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黄金の卵を産んだのは、鶏じゃなくて二人の友情?

沖縄本島中部、東南に伸びる半島と8つの島をもつ、うるま市。

沖縄県うるま市

なかでも海中道路や橋でつながる4つの島(平安座島、浜比嘉島、宮城島、伊計島)と、フェリーで渡れる津堅島をあわせた『イチチぬ島(5つの島)』が、あたらしい暮らしをはじめたいと考えるひとたちのあいだで、いま注目を集めはじめています。

沖縄県うるま市
写真中央から伸びているのがイチチぬ島へとつながる海中道路。左にあるのが平安座島。右に見えるのが浜比嘉島。

と、ここで少し自己紹介を。初めまして、Re:S(りす)の藤本智士と申します。兵庫県在住ながら日本中を旅しては文章を書いたり写真を撮ったりしている編集者です。

そもそも僕がうるま市に訪れることになったのは、プロモーションうるまというまちづくり会社から、前述の『イチチぬ島(5つの島)』を取材してほしいとご依頼いただいたからでした。

そんな島取材のさまざまは「うるまで暮らす」というウェブサイトで随時更新される予定なのですが、僕が今回どうしても「灯台もと暮らし」で記事にしてお届けしたいと思ったのは、うるま市のなかでも沖縄本島から伸びる勝連半島にある養鶏場のお話。

あるひとから「半島にとてもおもしろい卵屋の若者がいるよ」という情報をもらった僕は、編集者の勘だけで思わず訪れてしまったのでした。

徳森養鶏場

そこで出会ったのが、ノーマン裕太ウエインさん。1年半前に徳森養鶏場という採卵養鶏場を祖父から引き継いだ若き経営者です。

ノーマン裕太ウエイン

ノーマン裕太ウエイン(ノーマンゆうたウエイン)

1989年アメリカ生まれ。父はアメリカ人、母は日本人。幼少期に母の故郷、沖縄県与那城町(現うるま市)へ。大学卒業後、プロダーツプレイヤーや翻訳及び通訳業を経て、祖父が営む徳森養鶏場を手伝いはじめる。採卵鶏の進化に合わせた飼育環境やシステムの改善に奮闘し、2017年、徳森養鶏場代表に。20代の若さを活かして、さまざまなチャレンジをスタートさせている。

地域で暮らすために必要なことは、住まいや仕事などたくさんありますが、何より重要なのは、「このひとがいる」という安心感なんじゃないか。そんなことを強く思うインタビューになりました。

ではでは、はじめますね。

継ぐなんて思ってなかった

徳森養鶏場

── ここにはいま何羽の鶏がいるんですか?

ノーマン ここでは約3万羽の鶏がいて、毎日卵を産んでくれています。

徳森養鶏場

ノーマン裕太ウエイン
取材チームのために、ザ・沖縄な「さんぴん茶」を用意してくれるノーマンさん

── この養鶏場はいつからあるんですか?

ノーマン 1967年から祖父がずっとやっていて。最初は500羽とか少ない数だったのが、12年前に3万羽まで大きくなって現在に至ります。自分は3年前に手伝いがてら来たのがきっかけで、そのときは継ぐなんて思ってなかったんです。

ノーマン裕太ウエイン

でも、もっとこうしたほうがいいんじゃないか、なんでこういうやり方なのかって、いろんな疑問を現場の先輩や、おじい(祖父)にぶつけているうちに「興味あるか?」とここを任せてもらう話が出てきたんです。

長年この仕事を続けている現場のメンバーが多いんですけど、結果的にみんな了解してくれて。平成29年の1月1日に引き継ぎました。任せてくれたおじいと現場のみんなには本当に感謝しています。

うるま市農業委員会

── じゃあまだ1年ちょっとなんですね。

ノーマン はい。だからいま、いろんなことを一気に変えている途中。鶏自体が改良されて性能が上がってきている分、昔は必要なかったワクチンや管理に手がかかるようになっていて、ちゃんと飼わないとすぐ死んでしまうんです。昔は感覚で進められたけど、いまはデータを細かくとって管理する必要がある。

それこそ、卵を産む数が減ってる気がすると思った時点でもう手遅れなんだけど、昔はそれが当たり前で。でも、ちゃんとデータをとって管理したら、もう少し早い段階で対処することができる。

全国の同業者が集まる勉強会とかに行くと、同世代のみんなで、それぞれの養鶏場の状況を話すんですよ。でも自分はおじいから感覚をもとにしたことしか聞いてなかったから「たぶん大丈夫」くらいしか言えないのが嫌で。

