営みを知る

【1万字の親友対談】バンドを組むように自由に働け!ロスジェネ世代の仕事観|フリーランス・鈴木絵美里 × 高橋奈保子

「フリーランスとして働く」って、一体どんなことなのでしょう?

広い海を一人で泳ぐような、そんなイメージを持っていた私に、「いやいや、そんなことないんだよ」と笑ってくれた女性がふたり。

「バンド仲間を目指したい」
「士気を高め合う仲」
「親友だと思っている」

と語る一方で、「でも、じつは特に友達だとかも、意識してないよね(笑)」とドライに言い捨てます。

1980年、1981年という「ロスト・ジェネレーション世代」の後半に生まれた女性たちが見ている、フリーランスの世界とは。

『灯台もと暮らし』の親友対談連載、初の女性登場です。

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高橋奈保子

1980年生まれ。「greenz.jp」学校・事業部マネージャー、「松陰PLAT」の運営・企画・PRなど。

対談の前に:えみりさんと話するときって鎧を脱ぎたくなるんですよね。あれなんだろうな。今日も話していったらきっとそんなテンションになるはず。言語化苦手な私ですが、がんばります(笑)。

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鈴木絵美里

1981年生まれ。編集執筆・コミュニケーションプランナー。湘南生まれロックンロール育ち。

対談の前に:なおちゃんとはネット上ではすごく喋っているのにリアルの世界でこうしてじっくり話すきっかけがあまりなかったかもしれない。今日はより深めて参りましょう。あ、音楽の付いている記事っていうのに興味があってプレイリストを作ってみました。聴ける環境にある方はぜひ再生しつつ読んでください。

フリーランスのチャットルーム「文字ラジオ」の仲間です

鈴木絵美里さん・高橋奈保子さん

鈴木絵美里(以下、絵美里) やぁやぁ、久しぶり。

高橋奈保子(以下、奈保子) 現実で会うのはちょっと久しぶりかもね。春の「赤坂BLITZ」のライブ以来?

絵美里 そうそう、多分あのライブぶり。

奈保子 まぁ、いつもチャットで話してるから、そんな感じはしないんだけど(笑)。

絵美里 仲間内のフリーランスでつくっているチャットルーム「文字ラジオ」ですよね。

奈保子 そう、フリーランスだけが参加しているチャットでいつも会話してる。私たちだけじゃなくて、たとえばシライジュンイチさんとか、磯木淳寛さんとか。

絵美里 ふと思ったことをぽんっと送って、分かる分かる、とか愚痴を言い合うというだけのチャットグループ……。

奈保子 もちろん情報共有もね。でもあれにかなり救われてるよ。

絵美里 我々のバックグラウンドにはたくさんのひとたちがいてくれる、という事実。

奈保子 「親友対談」ってわくわくするね。ちゃんと話せるかな。

絵美里 いいんじゃないですか、それぞれの持ち場がある働く女性として、わいきゃいと話せたら。

重なる知り合い、重なる領域。近い場所で別々に働く

絵美里 私と奈保ちゃんの出会いについて言うと……正直全然覚えてないですね(笑)。

奈保子 大人が学べる場、旧「green school Tokyo」じゃないかな。同時期に在籍していたわけじゃないけど、多分あの頃から共通の知り合いが多くて。

絵美里 じわりじわりと、ですかね。

奈保子 知り合いも領域も重なっているところが多いけど、まだ一緒に仕事をしたことはないよね。カテゴリとしては、今後一緒に仕事をするべき友達だとは思っているけれど。

鈴木絵美里さん

絵美里 私は今は、編集・ライティングとして表現したり、イベントのディレクションをしたり。つなぐ仕事をしてる。

高橋奈保子さん

奈保子 私は「greenz.jp」のスクール事業の運営や、案件のプロジェクトマネージャー。2016年10月からは、フルタイムスタッフになった。あとは松陰神社前の「松陰PLAT」のPRを手がけてる。この2つの仕事は私の中ですごくバランスがいい。違う回路でものをつくったり、場を考えたりできる、個人的な研究の場にもなっているからありがたいよね。

