「宗平さんは経営者としてすごく視点が柔軟で、発想が豊かですよね」

これは僕が取材の最後に、松崎煎餅の8代目・松崎宗平さんに投げかけた言葉です。

宗平さんは「好きなひとがいっぱいいるからだと思います。僕は、周りにいるひとのことみんなカッコいいなと思うんです。『このひとみたいになりたい』と思えるひとがいろんな場所にいるんですけど、特にこの町にはたくさんいますよ」と教えてくれました。

松崎煎餅 松陰神社前店の外観

松崎煎餅の内観

宗平さんにお話をうかがっていると「俺にはこういうこだわりがある」という考え方ではないことがよくわかります。様々な視点を交えて、柔軟に考え、実行に移しているんだと感じられます。

松崎煎餅は1804年から200年以上続いてきたブランド。歴史ある大きな看板を背負いながらも、気負うことなく、周りの仲間からの影響を受け入れ、ご縁を紡ぎ、松陰神社前というお店を出すのにぴったりの物件に出会います。

200年続いてきたブランドへの想い、現在の松陰神社前の店舗を見つけるまでのストーリーや、お店の「地域密着・原点回帰」というテーマ、そして何よりこれから先の200年について掘り下げます。

宗平さんへの10の質問

  1. MOMOEさんがランチをプロデュースしているのはなぜ
  2. 1804年から続く松崎煎餅の歴史とは
  3. 現在の松崎煎餅の看板商品は「瓦煎餅」
  4. 実際に割合としても瓦煎餅がだんだん売れてきたの?
  5. 瓦煎餅が売れるようになったきっかけは
  6. なぜサンリオの瓦煎餅をつくったのか
  7. お店をつくることになった経緯は
  8. 物件はどのように探したの?
  9. 松陰神社前店のテーマを「地域密着・原点回帰」にした理由は
  10. 松陰神社前店の将来像は?なぜ店内にスロープがあるの?

(1)MOMOEさんがランチをプロデュースしているのはなぜ?

松崎宗平さん
松崎宗平さん

(以下、松崎宗平)

稲垣さん、さっきまで来てましたよ(笑)。MOMOEの代表の稲垣さんは、僕の妻ともともと友人で、パーティーで会ったりしていて。そのつながりで今いろいろお願いしているんですよ。

もともと松崎煎餅で路面店をやるにあたって、松陰神社前は子どもの多い町なので、最初はお子さまランチを出そうかとか考えていたんです。子どもは野菜ぎらいって言うけど、本当にいい野菜を食べられたら何か発見があるんじゃないかなと考えていたら、MOMOEの名前が頭に浮かんだんです。

この物件を紹介してくれたのも僕の遊び仲間だし、一緒にここをつくった設計も小学校の同級生だし。知り合いばっかりです。縁をつなげて仕事をしているので、なかったらその縁を探すっていうやり方で仕事をしています(笑)。

(2)1804年から続く松崎煎餅の歴史とは

宗平さん2

創業の1804年から順に説明すると、まず芝魚籃坂(しばのぎょらんざか・現在の白金高輪近くにある)からスタートして150年くらい前に、銀座に移ってきました。関東大震災と、戦災と、あと明治時代には「明治の大火」と呼ばれる大きな火事があったんですね。その3つとも松崎煎餅は被害を受けていて、毎回焼けてしまっているんです。

だから、うちには詳細な記録が残っていなくて、じつはあまり歴史としてお伝えできることって少ないんです。これは歴史をお話するときにいつも最初にお伝えするんですけど、松崎家の中で、口頭で聞いていることで、どこか事実と違うことがあるかもしれないことは、ご了承ください(笑)。

1804年当時は、「煎餅」と言えば小麦の煎餅だったそうなんです。いわゆる瓦煎餅。瓦煎餅のルーツは京都とか関西のほうだとされているので、修行して、江戸に出てきたんだろうという話は祖母からも父からも聞いてます。

もともと最初、魚籃坂に創業したときは、小麦を使った煎餅とお饅頭をやっていました。今は煎餅屋というとどうしてもお米でつくられた煎餅が思い浮かぶと思うんですけど、お米を使い始めたのはあとになってからです。

(3)現在の松崎煎餅の看板商品は「瓦煎餅」?