だからまずは自分たちの養鶏場の現状を知ろうって、しっかり管理をはじめたのが2年くらい前。やっといま同世代のひとたちと対等に会話できるようになってきました。

双子の卵と、黄金の卵

ノーマン裕太ウエイン

ノーマン まだ引き継いで1年半ですけど、現場の改善はもちろんですが、徳森の名前をなんとか広めたいという思いが強くて。

うちは生産に特化してるので、一括りに沖縄県産卵として出回ってしまい、徳森のラベルで売られている卵がなかったんです。なんとか知ってもらわなきゃ、とまずは地域のひとと関わりを持つために商工会青年部に入ることから始めたら、若手経営者とか後継者の方とつながって、いまは商工会のほかにも、農業青年クラブにも入ったり、市で14名だけ選ばれる農業委員会のメンバーに最年少で選んでいただいたり、いろんな活動に関わらせてもらっています。

卵もいま、通常のブランドに加えて、新たに「たーちくん」と「くがにたまご」っていう商品をつくっているんです。

徳森養鶏場

── 「たーちくん」?

ノーマン 「たーち」は方言で「2」っていう意味。直訳すると「ふたつくん」。双子の大きい卵です。大きすぎて出荷してもはじかれて売れないのがほとんどなので自分たちで食べちゃうことが多かったんですけど、一般の方にも食べてもらえたら喜んでもらえるんじゃないかってことで。

たーちくん

── 双子の卵が自然に幾つか生まれるってことですか?

ノーマン  そうです。ただ、これだけ鶏がいるなかで1日に数十個ほどしかとれないので、いま一番目玉にしてるのは「くがにたまご」。

うるま市ならではの卵をつくれないかなってことで、餌に特産品を混ぜてみようと思ったのがはじまりです。

いくつか候補があるなかで、最終的に津堅島のにんじんと伊計島の黄金いもで試験をしたんですね。すると、旨味分析で黄金いもの結果がとてもよかったんです。味の余韻とかコクとか5項目あるうち3つくらいが上がって。しかも黄金いもって、名前がいいじゃないですか。それでさらに調べていたら、ここ与勝半島の地下水は、黄金水(くがにみず)っていうんですよ。「飲んでる水も黄金、食べてる餌も黄金、これはもう黄金卵じゃないか!」って全部が結びついて。

黄金を方言で、くがにっていうので「くがにたまご」って全部ひらがなのネーミングで6月から販売を開始しています。

くがにたまご

── 餌代がすごく高いんじゃないですか?

ノーマン 餌自体は普段からいいものをやっているので、変わるのは自分たちの手間くらいですね。じつは餌の黄金いもは、農家さんが処理に困っている規格外のものを受け入れてるんです。熱処理をすれば鶏には影響がないので。自分たちも原料を調達できるし、農家さんも処理に助かる。

伊計島 黄金いも
イチチぬ島の一つ、伊計島で無農薬で育てられた黄金いも。まさに黄金色!

── さらにここの鶏糞でいもを育てられたら最高ですね。

ノーマン そうなんです。黄金いも農家にこの堆肥を還元するサイクルをつくるプロジェクトを市とも話しているところです。昔は、うるまってこれでいいのかな、どうにかできないのかなって思うことしかできなかったけれど、いまは行動を起こせるのがうれしくて。

徳森養鶏場

同世代のパートナー

── 先ほどからお話を聞かせてもらっていて、これは誰か仲間がいないと、一人ではこんなに動けないぞって思ったんですけど、まわりに同世代の方って、いらっしゃいますか?

ノーマン 農業とか養鶏界にも少しいますけど、でも20代はすごく少ないです。商工会の事務局とかも、実際のプレイヤーは大先輩です。ただ、うちの現場に一人、あたらしく入った海勢頭(うみせど)というスタッフがいて。

3つぐらい年上なんですけど、一番のパートナー。もちろん現場で長年やってくれている方もみなさんすごく協力的なんですけど、あたらしいことを考えるときにネットであれこれ一緒に調べたり、イベントに二人で出たりしてるんです。

若い世代で養鶏を盛り上げようって思いがあって、すごい力になってくれています。

ノーマン裕太ウエイン

── 海勢頭さんとはどういうご縁で?

