2016年1月22日、ちよだプラットフォームスクエアにて、未来の地域づくりにおいて先進的な取組みをおこなう5地域が、連携して進める人材育成プロジェクト「地域共創カレッジ」のキックオフイベントが開催されました。参加するのは、こちらの5名。
- 岡山県西粟倉村:株式会社西粟倉・森の学校の牧大介(まき だいすけ)さん
- 徳島県神山町:NPO法人グリーンバレーの祁答院弘智(けどういん ひろとも)さん
- 徳島県上勝町:一般社団法人ソシオデザインの大西正泰(おおにし まさひろ)さん
- 宮城県女川町:NPO法人アスヘノキボウの小松洋介(こまつ ようすけ)さん
- 島根県隠岐郡海士町:株式会社巡の環の阿部裕志(あべ ひろし)さん
地域共創カレッジを開講した目的は、新たな社会システムが求められる未来に向けた“都市と地域の共創関係”のモデルケースを増やしていくこと。受講生は都市にいながら、次のような地域の社会起業家たちとともに、新しい日本の未来をつくるプロジェクトに取り組みます。
主催は株式会社アスノオト、代表の信岡良亮さん。地域アライアンス型の教育事業を立ち上げたきっかけは、日本の地域はすでに人口減少が進み、産業の衰退、コミュニティ維持活動の低下などの問題が表面化してきているから。
今回のイベントでは、西粟倉村、神山町、上勝町、女川町、海士町のリーダーたちが、成熟期・衰退期にさしかかる地域の現状と、さらなる飛躍をするためにかける思い、そして今、地域に必要な人材について語りました。
新しい地域の生態系をつくる
信岡良亮(以下、信岡) まずは登壇者の皆さん、自己紹介とそれぞれの地域の現状について教えていただけますか。
牧大介(以下、牧) 株式会社森の学校ホールディングス代表取締役の牧大介です。人口約1,600人、そのうち約100名が移住者の岡山県西粟倉村を拠点に活動しています。2008年から14社ほど、村にはローカルベンチャー企業が創業し、総売上は8億を超えた。そして100人以上の雇用も生まれました。
森の学校ホールディングスは木材の加工だけではなく、ウナギやナマズなどの淡水魚の養殖、鹿肉の販売もしています。ぼくの東京でのミッションは、地域で挑戦したい有能な人材を引き抜くこと。地域共創カレッジには、地域で生きることに関心を寄せるひとが多く集まるでしょう。とてもすてきなひとたちがいる所へ、「狩りに行ってもいい」と信岡さんから聞いています(笑)。
一同 (笑い)
祁答院弘智(以下、祁答院) 地域活動の企画・プロデュースする株式会社リレイションの代表であり、徳島県神山町のNPO法人グリーンバレー理事でもある祁答院弘智です。
徳島県神山町は人口約5,000人。2人に1人は高齢者である過疎地域です。神山町は「創造的過疎」を掲げ、促進しています。過疎化している現状を受け入れ、外部から若者やクリエイティブな人材を誘致する。このような取組みから人口構造・人口構成を変化させたり、多様な働き方や職種の展開を図ることで働く場としての価値を高めることを目指しています。農林業だけに頼らない、バランスのとれた持続可能な地域をつくろうという考え方です。これまでSansanをはじめとする14の企業がサテライトオフィスを開設しました。
大西正泰(以下、大西) 徳島県上勝町で活動している一般社団法人ソシオデザインの大西正泰です。町は①和食の妻ものに使う葉を輸出する「葉っぱビジネス」と②「2020年までにごみの排出量をゼロにする」というゼロウェイスト宣言を日本で最初にした町です。この町にぼくが来てから、20社くらい企業が誕生したけれど、人口は減少し現在は1,699人。町は衰退期に入りました。人口が増えて多様性が生まれる都市と、土地はあるけれど人口が減り続ける地域、という構造へと社会は変化しています。