瓦煎餅

うちの社長、つまり僕の父が、いま64歳なんですけど。父が松崎煎餅に入ったときのイメージって、お煎餅屋さんとしてすごく売れるのは、米でつくる草加煎餅だったんですね。東京駅でも「草加煎餅」と名前が付いていれば売れるような時代だったし、うちもやはりそういう煎餅を売っていました。

僕個人としてはもともと大学を出る前からグラフィックデザインの仕事をアルバイトでしていて。FLASHというウェブサイト上のアニメーションをつくるスキルを持っていたので、アルバイトで入ったITベンチャーに声をかけてもらって、正社員になりました。若い会社なので、役職に就くのも早くて、あまり長くいるとみんなに迷惑がかかる、さすがにこれは辞められなくなるなと思って、松崎煎餅に入ったのが10年くらい前のことです。

その10年前の時点では看板商品は「草加煎餅です」と説明していました。でも、もっと昔からやっているもの(瓦煎餅)を大切にしたいよね?という気持ちが僕の中にはあったし、同じ気持ちの店長もいたんですよ。最初は決して大号令をかけたわけではないんですけど、だんだん瓦煎餅を推すような動きが自然とできました。

そのうちに大々的にやるようになって、今では瓦煎餅が随分売り上げとしても大きくなってきて、うちはこういう会社ですって説明するときには「瓦煎餅の会社です」という言い方をしています

(4)実際に割合としても瓦煎餅がだんだん売れてきたの?

僕が入社したときの瓦煎餅の売上構成比って、たぶん全体の3%から5%くらい。今はお店によっては30%くらいで、この松陰神社前のお店は30%どころじゃないですね。

手前味噌ですが、ご先祖様から伝わってきたものの質が高かったからだと思っています。あとは時代が一周したのも大きくて。僕が幼い頃の瓦煎餅のイメージって、おばあちゃんおじいちゃんが食べるもので、「俺はこっちのほうが好きだな」って食べていたのがお米の煎餅でした。

当時はスタッフもそういう認識が強かったのが事実だと思います。松陰神社前は住んでいるひとの年齢幅が広いので、20代のお客さんもよくお店に来てくれて。何を買っていくかというと、やっぱり瓦煎餅を買っていく方が多いですよ。

(5)瓦煎餅が売れるようになったきっかけは?

今お伝えした流れがある上で、ひとつ階段を上がったなと感じたのは、サンリオさんとキティちゃんの瓦煎餅をつくったことですね。キティちゃんによって、三味胴の存在がブランディングできたと思うし、「うちとも一緒にできないかな」と相談をいただくことが増えて。企業からの、たとえば株主総会のお土産用で何万枚、という注文をいただけるようになりましたね。

だんだん「松崎煎餅と言えば瓦煎餅」というイメージが定着していった結果、売上も瓦煎餅に移ってきました。お米の煎餅の売上が落ちているわけではないけれど、今も瓦煎餅の売上は上がっていますね。

(6)なぜサンリオの瓦煎餅をつくったのか

コラボグッズってたくさんあるじゃないですか。クッキーとかチョコっていくらでもある。その中で、商品自体にキャラクターを入れて、しかも色が付けられるものってそんなに多くはない。

どら焼きやおまんじゅうだったら焼印になるじゃないですか。型をつくれば人形焼もつくれるけど、やはり色は付けられない。そうやって考えたときに和のお菓子で色が付けられるものが新鮮だったのかと思います。

(7)お店をつくることになった経緯は?