絵美里 うん、言ってることはすごく分かりますよ。

私は広告代理店、出版社勤務を経てフリーランスに。私の方が半年くらいフリーランスになるのが早くて。

奈保ちゃんは去年の7月までね。

奈保子 すごい堅いところで働いていたので。

出身は武蔵野美術大学。大学職員を5年やって、NPO法人に4年半。その後フリーランスになった。

学生の頃、就職活動はしていて一般企業に内定もいただいていたんですけど、途中で止めちゃったんだよね。当時、「内定取り消し」というのがあって。私もそれに遭って、これはやってらんないぞと。

絵美里 それは、やってらんないですね。

奈保子 もともと、大学の恩師がまちづくり系のワークショップに力を入れているひとで、私もこれを仕事にできないかと思っていて。内定取り消しというきっかけもあって、改めて先生や就職課と相談した。自分が気になるまちづくりや場づくりを置いたまま、このまま社会人にはなれないぞ、と。

振り返ると、私すごい意地っ張りだよね。

絵美里 そうかな。

奈保子 そういえば、私が大学を卒業した時期って2003年頃だったんだけど、新卒を捨ててまで、ふわっとしたソフト的なまちづくりに関わりたいという人なんていなかったんですよ、当時。

今はいろんなインターンもあるし、「NPOグリーンズ」みたいな組織もあるし、それこそフリーランスになるという選択肢もあるけど。

絵美里 新卒もそうだし、私たちの年代って転職を考えるひともそんなに多くなかったよね。

奈保子 実際、一度大きな企業に就職するとそのまま、というひともすごく多い。デザイン事務所とかだと、3年勤めてその後は独立するかどうか、というひとはいたけど、やっぱり稀だった。

そんな中、私はずっと自分の行末が分からなくて。なんとか道を探していかないとな、とずっと思ってた。で、フリーランスになる機会があったわけだけど……最近な気がする。ようやく、次の山を登る準備ができた、という感覚が持てたのは。

絵美里 長かったですねぇ。

奈保子 長かったねぇ。

ロストジェネレーション世代とフリーランス

鈴木絵美里さん・高橋奈保子さん

絵美里 よくそういう話をするよね、私たちは。

奈保ちゃんが1980年生まれで、私が1981年生まれ。最近、なんか1981……82だか83っていう本が出たんだけど。名前が、こう「なんとか世代」と付けられていない世代で、あまり目立つことも、代表者、という人もいなくて。松坂大輔さんくらいですかね(笑)。

でも奈保ちゃんみたいに、ずっと行末を考えているひとも、じつは多い世代。もちろん私もですが。

奈保子 たしか、ロストジェネレーション世代って言われている。

絵美里 ロストジェネレーション世代は長いんですよ。1972年くらいから10年間くらい。私たちはロストジェネレーション世代の最後の方なんですけど。

奈保ちゃん、なんでもっと早くフリーランスにならなかったんですかって聞かれたりする?

奈保子 するかも。

絵美里 私は特に、下の世代の人たちから。そのときいつも「いや当時はそういう選択肢はなかったんだよなぁ」とかって思う。

奈保子 主流ではなかったし、全然。選択肢の中にフリーランスになるということが、あまり入ってこなかった時代だったと思うんだよね。

絵美里 うん。その意味では、奈保ちゃんと同じ1980年生まれの安藤美冬さんはすごいですよね。全然知り合いではないんだけれど。下の世代の子たちもすごいなぁって、いつも思うよ。デジタルネイティブということ以外に何か違いがあるんだろうか。

私は、今ですらフリーランスを辞めようかと考えているのに……!