ところが自然の摂理でいうと、過密な場所(都市)に子どもは生まれにくいし、子育てだって難しい。だからぼくらは「新しい地域」のあり方を探るために、自分たちの強みを活かして協力できる地域と連携します。
阿部裕志(以下、阿部) 島根県隠岐郡、海士町を拠点に活動している、株式会社巡の環の阿部裕志です。海士町は人口減少に歯止めをかけている地域です。現在の人口は約2,400人。15年前の2000年は人口約2,500人でした。100人減少していますが、旧来のデータによると2015年には人口が2,000人を切っているはずだったんですよ。
町でありながら島である海士町は、瞬間冷凍技術CASを使って海外や日本全国に島で捕れる海産物を輸出しています。また島で唯一の高等学校「島根県立隠岐島前高等学校」は廃校の危機を脱し、現在は地域教育にも注力しています。
小松洋介(以下、小松) 宮城県女川町から来ましたNPO法人アスヘノキボウの小松洋介です。5地域の中では唯一の東日本ですね。宮城県の東端、太平洋に突き出た牡鹿半島の最下部にある女川町は、東日本大震災の被災地です。
震災の影響で、町の70%がなくなってしまいました。もともと人口は1万14人でしたが、現在は人口6,900人。人口減少率が日本一の町です。この町の基幹産業は水産業。沖に行くと寒流と暖流が交差する世界三大漁場の一つである金華山沖漁場があり、200種類近くの魚が捕れます。水揚げ高は全国13位です。人口一人に相当すると圧倒的に水揚げ高が高いんですよ。
現在は行政と民間がいっしょに町づくりをしています。なぜ行政と一緒に町づくりするようになったのか?というと、震災をきっかけに、民間側の各産業界が垣根を超えて1つになったからです。「自分たちの町は自分たちで守ろう」という復興計画を議会に提出したら、町長と議長が「じゃあ一緒に町づくりしよう」と提案を受け入れてくれた。民間がつくり上げた復興計画書をベースに町づくりを始めてから、10社以上の企業が設立しました。
世代交代がキーワード。遊牧系、狩猟系よ、来たれ
信岡 このような人口減少が起こっている状況で、希望を生み出している5つの地域と協力して「都市と地域の共創関係」を学んでいきます。これからの日本社会のキーポイントとなるのは、いかにして地域の生態系をつくっていくか。生態系を魅力的にするのは、多様性です。
地域共創カレッジは、人口減少に直面していく日本の代表となる都市と地域が手を取り合う場にしたい。そして両者が一緒に未来をつくっていくためのプレイヤーを育てていきたいと思っています。
では、さいごに地域共創カレッジの意気込みをお願いします。
牧 場の雰囲気は、集まったひとで自然と決まります。意欲あるひとが集まると、すてきな場になり学びが生まれる。ぼくは都市にいる方々と、そして連携する地域の方々と共に学んでいきたいと思っています。田舎はまだ、資本主義が足りませんから。というのも、地域で「夢を追いたい」と思っても、働き口が少ないがゆえに個人の夢を叶える場所になるにはまだ難しいんですね。
だからこそ地域で次世代に投資できるくらいのベンチャー企業を育てたい。おもしろいひと、有能なひとを応援できるような地域経済を構築したいんです。地域で何かに挑戦したいというひとにとっては、山や木、ウジ虫まで、何でも資源になるんです。だからぼくらは「あるもの探し」以上に、「挑戦するひと探し」を必死にしています。あわよくばその中で西粟倉村に移住してくれるひとがいるといいですね(笑)。
祁答院 地域共創カレッジという半年間にわたる流動的でチャレンジングな学びの場から、神山町はいい方向へと一歩前進したい。実際に神山町という創造的過疎の町に入って刺激を受けることで、学んだことや経験したことを礎に、本当に地域で活きるモノを生みだしてほしいと思います。