お米の煎餅もある

最初は路面店をやりたくて場所を探していました。もともとは銀座しか路面店がなかったので、会社としても今後のためにやらなくてはいけないと思っていました。

本社のビルも老朽化する中で、予算も大きいからなかなか新店舗をつくる方へ動けないでいたのが3年くらい前。でもその頃に、銀座の店舗を建て替えるとなったら路面店がなくなる。それはなんとも言えない怖さだなと思って、だんだん本格的に話が動いていきました。

最初の路面店になるので、僕と父がふたりともOKって思った場所にしようっていうルールで真剣に物件探しを始めて。2年くらいはなかなか決まりませんでした。

僕はブランディング的に「松崎煎餅が路面店をやるときに相応しい場所はどこだろう」と考えていてました。そして、自分がある程度、土地勘のある場所であることが、マーケティング的な目線でも重要と考えていて。その町にどういうひとが来てどういう買い物をするのか知らずにお店を出して成功させるのは難しいんじゃないかと。

父は、商店街でやりたがっていたんですよ。僕も商店街自体はすごく好きだったんですけど、今は活気のある商店街って少ないじゃないですか。シャッター商店街という言葉もあるくらいで、古い家がいっぱいあるような土地にお店を出して、成立するイメージが最初はまったく湧かなかったんですよ。

商店街自体はいいよねって思っているけど、どうしても自分の中で納得する形が思い描けなかったんです

(8)物件はどのように探したの?

住んでるひとを相手にしたいっていう気持ちは僕も親父も一緒だったんですよ。だからこそそれに見合った場所を探して、代官山の次に中目黒を見て、逆に東側の蔵前も見たし、谷根千も見ているし、国立、吉祥寺、下北沢、祖師ケ谷大蔵と、至るところの物件を見たんですよね。

そうして2年くらいが経ったときに、10年来の友だち、このお店の斜め向かいにある「アリク」さんの廣岡さんと話していて。家が近所だったので、一緒にお酒を飲んでたんですよね。彼がアリクをやる前から、お互い物件の話をよくしてたんです。

あるとき、アリクのお店を出したあとに「お向かい空くけどどう?」って教えてくれて、松陰会館の佐藤さんを紹介してもらいました。最初は自分としては家からすごく近いので、経営者として「家が近いからここにしたんじゃないか」とか思われたらヤだなとか思っていたんですけど(笑)。

内見してみたら、父もすぐに「ここだ」って言ってくれてサクッと決まりました。父からすると商店街の雰囲気を気に入っていて、僕からすると商店街なんだけど個性的で尖った店もいっぱいあって、町としてのおもしろみが強いって思えて、ブランドを落とし込める接点があるなって思ったんですね。

僕自身、たまたま松陰神社前の近くだとは知らずに、駒沢大学と三軒茶屋にもほど近い場所に引越したんです。松陰神社前は、初めてきたときに商店街の街灯の赤みがかった色を見て、理屈よりも先に「いいな」って思っていました。

(9)松陰神社前店のテーマを「地域密着・原点回帰」にした理由は?

松崎煎餅

「地域密着・原点回帰」は、最初に店舗探しを始めた時に持っていたテーマなんです。さっき父が「商店街でやりたい」と言っていた話をしましたが、僕も同じ想いだったのは、町のひとにとってのお店になりたかったということです。

僕の同世代、40ちょっと前くらいの世代のひとと話をしてもうちのことを知っているひとはほとんどいません。でも、両親くらいの世代の方々にお話しすると認知度が高いのが分かる。ブランド力というのが世代によって異なり、少しずつなくなってきていることを痛感するんですよ。今までのままやっていたら、知ってくれている方々は年を追うごとに少しずつ減っていくわけですよね。

その理由は、お菓子の選択肢が増えすぎてることも大きくあって、このまま同じ商売の続け方をしていたら、最終的に商売が続けられないのではという危機感を覚えて

今の時代に合わせたブランド価値の土壌をつくらなければいけないと思ったときに、銀座にお店があることに起因する説得力、ブランドだけではだめだなと思ったんです。あくまで商品の上にブランドはあるべきなので、商品をちゃんとわかってもらうことが何より大事なんですよね

そうすると、銀座ってすごい大きな百貨店みたいなものだと思っていて。デパートで起きていることと銀座の町の中で起きていることは一緒だと思うんですけど、わざわざ銀座まで行ったときにケーキとかチョコとかクッキーとかがある中で、ギフトで煎餅を買うひとのイメージを僕はなかなか持てないんです。

そこでいくらがんばっても、うちを新しく見つけてくれない。どんなに自分が自信あるものを出していたとしても、手にしてもらわなければ良さは伝わらない時代だと思うんです。

