パートナーとの会話に、いつしか「子ども」という言葉が登場するようになりました。
昨年からドイツで暮らすぼくは今、人生ではじめて子どものいる家庭、そして「子育て」に目を向けています。
ただ、考えるほど、不安も湧き上がってきます。
自分たちは、子育てしながら暮らしていけるか。仕事と両立できるのか。育児と仕事で疲れ、追い込まれはしないか。
ですから、聞きたいと思いました。
「子と親にとって、理想の環境ってなんですか?」と。
子育てについて、今回お話を伺ったのは、このおふたりです。
よしだすすむ
「字と図」の「図」。グラフィックデザイナー/アートディレクター。1976年生まれ。パートナーである千枝子さんの第2子の妊娠・出産を機に2013年に十和田市へ移住。市内唯一の酒蔵「鳩正宗」に2年間勤務したのち、退職。夫婦でデザイン事務所「字と図」として活動中。民藝店で郵便局を併設しているギャラリー「くとうてん」店主。十和田市現代美術館や青森県立美術館、くとうてんなどで自他作品を発表している。
参考:【青森県十和田市】夫婦ユニット「字と図」がつくる子育てを中心にした暮らし
高田ゲンキ
ベルリン在住のイラストレーター/漫画家。1976年生、神奈川出身。2004年にフリーランスとして活動開始。以来、フルデジタルの制作環境を活かして場所や業界慣習に囚われない自由なワークスタイルを確立。2012年に夫婦でドイツ移住、2019年末に永住権を取得。一児の父。著書に『世界一やさしい フリーランスの教科書 1年生』、『【マンガ】フリーランスで行こう! 会社に頼らない、新しい「働き方」』がある。
※この記事は、10名の参加者とともに開催したオンライン対談を編集したものです。
参考:【公開対談】11月18日(月)19時 – 子と親にとって、理想の環境ってなんだろう?
青森で出産し、子育てする理由
よしだすすむ(以下、よしだ) 僕は青森に来て7年になるんですけど、ちょうどここに来る前にゲンキさんとやりとりしてるんですよね。
高田ゲンキ(以下、ゲンキ) そうそう。あれは何がきっかけでしたっけ?
よしだ あれはねぇ、Facebookを見ていたら、「知り合いかも?」っていうのが出てくるんですよね。
ゲンキ あぁ、友だちのレコメンドですね。
よしだ ちょうどその時、ぼくは海外に移住しようか迷っていたんです。その一つの候補としてドイツがあった。
ゲンキさんがドイツに移住する話をしていたので、共通の友だちもいっぱいいるし、ちょうどいいなぁと思って連絡させてもらったんです。
ゲンキ 当時のインパクトがめちゃくちゃ強かったから、青森というと、よしださんの顔が浮かぶんですよ。
よしだ 当時ぼくは東京で仕事をしていて家も買っちゃったんです。35年ローンで(笑)。
自分でデザイン会社を経営していたので、本当だったらこのまま東京にずっと住んで、子育てもして、年老いていくのかなと思っていたんですけども。
これがですね、ちょうどお家を建てた一年後に東日本大震災が起こったんです。
当時、長女は1歳。原発がどうなるかわからなかったから、心配だったんですよね。
あとで笑い話になってもいいから、本気で子どもを疎開させようと思った。ゲンキさんと話したあと、じつは妻と長女のふたりで沖縄に移住しています。
そのあとご縁があって、鹿児島、カナダと合わせて1年半くらい、家族と別々に住むことになっちゃいました。
カナダから東京に帰ってきて間もないタイミングで、妻が第二子を妊娠しまして。里帰り出産をしようと妻の実家がある青森に行ったんですよ。
結果的に、移住した直後にふたりめの子が亡くなってしまいました。これはもう、残念でした。家族はどん底に落ちたわけですが、なんと三人めの子が二人めとおなじ誕生日に生まれてきたの。
そういうミラクルがあって、今はハッピーな生活を送っています。息子はたぶんゲンキさんのお子さんと、同い年かな。
ゲンキ 息子は3歳になったばっかりですね。
なぜドイツで出産したのか?
── よしださんは震災と事故があって、流れ着くようにして十和田で出産と子育てが始まったんですね。ゲンキさんは、日本での出産を考えなかったんですか?
ゲンキ 選択肢にはあったんですけど、ドイツがいいなと思っていて。
ふたつ理由があります。ひとつめは、妊娠期の妻はお腹が大きいし、荷造りして日本に帰るだけで大変だったこと。
ふたつめは、4年間もこっちに住んでいたせいか、ベルリンの生活のほうが慣れている感覚だったんですよ。日本は親のサポートを受けられるし、医療もいいなという気持ちもあったんだけど。
── 出産環境は日本とドイツに違いがあると思うのですが、実際にはどんなことを感じましたか?
