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【宮崎県小林市】本場・北海道じゃなくてもできる。自分にしかできないチーズづくり|ダイワファーム代表・大窪和利

「常にいいものをつくりたい、美味しいものをつくりたい」

「チーズづくりはおもしろい」

そう語ってくれたのは、小林市で酪農業を営むダイワファームの大窪和利さん。ある出来事をきっかけに、牛乳の出荷だけで食べていくのは難しいと感じ、ソフトクリームの開発、チーズの製造に乗り出します。

牛舎

ダイワファームの店舗

2016年には、正会員は世界38ヵ国に3,500人しかいないフランスのチーズ協会から認定を受け、九州で唯一の会員になりました。

取材にうかがったのは平日の昼間でしたが、お店にはひっきりなしにお客さんが訪れます。ご家族で来られていた方が多く、お子さんはソフトクリームを食べ、お母さんはチーズを買っていく。そんな風景を何度か目にしました。

決してチーズの製造が有名ではない九州で、大窪さんのチーズが世界に認められた理由。それは、日々の試行錯誤と、たゆまぬ努力の賜物だったのです。

チーズづくりを始めたきっかけ

大窪和利さん
大窪和利さん

── まずは大窪さんがダイワファームとして、どのようなお仕事をしているのか教えてください。

大窪和利(以下、大窪) 酪農をやっています。牛を育てて、絞った牛乳でナチュラルチーズと、アイスクリーム、ソフトクリーム、ヨーグルトといった乳製品を製造しています。

酪農は親父から継いで、私が2代目なんです。親父の跡を継ぐつもりで農業高校に行って、それから卒業して1年間静岡の酪農家で研修をして小林に帰ってきました。よかったら、うちのチーズを見てみますか。

── ぜひ、お願いします!

発酵中のトーマチーズ「トーマダイワ」
発酵中のトーマチーズ「トーマダイワ」
ウォッシュタイプのチーズ「ロビオーラダイワ」
ウォッシュタイプのチーズ「ロビオーラダイワ」
「ロビオーラダイワ」は出荷前にはリネンス菌が繁殖して、ピンク色に
「ロビオーラダイワ」は出荷前にはリネンス菌が繁殖して、ピンク色に
カチョカバロチーズ
カチョカバロ

大窪 これだけつくってもまだまだ足りない。もっとがんばらないといけない(笑)。

── へぇ、すごいいろいろな種類があるんですね! 最初から牛乳ではなくて、チーズやソフトクリームの販売を行っていたのでしょうか?

大窪 平成5年に、私たち酪農家にとってはかなり厳しい生産調整があったんです。生産調整というのは、牛乳が余ってしまうから、生産量を制限させられる行政指導のことです。うちがちょうどそのとき、牛を増頭したばっかりだったんですよ。40頭の牛を60頭に増やしたんですね。

でも生産調整があって、罰金を払わんといかんかったんです。増頭する前は、酪農に対して意欲的だったんですけど、それをきっかけに、将来的にやっていくのが難しくなる可能性があるなぁと思いまして。

じゃあどうすればいいかを考えたとき、牛乳はあるからこれを利用して何か自分で加工してできないかなと思って、私が大好きだったアイスクリームをやろうかっちゅうことになりました。3年間準備期間をおいて、平成8年に始めたんですよ。

── お店も最初からやっていたのでしょうか?

大窪 最初からここで販売していたんですけど、店舗自体は3回改造しました。最初は小さい売店だったんですけど、少しずつ大きくして。最初はソフトクリームはなかったんですよ。今では人気商品になったのですが。

世界的なジェラートマシンメーカー・カルピジャーニ社の機器でつくられたソフトクリーム
世界的なジェラートマシンメーカー・カルピジャーニ社の機器でつくられたソフトクリーム
ソフトクリーム・ブルーベリー味
ブルーベリーソフトは人気No.1なんだとか

「小林市じゃチーズづくりは無理でしょう」に燃えた

── チーズはあとから始められたということですか?

大窪 チーズはそれから約10年経ってからなんですよ。今年で本格的に始めて11年目なんですけど、そのまた4年くらい前に、私がある農業雑誌で「家庭でできるチーズ」というような記事を見ておもしろそうだなと思いまして。新たに設備投資をするんじゃなくて、うちにある道具を使ってチーズをつくるっちゅうような。即座にやってみようと思いました。

── 大窪さんは、九州にもともとチーズをつくる文化があまりない中で、チーズづくりに挑戦したわけですよね。チーズづくりの文化がないのにやろうと思ったのはなぜですか?