奈保子 語弊を恐れずに言えばね(笑)。組織で働く自分と、フリーランスとして働く自分とを行ったり来たりできるのが一番いいかもって思う。実際、最近「greenz.jp」のフルタイムスタッフになったことで、それまでの働き方をちょっと変えた。

絵美里 うん、いいと思う。ひとつの理想に近づく行為だよね。

あぁでも、最近さくらインターネットの田中社長が、ちょうどこんなことを言ってるのを聞いて。

「今の若いひとに、『昔は丸一日かけて調べていたことが、今は1秒で分かるようになっていてね』と言っても、全然ピンとこない。『今丸一日かけて調べていることが、もしかしたら20年後には1秒でできるかもしれないよ』と言うと、初めてそうかと想像できる」

それを聞いて、あぁ、そういうことなのかもしれないなと。私たちの時は、ウェブサイトで調べて、このひとに会いに行こうみたいなことがなかった。メールやSNSが発達してきたから、こういうひとが周りにいる、仲間がこの辺にいそうだぞ、ということが仮想空間で可視化されやすくなったよね。

たとえば私たちの大きな共通項であり、奈保ちゃんの主軸となりつつある「greenz.jp」だって、今年で創設10周年を迎えたわけだから、我々が就職活動に勤しんでいた当時は、まだなかった。メディア運営がコミュニティに広がって、生涯教育の場をつくったり、最近ではソーシャルデザインという概念まで発信できるようになったり。

奈保子 時代の流れですかね。

私は「greenz.jp」を立ち上げた、元編集長のブログが当時大好きで。近い世代で、似たようなことをやっているひとがいるという事実にまず感動したし、発信の仕方も学んだ。私も進んでいこうと、勇気をもらえたしね。その後「greenz.jp」ができて、以後ずっと読んでいて。

いつか重なる日が来るだろうなと思ってた。なんとなく確信があって……この数年で、やっと重なった。

絵美里 今やっとそういう風に生きようか、と決めてフリーランスになっている、という流れがあるのかもね。

奈保子 やっぱり、時間がかかったね。もっと早くできるひとも中にはいるのかなと思うけど、今までの過程で感じたこととか、出会ったひとがものすごい財産だから。今はこれで良かったかなと思っている。

絵美里 それも、分かりますよ。

「このまま組織にいるよりも」と思ったあの時

鈴木絵美里さん・高橋奈保子さん

絵美里 我々は、フリーランスになると決めた経緯も少し似ているよね。

私は大学、会社員時代を通して、ずっといろいろと考えていて。それは、社会について、社会貢献についてとか。

組織で働く自分がより豊かに、よりおもしろく働けるようにと思って、フリーペーパー作りや音楽に携わる活動を、個人的にしてた。何年も続けるうちにそれなりにつながりが確立されてきて。

そのうちに、「文字ラジオ」の友人しかり、今バックグラウンドにいてくれているようなひとたちに出会って。その蓄積を見て、これだけあれば大丈夫だ、フリーランスとしてやっていける、と思えたことが、フリーランスになるって決められた背景だったなと思うんですよ。

奈保子 うん。

絵美里 このへんは、以前のもとくらさんの取材で、すでにいろいろ話したのですけれどね。

絵美里 まぁでも、バックグラウンドの諸々を活かすための枠組みとして、果たして会社という枠組みが本当に必要なのであろうかという気持ちも芽生えてた。これは一人でやるほうがよさそうだ、というフェーズに差しかかかった、という感じ。外に出て、その後自分がもといた組織に何か還元できたら、それがいいなというか。

だから、この1年間はめちゃくちゃいろんなことをしてみたよね。フリーランスになったから、営業をたくさんかけて、仕事をとってくるのに必死になったというよりは、今までのつながりの中で話をいただいて、自分と周りのひとの可能性を試す感じの仕事の進め方。

奈保子 絵美里ちゃんはそうだね。

私の場合は、割とカチっとした組織に長いこといたから。昔は何をやるにも、承認を得るまでに時間を要したんですよね。だから、絵美里ちゃんと同じように個人活動をする中で、せっかく横のつながりができても組織の中ではなかなか活かしづらかった。

自分が学んだことや、新しく繋がってきたひとたち、違う場所で頑張っているひとたちをつなげていくのが、社会人である自分、そして組織にいる自分ができることのひとつだなと思っていたのね。でも、それが上手くできないと痛感した出来事があって。その絶望感が結構大きかった。

