宮崎県小林市で開催されている「こばやしマルシェ」に行ってきました! こばやしマルシェとは2017年2月12日(日)から始まった、“新たな賑わいの場やコミュニティの場を生み出すまちづくり型マルシェ”。
毎月第2日曜に開催されており、編集部が足を運んだのは、3月12日(日)に開催された2回目です。
マルシェは地域を盛り上げるために、今や日本中で開かれているといっても過言ではないかと思います。地元のお店が出店して、たくさんのひとが集まり、地域が活性化していく──。
そんな理想を描いて各地でマルシェが開かれていますが、すべてのマルシェがうまくいくわけではないそうです。お客さんを集めるのに苦労したり、継続した盛り上がりをつくっていくのはなかなか難しく、開催できなくなるものもあります。
こばやしマルシェ開催の前日に、実行委員長の青野雄介さん、副委員長の山本新さんに、お話を聞かせてもらいました。マルシェを続けていくのは大変だとわかっているからこそ、「マルシェの機能」を改めて考え、テーマを決めて開催していくことにしたそうです。
ひとが同じ時間にひとつの場所に集まることがマルシェの機能
こばやしマルシェの出店数は、約50店舗。小林市でお店を営む方々はもちろん、近隣地域からの出店や農家さんの出店もあり、ワークショップも開催されています。最初に青野さんに、マルシェのコンセプトについて聞くと、東京のあるマルシェで着想を得て「つながり」というキーワードに辿り着いたことを教えてくれました。
「コンセプトとしては『まちづくり型マルシェ』としています。当初は『おもしろいお祭りができたらいいな』くらいの気持ちだったのですが、準備していく中で同じような規模の自治体がやっているマルシェの話を聞くと、なかなか厳しい現状があることもわかりました。どんどん先細りしていって、長く続けることが難しいんです。
そんな中で『僕らがマルシェを続けていくためにはどうしたらいいんだろう?』と悩んでいたときに、東京にマルシェの視察に行ったんです。あるマルシェで事務局の方にお話を聞かせていただくことができたんですね。その方たちが言っていたのは『俺たちはマルシェをやること自体を目的としているわけじゃない。まちづくりをやるためにマルシェを仕掛けとしてやっているんだ』ということでした。
そのお話を聞いて考え方がガラッと変わりました。ひとに来てもらうこと、出展者のみなさんに儲けてもらうことも大切ですが、それだけが目的じゃない。イベントの機能を考えたときに、ひとが同じ時間にひとつの場所に集まることがマルシェの機能なんです。つまり、それがひとつの“つながり”なんだと考えました。
出展者同士がつながるとか、出展者とお客さんがつながることによって、何か新しいコラボレーションが生まれたり、新しい商品が開発されたり、お客さん同士で新しいコミュニティをつくったり。そういう形でマルシェを通じて、来たお客さんはもちろん、小林という町がもっと元気になってくれたらいいなと考えています。僕らとしては、それらを促す仕組みづくりをしたいんです」(青野さん)
青野さんは2016年5月から、山本さんは2016年3月から、小林市の地域おこし協力隊として活動されています。なぜ、小林で地域おこし協力隊になったのでしょうか。
「僕は千葉県生まれで、前職が専門商社だったんです。転勤が多くて、福岡、宮崎、鹿児島で3年半くらい過ごしました。一言でお伝えすると、その経験から九州に惚れちゃったんです。千葉で生まれ育った自分にとって、九州との食文化の違いはおもしろく感じられて、とにかくひとが優しいというのが魅力でした。『骨を埋めるのは九州だ!』とすら考えていましたね(笑)」(青野さん)
大学卒業まで千葉県で過ごし、新卒で働いた専門商社の配属先が九州だったという青野さん。その後、奈良に移り住んだ青野さんは、あるとき開催されていた移住相談会に足を運び、小林市のブースで地域おこし協力隊を募集していることを知ったんだとか。
「転職を考えたときに、転職先も九州にしようと決めて、その頃は奈良に住んでいたので、大阪でやっていた移住相談会の小林のブースにたまたま話を聞きに行きました。そこで担当していた方の話を聞いて、小林の魅力もわかったし自分も歓迎されている気がしたんです。また、小林が協力隊を募集するにあたって、業務期間中も定住に対するサポートを手厚くしてくれていることが伝わってきたんです」(青野さん)
山本さんは京都府出身で、奥さまが小林市のご出身。お子さまが生まれたときから、田舎で子育てをしたいと考えていたそう。
「もともと小林市に来る前は整骨院で開業することを目標に働いていました。だから小林市で地域おこし協力隊になって、働きながら開業を目標として、3年の間に小林市のことを知りながら、起業準備をさせてもらうのがよいかなと思ったんです」(山本さん)
じつはおふたりはゼロからマルシェを立ち上げたわけではありません。マルシェはもともと「中心市街地活性化計画」という小林市の事業計画の中のひとつでした。おふたりがマルシェをやる仕事を引き受けたのは、なぜだったんでしょうか。
「僕らはマルシェをゼロから立ち上げてはいないんです。今、小林駅前に広場をつくっていて、広場を使って朝市を行う計画があって、その一部としてマルシェがあるんですね。広場ができるのは来年(2018年)以降なので、せっかくならまずひとが集まる形をつくって、広場ができたらそこに場所を移すという流れのほうがよいんじゃないかという話になりました。
僕個人としては奈良にいたときに、地元のお店が出店するお祭りがあったんです。お祭りって露天商さんがお店を出してるというのが一般的じゃないですか。でも僕はその奈良のお祭りに親しみがあったので、マルシェの担当者を探していて自分に声がかかったときにすぐ『やります!』とお答えしました」(青野さん)
おふたりは実際にマルシェの1回目を行って、どんなことを感じたのでしょう。
「最初に実行委員会を組織して、コンセプトを決めて、そのあと一般募集を開始しました。イベント開催に関しては、正直、僕らはふたりとも素人だったので『大丈夫かな?』という不安はありました。ただ、観光協会や商工会議所といった、イベントに慣れている方々も実行委員会に入っており、アドバイスをいただけたので、開催までこぎつけました。初回は、来場者数は1,000から1,500人くらいです」(青野さん)
「出展者さんからも『また出たい』という声が挙がって、またすぐに次の申込書が来たりとか。初めてマルシェに出店したひとも『お客さんと話すことが楽しかった』と言ってくれたりして、自分たちは『誰かと誰かをつなげられた』って思えたことがすごくよかったです」(山本さん)
僕らがうかがった3月の開催は2回目。初回を盛況で終えられたからこそ、2回目は安心感が大きかったと言います。
「今回は、不安が減ったのが初回との大きな違いです(笑)。お客さんがたくさん来てくれて、来ていただいたお客さんが周りにも伝えてくれたりもするそうで、なんとなくマルシェを知っている方が増えた空気は感じているので、精神的にはすごく楽になりました」(青野さん)
そして、マルシェ当日。
青野さんと山本さんからお話を聞いて、こばやしマルシェのこれからはもちろん、マルシェを通じて生まれていくであろう小林市の未来のことが、またひとつ楽しみになりました。
(この記事は、宮崎県小林市と協働で製作する記事広告コンテンツです)
お話をうかがったひと
青野 雄介(あおの ゆうすけ)
1980年、千葉県生まれ。小林市地域おこし協力隊。専門商社で転勤が多く、九州の魅力に惚れ、地域おこし協力隊に。
山本 新(やまもと しん)
1984年、京都府生まれ。小林市地域おこし協力隊。整骨院の仕事を経て現職。