋です。基本はオーダー制のため、注文をいただいてから花束やアレンジメントをつくります。

フラワーアレンジメントは、日本の生花とヨーロピアンスタイルの融合。今日行うフラワーアレンジメント教室は、LABのワークショップという位置付けで実施しています。花の魅力をマレーシアのひとに伝えて、新しい花文化を根付かせていくための、広報活動のひとつ。2016年6月からは物販イベントも始め、ゆくゆくはスクール事業も展開していく予定です。

LABの内観
LABの内観。クアラルンプールの街の喧騒からは想像できないほど、おしゃれな空間が広がっている

── ふぅん、いいわね。あなたは、いまマレーシアで暮らしながら、この仕事をしている?

小倉 はい、今年で移住4年目になります。現在は夫と子ども2人の4人暮らし。HIBANAの創業は2015年6月ですから、まだまだ試行錯誤の日々です。

── へぇ……けれど、なんだか充実した日々を過ごしていそうな雰囲気。そしてこの場所も素敵だわ。ねぇ、そこにあるフレッシュライムジュースをいただいてもいいかしら? もし時間が許すなら、あなたの話をもう少し詳しく聞きたいの。

小倉 もちろん。まだ時間はありますし、フラワーアレンジメントをしながらでも。じゃあ私も何か飲み物をいただこうかな。同じ、フレッシュライムジュースを。

どうせ東京を離れるなら、海外でも変わらない――?

HIBANA

── どんな経緯で、クアラルンプールでHIBANAを立ち上げることに?

小倉 そうですね……話すと少し長くなります。私が、なぜクアラルンプールで暮らしているか、というところから話しましょうか。

── えぇ、お願い。

小倉 もともと私は、東京都の恵比寿で暮らしながら、大好きな編集の仕事をしていました。恵比寿というとおしゃれなイメージがあるかもしれませんが、私が惹かれたのはまさに場末の昭和スナック街、といった雰囲気の、飲み屋街の方。飲み歩くと、クリエイターやカメラマンなどおもしろいひとに会える確率が高く、それが本当に楽しくて。結局最終的には隠れ家バーで週一ママをするほどハマっていました。

夫も元雑誌のクリエイティブディレクターで、仕事仲間として顔見知りだったのですが、仲良くなったのは恵比寿が縁。結婚をして子どもも産まれて、仕事も楽しい。毎日充実していたから、移住なんて考えたことがなかったんです。

小倉さん夫婦
小倉さんは、元クリエイティブディレクターの夫と、子ども2人、犬4頭と大家族で移住した

── そんなあなたが、なぜ東京を離れようと?

小倉 きっかけは、2011年3月11日の東日本大震災。当時長男がまだ2歳だったこともあり、「このまま私たちは東京で暮らしていけるのか?」と真剣に考えるようになりました。

私は編集者のキャリアを、編集プロダクションの社員として始めたのですが、その後はアシスタントやフリーランスを経て、編集プロダクション「有限会社デュアル」の代表取締役を務めるようになっていました。震災直後は、仕事も軌道に乗って、大きな案件が舞い込んできた時期でもあったので、最初は子どもだけでも祖母の実家のある徳島県へ逃がそうかと思っていたのですが……震災一週間後、ふと気が付くと生理がきていないことに気が付いて。第二子を、妊娠していることを知ったんです。

── それは、またすごいタイミングね。

小倉 驚きました。でもだからこそ、私自身も東京を離れようという決心ができました。家族で東京を離れて暮らしてみて、何もなかったらあとで笑えばいい。一時避難のつもりで徳島へ行きましたが、恵比寿にある長男の保育園からは「2ヶ月来園しなければ除籍です」なんて電話がかかってきたりする。このまま徳島に家族でいたほうがいいのか、東京へ戻ったほうがいいのか。タイムリミットもあったので、一時期は悩みました。けれど結局は夫とも話して、徳島に残る決断をして。

