京都にある野菜提案企業 坂ノ途中。創業は2009年。若いメンバーが多く、既婚者は少ないそうです。そんな中で、既婚者であり父であるのが、今回お話をうかがった田中さん。

田中さんアイコン

田中 栄一郎(たなか えいいちろう)

広島大学総合科学部卒業。株式会社ワークスアプリケーションズを経て現職。Webショップや業務システム構築を担当するエンジニアのひとり。2児のパパ。独身が多い坂ノ途中では貴重な家庭の風をふかす。餅つきに習熟している。好きな野菜はナス、スナップエンドウ。

ITを志したきっかけ。学生時代。大学院を辞めてお遍路をしたお話。京都の歴史や宇治市生まれであることについて。坂ノ途中での役割や好きなところはもちろん、奥さまとの出会いや関係性についても、お聞きしました。

田中さんは「自分で何かを積み重ねていく場所をずっと探していた」と言います。探して、辿り着いた先が、坂ノ途中だったのです。何かを探しているひとに、田中さんの声が届いたら幸いです。

坂ノ途中田中さん1

社内システム担当の田中さん

── 田中さんはシステム関連のお仕事を担当されているんですよね。

田中 今は受発注システムをつくるのがメインの仕事です。お野菜の品目は400品目以上、提携している生産者さんが150名ほどいます。生産者さんごとに発注をかけて、自社便で集めたり、ヤマトさんで送ってもらい、出荷場でピッキングしたり袋詰めしたりして、日本中に発送しています。

坂ノ途中では野菜の品目も品種ごとに分けたり、生産者さんごとに、「○○さんのかぼちゃ」というふうに扱っています。そうやって分けて数えていくと、管理している商品数は1万を越えています。

生産者さんに注文した野菜を、いつ誰に届けたのかまで記録しているので、どうしても融通の効くシステムが必要になってくるんです。生産者さんのことをお客様に伝えるための最適なシステムを自分たちでつくっているところです。

セミナーで履歴書を見せて採用

── 入社に至った経緯をうかがってもよいでしょうか。

田中 転職前は東京でエンジニアをやっていました。結婚して下の子が1年半前に生まれたタイミングで京都に来たんです。わたしは京都出身で、妻が鳥取の出身です。ふたりとも東京が出身ではないので「地縁もゆかりもない東京で子育てするのは難しいな」って感じていました。先輩に子育ての話を聞いても奥さんが関東圏だったりして、共働きで子育てを続けるには、何かしらの協力者がいないとどうしようもないと気付かされました。

それで本格的にUターンを考えはじめ、京都でおもしろい会社はないかなぁって探していたときに、たまたまローカルビジネスを扱ったセミナーで、小野さんが講演しているのを聞いたんです。セミナーでの話を聞いていてビジョンに共感したのはもちろん、自分だからこそ出来ることも見えたので、ここで働けば何かできそうだと感じました。ダメ押しのように、セミナー後に人材募集中ですって言っていたので、その場で履歴書を見せたら「はーい、お願いしまーす」って言われまして(笑)。

── えっ!(笑)。そのとき履歴書を持っていたんですか?

田中 ちょうど持っていたので見せました(笑)。履歴書はそのあと改めて送りまして、トントンと決まって、ITの担当として入社しました。

田中さんのお仕事風景
田中さんのお仕事風景

田中さんのお仕事風景2

ITに興味をもったのはなぜか

── ITやエンジニアの仕事はもともと興味があったのでしょうか?

田中 中学時代に部活でパソコンクラブに入っていました。「無線部」っていう名前の部活なんですけど(笑)。そこでゲームをつくったり、CGを書いたりして遊んでました。

大学まではずっと理系だったのですが、大学に入ってから「ITで世界中の情報がひとつにまとまったら、大事になるのはなんだろう」って考えたんです。考えた結果、やっぱり地域というか、地理的な物理性は絶対に残ると思って、人文地理学に文転しました。

大学の周りは畑しかないような田舎だったんで、関わってみたいと思い調査を名目に大学周りでおっちゃんとかおばちゃんとしゃべったりしていました(笑)。

野菜や農業に関わりたいと思ったきっかけ

── 坂ノ途中と出会ったセミナーに行った時点で、野菜や農業に関わる仕事をしたいという希望はあったんですか?

