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【宮崎県小林市】ファーストクラスじゃ終わらない。倉薗牛はもっと特別なブランド牛になれる|ビーフクック代表・倉薗裕次郎

全国でも屈指のブランド牛である“宮崎牛”。その宮崎牛の中でも“倉薗牛”は、ANAの国際線ファーストクラスの機内食に選ばれたほどの、絶品です。

倉薗牛を肥育するのは、宮崎県小林市にある「くらぞの牧場」。

創業70年以上の歴史を持つ牧場を経営するのは、倉薗さんご家族です。市街地から離れた山の奥地、悠々と広がる大自然の中で牛たちを育てています。

画像提供、くらぞの牧場

日本中で販売・購入されている倉薗牛ですが、牧場の直営店である「ビーフックック くらぞの(以下、ビーフクック)」では特別に“美味しい”食体験ができます。

ビーフクック外観

ビーフクックでは、肉の希少部位を含め、様々な部位を食べ比べできるコースメニューが何種類も用意されています。また、それらの肉は、旨みが逃げないようにすべて冷凍ではなく“冷蔵”で管理されているのです。味や品質がブレないのは、牛の肥育から精肉までを一貫しているため。

取材に訪れた編集部も、ファーストクラスに選ばれた“和牛生ハム”をいただいたのですが、とろけるような食感と、お酒に合いそうな程よい塩っ気、臭くないのにしっかりとした牛の味に、舌鼓を打ちました。

倉薗牛は、どうしてこんなにも特別になれたのか。

「倉薗牛にもビーフクックにも、まだまだ満足していない」という代表の倉薗裕次郎さんは、祖父の代から続く親子3代の試行錯誤と、ワクワクする未来の話をしてくれました。

ストレスフリーで育てる倉薗牛

── くらぞの牧場は、牛の鳴き声が聞こえない、とっても静かな牧場ですね。

倉薗裕次郎(以下、裕次郎) 牛が鳴かないのは、満足している状態だから。牛が鳴くときって、人間の赤ちゃんと一緒で「お腹が空いた」とか「具合が悪いとか」何かを言いたいときなんですよ。

くらぞの牧場では、常に牛が満足している状態、言い換えるとストレスがない状態を保っています。

── 小林の市街地から離れた、豊かな自然環境の中で育てているのもストレスフリーな状態を作るためでしょうか。

裕次郎 そのとおり。この環境だと、音によるストレスを避けられるので。のびのびとした自然の中で育てるだけでなく、水や空気、牛との接し方や餌やりにも気を配っています。

たとえば牛たちの飲んでいる水は、小林の綺麗で美味しい水。それによだれや埃が入ってしまわないように、ていねいに掃除をしています。

それから、牛は人間より地面に頭が近いから、堆肥などの匂いに敏感なんです。それもまたストレスになってしまうので、牛舎の通気性はできるだけ良くしています。

土台を作り、発想を広げ、技術を革新した70年

── 今、くらぞの牧場は、創業者であるおじいさまの代から裕次郎さんまで、親子三代が揃っていると伺っています。

裕次郎 牛養いは農家だった祖父が始め、ビーフクックは、うちの父が20年以上前に立ち上げました。そして、僕には兄・貴博がいるのですけど、今牧場の経営を主に任されているのは兄の方です。もちろん僕も毎日肥育していますが、僕自身は店の方をメインに任せてもらっています。

── 裕次郎さんがくらぞの牧場で働き始め、ビーフクックの代表になられてから、どんな変化がありましたか?

裕次郎 うちの父はね、アイディアは素晴らしいんです。この人里ない山奥に一軒のお店を作ったのも、牛舎を建てたのも、父ですから。でもその後を見るのが、そんなに上手じゃない。

僕が大学を卒業して、家業を継ぐために帰ってきたとき、ビーフクックはまだ霜降り肉、綺麗なサシが入った肉は作れませんでした。肉には霜降りの5等級、赤身の3等級……と等級がありますよね。ようは、くらぞの牧場は3等級までしか作れなかったんです。
※筋肉(筋繊維)の間に入った脂肪は「サシ」と呼ばれており、それが細かいほど上質な肉とされている。

そこで僕と兄が、機械に任せられる作業には積極的に機械を導入し、機械で見れない部分をていねいに見ることで、サシを入れられるようになりました。

── 裕次郎さんとお兄様の代で、技術革新が起きた。

裕次郎 いいものを作れるようになったと思います。

また、実家に帰ってきたとき、ビーフクックは本当にお客さんが入っていなくて。予約の電話はなるけど、店以外の仕事が忙しくて、店を建てた父が電話に対応することができなかった。でも僕は戦力になるつもりで帰ってきたので、店にかかってくる電話に全て出ました。

そうしたらお客さんが入るようになって、実家に帰ってきたその月に、売り上げが数十万から300万円に変わりました。嬉しかったですね。僕は子どもが5人いるのですけど、賑やかな方が好きなので。