とは言え徳島に永住するイメージも湧かなかった。再び「これからどうやって暮らしていこう?」「徳島を拠点にするなら、仕事はどうする?」と考えていたときに、ふと、「無理をして日本にこだわらなくてもいいんじゃないか」というアイディアが浮かびました。震災を含め、いまは変動の時代です。これからの時代を生き抜くために、子どもたちは日本の外に出て、広い世界を見て、多様な価値観を知ったほうがいい。そういった考えも、もとから持っていました。

クアラルンプールのバングサの街を歩く小倉さん
クアラルンプールのバンサーの街を歩く小倉さん

小倉 いつか海外移住をしたいとは、ぼんやり思っていて。「今できない理由は何?」と考え始めると、いろいろと出てくるのですが「でもそれは重要なことなの?」と自分に問うと、意外にそうでもなかくて。デュアルの仕事は東京を離れても、徳島でもできましたし、定期的に通えれば拠点を海外に移しても、やっていけるのではないか……?

しばらく自問自答を繰り返しましたが、「いまできない決定的な理由」は、見つからなかった。移住先として検討したのは、タイ、マレーシア、シンガポールなどアジアの諸外国ほか、南半球のオーストラリアやニュージーランドなど、本当にいろいろな場所。

けれど、言語、時差、経済状況、治安や通信速度も鑑みて、最後まで残った選択肢が、アジアのマレーシアのクアラルンプールでした。

── ふぅん……。すごい話ね。東京から徳島へ、徳島から、クアラルンプールへ。あなたは広い視野で物事を捉えられるひとなのね。クアラルンプールには、訪れたことがあったの?

小倉 もうすごく前、それこそ20年前に一度、シンガポールに近いジョホールという街に日帰りで訪れたことがあるくらい。けれどマレーシアには、良いイメージを抱いていました。実際に移住するまでは2回ほど通いましたね。下見を兼ねて、3週間ほど「タマンデサ」という街で暮らしてみたりしたことも。この街で暮らしていけるか、仕事はできそうか、子どもたちを安心して育てていけそうか。すべてにマルが付いたので、移住に踏み出したのが2012年12月のことです。

花屋、編集者、移住サポート……しなやかに芯を持って生きていく

HIBANA

── あなたはそのままデュアルの仕事、つまり編集の仕事を続けているの?

小倉 はい。デュアルの仕事は、徳島からクアラルンプールへ移ったあとも、同じように続けています。具体的には、コスメのPR誌の作成など、紙媒体の仕事を中心に手がけています。

日本に信頼できる「チームデュアル」のメンバーがいるので、彼らに助けてもらいつつ、撮影時などは私も定期的に東京に戻って、仕事を進めている感じですね。この仕事を続けたいからこそ、移住先の通信速度は最重要事項でしたね。データはすごく重いので、ストレスなくネットが触れるのは大事なんです。

── 分かるわ。たしかに、クアラルンプールの通信速度は、アジアの都市の中でとても速い方だと思う。

小倉 そうですよね。あとは、じつはHIBANAの前にもう一つ事業を興しています。クアラルンプールで何ができるか、と考えたときに、私が得意で苦もなくできることは、やはり取材、執筆、情報発信だなと。また自分が移住を検討する際に、情報不足に困ったりもしていたので、現地に住む日本人としてリアルな情報を提供できればと思い、「ワクワク海外移住」という移住サイトを立ち上げました。

現在はサイトから「WAKUWAKU MALAYSIA」という会社になり、移住サポート、学校視察ツアーなどを組むようになりました。

なので、デュアルとワクワク海外移住の運営、そして2015年からは花屋のHIBANAと、いまは3足の草鞋を履いていることになりますね。

── 3足……。てっきりお花屋さんかと思って、最初は話しかけたわ。あなたはHIBANA以外にも、たくさんの生業を持っていたのね。

小倉 えぇ、ちょっと手広いでしょうか(笑)? でも全部楽しいですよ。それぞれにまだやりたいことがあるし、構想段階のものも多い。

私はもともと飽き性なのですが、その私が3年も暮らせて、まだやりたいことが尽きない。子どもたちも夫も、クアラルンプールを気に入ってくれている。きっとまだしばらく、この街にいるんだろうなって思いながら暮らしています。

── へぇ……そういえば、なぜ花だったの? 編集、移住サポートとは少し毛色が違わない?