うちの商品を手にとってもらえるチャンネルを新たにつくらないといけない。そのときに、住んでいる町や生活がキーワードだと思ったんです。煎餅って最初に僕が思い浮かべるのは、おばあちゃん家に行ったときにコタツの上にみかんと一緒にあって、煎餅を食べながらテレビを見てるみたいなイメージ。

生活に、もう一回煎餅を食い込ませることっていうのがたぶんデパートの中、銀座の中だけでは難しいし、それが次の200年につながる唯一の方法なのかなと思ったんですよね。こういう思いをコピーにしていきたいと思ったときに一番しっくり来る言葉が「地域密着」だったんです。

地域密着だなと思ったときに、よくよく考えると200年前に魚籃坂で始めたときって、交通の便も少ないですし、地域でしか商売できない時代なわけですよね。だから、今自分がやろうとしてることって、たぶん昔やってたことと同じことでしかないんだなってあるとき気づいて、あとから「原点回帰」を入れました。

(10)松陰神社前店の将来像は? なぜ店内にスロープがあるの?

僕は、町とお店との距離感を近づけたいんです。町に寄り添えるお店をつくりたい。松陰神社前でお店をやっていると、銀座でやっているよりもお客さんとの距離が近いと感じます。

今までお話したことって、これから200年続けられるブランドをつくるための土壌を今つくらなくてはいけないって話で。そのときに「新しい土壌を作る出発点は町だ」という発想からこのお店ができました。

松陰神社前で店をやるって決めてから、町で商売をやるときには企業としての貢献って何かなって考えてたんですよ。で、できることって、この町に住みたいひとを増やすことだなって思い当たって。

たぶんこの町って、「明日、原宿行こうよ」みたいな感じで「松陰神社行こうよ」っていう町じゃないと思っているんです。おもしろい町ではあるんだけど、決して商圏は大きくないし、時間的には3時間もあれば、満喫できてしまうと思うんですね。でも逆に住んでいると、本当に毎日発見がある町なんですよね。新しいひとと知り合えることもそうだし。僕はこの町って「住む町だな」と思っていますね。

そこに自分たちも入れてもらえたらいいなって。それをやるにはどういう方法があるかと言うと、やっぱりコミュニケーションだと思います。最初にこの町に来て感じたのは、若いファミリー層が多いということ。前に住んでいた千駄木から世田谷に移ったときに「子ども多いな、この町」と強く思ったんですよ。

子どもと一緒に店が育つ。子どもが育っていく町にあるお店をつくらなくちゃって思ったので……角度はめっちゃきついんですけど、ベビーカーをあげられるスロープをつけるとか、席の壁側を全部ベンチシートにするとか工夫をしました。

店内にあるスロープ

トイレも一回り大きくてオムツ変えられるベッドがついてるとか。あと、この入り口の扉も、もともとの位置よりも1m弱下げているんです。それは店の前にママチャリを止められるようにしたくて。

だから「この町のお店」だからこそのデザインなんです。ちっちゃい子を中心に煎餅に絵をつけるワークショップをたまにやっていて、オープンして10か月弱の間でまだ2回しかできてないんですけど。今後は増やしていきたいなと思っていますね。町のひとたちや子どもたちが、楽しいことをいっぱいやる場所にしていきたいんです。

(文・構成/くいしん)
(写真/タクロコマ)

お話をうかがったひと

松崎 宗平(まつざき そうへい)
1978年、東京都中央区出身。松崎煎餅、8代目。グラフィックデザイン、ウェブデザインの仕事を経て、現在は株式会社松崎商店(屋号:銀座 松崎煎餅)の副社長。松崎煎餅は創業1804年(文化元年)。プロミュージシャンでもあり、バンド「SOUR」のベーシストとしても活躍中。

このお店のこと

松崎煎餅 松陰神社前店
住所:東京都世田谷区若林3-17-9
電話番号:03-6884-3296
営業時間:11:30~19:00(ラストオーダー18:30)
定休日:無し
ランチ:数量限定
公式サイトはこちら

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