それは仕組みを変えるという組織改革というよりも、ただ単に組織内のコミュニケーションの問題でもあったりして、私はそれに生涯をかけて取り組むのか? という疑問もあってさ。

絵美里 30代を費やしていいのか、とかもね。

奈保子 考えた。

そんな時に、「greenz.jp」の学校をもっと活性化させていきたいという話を聞いて。「じゃあ、私それフリーランスになってやります!」と。タイミング良く、良い話に巡り会えた、という感じだったから……フリーランスになることも含めて、その先のことは全然何も考えてなかったなぁ。

絵美里 私も奈保ちゃんも、自分が動くことでちょっとでもつなぎ目をつくる、みたいなことをやっているんだろうなと。そういうのが根源的には同じだから、いろんなところに顔を出すし、そして共通の知り合いもいっぱいできていくのかな。

フリーランスの「エモ」と「非エモ」

奈保子 ……こんな感じで、似ていることも、共感できるところも多い。でも、じつはそんなに友達だなんて思ってないよね(笑)。

鈴木絵美里さん・高橋奈保子さん

絵美里 あぁ、はい。友達はそんな要らないよ、みたいな話ばっかりしてましたね、去年の秋頃。

奈保子 いいひとそうにしていると疲れるんだなぁ、と思うタイミングがすごく同じで。

絵美里 誰か嫌いとか、何か嫌なことを言われたとか、具体的にこれ! というエピソードがあるわけでは全然ないんですけどね。それこそ「文字ラジオ」で「友達なんか要らない」って投げたら、「そうそう分かる」みたいな感じで答えが返ってきて。

それはきっと、リアルで会って言ってないから。ちょうど良いという距離感なんです。たぶん、実際に会って顔を見て言っていたらその関係性すら嫌になると思う。いいね!を押す、もう少し濃い版みたいなことを、チャットでやっている感じかな。

奈保子 私はもともと、すごくエモーショナルなひとなんですけど。

絵美里 あははは(笑)。

奈保子 やけに笑ってるね(笑)。

絵美里 いや、今の超面白いなと思って。「私、エモーショナルなひとなんですけど」って、なんだそれ! 最高すぎる。どういうことですか。

鈴木絵美里さん・高橋奈保子さん

奈保子 自分が大事だなと思うひとたちに対しては、とことん大事にしたいって思うし、実践するんだけど、それが自分のエゴになっちゃう瞬間というか入り込み方が、必ずあって。それは、会って話す、メールで会話するというツール問わず。そこまで踏み込んじゃうと相手にとって良くないって思うことが、すごくある。

フリーになってから特に気にするようになったんだ。無意識だけど。

絵美里 はいはい。

奈保子 だから、「エモ」と「非エモ」の間を頑張って意識的につくってる。分かる?

絵美里 うん、我々は頑張ってつくってるんですよ。ケアというか、ひとのことを自分のことのように考えすぎちゃうきらいがある。でも一方で、そんなに考えられないよねってこともどこかで分かってるから。

奈保子 せやねん。

一緒に働くひとと、比喩としてのバンドを組みたい

裏路地

奈保子 だからそれが、自分たちが共感を覚える「バンドというあり方」に還元されていて。同一視するんだよね。

絵美里 バンドはもちろん、芸術作品一般も含んでね。

奈保子 一個の目標や、大事な価値観を仕事で形にしていく時、一緒に仕事をする相手って、ずっとなんて表現したらいいか分からなかったんだよ。家族や友達とは違うし。でも仕事相手って線を引こうにも引きづらいというか。プライベートのこともちょこちょこ話して知っていたりして……。