小倉 クアラルンプールで暮らすことを決めたときに、日本の文化を伝える仕事がしたいな、と漠然と思ってはいたんです。けれどそれが具体的に何なのかが分からずに、ずっと機会をうかがっていて。タイミングがきたのでしょうね。クアラルンプール在住の友達が、「花をもらうのは嬉しいけれど、クアラルンプールのフラワーアレンジメントは古臭くていただけない」と話しているのを聞いて、「あ、花はどうかな?」とピンときました。

フラワーアレンジメント

小倉 クアラルンプールの花事情は、日本のそれよりもずっと遅れているんです。デザインも花の種類も、まだまだ洗練の余地があるし、何より花を贈るという文化自体がそこまで強く根付いていない。けれど、「IKEBANA」という言葉は浸透しているんです。マレーシアの人々は、日本の文化としての生花にはものすごくリスペクトの気持ちを持ってくれているから、もしかしたら参入の余地があるのかも……?

思いついたら行動が速い私は、早速リサーチを開始。マレーシアの花事情や、仕入れ方法、実店舗の有無やフローリストの採用など、諸々調査をして、構想から5ヶ月ほどで法人の立ち上げまでに至りました。

── そういえば、最初あなたがフローリストなのかと思ったけれど、あなたは経営者であって、フローリストではないのね。

小倉 えぇ、信頼できるヨシという男性がデザインを担当しています。彼の花のセンスは抜群です。世界中を旅しながら花の産地を見て回って、ロンドンや上海など海外を拠点にフローリストの仕事をしていました。HIBANA創設にあたって求人を出したら偶然、応募をしてきてくれたんです。彼に出会えたことは、私の中で大きかったですね。

フラワーアーティストのヨシさん。花を扱う時の目は真剣。以前は世界中を旅していた
フラワーアーティストのヨシさん。花に向き合う時の目は真剣。以前は世界中を旅していた

── ふぅん。物事は、上手く進むときは、スムーズにいくものね。

小倉 本当にそうだと思います。うまくいかない時は、何か選択が間違っていたり、「今じゃない」ということが多い。逆に、うまくいく時は、「この出会いがなければ進まなかった」というような出会いに恵まれたり、トントン拍子で話が進んだりします。HIBANAも、ヨシに出会うことが出来たから、立ち上げられたようなものです。彼に出会えたことは、私の中で大きかったですね。

フラワーアレンジメント

マレーシアに新しい花文化の風を吹かせたい

── これからあなたは、何をして生きていきたい?

小倉 HIBANAに関しての目下の目標は、LABでワークショップやイベントを実施したり、広報活動に力を入れて、クアラルンプールでの認知度を高めたいですね。ウェディングなどイベントの分野にも、参入したいと思っています。いまもまだ数は少ないですが、イベント装花のお仕事をいただくこともあります。

長期的には、やっぱりマレーシアの花文化の底上げがしたい。フラワーアカデミーのような専門学校を作って、IKEBANAの世界観や宇宙観のようなものを伝えられる場ができたらいい。大切な日には、甘いスイーツではなくて「HIBANA」の花を贈る……そんな文化がマレーシアに定着したら、花屋を始めた甲斐があるなぁって。

「ワクワク海外移住」については読者を増やして、こちらもメディアとしての認知・影響力を高めてもっと良質な情報をたくさんの方に届けたいと思っています。クアラルンプールは、セカンドライフの移住先としても未だ人気の高い土地ですが、物価が安いとは言いつつ、やはりそれなりの暮らしがしたいと思ったら、コストがかかるということも伝えたい。特集を組んで、毎月マレーシアのおもしろいものや、ひとを紹介する記事をつくることも、もっと積極的にしたいですね。

── 個人の目標としては、どう?

