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【宮崎県小林市】「クッチーナ・マンマ・デル・ペッシェ」80年続く魚屋発のイタリア家庭料理を召し上がれ

大阪の焼酎居酒屋で出会ったふたりは、結婚。そして出産を機に奥様の実家がある宮崎県小林へ。

福田俊幸さんは魚屋4代目として家業を継ぎ、福田麻美子さんは魚屋の隣にイタリア料理店「Cucina mamma del pesce(クッチーナ・マンマ・デル・ペッシェ)」をオープン。子育てのために移住し、お店をつくったおふたりに、次第に活気が溢れてきた町の暮らしを聞きました。

子育てするために宮崎県小林市へ

── 奥様のご実家が小林というか、この鮮魚店なんですね。

福田麻美子(以下、麻美子) そうです、ここです。

(クッチーナ・マンマ・デル・ペッシェ)

── 旦那様のご出身は、どちらなんですか。

福田俊幸(以下、俊幸) 奄美大島です。

麻美子 ふたりとも小林に来る前は大阪にいたんです。

── どういう経緯でおふたりが出会ったのか教えていただけますか?

麻美子 私が大阪の調理師学校を卒業して、そのあと5年間大阪で働いていました。仕事おわりにいつもひとりで飲みに行く居酒屋さんがあって、そこに旦那もいたんです(笑)。

── 居酒屋さん?

麻美子 個人でやっている焼酎居酒屋さんで。

俊幸 小さなお店なんですがお互い通っていて、よくお店で顔を合わせるようになってね。僕らはお酒を飲むのが好きなので、そのうち仲良くなって一緒にご飯を食べに行くようになったんです。

麻美子 ほんっと好きなんですよ……(飲む仕草をしながら)。

── (笑)。

俊幸 その後、お付き合いを始めて結婚することになりました。

福田ご夫妻

── 結婚後は大阪で暮らしていたということですが、小林に来る経緯について伺いたいです。

麻美子 ひとり目の子を小林で出産して、そのあと大阪に帰ったんです。

── 里帰り出産みたいな感じ。

麻美子 そうです。で、ふたり目の子がお腹にいた頃には、旦那が大阪から愛媛に転勤することになって。

私はひとりになるし、大阪の保育園は空きがなかったですし、出産後にまた最初から職探しをしないといけない。そんな状況で子育てするのは大変だったので、親に相談してまた小林で出産することにしました。

俊幸 妻の実家は80年続く魚屋です。三姉妹ということもあってお店の後を継ぐひとがいなかったんです。そこで彼女の両親に相談してまた小林で出産することにしました。

── 小林に来て何年目になるんですか?

俊幸 6年目ですね。小林で暮らし始めたのは2011年9月のことです。

80年続く魚屋の隣をイタリア料理店に改装

(クッチーナ・マンマ・デル・ペッシェ)

── イタリア料理店「クッチーナ・マンマ・デル・ペッシェ(以下、クッチーナ)」をオープンしたのはいつですか?

麻美子 小林に来てから約1年半後の、2013年の2月です。大阪で働いていたイタリアンバルをやめて出産したので、産後は私も何かしたくてウズウズしていました。そこで、魚屋で余った魚の骨から出汁を取った魚介のパスタソースをつくって売ろうとしたんです。

でもうちは鮮魚のみの販売しかできず、私がつくりたかったパスタソースは店舗に並べて売れないことがわかって。調理するにはちゃんとした厨房が必要でした。

俊幸 家族会議を経て、古くなっていた家そのものも全て建て替えることになり、将来的にレストランを展開できるような設計にしました。ここがレストランの座席で、この奥に厨房があって、さらにその向こうに魚屋があります。

レストランの座席

厨房

魚屋

── まだお子さんが幼い段階でお店を始めるのは大きな決断だなという印象を受けます。

麻美子 育児が落ち着いてレストランを始めようということになったら、すぐできる状態にしておきたかったんですよ。

── なるほど。最初からお店にするつもりはなかった……?