ゲンキ ドイツは無痛分娩が一般的で、設備も整っているんです。
今の日本でそれができないわけではないけど、「痛いけどさ、お腹を痛めて産まないとダメだ」と言う方がいたりする。社会の認識がちょっと違うかな。
それから生まれてからはじめの一か月は、「へバメ」(Hebamme)(*1)という新生児の赤ちゃんをケアしてくれる方が家に来てくれます。
(*1)ヘバメとは日本語の「助産師」に当たり、出産後の家庭訪問サポートのほか、出産立会い、妊娠期の身体的不安やパートナーとの関係構築といった相談、妊婦・産後女性を健康へ導くアクティビティー等を行い、育児のサポートをする。サポートは公的健康保険適用のため、自己負担額はゼロ。
参考:保険適用のありがたい存在「へバメ」とは? “赤ちゃんのプロ”が身近にいる安心感
彼らは家庭に訪問して赤ちゃんの体重を測ってくれたり、世話の仕方を教えてくれたり、育児のサポートをしてくれるんですよ。
日本では入院している間にケアの仕方を教えてもらえる機会があるので、ただ形が違うだけでまったくないわけではないんだけど、考え方や仕組みの違いを比較したときにドイツがいいなと。
── ドイツでの出産はハードルが高くなりませんか?
ゲンキ 日本語で受診可能な産院があるデュッセルドルフに住むことも視野に入れたんです。出産する前後だけね。
産院はなかなか予約が取れないこともあるんですが、運良く希望していた産院に受け入れてもらえて、ベルリンで出産することができました。
ベルリンの保育園は激戦です。「順番待ちの名簿リストに一年前から予約しないと入園できない」と言われるくらい、東京以上に待機児童問題が深刻なんですけども。
我が家は息子が0歳の時の育児が本当に大変だったので、保育園のことまで考える余裕が全然なくて、息子が1歳になった頃に慌てて保育園探しを始めたんです。
数ヶ月かかってもいいから、まずはリストに載せてもらって……と考えていたけどそれも甘くて。
保育園に連絡したら「再来年まで名簿リストが埋まっているから載せることができない」と言うところも多く、かなり焦りました。
それでも諦めずに数十件の保育園に連絡し続けたら、探し始めて10ヶ月ほど経った頃に希望していた保育園から突然「空きが出たから来月から入園できるよ」と連絡が来たんです。
これは信じられないほど嬉しかったですね。
それが一昨年の9月のことで、それから年末までは慣らし保育が大変だったんですけど、昨年からは息子がずいぶん保育園を好きになってくれました。
1日に最低6回、多いときは10回以上散歩する
よしだ ゲンキさんに、ちょっと質問があるの。ドイツ語を喋れると、シッターさんに家に来てもらったりすることはないんですか?
ゲンキ 子どもが2歳くらいまでいろいろ大変だったので、それこそ保育園を探していた時期にはよく利用していましたね。
うちの場合息子は生後1〜2ヶ月まではものすごく順調だったんだけど、生後3ヶ月くらいから母乳を飲むと吐き戻しちゃうことが多くなって。
飲むと吐く、ということを覚えて、母乳を拒絶するようになってしまって、口に何も入れたがらない。
お腹がすくからまた泣いて、あげてを繰り返すけど、お母さんが1日にあげられる母乳の量には限界がある。粉ミルクは嫌がって飲まなかったりね。
全然飲んでくれずに体重が減り始めて、「これじゃあ困る」とお医者さんからも言われる。
苦肉の策として思いついたのが、眠っている状態で授乳してもらうこと。
僕が抱っこひもで抱っこして外を散歩すると、息子はウトウトしだして寝るんですよ。寝ると拒絶することを忘れて、母乳を飲むんです。
それでも寝たまま吐くこともあったんだけど、吐かないときもあるから、だましだまし母乳を与える戦法を見出して。
── 一日にどれくらい散歩したんですか?
ゲンキ 毎日息子が寝るまで歩かなきゃならないので、散歩は短ければ30分で、長ければ1時間。1日に最低6回とか、多いときは10回以上家の周りを散歩する。そうするともう仕事にならなくて(笑)。
1歳を過ぎて離乳食が始まってからもそんな調子であまり食べないから、体重が増えない。それが2歳過ぎまで続いたんです……。
最近になってやっと偏食気味であるけど、息子が食べてくれるようになりまして、発育と発達が追いついてきました。
あぁ、よかったねと、本当にこの一年でずいぶん楽になって、安心してきてる。
よしだ この頃は本当に大変ですよね。何が起こるかわからないし。
多様性のある環境に憧れてきた
── 海外で子育てというと、困った時にいっそう不安になりやすいと思うんです。そうであっても子育ての環境として、ベルリンを選んだのはなぜですか?
ゲンキ どうしてベルリンなのかというと、いちばんの理由は多様性なんです。
ベルリンは世界中から人が集まってきていて、ベルリンだけはドイツでありながらドイツではないと言われています。
いろんなおもしろいものが集まってきている場所。クリエイターもいるし、スタートアップ企業もあるし、仕事を求めてただ来る人もいる。
もちろんドイツだから保育園に行っても、ドイツ人の子どもたちが多いです。
だけど肌の色も言語もバラバラだし、中国語を喋ったり、英語を喋ったりで、もう本当にごちゃごちゃです。
僕はそういう多様性のある環境にずっと憧れてきたんです。自分自身はそれを望みながらも、日本のなかで育ってきましたから。
── 多様性のある環境に憧れたのはなぜですか?