田中 父親の実家が、京都の綾部という田舎です。毎年帰っていて、なんとなく「田舎はいいなぁ」と思っていました。それが原体験なのかもしれません。

なので大学も上京せずに、あえて地方を選びました。大学時代に地域おこしのグループに入って里山を活性化する活動に関わってました。そこで気づいたのは、田舎の問題って「稼げない」ということ。「地元の何かを売ろう」と模索したのですが、そもそも売るものがない。そこで役立ちたいと思っても、自分にできることはほとんどないことに気付かされました。

経済的に田舎を助けたいと考えても、自分が武器になるものを持たなきゃダメなんだって感じました。それで得意な事を武器にできるエンジニアになろうと思って、就職するときはITベンチャーを選んだんです。

自転車でお遍路をしたことも

田中 大学卒業後は大学院に行ったんですけど、すぐに辞めてしまいました。悩んだ末に、とりあえず旅するかってなって(笑)。それから3ヶ月くらい遍路したりして。

── お遍路?

田中 自転車でお遍路しました。

── 自転車で。

田中 四国をすべて回って、そのあと九州も北から南まで行って、屋久島まで行って折り返したんですけど(笑)。

── 聞いたことない折り返し場所ですね(笑)。えっ、例のお遍路さんの格好で自転車に乗っていたわけですか?

田中 あの格好では自転車に乗れなかったです(笑)。ただ、それぞれの場所で、お世話になったことばかりだったので「いつか恩返しをしたい」という想いはいつも持っています。

田中さん2

彼女ができて結婚を考え、東京へ

田中 お遍路を終えたあとに、そろそろ働こうかなと考え始めまして。そうしたらたまたま大学時代にお世話になった先生から「大学の地域連携センターで手伝ってくれるひとを探しているんだけど」と誘っていただいて、そこで1年半くらい働きました。

契約社員だったのですが、そろそろ契約も切れるしどうしようというタイミングの、ちょっと前に彼女ができて。彼女ができたから、稼ぎがないと結婚できないよなと思って(笑)。それで覚悟が決まって、「東京のITベンチャーいくか!」と決めて、東京にいきました。

── そのときの彼女というのは──。

田中 今の妻ですね。同じ大学で、岡山で働いていたんですけど、1年半くらい遠距離恋愛していました。彼女が会社を辞めるという話になったときに「じゃあもうこっちおいでよ」と誘って、同棲し始めてすぐ結婚しました。

東京よりも京都に対して憧れる

── 東京に対してはどんな感情を抱いていますか。

田中 「すごい」と思うところはたくさんあるし、物見遊山的な。社会の複雑さが垣間見えるところはおもしろいなと思います。

── 「田舎で育ったので都会に憧れる」という話を聞くことも多いのですが、そういうのはあまりなかったですか?

田中 なかったですね。東京や都会への憧れってあまりないんです。逆に、京都市内、歴史あるものに対しては強い憧れがあります。古いものに対する憧れというか。京都ってやっぱり脈々と続いてきた歴史があって。長いこと続いているものに興味があるし、誇りを感じます。

わたしが好きなのは民俗学の本で読んだ「地域の祭りがなくなるとコミュニティが崩れる」という逸話です。逆に、祭りがあるとずっとコミュニティは栄えているんですよ。

広島の県北にいくと、どこの集落でも秋祭りがあって、夜通し奉納神楽を踊るんです。さらに、どこの地域の神楽がカッコいいかを決める競演大会があって、地域ごと、更に県をまたいで大会をやっているんです。神楽を踊りたいから中山間地域にも関わらず地元に残る若いひとがいたり、とても活気がありました。高校にも神楽部があったり、子どもも真似して踊っていたりして、世代を超えて受け継がれているのだなと強く感じました。

私も大学の神楽団にも在籍して、競演大会を見に行ったり、踊ったりしていました。じつは広島の神楽が今の形になったのは戦後らしく、これだけ盛り上がっているのも最近のことだそうです。とはいえ祭りがあることによって、つながりがしっかりしている。積み重なって歴史が残っていくってすごく大事だし、そこに対する畏敬、憧れはすごくありますね。素直にいうと、羨ましいです。

田中さんのデスク

郊外生まれのコンプレックス

── 田中さんは、お生まれは京都ですか?