やっぱりその世代その世代の役割があって、つど形にしてきたからこそ、自分たちの代で集中すべきことに全力を注げたのだと思います。

じっくり熟成、旨みが凝縮された肉は「ビーフクック」で

── ビーフクックでは、「匠コース」や「ステーキコース」、「しゃぶしゃぶコース」に「牛すじ鍋コース」など、たくさんのコースメニューを選べるのが印象的です。

裕次郎 これらのコースメニューにはそれぞれ、肉の希少部位も入れています。

世界中の素晴らしい食材で料理を作り上げるグランメゾン「レストランひらまつ」をご存知ですか? ひらまつさんは、うちの牛肉を使ってくださっているのですけど、以前シェフがお店にいらしたときにも、希少部位を準備したんです。1頭500キロの牛から1キロしか取れない希少部位なんかを集め、9000円のコース料理を提供しました。

すると、「いろんな部位が食べ比べできておもしろい」という言葉をいただけました。うちではそういった楽しみも味わうことができます。

── より美味しく食べてもらうために、ビーフクックがこだわっていることはありますか?

裕次郎 熟成方法と管理方法にはこだわりがあります。

僕たちは、「ウェットエイジング」という方法で肉を熟成させています。それに対して、ドライエイジングという乾かして放置しておく熟成方法もあるんですけど、うちは20年前から前者でやっています。

屠畜(とちく)してから、最低でも二週間は真空状態で置いておく。肉って60日くらいの賞味期限があるんですけど、それは消費期限じゃない。3ヶ月くらい真空状態で置いておくと、真空からガスが出て、漏れてくるんです。個人的にはそのくらいがコクがあって、最高。

人によっては臭いって意見もあるかもしれないけど、そこは取ればいいから。そうやって熟成したお肉は、柔らかいし、焼いたときの香りの良さが全然違います。

── お話を聞いているだけで美味しそうです。

裕次郎 また、肉の水分量を飛ばさないために、ビーフクックでは冷凍ではなく冷蔵で管理しています。冷凍すると、乾燥してカパカパなお肉になってしまう。

冷蔵保存は、「肉の旨みを逃がさない」のにも最適です。焼肉屋に行ったとき、肉が乗っていた皿に血が溜まっていたことはありませんか?

あの溜まっている血にこそ、旨みが含まれているんです。けれども冷凍したお肉が解凍されると、その血までもが水分と一緒に、肉から落ちてしまう。血に味があるのに、全部逃げていっちゃうんです。ビーフクックは冷蔵保存なので、水分が逃げることも、さらに血が溜まることもありません。

そして肉本来の美味しさを味わってもらうために、塩と本ワサビで食べてもらうことをオススメしています。

まだまだロマンを追いかける

── 2019年の12月には、倉薗牛はANAファーストクラスの機内食にも選ばれました。裕次郎さんの、今後の目標を聞かせてください。

裕次郎 牛の繁殖と生産については、もっと技術を向上していけると思うし、ビーフクックももっと忙しくしていきたいと思っています。ありがたい声をかけてくれる人もいるけど、まだまだ。ビーフクックは、満席で断っても、「それでも」とお客さんが来るくらい人気店にしたいですね。

僕は大学進学で愛知に出るまで、家が牧場経営していることに誇りを持っていませんでした。けれど、バイト先で家のことを聞かれ「牧場で、一応、焼肉屋もある」と答えたとき、「すごいじゃん」「親孝行しないと」と声をかけてもらったことで、どんどん帰ろうかなという気持ちになって。

戦力になるために帰ってきたので、やっぱり「裕次郎が帰ってきたから、賑やかになったんだね」って地域の人たちに言われたいですね。それで、「いやぁ、そうでもないよ」って言いたい(笑)。

── 具体的に、くらぞの牧場とビーフクックをもっと盛り上げていくために、考えていることはありますか?

裕次郎 地下水を使って、牛を育てたい夢はありますね。

── 地下水。

裕次郎 うちが肥育に使っている水は家庭で使われる配管の水なんです。湧き水とか、井戸から汲んだ水じゃないのは、牧場がその場所まで遠かったからだと思うんですけど。

地下水って、何百メートルと掘らないと大きな水脈にたどり着けないと思うんだけど、数十年以上前の水だからロマンがある。大きな水脈に当たったらパーっと永遠のように湧き出るわけです。

── 何十年前の水で育てた、倉薗牛に。

裕次郎 なれるじゃないですか。うちは雌牛と雄牛が半々いるんですけど、その雌牛の半分は母牛に育てるということで、屠畜しないまま育てている雌のレア牛がいるんです。その牛たちに、地下水を与えて、熟成させて……そうやってまだまだ、こだわり抜くことはできる。

それを都会の百貨店に出すことは簡単ですよ。でもそれを、ビーフクックで提供したいと思っています。ここで出せば、ここに人が来る。

それが僕なりの、家族と、小林の皆さんにできる恩返しだと思います。

(この記事は、宮崎県小林市と協働で製作する記事広告コンテンツです)

文/小山内彩希
編集/小松崎拓郎
写真/土田凌

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小山内彩希

編集者・ライター。1995年生まれ、秋田県能代市出身。

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