俊幸 厨房があるならレストラン用のスペースをつくっておこう、くらいの気持ちだったよね。

麻美子 ですけど、いざこの空間ができた時に、お店をやらないと箱がある意味がないんじゃないか、やっちゃった方がいいよねって。もったいなくなっちゃったんです。

俊幸 だから、初めからお店を開くつもりはありませんでした。けどお店を私たちの想像以上にいい空間にしていただけたので、やる気になってしまい(笑)。

麻美子 現実的に、家を建てなおした分のお金を返さんといかんからね。早くお店を始めて返そうって(笑)。まずはランチからスタートすることになりました。

── お店では、どんな役割分担をしていますか?

麻美子 私が料理をして、夫が接客をしてくれています。ちょっと手が足りない時は、お母さんがたまに手伝ってくれる。基本的にはふたりでやっています。

福田俊幸さん

俊幸 そう、基本的にはふたり。だけど心の中では、4人でやっている感覚ですね。

── 4人というのは?

俊幸 オープンするまでの簡単な経緯は先程お話したとおりですが、お店を始めることができたのは魚屋があるおかげ。これまで魚屋を支えてきた義両親も含めて、4人でつくっているお店がクッチーナなんです。

麻美子 うん。実際4人で魚屋とクッチーナを行ったり来たりしないとできないしね。

俊幸 この行ったり来たりすることがとても大切で、これから先も続けていきたいスタイルなんです。この話は長くなりますけど、いいですか……?(笑)

── では、その話はあとでうかがうとして、いくつか他の質問もさせてください(笑)。

テーブル

お母さんが田舎料理をつくっているような雰囲気に

── お店の外見はもちろんですが、中身はもっと重要ですよね。現在に至るまでどんなふうにお店づくりをしてきましたか?

麻美子 赤ちゃん連れからご老人まで来てくれるような雰囲気がいいねって話していたので、イタリアの田舎でお母さんが手料理をつくっているようなお店にしたいと思っています。

俊幸 そういう雰囲気が好きって言ってくださるお客さんも結構いるので、それは嬉しいですね。

麻美子 コンセプトが等身大だから自分たちにも合っているよね。

俊幸 うん。大阪での生活が楽しくなかったわけじゃないんですけど、今はもっと楽しいですね。

── お店のコンセプトのイタリアの田舎でお母さんが……っていうのは、おふたりで相談して決めたんですか?

麻美子 そうだったよね。イタリア料理を選んだのは、先ほどお話した魚介のパスタソースをつくったこともきっかけになりました。そのパスタソースに「マンマがつくるパスタ」というラベルを貼っていました。だからこのお店を始める時も、シェフより、マンマ(お母さん)が料理をつくってくれる雰囲気を出したかったんです。

エビとキノコ・フレッシュトマトのオリーブオイルソースパスタ (Aランチ ¥1,100)
エビとキノコ・フレッシュトマトのオリーブオイルソースパスタ (Aランチ 1,100円)

歴史から学び、未来につなげたい

── 小林のことについてもお伺いしたいです。ここに帰って来た時の地域の雰囲気や印象はいかがでしたか?

俊幸 最初の第一印象は、なんだか暗いところだなって思いましたね。

── それはひとの雰囲気ですか?

俊幸 いえ。なんだろうなぁ。町に漂っている空気が、なんとなく。

麻美子 まだ今みたいな町の様子じゃなかったもんね。

── 活気を感じる場所がなかったと。

麻美子 なかったよね。

俊幸 活気が感じられる場所があったとしても、そこに導いてくれるものもなかった。でも、いつ頃くらいかなぁ。3年前くらい……? 町に活気というか、明るさを感じることが多くなりました。僕がそういうところに触れようとしなくても、自然と伝わってくるようになったというか。

── それって具体的にどんな様子から感じられるんですか?

