2016年5月11日、ちよだプラットフォームにて第一回目の地域共創カレッジが始まりました。地域共創カレッジ(以下、カレッジ)とは、株式会社アスノオト(以下、アスノオト)の信岡良亮さんが働きかけ、宮城県の女川町、島根県の海士町、徳島県の神山町、上勝町、そして岡山県の西粟倉村の5つの地域が提携して始めるプロジェクト・ベースト・ラーニング形式のプログラム。都会と田舎の共創関係のモデルをつくり、地域課題解決への道筋を描く、理論と実践の学び場のことです。
半年間、23回のプログラムを経て受講生が何を学び、活かしていくのか。「灯台もと暮らし」では、地域共創カレッジを密着取材。都会と田舎を繋げる未来の暮らし方を一緒に考えていきます。受講生の不安の声やワクワクとした声が響く教室で、カレッジの第一回目の講義が幕を開けました。
(以下、アスノオトスタッフ 山崎麻梨子)
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震災から5年。危機感から生まれた地域共創カレッジ
東京でITベンチャー企業に就職後、島根県隠岐諸島の中ノ島・海士町という人口2,400人弱の島に移住。6年半の島生活を経て、都会と田舎のより良い未来をつくるために、2014年から東京に活動拠点を移した講師の信岡良亮さん。第一回目となる今回は、カレッジ開講のきっかけと目的を語りました。
信岡良亮(以下、信岡):「田舎では流れる時間が都会とは全く違います。たとえば海士町で72歳のおじいちゃんに何か困っていることありませんか? と聞くと、“老後が心配です”と話してくれて驚きました。まだまだ元気で、自分で畑を耕せているおじいちゃん。そんなに元気なら72歳は老後とは言わないのかもなぁと。島で暮らし始めて人生の感覚が変わりました。
都会だとお金を稼いで成果を出さないと、自分が今いる場所にいてはいけないような感覚があったんです。島で過ごすようになってからは、80歳くらいになるまでの長い視野を持って物事を考えたり、誰かから受けた恩をその子どもに返したりと、共同体で生きていくという感覚に変わっていきました」
信岡さん自身の価値観が変化する中で、ひとつの転機が訪れます。2011年3月11日に起きた、東日本大震災です。「世の中が変わると思った出来事」と信岡さんは言いますが、震災から5年経った今、社会は大きく変化を遂げたわけではありません。
信岡:「今の社会への危機感さえあれば、ひとはより良い未来をつくるために動けると思っていたけれど、それは一部だけで、危機感では多くのひとが動くには至らないという現状に限界を感じました」
信岡さんは、都会と田舎で良好な関係性を保ちながら、未来を一緒につくれるひとがいる場に可能性を見出します。
信岡:「ビジネスの中心地である都会を稼ぐのが得意というメタファーで“父親”、子どもを育てやすい田舎は育むのが得意というメタファーで“母親”と、喩えとして言っています。子どもの未来は日本の未来なのに、今の日本は父親と母親が別居してしまっている状態です。大事なものを守るためには、お互いがどう協力していけばいいのかを考え合える家族のようなチームになれるといいと思うんです」
都会と田舎、両方の視点から物事を捉え、進めていけるひとをカレッジで育てていきたい。そして都会と田舎の両者が未来に向けて協力し合う感覚を「共創実感」と定義。共創実感を3つのステージで体感して学び、行動へと落としこんでいきます。
[ステージ1~3へ]共創仮説を立て、実践し、より良い仕組みを考える
地域と関わりながら物事を進めていくということは、一度関係が絶えてしまうと、なかなか元通りの関係に修復できないということ。ですから、まずはお互いのことを知る時間が必要です。これを信岡さんは「economy(やること・運営)」と「ecology(目指したいもの・あり方)」と呼んで説明します。
信岡:「都会で仕事をしていると、そのプロジェクトの結果ばかりを見てしまいます。それはつまり「economy」の考え方。一方で地域ではそのひとがどういうひとで、どんな未来に進みたいのか、という「ecology」の考え方なんです」
つくりたい未来を受講生同士で共有し話し合うことで、物事を始めるときにスムーズに進められるよね、と語りかける信岡さん。では具体的に、共創実感を得る3つのステージはどんなものなのでしょう。