小倉 イチ編集者、デュアルの実質的な代表としての小倉若葉としては……そうですね、マレーシアと東京を行き来して、両方の最新情報を知っている編集者は、そんなに多くないと思うんです。おそらくこの分野に詳しい、唯一の日本人編集者になるのではないでしょうか。

それを強みに、東京での仕事は引き続き大切にしていきたいですね。印刷物、ウェブサイトは一通りつくれるので、マレーシアでも展開方法を画策中。でも詳細は、まだ内緒です(笑)。

── ……体がいくつあっても、足りないわね。楽しい構想が、後からあとから、出てくる。

小倉 ほんと、そうですね!(笑) もちろん移住して大変なこともありましたが、全部楽しんだほうが、人生楽しいなと思っています。

仕事の話ばかりしてしまいましたが、私が移住したのは、もともと子どもや家族との暮らしを考えてのこと。家族とは、いまのうちにできるだけあちこち旅をしたいと思っています。私は、女性は「呼ばれているかどうか」が大切だと思っていて。来年は少しヨーロッパ方面に呼ばれている気がするので、少し遠出をしようかなと。花屋も始めたので、本場のフラワーアレンジメントを見たいですねぇ。

あぁ、やりたいこと、いっぱいあるなぁ。

小倉さんの自宅

【かぐや姫の胸の内】もし明日月に帰ってしまうとしたら

── 最後にひとつだけ教えて。かぐや姫は、月に帰ってしまった……。もしあなたが明日月に帰るとしたら、どうする?

小倉 そうですね、いつも通りに過ごせるならば、子どもたちを不安にさせないように気をつけつつ、ゆっくりと日常の一日を、家族と共に過ごすでしょうね。近くの公園に、犬たちも一緒に連れて行って、自転車に乗って、お気に入りの近所の店で美味しいランチをみんなで食べて、午後は早めに夕食を。何を作ろうかな、きっと子どもたちの大好きなものを、夫と一緒につくって、いつもより良いお酒をちょっと飲んで、シャワーを浴びて、家族みんなでベッドに入る。

我が家では「サンドイッチ」と呼んでいるんですが、子どもたち(具)を、私と夫(バンズ)で挟むの。そのまま寝てしまって終わりが迎えられたら、結構幸せかなって、思います。

── いいわね……。ありがとう、とても魅力的な話だったわ。フラワーアレンジメントも完成して、アトリエのお客さんもみんな帰ってしまった。長居をしたわ。

またいつか、クアラルンプールには遊びにきたい。その頃、もしかしたら街中でHIBANAの花を見ることがあるのかもしれないわね。日本の海を超えて、自由に強く、しなやかに生きている女性がいる。それを知ることができて、うれしかったわ。遠い海の向こうから、応援している。辛くなったら、帰国の際に恵比寿で一緒に飲みましょうね。私にお酒を教えてちょうだいよ。

― 立てば芍薬座れば牡丹、歩く姿は百合の花 ―

小倉 若葉

お話をうかがったひと

小倉 若葉(おぐら なおよ)
青山学院大学法学部卒業後、編集プロダクションを経て、フリーランスライターとして独立。2000年、有限会社デュアル代表取締役に就任。雑誌やPR誌の編集制作のほか、アパレルの企画、オンラインショップ運営、イベント制作などに携わってきた。2011年3月、東日本大震災をきっかけに、それまで拠点にしていた東京・恵比寿から母親の故郷である徳島市に家族で移り住む。同年11月、次男出産。2012年12月に家族4人+犬4頭とともにマレーシアの首都・クアラルンプールに移住。2013年1月、マレーシアの移住・教育・子育メディア「ワクワク海外移住」を立ち上げ、デイジーとしてブログ「クアラルンプール、ときどき東京」を書いている。2015年6月、仲間たちとともに完全受注型の花屋「HIBANA flower & gift studio」を設立。バンサーにアトリエを構え、日本の花文化をマレーシアに伝えるべく、日々奔走している。

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