俊幸 若い方々が町おこしをしているのが、一番大きい要因だと思います。けどそういうことを始めるひとがいた時の周りの反応%は何かを始めるひとたちに対して、「そんな新しいことしなくてもいいのに……」というような反応が多かったのですが、今は応援してくれるひとが増えた。何か一緒にできることはないですか?とか、そんな反応が見えるようになったんだと思います。

麻美子 今いろんな活動されている方々は、自分たちが楽しみたいっていう気持ちもあります。けど、町から出て行くひとたちが帰ってきたくなる場所をつくりたいとか、ここで育った子たちがずっと住み続ける町になってほしいとか、次の世代のための町づくりをしていこうとしているひとが多いから、地域のみんなが賛同するようになってきたんですよね。

私たち自身も、自分たちのことを一番に考えるんじゃなくて、子どもたちのことを一番に考えるようになりました。

勉強する子ども

俊幸 そうだよね。子どもたちにとってここはどんな町であれるのか? 子どもたちに何かを伝えられる大人になっているのか? 僕たちは子どもたちのために何をしたらいいのか? いろいろと考えますよ。これ、さっきの話とつながる話なんです。

── どの話でしょうか?

俊幸 “行ったり来たりスタイル”の話をしたじゃないですか。あれは僕の中では過去、現在、未来を行き来している感覚なんです。魚屋は80年続いてきた歴史があります。まな板の上で魚を扱う姿も、来店されるお客様の顔も、店先で挨拶するご近所の方々も、すべて魚屋の歴史の中に刻まれた風景でもあり、現在まで続いている姿でもあるんです。

魚屋で培われたお客様との関係性や、魚の知識、お店の営業についてなど、本当にたくさんのことを学ばせてもらったし、今も学んでいる最中。魚屋があったからこそ始められたクッチーナは、そういう歴史から学んだことを活かしてつくっていく未来なんです。未来づくりって楽しくてやりがいがあって、俄然やる気がでるんですよ。もう楽しくてしょうがない。

僕は町づくりや町おこしみたいなものも、僕らの店づくりと同じじゃないかと考えています。新しい町のあり方をつくるには、その町の歴史を大切にしないといけない。

福田ご夫妻

麻美子 だからこそ、まずは自分たちの店から、未来をつくる小さな一歩を踏み出していきたいね。

俊幸 そうだね。子どもたちは僕らの背中や店の雰囲気を身近に感じることで、ルーツや物事の歴史を大切にしながら、自分の道をつくっていける子に育つと思う。いつかは小林を盛り上げてくれるんじゃないかな。

麻美子 将来どんなふうに暮らしていくのかは子どもたちの意思にまかせたいけれど。小林のために動けるような子になったら嬉しいね。

(この記事は、宮崎県小林市と協働で製作する記事広告コンテンツです)

このお店のこと

Cucina mamma del pesce(クッチーナ・マンマ・デル・ペッシェ)
住所:宮崎県小林市真方228番地
電話:0984-27-3057
営業時間:ランチ 11:30~14:00 ディナー 土曜のみ。2日前まで2名〜の要予約(平日は応相談)
定休日:日曜日・祝日
Facebookページはこちら

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お話をうかがったひと

福田麻美子(ふくだ まみこ)
調理師学校を卒業後、ホテルやイタリアンバルに勤める。出産を機に⼩林へ U ターン した。隣接する川崎鮮魚店の三⼥で、三⼈の男の⼦の元気なマンマ。

福田俊幸(ふくだ としゆき)
1977年生まれ。大阪で広告関係の仕事を10年程経験し、魚屋に転職。80年続く川崎鮮⿂店の4代⽬。鮮⿂店で働きつつ、 「Cucina mamma del pesce」のスタッフとしても勤務する、家族を支える大黒柱。

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小松﨑拓郎

ドイツ・ベルリン在住の編集者。茨城県龍ケ崎市出身、→ さらに詳しく見る

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