大窪 んー。私があんまり素直じゃないんじゃないですかね(笑)。

── 性格ですか(笑)。チーズや酪農が盛んなのは北海道などのイメージが強いのですが、「美味しいチーズはここじゃできないよ」とか言われなかったんですか?

大窪 うんうん。まさにそういうことがあったんですよ。ちょうど興味を持って始めて、2、3年経った頃ですかねぇ。チーズの業界の先駆者っちゅうかですね、日本で有名なひとがいて。見学させてくれ、話を聞かせてくれないかと電話したら、「どこですか」って聞かれたので、九州の小林市だっちゅうたら、「そういう生産地じゃ無理でしょう」とそのひとに言われたんですよね。

── そのときは「諦めようかな」とか「もういいかな」とは思わなかったんですか。

大窪 まったく思わなかった。だったら「こっちなりのものができへんかな」と思ったんですね。ちょうどその頃、大分県の湯布院でチーズをつくっているひとと知り合って。そこに毎月行って、つくり方を習ったりしてね。

娘さんがチーズづくりを始めたきっかけ

── 今はご家族でやってらっしゃるんですよね?

大窪 そうそう。最初にチーズを始めたのは、私ひとりの考え方だったんですよ。チーズ始めるときに、うちの家内は「アイスクリームの次はチーズなんて始めて……だったら実家に帰る」と言ったらしいんですけど、私は全然覚えていないですね(笑)。

笑顔の大窪さん

── やるという覚悟があったからこそですよね。

大窪 ただ覚えていないだけ(笑)。今となっては笑い話ですよ。でもね、もちろん、家内がいないとここまではできなかったですよ。それに娘が店を手伝ってくれると言ってくれたときは、嬉しかったですね。高校のときは家は大嫌いだっちゅうような感じで、絶対家には帰らない、大阪に行くってよく言っていましたよ。

娘が短大に通っていた頃、私がスローフード協会に入っていて。その協会の世界大会が2年に1回、イタリアが本部なもので、トリノで行われるんですよ。その大会に行く日程が、ちょうど2週間だったんですよね。でも私は、2週間は空けられないタイミングだったんです。

だから、うちの家内に任せたんですよ。そしたらひとりじゃちょっと大変だから、娘を連れて行こうかっつって、ふたりで行ったんです。農家民泊をして、ハムをつくっているところやブドウ畑をやっていてワイナリーがあるところとか、そういうところをずっと回ってきたら、もう娘が……ふふふ(笑)。

── 目覚めてしまったんですね!

大窪 「卒業したら家に帰る」と言ってくれたんです。

柚木脇 安い出費でしたね(笑)。

一同 はははは!(笑)。

大窪 よほど衝撃を受けたんでしょう。帰国して学校を卒業したらそのままうちで働き始めたから、全然よそでひとに使われたことがないんですね。最初はすごく甘えていたところもあったんですよ。でも、今となってはすごい戦力で。自分からどんどんやってくれていますよ。

私も若い頃、アメリカとカナダにも行ったんです。個人で、酪農の研修と視察を兼ねて。アメリカとカナダは酪農の先進地でしたから、すごく影響を受けましたよ。一頭から出る牛乳の量がすごいんですよ。改良がすごい。当時はものすごく憧れていました。

ある高校教師との出会いによって、チーズづくりを始めることができた

大窪さん3

── アメリカやカナダの酪農に憧れがあって、チーズに対する憧れもあったのですか?

大窪 当時はまったくなかった。最初の生産調整があるまでは、アメリカの企業型の酪農を目指していたんですよね。規模を大きくしたのもそうで、牛乳で1億円稼ごうかなっちゅう、そういう野望からですよ。

だから今は、180度変わっちゃったんです(笑)。当時は、まさかチーズで飯が食えるとは夢にも思っていなかった。

最初にチーズを始めるときも、本を読んでじゃあやろうちゅうて、道具はあるし牛乳はある……でも、どうしても手に入らんもんがあったんですよ。チーズをつくるのに絶対必要なものが、牛乳と乳酸菌とレンネットっちゅうもんなんです。

── レンネット。

大窪 凝固剤なんですけどね。子牛の胃から取った酵素。乳酸菌は、市販のプレーンヨーグルトで代用できるんですよ。でもレンネットはどこ探してもない。探していたら、今は統合してなくなってしまった高校の先生と小林市の飲み屋街でたまたまあったんですよ。

しゃべっていたら「うちの高校は、年に2、3回チーズつくっているんですよ」という話を聞いて。授業でやるから、小さいけれど、そういう設備があるんだと。ちょうどそれから数日後にチーズをつくる授業があるから、私にも来ていいですよと言ってくれた。それから授業に出て、一緒に体験したのが初めてなんですよ。

── へぇー、おもしろいですね!