ノーマン もともと養鶏場のサポートとして物品の配達とかで間に入ってくれる沖縄県養鶏農業協同組合の職員だったんです。全国から若手の養鶏家が集まる2泊3日の勉強会が岐阜であったんですけど、そこで一緒になったのがきっかけで。それ以外の勉強会でも飛行機が一緒だったりして意気投合して。

── 声をかけたんですか?

ノーマン  いや、さすがに引き抜きはできなくて。引き抜くほど、いい給料を出せるだろうかとか不安で……。だけど向こうから声をかけてくれました。うちがいろいろ改善している状況を見てくれていたのか、ここでやらせてほしいって。

── 相思相愛! その告白はどういうシチュエーションだったんですか?

ノーマン  たぶん場所はマックでしたね(笑)。ちょっと話したいことがありますってメールもらって。徳森養鶏場が今後変わっていく、その力にならせてほしいみたいな。

── 最高じゃないですか。

ノーマン  もうすごい、うれしくて。うちに入ってくれてからは一番の相談相手。海勢頭は視点とか考え方とか発想が鋭いんです。自分が気づかないことに気づかせてくれる。

「たーちくん」は海勢頭のネーミングなんですよ。センスがいい。ラベルに「てぃーちくん(ひとつくん)の場合もあります」って注意書きをつけて、そこも含めてお客さんが楽しんでくれたり。

ほんと自分だけだったら心細いけれど、海勢頭もいるからできるところがあって。運命的なものを感じています。

徳森養鶏場 たーちくん

── いま、海勢頭さんはいらっしゃらないんですか? お話聞いてみたいです。

ノーマン  今日は鶏糞を出す作業をしているので、臭いがすごいから大丈夫かな……。ちょっと連絡してみますね。

告白の真相?!

ということで、急遽、海勢頭俊太さんにお越しいただきました。

海勢頭俊太

海勢頭 俊太(うみせど しゅんた)

1986年沖縄県沖縄市生まれ。ライフセーバーや郵便局等での勤務を経て、沖縄県養鶏農業協同組合に入社。ヒナや資材の販売を通して養鶏場を支援するなかで、鶏の一生のサイクルや卵が消費されるまでの全過程に関わりたいと徳森養鶏場へ。祖父、父親がうるま市の浜比嘉島出身、苗字の海勢頭は漁師のリーダーを表すと言われる。

ノーマン裕太ウエイン 海勢頭俊太── こんにちは。突然お呼びしてすみません。

海勢頭 いえいえ、臭い大丈夫ですか?

── 大丈夫です! 先ほどからノーマンさんのお話を聞かせてもらっているんですけど、ノーマンさんの活動を支える仲間の存在がいるはずだと気になったんです。

海勢頭 はい。

── なので、近くに同世代のひとがいらっしゃるか聞いてみたら、海勢頭さんの名前が出て。やっぱりそうかと思ってしつこく聞いてしまって。そしたらマックで告白されました、と。まるで、芸人さんが漫才コンビを組むときみたいで、いい話だなあと。

海勢頭 ははは。そうでしたか。でも自分の記憶では「我部祖河(がぶそか)食堂」ですね。食堂で飯食ってたらLINEが入ったんですよ。

── あれ? そうなんですか?

海勢頭 そこから働く働かないの話になって、マックへ。そのあとにマックもちゃんとあります(笑)。

── ということは、まず最初に呼んだのはノーマンさん?

海勢頭 あれ? 大丈夫? 俺が間違ってる?

ノーマン裕太ウエイン 海勢頭俊太

ノーマン  俺が間違ってるかもしれない(笑)。

海勢頭 LINEで前の職場を辞めるって話をしたら、一緒にどうですか? ってメッセージが来て。

ノーマン  ああ……。

ノーマン裕太ウエイン 海勢頭俊太

── ノーマンさんから誘われていたんですね。

海勢頭 ふんわり(笑)。

── どちらにしろ相思相愛(笑)。

ノーマン 言っていないつもりになっていたんでしょうね。どうせ無理だと思って、都合よく言ってないことになっていたかもしれない(笑)。でもそれでマックの件があって。

海勢頭 そのマックが24時間営業だと思ったらそうじゃなかったんですよね(笑)。

ノーマン それで、けっきょく車中で話して(笑)。

海勢頭 そうやって話を聞いていたら楽しそうで、ここから発展していく予感がして。その先に一緒に行けたらいいなっていうことでお願いしたんです。

── お話を聞いていると、海勢頭さんが現場にいてくれるから、ノーマンさんが外に出られるのかなと感じました。

ノーマン それはあります。外の活動が増えてきた分、彼が現場を担ってくれて。それに、あたらしくやろうとしてることに対して現場と少なからず温度差があるんです。だから全部無理やり進めるわけにもいかず。

── 海勢頭さんは、現場の先輩方とあたらしい考え方との狭間にいるのは大変ですよね?