田中 生まれは京都府宇治市なんです。大学の卒論が「郊外の持続性」っていうタイトルで、郊外開発の成り立ちや現状の調査をしていました。自分は宇治の中でも、古くからの町ではなくて、郊外住宅地に生まれたんです。だから、東京の多摩ニュータウンほどではないですけど、比較的新しい町なんです。

特に京都だと感じるのが、京都市内の歴史の深さに対して、郊外は積み重なってきたものがゼロなんですよ。

── うーん、なるほど。

田中 東京とかだと、新しく作るところにひとが集まってきて、それは楽しいんだと思います。コミュニティを築いていくことが楽しいとか。でも、同級生にいる祇園祭のお稚児さんの持ってる背景と比べると「俺、なんもねえじゃん」って思わされてきたところがあって、それがコンプレックスなんです。

だから、自分で歴史を「積み重ねていく」場所をずっと探していました。積み重ねていくことを坂ノ途中ならやれそうだなと考えているんです。

エンジニアとして、5年で忘れられてしまう流行のサービスで一発あてるより、生きていくためのインフラとして100年続いていく仕組みをつくりあげたい。それが憧れだった京都で出来るのはこの会社しかないです。

全員が全員オーガニックな食事をしなければいけないとは思わない

── お子さまが生まれて、東京から京都に戻ろうかと検討し始めるというお話だったのですが、坂ノ途中との出会いは、セミナーで聞いた小野代表のお話だったんですよね?

田中 そうですね。

── どういうところに感動したか、共感したかって、覚えていますか?

田中 一番、共感したのは、代表のポジショニングというか、スタンスのよさですね。大学時代にやっていた「田舎暮らしをしよう」「自給自足の生活をしよう」みたいな文脈を突き詰めていくと、どうしても「俺が全部つくって、俺が全部食う」「物々交換だ」という話になって、それで生きていけるひとなら、めっちゃおもしろいんですが、全員が全員できるわけじゃないよなとも同時に思ったんです。

自然に近い生活をしたいなと思っても、目の前にポテトチップスがあったら「ポテチうまいなぁ」って思って、食べるんです。でも東京にいた頃は「美味しい野菜を食べたいな」と思うこともやっぱり多くて、それって最後はバランスじゃないですか。毎日ジャンクフードはいやだけど、毎日野菜だけで我慢できるか、という話で──。

っていう話を小野さんがしていて、スタンスというかバランス感覚に一番共感しましたね。なので、小野さんがよく言う言葉でいえば「多様性」になると思うのですが、全員が全員オーガニックな食事をしなければいけないとか、全然思っていないです。ただ、自然な暮らしをしたいと想いを持っているひとは多いし、思ったときにできる土台があることは、大事だなと思います。

妻が喜んでくれることが一番嬉しい

── 最後に、坂ノ途中で働いていて、よかったなと思うことを聞いてもいいですか。

田中 よかったこと……。最近になって増えてきたんですけど、妻が喜んでくれることが多くて、それは嬉しいですね。

── へぇー!

田中 坂ノ途中の野菜で料理して、美味しいって言ってくれるのは、転職してよかったと思うところです。この間は、坂ノ途中がテレビに取り上げてもらったんですけど。家で録画して見てくれて、「えいちゃんの会社すごいね!」みたいな感じで言ってくれて(笑)。

わたし自身の仕事についても「ここまでシステムできたんだよー」と報告したら、すごく喜んでくれて。そうやって一緒に成長を味わってくれることが、一番嬉しいです。

なんか最後、恥ずかしい話になっちゃいました(笑)。

田中さん最後の一枚

(この記事は、株式会社坂ノ途中と協働で製作する記事広告コンテンツです)

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