信岡:「まず、ステージ1では都会から見えている単眼的な視点で考え、都会と田舎で共創するための“共創仮設”を立てます。
次にステージ2では、ステージ1で立てた仮説に田舎側の視点を加えて複眼的に考え、新たな共創仮設を立てます。そして、受講生のみなさんが考えた共創仮説を都会と田舎で小さく試すことから始めてみます。
最後のステージ3では、小さく試した共創仮説の結果から考え、より良く大きな影響力を与える仕組みづくりを考えます。カレッジではステージ2まで、みんなと一緒に行けるといいね、という考えを持っています」
AMAカフェ・海士Webデパートは共創仮説だった
2008年に株式会社巡の環を仲間と共に企業し、6年半の海士町で生活してきた信岡さん。ご自身の島暮らしを振り返りながら、共創仮説について例を挙げました。
信岡:「田舎では一次産業をどう盛り上げるか? という課題が必ずあります。ステージ1の都会側視点で考えると、市場のニーズがあるものをつくろう、と考えます。例えば『特徴ある野菜じゃないと売れないですよね』と農家さんに助言したり、価格が高い離島の野菜は売れづらいので、『情報発信しませんか?』と提案したりする。そうすることでロイヤリティある消費者がついて経済が回るんじゃないかと思っていたんです」
ところがステージ2の地域側の視点で考えると、都会側だけの視点では課題が解決されないことがわかるといいます。
信岡:「自分でやってみると、特徴ある野菜どころか普通の野菜を育てるだけでも大変なんですよね。さらに友だちを連れてきて農業体験したり農家さんと一緒に飲んだりしましたが、そのときは感動しても、帰るとみんな忘れちゃうんです。そうなってしまうと労力の割にいい影響はないし、それどころか仕事ばかりが増えて、より儲かりにくい農家さんしかいなくなってしまう」
そんな失敗を経て信岡さんは、「AMAカフェ」で島を思い出してもらう機会を提供したり、海士町の特産品を寄せ集めた通販「海士Webデパート」を始めたりと少しずつ活動の輪を広げていきます。そうすると、都会にいながら島を、島にいながら都会の暮らしやひとを想い合えるコミュニティが生まれたそうです。
共創実感を体感し、都会と田舎の新しい関係をつくる
こうした気づきは自分で仮設を立て、実際に動かないとわからないこと。カレッジではこの3つのステージを経て共創実感を受講生に体感してもらい、都会と田舎の新しい関係をつくる活動を深めようとしています。
このカレッジが始まる前に、受講生は自分の過去を振り返って自分がどんな人間なのか、またそれを経てどういう未来を描きたいのか、ということを整理してもらいました。それぞれの背景がある中で、自己紹介を通して共通点が見つかったりする、なんだか不思議なコミュニティ。この半年を通して、受講生のみなさんがどう変化し、どんなマイプロジェクト(深い自分に根ざした小さな一歩)が生まれるのか楽しみです。
講義をしてくれたひと
信岡 良亮(のぶおか りょうすけ)
株式会社アスノオト代表取締役CEO。関西で生まれ育ち同志社大学卒業後、東京でITベンチャー企業に就職。Webのディレクターとして働きながら大きすぎる経済の成長の先に幸せな未来があるイメージが湧かなくなり、2007年6月に退社。小さな経済でこそ持続可能な未来が見えるのではないかと、島根県隠岐諸島の中ノ島・海士町という人口2400人弱の島に移住し、2008年に株式会社巡の環を仲間と共に起業。6年半の島生活を経て、地域活性というワードではなく、過疎を地方側だけの問題ではなく全ての繋がりの関係性を良くしていくという次のステップに進むため、2014年5月より東京に活動拠点を移し、都会と農村の新しい関係を模索中。
この記事を書いたひと
山崎 麻梨子(やまざき まりこ)
1990年生まれ。神奈川県横浜市出身。高校の授業がきっかけでフェアトレードに関心を持ち始め、大学卒業後オーガニックのセレクトショップにて販売員として働く。もっとつくり手の思いに触れたいと、ものづくりのストーリーを伝えるwebメディア「セコリ百景」に参画。ヒト・モノ・コトを繋げる仕事を作るべく、アスノオトにて地域共創カレッジのサポートや、ちよだプラットフォームでのコンシェルジュの仕事に従事する。30歳までに自分のお店を作るのが目標。