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神主と茶園主。秋田県能代市の神主・大髙翔さんが“北限のお茶”「檜山茶」をつくる理由

秋田県能代市に「檜山(ひやま)」という地域があります。

檜山には、江戸時代からの伝統が色濃く残っており、「北限のお茶」といわれている檜山茶もそのひとつです。

「北限のお茶」のとおり、現在では檜山がお茶づくりの最北端の地域になっています。これは、江戸時代に檜山のお殿様が京都から持ち帰ったとされる宇治茶の在来種が製法なども含めてこの地に文化として根づいたものだとか。

北限のお茶・檜山茶

その北限のお茶をつくっているのが園主の大髙翔さん。280年来変わらない「手摘み手揉み」の製法で手間暇かけてお茶に向き合う大髙さんですが、じつは北限のお茶をつくることは本業ではありません。

大髙さんの本職は、神主さん。檜山地域を含めた能代市22ヵ所の宮司を務めています。

神主である大髙さんは、どうして檜山茶を手がけるようになったのでしょう?

「神主」と「檜山茶」のふたつがどのように繋がっていて、またなぜ現在のような働き方をしているのか。大髙さんにお話を聞いてきました。

大髙翔さん

大髙 翔(おおたか かける)さん

1991年生まれ。檜山の神社で神主を務めながら北限のお茶を栽培・販売している。秋田県能代市で生まれ、小中高と北海道で育つ。高校卒業後は國學院大学神道文化学部に進学し、その後奈良の春日大社に奉職する。2014年に孫ターンし現在に至る。

(以下、大髙翔さん)

神主はおじいちゃんに憧れて

「神主」と「檜山茶」、僕の人生でどちらが先だったのかというと、神主でした。そして神主という仕事が、檜山茶をつくることにつながっています。

ですので最初は、どうして僕が神主になったのかをお話しますね。

大髙翔さん

大髙家は代々、檜山地域の神社の神職を受け継いでいて、僕がその21代目になります。

そしてこの大髙家は母方の実家で、自分が子どもだった頃は、おじいちゃんが神主を務めていました。当時僕は北海道に住んでいましたが、おじいちゃんおばあちゃんに会いに檜山に来るたび、おじいちゃんの神主の仕事を見ていました。

かっこいいな、と憧れがあったんです。袴を着ている姿とか、地域のひとに慕われている様子とか。おじいちゃんを見て自然と、「自分も大きくなったら神主になりたいなぁ」と思うようになりました。

進路を決める年齢になるまでその気持ちは変わらず、高校卒業後は國學院大学に進学し、卒業後は奈良の「春日大社」に奉職しました。

そのときは、まさかこんなに早く檜山に戻ってくるとは思っていませんでした。いずれはとは思っていたものの、当時は叔母が神主をやっていたので、戻るのは何十年も先のことだと思っていたんです。

大髙翔さん

けれど、叔母が若くして急死して、神主をやるひとがいなくなった。

僕は、「どのみち檜山に戻ってくるなら、その時期が早まっただけ」と思い、ここで神主を務めることに決めました。そう決意してからおばあちゃんが一人で育てていた「檜山茶」について、初めてちゃんと知ったんです。

280年前から変わらない、スモーキーかつ玉露風味な味わい

檜山茶も神職と同じように、大髙家が江戸時代から代々受け継いできたものでした。

今、日本で宇治の在来種(品種改良されていない)として残っているのは、この檜山地域の檜山茶のみ。お茶の木は、種から増やす方法ではなく挿し木で増やしているので、280年前と変わらない味を楽しめます。

北限のお茶・檜山茶

北限のお茶・檜山茶

この場所は、当時から杉の木や桑の木に囲まれていたおかげで日の当たらない環境にあります。そうすると、お茶は玉露に近い味になるんです。また、摘み取った茶葉に藁で香りづけをしているので、檜山茶はスモーキーな香りがする玉露風味のお茶になっています。

製茶法も、たいていはお茶の名産地・静岡の手法が主流ですけど、うちは独自の檜山流。静岡流が茶葉を摘み取りあとすぐに蒸してから乾燥させるのに対し、檜山流は、葉を摘み取ったあとすぐに乾燥させずに一晩寝かせます。そうすると、「微発酵」のお茶になるんです。これも280年間、変わらないつくり方です。