ゲンキ 日本の幼稚園とか小学校、中学校、高校と、いじめに遭ったんですよ。
僕はめちゃポジティブなので乗り越えられましたけど、それは少し心が弱い人だったら、本当に自殺してもおかしくないようなレベルのものもあって。
当時を振り返ると、いじめられた大きな理由は日本の多様性がなさすぎることだなと。
日本にいると、ぼくはちょっと変な人なんです。空気を読めないというか、バランスが違う。
日本人は良くも悪くも均質的で、みんなが似すぎている。アベレージが近いから、ちょっと頭がでたり、ちょっと劣っていたりする人って目立ちます。
僕の場合、平均よりもいいこともそうでないことも極端なんですよ。
日本はすごく好きなところとすごく嫌いなところがあるんだけど、嫌いという意味では、ちょっと異質な人を村八分にするところ。
村八分にするだけならいいんだけど、わざわざ人をあげつらったり、いじめたりするところがありますよね。
ベルリンではみんなが違う。僕は顔がアジア人だから少数派で目立つこともあるけど、キャラクターとしてはまともすぎてつまらない人間に属している。もっと変な人がめっちゃいっぱいいるんです。
僕なんかは馴染みすぎちゃってます。逆にちょっと変わっていると、ここではおもしろがってくれたり、尊重してくれます。
── それは子育てする環境とどう関係するんですか?
ゲンキ 子どものことを考えるときに、僕は遺伝という要素にすごく関心があるんですよ。
子どもはぼくに似る可能性がものすごく高いわけだから、相対的にいえば、僕の子どもは均一的な環境には馴染めない可能性が高い。
もしそうなった時に、子どもが自分を変えるか、環境を変えるか、どちらが生きやすいかというと環境のほうが変えやすいですよね。
多様性のある場所に行きたいと思い出したのは、遺伝に興味を持ち出してからですね。
妻にとって空気みたいな人がいる環境で子育てする
── 多様性のある環境が子どもには必要だ、という論点に関してよしださんはどう思いますか?
よしだ 対照的な話をすると、ぼくは妻の実家に住んでいるんですよ。いわゆるサザエさん一家の、マスオさんみたいな存在なんですけども。
妻のおばあちゃんもご健在で、お母さん、お父さんと一つのお家に七人で住んでいるんです。
でね、妻の実家に行くほうが、子育てが相当楽になると思うんですよ。僕はこれを声を大にして言いたい。
妻にしてみたら、実家の家族は空気みたいな人たちですから。気負いがない。
まず、子どもの柱は妻になると思うんです。だから子どもが小さいときこそ、精神状態も含めて妻が大事。妻が円満でいられるようにするには、これはすごくいい方法だと思うんです。
ゲンキ それはよしださんがどこでも仕事ができるから、やりやすいとも言えますよね。会社員で勤務地が実家と離れていると、やりづらいかもしれない。
子どもが生まれる前にそういう仕事を選んで、キャリアを積んで準備をしてきたからできていることなのかなと。
よしだ たしかに、たしかに。ぼくはずっとデザインの仕事をやってきたんです。
けど青森に来た時にね、「よしだくんがやるような仕事はない」って先輩移住者とかに言われてしまって。じゃあ一旦デザインをやめちゃおうかなと、酒蔵に勤めましたよ。
ゲンキ あぁ、そうだ。新聞にも取り上げられてましたよね。
よしだ そうそう、新聞にも取りあげられるくらい、地元で稀有なことだったんですよ(笑)。
普通はそこまでやらないですよ。僕の場合、子どもを亡くした経験があって、子どもを第一優先で考えるように脳ができちゃってるわけです。
それまでは仕事でしたよ。本当にもう、仕事に命を賭けていた。だけど会社も全てビジネスパートナーに渡して、何もない状態で移住してゼロから始めたのが36歳。
ゲンキ 一緒ですよ、本当に。僕もベルリンに移住したのは36歳。むちゃくちゃ共通点、ありますね。
よしだ 男の人はちょうどそのくらいに、これまでと同じことを本当に続けていていいのかなあ?って考える時期ですよね。
ゲンキ いやぁ、本当にそうですね。
よしだ いざやってみると、結局デザインの仕事に戻っちゃったんだけど。一つの仕事をしたら次の仕事が来るんです。ラッキーだったのかもしれないなぁ。
子と親にとって理想の環境ってなんだろうか?
おふたりの考えを聞いてみると、共通する起点はやはり子どものためでした。しかし、その環境のつくり方には違いがあります。高田さんが重きをおいたのは、遺伝的な側面から、多様なひとが暮らし、多様な文化が交差する場所。よしださんは、パートナーとの関係性を重視して環境を選んでいます。前編のお話のなかでも僕が心から共鳴したことは、親になりうる自分たち自身が円満に過ごしている姿を想像する必要性です。
では。少し先の未来に、小さな子どもがいるとするなら。あなたが満ち足りた気持ちで過ごしているのは、どんな家庭でしょうか?
──この対談は後編に続きます。
文・写真 / 小松﨑拓郎