何だろう? と考えたら、やっぱりバンドだなと。

絵美里 同僚をバンドとして捉えられると良いなって思ったんですよね。

奈保子 そうすると、自分のモチベーションも上がる(笑)。

絵美里 我々は昔から音楽が好きで。奈保ちゃんはもともとヴィジュアル系バンドの追っかけだし、私は今も音楽関係の仕事をしている。

仕事仲間をバンド仲間に見立てると、自分自身をプレイヤーとして磨かなくては、という気持ちと、いやここはすり合わせて共につくる場所だ、という気持ちに分かれていく。だから、そういうことを踏まえつつ考えると、我々が目指したいのは、一人ソングライターがいて、そのひとのためにめっちゃ頑張る……というバンドではなく、みんなで曲をつくるタイプのものだね。

奈保子 良い演奏をするのが目的。それがその場限りでもいいし、全国ツアーになってもいいし。

何かを一緒につくらないといけない共同体って、嫌なことでも言わなきゃいけない時とか、向き合わなきゃいけない時が必ず出てくるんですよ。それがきちんとできないとだめ。大事だからこそ、言わないと。

そういうのを、フリーランスになってからのこの1年と少し、私たちはすごく考えてきた。そして私は、実践に向けて頑張ろうとしています(笑)。

絵美里 どう向き合うかみたいなのを、すごい話してましたね。

奈保子 そして、それはこの10年くらいの蓄積かもしれないと。

絵美里 そうですね。大人になって、働き始めてからの……一旦、総決算! みたいな時期だったから。

組織を離れて一人になると、時間とは有限であるとも気が付くよね。その中で、優先順位を決めなければと思うようになる。今までよりも、より鮮明に。

奈保子 それは優先順位の高いものだけを大切にするということとは、また別なんだけど。そういうことを常にフリーランスは考えなきゃいけない。

絵美里 その立場や想いを共有できる仲間がいるというのは、本当に心強いし、ありがたいことだなって思ってたよ。もちろん奈保ちゃん以外にもね。

使命を抱えジャンルを超えて、境界線をなくしていこう

鈴木絵美里さん・高橋奈保子さん

絵美里 仲良い時期があるかもしれないし、離れる時期があるかもしれないねっていうことを、分かり合えるひとが親友だなって思うんですよね。

深夜に突如YouTubeを無言で送りつけてもOKみたいな(笑)。

奈保子 で、無言で流し返すみたいな(笑)。

絵美里 そう、流し返す。曲とか。ライブとか。

奈保子 「赤坂BLITZ」が我々にとって思い出深い場所で、今回も対談の場所に選んだっていうのは、春に「Music / Art / Tokyo」というアートフェスがあって、それに感銘を受けたからだよね。

絵美里 「[Alexandros]」「Crossfaith」「Suchmos」。ジャンルも客層も目指す音楽も全然違うひとたちが、自分たちのやり方を貫きつつ対バンする、みたいなアート系のイベントで、おもしろかったんですよね。

奈保子 超おもしろかった。大好きなバンドがジャンルを超えて、みーんな出ていたからうれしいというよりは、こういうことを彼らがやるんだったら、我々ももっと頑張れよ! みたいな気分になったのね。

絵美里 ジャンルと場所が決まると、大概「来るひと」って限定されちゃうんですよね、どうしても。音楽やアートはその傾向が顕著なんだけど。

奈保子 その垣根を超えて活動しているひと見ると、すごく刺激される。似たようなことを考えながら、自分の音楽や、自分の場所で頑張ってるひとたちがいるのを見るのが、私はすごく好き。私は私で、同じように自分で頑張ろうって思えるしね。

やっぱ、目指すはバンドですよ。

絵美里 我々、ジャンルを超えるということががキーワードかもしれないですね。

奈保子 境界線をなくしていく。

鈴木絵美里さん・高橋奈保子さん

絵美里 自分の中では、いかに多様なバックグラウンドを持つひとたちと触れ合えるかっていうのが大事。ジャンルを超え続けていたら、いつか新しいジャンルをつくることもできるかもしれないしね。

いろんな垣根を超えて、しかもそのどこのジャンルのひととも話せる、みたいなのを目指すの。どうですか、じつは私はそれを目標にしてて。

奈保子 分かる。特に絵美里ちゃんはずっとそう言ってるよね。

絵美里 「サカナクション」の山口一郎さんが同じようなこと言っててさ、って話したことあるっけ?