大西 ぼくには、夢がたくさんあります。もともとは学校の教員を13年務めましたが、今、従来のシステムにはない、新しい学校ができる機運が湧いてきました。学校法人角川ドワンゴ学園が立ち上げたN高等学校のおかげですね。通信制高校って何でもできるんですよ。上勝町の学校をフィジーにつくろうという話もある。……これはたとえ話ですよ? でもこんなふうに妄想ができるのは、じつは人口が少ないほうがやれることたくさんあるからです。でも人材が足りていない。
ぼくらが求めているのは、遊牧系と狩猟系の人材です。地域で暮らすひとを種類で表すと、農耕系、遊牧系、狩猟系になるでしょう。過疎地には農耕系のひとしかいないんです。地域に根ざした暮らしをしている人はいるけれど、好奇心や挑戦心が足りない。新しい地域の生態系をつくりたい。だから牧さんと同じように、ぼくも人さらいが仕事です(笑)。
阿部 海士町は10年におよぶ近年の活動で、やっと成果が出てきました。今は町として成熟期です。つまり衰退期を迎える危機感を持っています。現在活躍している町のリーダーたちが、数年後には定年で引退する。そして一次産業の担い手がいなくなる。
そう、海士町では世代交代がキーワードです。持続可能な地域をつくっていくために、今こそ「力」が必要です。海士町が成長期の風に乗ったときのように、もう一度、町に大きな風を起こすための仕組みを構築したい。そのためには狩猟系、遊牧系といった物事を動かす力に長けたひとと協力し合って、地域同士の繋がりで新しい価値を生みたいですね。
小松 現代社会は人口増加を前提に形成されました。しかし今後、人口は確実に減っていきます。そんな状況で新しい社会の形をつくっていくのは、大きなチャレンジです。女川町が大事にし続けたいことは、活動人口を増やすこと。活動人口とは女川という町を使ってくれるひとの数を指します。東京に住み、仕事をしながら女川町と関わることだってできますよね。その結果、移住者が増えるかもしれません。
女川町は、自由な関わり方で町とひとが繫がる地域の未来を想像しています。だから女川町に定住しなくても、起業するひとは誰でも応援します。女川町と繋がってくれるひとを増やし、応援していくことが町の将来を良くしていく。女川町は1,000年に1度の津波を受けて、人口減少を受け入れながら、町づくりをしています。素晴らしい取組みをする地域のみなさんと連携しながらがんばりたいです。
阿部 5地域のリーダーたちだって、今は地域共創カレッジでどんなことができるかわかっていません。ただ、本当にワクワクしています。自分が経験してきた中でも、何かの立ち上げに携われる一期生って、一番楽しいと思うんです。それはなぜかというと、ルールが決まっていないから。みんなで一緒につくっていける、自由にチャレンジできる。
ぼくは、自分や地域の可能性を活かしきるためにできることを、この場で挑戦していきたいと思っています。
信岡 都市的なビジネスセンスで物事を進めつつ、田舎的な人間関係スキルで物事を調整していく力。この両方を持って都市や地域と関われるひとを、地域共創カレッジを通じて増やしていきたいと思っています。
都市で活動しながら地域と関わるキャリアを模索している方、現在の働き方だけではない方法で、社会の課題解決に取り組んでいく働き方を探している方、都市でやる仕事を通じて地域の未来をつくっていきたい方々は、ぜひご参加ください。
- 地域共創カレッジ 企画書 from asunooto
- 申し込みはこちらから:地域共創カレッジ 2016年度 受付開始 | – アスノオト –
お話をうかがったひと
牧 大介(まき だいすけ)
西粟倉・株式会社森の学校ホールディングス 代表取締役
1974年生まれ。京都府宇治市出身。京都大学大学院農学研究科卒業後、民間のシンクタンクを経て2005年に株式会社アミタ持続可能経済研究所の設立に参画。2009年に株式会社西粟倉・森の学校、2015年10月に株式会社森の学校ホールディングスを設立。森林・林業、山村に関わる新規事業の企画・プロデュースなどを各地で手掛けている。