北限のお茶・檜山茶
製茶する茶小屋は築80年以上。100年以上使われている道具もあるのだそう

けれども15年ほど前におじいちゃんが亡くなって、茶園を管理するのがおばあちゃんひとりになってしまっていたんです。

僕がこの地域に戻ってきたときには、おばあちゃんも「もう自分の代で檜山流檜山茶も終わり」と言っていて。その現状に危機感を覚えました。

僕は神主なのに、こんなにも身近な伝統ひとつ守れなくていいのか?って。

神主の使命は祈るのではなく体現すること

神主の職としての意義は、脈々と受け継がれてきた伝統を重んじ、しきたりを守るということ。

この檜山茶も、300年近い伝統を持っています。そして今は、檜山流という独自の製茶法でつくっているのも、うちしかない。神主として、身近にある伝統すら守れないのは恥ではないのか?と思い、自分が檜山茶を守っていこうと決めました。

また、神主という仕事は、地域と密接に関わっています。

地域が廃れれば神社も廃れるし、逆に地域が盛り上がれば神社も盛り上がる。神主は、そうやって地域の、もっと広く言うと国の発展を「お祈り」するのが仕事なんです。

けれどやっぱり、祈るだけじゃなくて「行動するべきだ」と思っていて。この檜山茶をつかってもっと地域のためになにかができるはずだと思い、1年目は商品の販路をつくったりテレビや新聞に封書を送って売り込みに力をいれたりしました。

大髙翔さん

檜山茶は今は生産数が限られているので、来年の生産分もすでに予約で完売の状態です。「宣伝活動で認知度ばかり上がって需要過多なんじゃないか」と地元のひとに心配されたこともあります。けれど僕は、宣伝は積極的にして、商品は売り切りでいいと思っていて。

宣伝活動を先行してやったのは、檜山地域に足を運んでもらうためにほかなりません。今年も「茶摘み体験ツアー」でお客さまを受け入れ、100名以上の方がこの檜山地域を訪れてくれました。

大髙翔さん

なにも宣伝しないと、訪れてくれることも、ましてやここで暮らしてくれる可能性もありません。

テレビやSNSで知って、実際に現地へ来てくれるならありがたいことです。だから、まずは知ってもらうことが大事で、知ってもらって足を運んでもらうことが地域にとって今いちばん必要なのではないかと思っています。

点と点が線になれば地域はもっとおもしろくなる

これからやっていきたいのは、地域の点と点を線にする協力体制をつくっていくことです。

たとえば、檜山地域には檜山城祭りというお祭りがありましたが、10年ほど前になくなってしまいました。それを復活させ、お祭りの場で献茶祭なんかも一緒にやってみたり、ほかにも能代名物である檜山納豆をかけ合わせてみたり。

そうしてフェスのように地域のおもしろいものを集合させればコストもグッと下がりますし、訪れるひとはきっと何倍も楽しいですよね。

檜山地域が属する能代市では個々でプレーするひとたちが多いので、それをもっと線にできるような形を、市全体で実現していけたらいいなと思っています。

大髙翔さん

最近は、若いひとたちが雑貨屋や飲食店を開いたりと、この能代市にも新しい風が吹き始めているように思います。けれど、なにか新しいことをやるときに実行までの期間が長かったり、家主が貸店舗を貸し渋って協力体制ができていなかったりする現状もあるように感じています。

新しいことに挑戦するときに一筋縄ではいかないのは、どの地域にも共通することでしょう。一本筋が通っていないと折れてしまうこともあると思います。

でも、ひとつ言えるのは結果を出せば、みんな納得してくれるということ。そして結果が出るように地域のひとたちには協力してあげることが大切なんです。

声を上げる若者たちの点と点の活動が線になって地域全体が盛り上がるように、僕も自分の持っているものでできることをやっていきたいという想いです。

大髙翔さん

秋田県能代市檜山

北限のお茶・檜山茶

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文/小山内彩希
写真/タクロコマ

(この記事は、秋田県と協働で製作する記事広告コンテンツです)

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小山内彩希

編集者・ライター。1995年生まれ、秋田県能代市出身。

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