奈保子 あー、言ってた。うん。

絵美里 山口一郎さんも、1980年生まれなんですよ。

「我々の世代はメジャーもインディーズも、どちらもいる。最近僕が思ってるのは、自分の前には真っ直ぐな白線がずっとあって、自分はマジョリティとマイノリティをまたぐ、どっち側にも足をつけている。そして、その重心を時に変えるだけ。そのバランスをどちらも楽しみながらやってるっていう感じがすごくしている。自分たちはその通訳者になれる世代だと思う」

みたいなことを今年、ライブ見に行った時に言ってたのです。その時、あーそうそうこれこれ! とすごく思って。我々はきっとそういう世代なのだと考えて、たぶん奈保ちゃんに話した。もちろんチャットで(笑)。

奈保子 覚えてるよ。どこに軸足を置くか。両足をどこにつけて歩くか、かぁ。

うーん。私、作り上げるものは美しくあってほしいんです。

絵美里 出た、奈保ちゃんのそれ。すごく抽象的な話だけどね。

奈保子 美意識がないものって悪じゃないですか。こちとら美大出身じゃ! ってわけではないんですが、やっぱり美大で学んだものが根本にある。誰かに提供できる価値の一番大事なところって美しさだと思う。見た目もあるし、哲学的な部分もあるし、“そのひと”が出てくると思うの。今の世の中、それが出てこないものが多すぎるっていうか。

単純に、話してて浅いとか、嘘ついているとかっていうのがすごく嫌いなんです。だったら、時間かかってでもいいから、突き詰められる場所とか、一緒に突き詰められる仲間をつくった方が、長い目で見たら早いなって。

高橋奈保子さん

奈保子 それをつくれる世代、ポジションが20代、40代の間にいる私たち。確証はないけれど、そういう意識は強い。自分たちだけの課題じゃないぞっていう感じはある。

なんなんだろうね、この使命感みたいなものは。

絵美里 なんかいろいろ見えてきたところなんでしょうね。私はネットがない時代と、ネットのある時代にまたがってるなっていう感じがすごいしますけどね。

だから、混ぜ合うみたいなところは、今の時代を生きる我々世代の役割なのかもしれないですね。実際に仕事で、それをやってくださいと言われたこともある。

でも、別に「じゃあ混ぜていくメディアをつくりますか」とかそういうことじゃないんです。ただ、答えはまだない。理想の在り方を考えながら行動しているって感じかな。

奈保子 ずっと挑戦してる感じがする。

絵美里 たぶん、まだこの挑戦は続くんじゃないかと。でも、本当に奈保ちゃんが言ったみたいに、やっとこれから、山が登れるような感覚は私もあるよ。

親友よ、40代になっても突っ張ってゆこう

絵美里 奈保ちゃん変わったね。出会った当初は、もっと「誰にも優しい高橋さん」みたいな感じだったよ。随分変わったなって、今日話をしていて思いました。

鈴木絵美里さん

奈保子 それはうれしい。絵美里ちゃんも、出会った時とはちょっと違うよ。「求められる絵美里さん」じゃないっていうか。

絵美里 それはいいですね。

高橋奈保子さん

奈保子 余談だけど、私、強がってたいんだよね、どこかで。「自然体である私、最高!」みたいな風潮が大っ嫌いで。人生で、頑張らないといけない時って必ずあって、それが本当に今だなと思うの。

自然な時ももちろんあるけれども、突っ張っていないと、この先つくれないものや追いつけないひとや、ことが出てくるはず。というか、出てきた。

その波に、40歳になる前に出会えたことは幸せだなと思うんだよね。突っ張ってたいんですよ。だから「Ken Yokoyama」。

絵美里 そうなんですよねー。

奈保子 私たちが好きなバンドって、年齢でいえば自分たちよりも10歳くらい上で、40代半ばでも最前線でカッコつけてる大人たちが多い。「Hi-STANDARD」とか、「LUNA SEA」のJさんとかね。

私たちも、そうやって生きていきたい。ね、そういえばさ、40歳までにしたいことってある?