海勢頭 正直、あまりに無理なことを言ってくるから、たまにむかつきますけどね(笑)。でもまあ彼は、今日のようにいろいろとつながっていく力がすごいんで。そういう部分で養鶏場がよくなればいいなと。

ノーマン裕太ウエイン 海勢頭俊太

── いまでも二人で飲みに行ったりとか、話し込んだりする時間はあるんですか?

海勢頭 電話が多いですね。

ノーマン たまに長電話とか。

海勢頭 たまに? だいたい長電話(笑)。

ノーマン裕太ウエイン 海勢頭俊太

ノーマン 話しだしたら止まらなくなるから。

海勢頭 こっち(ノーマン)はポジティブなんですよ。俺はネガティブで。もしこうなったらどうするんですか? みたいな、マイナスなことしか言わないです(笑)。

ノーマン 自分はけっこう突き進みがちなんで。

── いや、ダブルポジティブは僕の経験上でも一番やばいです(笑)。

ノーマン すごいわかります。海勢頭さんは違う視点で考えるべきところに気づかせてくれる。

── ノーマンさんは、うまいこといくことしか考えないタイプですよね。

海勢頭 そうです。でもいいことです。

海勢頭俊太

── 一方で海勢頭さんはネガティブというより、本気で考えてシミュレーションしてくれている、真剣に受け止めてくれている、ってことですよね。

ノーマン 本当に。みんなこんなに話してくれないんですよ。家族じゃダメなんですよね。「今日は養鶏の話はやめて」って言われたり(笑)。だから仕事のことで迷ったり悩んだりしても、家では出さずに楽しくいたほうがいいかなと。かといって何も知らない友だちに話すわけにもいかないし。そこを話せるので大切な存在です。

── 自分ごとで考えてくれるんですね。

ノーマン そうですね。自分だけだったら心細いけれど、海勢頭さんもいるからやれているところがあって。これから「おもしろいことをやっている若い養鶏家がうるま市にいるぞ」ってなればいいなと思っています。

ノーマン裕太ウエイン 海勢頭俊太

50年以上もおじいさんが守り続けた養鶏場を20代で引き継いだノーマンさん。その後の彼のチャレンジとミラクルは、大切なパートナーとの出会いがあったからこそ。

多様な地域での暮らしに思いをはせるひとが増えるなか、住まいや仕事の確保ばかりを急ぐ傾向がありますが、ひょっとしたらそれ以上に、「このひとがいるから」という存在との出会いが大切なんじゃないかと思う、そんな取材でした。

イベント「うるまで暮らす」開催のおしらせ

沖縄県うるま市 イベント

ここでお知らせをさせてください。もしこの記事で沖縄県うるま市に興味をもってくださったら、この記事だけでは伝えきれなかったうるま市の魅力を僕がさらにお伝えし、うるまの美味しい食べ物も味わってもらえるイベント(東京)にいらっしゃいませんか?

9/7(金)18時から『うるまで暮らす〜沖縄イチチぬ島の可能性とワタシの未来〜』というイベントを、東京都千代田区神田にある「風土はfoodから」にて開催します。

今回の記事の筆者である藤本智士と、「もとくら」メンバーから、鳥井弘文くんと小松崎拓郎くんも登壇してくれることになりました。

詳細&お申し込みはこちらから。ぜひお越しください。

 

文/藤本 智士(ふじもと さとし)

(この記事は、一般社団法人プロモーションうるまと協働で製作する記事広告コンテンツです)

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藤本智士

1974年兵庫県生まれ。編集者。有限会社りす代表。雑誌「Re:S」編集長を経て、秋田県発行フリーマガジン「のんびり」、webマガジン「なんも大学」の編集長に。自著に『魔法をかける編集』(インプレス)、『風と土の秋田』『ほんとうのニッポンに出会う旅』(共にリトルモア)。イラストレーターの福田利之氏との共著に『いまからノート』(青幻舎)、編著として『池田修三木版画集 センチメンタルの青い旗』(ナナロク社)などがある。編集・原稿執筆した『るろうにほん 熊本へ』(ワニブックス)、『ニッポンの嵐』(KADOKAWA)ほか、手がけた書籍多数。 ホームページ http://re-s.jp / Twitter @Re_Satoshi_F

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