大窪 その先生にレンネットをどこから買ってくればいいか聞いて、本当にそこから始まりました。

── そこからこれまでずっとチーズをつくり続けて、「ジャパンチーズアワード2014」で金賞2品、銀賞1品など、賞を受賞されるようになるくらい、どんどんハマッていったわけですよね。

大窪 最初はオランダが原産のゴーダチーズ。日本では一番つくられているんですよね。それから1年くらいして、モッツアレラチーズをつくっているひとと知り合って、そのひとの影響で私もモッツアレラをつくるようになって、ハマっちゃったんですよ。

── 2016年には、九州で初めてフランスの「ギルド・アンテルナショナル・デ・フロマジェ・エ・コンフレリー・ド・サントゥギュゾン協会」に認定され、会員になられたとうかがいました。

大窪 協会に入るためには正会員ふたりの推薦がないと入れないんです。推薦するひとも、いい加減なひとを推薦するわけにいかないんだけど、私の場合は、運が良かったんでしょう(笑)。たまたまフランス在住の日本人の方が推薦してくれました。

東京でイベントがあったときに、私のブースで私のチーズをみなさんに振舞ったり、カットしたり、自分でも食べてくれて。あそこのチーズは美味しいっちゅうのはもうわかってくれていたらしいんですよ。

国内の賞もずっと安定して取っているし、チーズも美味しいから、推薦したいんだという内容のメールが来たんです。日本にはそういう職業ないんだけど、向こうで熟成士をされてる方です。熟成して、保管するひとですね。

大窪さん4

チーズづくりは、おもしろい

── ずばり、チーズづくりはやっぱり楽しいですか?

大窪 楽しいですね。うちは、生産上はモッツアレラが一番多いんです。だから、モッツアレラをもっと極めたいと思って、ナポリにひとりで行ったんですよ。いろいろ教えてくれて、体験させてもらって。

だけど、帰ってきてそのつくり方をやってもいいものができないんですよ。やっぱり牛が違う。牛が違うっちゅうことは、出す牛乳が違うんですよね。同じつくり方でも同じ美味しさにならないっちゅうことなんです。チーズをつくっているひとの中にも「見せてください」とお願いしても「うちは見せないよ」というひともいるんですよ。

でも私は、聞かれたら全部教えちゃうし、見せちゃいますよ。だって全部教えてしまっても、真似できないから。自分でつくっていても、1年前につくったものより今のほうが断然美味しくできるんです。

モッツアレラは週に2回つくるのですが、次の週にはまた微調整、そのまた次にも微調整。季節によって違うし、牛の体調によっても違います。だから、日々つくり方を変えてないといけない。だからこそおもしろい。そこがおもしろくてどうしようもない。

── 日々の試行錯誤があるからこそ、美味しいチーズができるんですね。

大窪 今は、牛乳は消費量が減っているんですけど、ナチュラルチーズやヨーグルトは伸びているんです。それは、食文化がヨーロッパ型になってきているということ。ヨーロッパは、牛乳は飲むものじゃなくて、食べるもの。日本もだんだんそうなってきているんですよ。

私も常にいいものをつくりたい、美味しいものをつくりたい。それだけを心がけています。おもしろいですよ、チーズづくりは。

(この記事は、宮崎県小林市と協働で製作する記事広告コンテンツです)

モッツアレラチーズ
モッツァレラチーズ

お話をうかがったひと

大窪 和利(おおくぼ かずとし)
平成8年4月に有限会社ダイワファームを設立。平成8年6月、アイスクリーム、ソフトクリームミックスの製造販売を開始。平成17年4月、チーズケーキ販売開始。平成18年1月、ナチュラルチーズ製造開始。平成18年11月、ナチュラルチーズ、ヨーグルトの販売を開始。

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くいしん

編集者。1985年生まれ、神奈川県小田原市出身。→ さらに詳しく見る

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