鈴木絵美里さん・高橋奈保子さん

絵美里 40歳まで。そういう意味では、私は全然先のことを見てないんですよ。あるっちゃあるんだけど、本当かなとか思うし。ざっくり言うと、外国に住みたい。もっとサーフィンをするとか、健康を気にして漢方の勉強をするとか。

奈保子 健康、大事。

絵美里 我々、健康の話もよくするね。若くて力づくでもなんかできるみたいな時期ではなくなってきたので。

奈保子 そこはしたたかな感じで。

絵美里 持続可能な身体をつくるということに、興味があります。

奈保子 あるね。持続可能な身体をつくる、外国に住む、サーフィンをする、漢方を学ぶ。

絵美里 奈保さんはどうですか? 40歳までに何か。

奈保子 なんだろう。持続可能な身体は確かにそう。あとは、地域に住んでみたいなと。出身が千葉で、現状、東京の仕事が多いんだけど。友達が島根県海士町にいたりして、いいなぁとか。

でも、私東京のことは好きなんだよね。シティが好き。

絵美里 分かる。シティの速さが好きです。

奈保子 集中していないといけない感じが良いんだよね。

絵美里 振り落とされちゃうような感覚。

奈保子 みんな頑張ってる感じが良い。

絵美里 私も頑張ろうって思える。

企業に戻るも東京に住むも、分からないけれど。いろんな境界線をなくして、行ったり来たりできたらいいですよね。フリーランスという働き方も、あり方のひとつでしかないっていうか。ソロ活動みたいな感じです。

奈保子 またバンドの話(笑)。

絵美里 ソロでもたまに活動しますよ、みたいにできると一番良いんですけどね。ソロでバンド編成もある、時折サポートの人をつける。

奈保子 やっぱりバンドだ。フリーランスって、バンド。

なんだろう。私たち、いつもこんな話をしながら、ふたりで何やってるんだろう。

絵美里 士気を高めてる。

奈保子 士気を高めてるんですか、ふたりで。

絵美里 そう。我々、親友同士で士気を高めあってるんですよ、きっと。

これからもずっと、そうありたいじゃないですか。

お話をうかがった人

鈴木絵美里さん・高橋奈保子さん

鈴木 絵美里(すずき えみり)
ディレクター・編集者として広告代理店、出版社にて10年間の勤務の後、独立。現在はWEB、紙、イベントを軸としたコンテンツのディレクションおよび執筆に携わる。「自由大学」キュレーター。音楽、映画などのカルチャー全般や、アウトドア・旅好き。主な生息領域はインドアとアウトドア、オタクとミーハー、ブンカケイと体育会系の狭間、です。
公式サイト:Emiri Suzuki
Twitter:@emr_81

高橋 奈保子(たかはし なおこ)
「greenz.jp」学校・事業部マネージャー。大学研究室・NPO勤務ののちフリーランス。人が学んだり、何かをつくっているときの横顔が、世界で一番美しいと思ってます。美しい顔でいられる場をつくり続けたい。趣味はライブに行くこと、イラストを描くこと。ミーハーインドア系。
*2016年10月より「NPOグリーンズ」のフルタイムスタッフ
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まなぶ × つくる × かんがえる「グリーンズの学校」公式サイトはこちら

■お知らせ

「BASEMENT SESSION AUTUMN」開催!/DAY EVENT 18:30〜21:40

2016年11月17日(木)毎度企画で関わっているセッションライブを表参道WALL&WALLにて開催します。(※なぜか今回の写真で奈保子さんがTシャツを着てくれていますが)
スペシャルなメンバーが揃っていますので音楽好きな方は是非!

表参道WALL&WALL
画像引用:表参道WALL&WALL

鈴木絵美里さん・高橋奈保子さん

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伊佐 知美

旅するエッセイスト、フォトグラファー。1986年生まれ、新潟県出身。世界中を旅しながら取材・執筆・撮影をしています。→ さらに詳しく見る

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