祁答院 弘智(けどういん ひろとも)
神山町・NPO法人グリーンバレー理事
大学卒業後、不動産コンサルタント会社などを経て、2008年、四国のNPO事業や地域活動の企画・プロデュース会社「リレイション」設立。現在、徳島県神山町のNPO法人グリーンバレーが主催する「神山塾」こと(地域滞在型人材研修)や「神山で地球を受継ぐ!」棚田再生事業のほか、行政、各種団体の人材研修やプロジェクトマネジメントほか、四国の暮らし甲斐を語る・くつろぐ・記録するフリーペーパー『KATALOG』の発行などに携わる。
大西 正泰(おおにし まさひろ)
上勝町・一般社団法人ソシオデザイン 代表理事
四国徳島出身。教員→経済産業省・起業支援プロジェクト四国エリア担当→起業→製薬会社→地域再生ビジネスへと移っていった変わり者。現在、葉っぱビジネスで有名になった上勝町で、起業家育成による雇用創出を行う。日替わり店長が行うシェアカフェ、シェアバー、シェアハウス2棟、イタリアンレストラン、フィジー留学、オンライン教育など、シェアオフィスなどをこの4年間でつくり続ける。この間、人口1700人の町で18もの事業が立ち上がり、うち1/3の案件を手掛ける。自生的秩序に基づく起業インフラ整備に力点を置く。池田高校で甲子園に4度、応援団として出場したことが自慢。徳島・香川大非常勤講師など。
小松 洋介(こまつ ようすけ)
女川町・NPO法人アスヘノキボウ 代表理事
1982年7月2日生まれ。仙台市出身。2005年4月―2011年9月まで株式会社リクルート(現リクルートホールディングス)に在籍。ブライダルカンパニーにて、2008年10月青森秋田岩手グループ青森拠点長、2010年4月 北海道グループ札幌リーダーに就く。2011年9月にリクルートを退職し、東日本大震災による宮城県最大の被災地である女川町にて2012年1月、民間団体 女川町復興連絡協議会 戦略室 室長補佐、2013年4月特定非営利活動法人アスヘノキボウ代表理事、2014年4月女川町商工会職員として、まちづくり担当を兼任。国内外と女川を繋ぎ、まちづくり、創業、事業開発、移住、人材育成等に関わっている。
阿部 裕志(あべ ひろし)
海士町・株式会社巡の環 代表取締役
愛媛県生まれ愛知県育ち。京都大学大学院(工学研究科)修了後、トヨタ自動車入社。生産技術エンジニアとして新車種の立ち上げ業務に携わる。しかし現代社会の在り方に疑問を抱き、新しい生き方の確立を目指して入社4年目で退社。2008年1月、「持続可能な未来へ向けて行動する人づくり」を目的に株式会社巡の環を仲間と共に設立。2011年4月より海士町教育委員に就任。大学在学中から自給自足できるようになることを目指し、アウトドアや農業を通して大自然の雄大さ、命のありがたみを学ぶ。海士に来てからは素潜りにハマる。
信岡 良亮(のぶおか りょうすけ)
取締役/メディア事業プロデューサー。株式会社巡の環の取締役。株式会社アスノオト代表取締役CEO。関西で生まれ育ち同志社大学卒業後、東京でITベンチャー企業に就職。Webのディレクターとして働きながら大きすぎる経済の成長の先に幸せな未来があるイメージが湧かなくなり、2007年6月に退社。小さな経済でこそ持続可能な未来が見えるのではないかと、島根県隠岐諸島の中ノ島・海士町という人口2400人弱の島に移住し、2008年に株式会社巡の環を仲間と共に企業。6年半の島生活を経て、地域活性というワードではなく、過疎を地方側だけの問題ではなく全ての繋がりの関係性を良くしていくという次のステップに進むため、2014年5月より東京に活動拠点を移し、都市と農村の新しい関係を模索中。