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BBT大学と巡の環による「オンライン大学×地域活性化プロジェクト」始動!持続可能な社会をつくるために今、必要な学びとは?

2016年7月22日、オンラインで経営を学ぶビジネス・ブレークスルー大学(以下、BBT大学)と島根県のひとが集まる離島として有名な海士町にある株式会社巡の環(以下、巡の環)とがコラボして新しい未来を創る「オンライン大学×地域でのプロジェクト学習」という企画のキックオフミーティングが行われました。

このプロジェクトを担当するのは、BBT大学経営学部専任准教授の須子善彦(以下、須子)さんと巡の環の取締役の信岡良亮(以下、信岡)さん。信岡さんは須子さんからの誘いを受けて、現在ビジネス・ブレークスルー大学のITソリューション学科でも授業を担当しており、このプロジェクトを通してゆくゆくは、地域での実経験とオンラインでのグローバルな学びの両立ができるための仕組みづくりを行いたいと考えているそうです。

BBT大学と巡の環による「オンライン大学×地域活性化プロジェクト」とは?

説明会

今回のプロジェクトが発足した背景には、「島に、持続可能な未来に向けたひとづくりのための大学をつくりたい」という巡の環の思いと「世界中のあらゆる場所で経験を積みながら、知識等をオンラインで学ぶ」というBBT大学の理念の一致があります。巡の環が携わっている海士町の実績と推進力は、経営の勉強や他の地域づくり、コミュニティづくりに応用できるヒントがたくさん詰まっています。そのことを現地に滞在しながら学びつつ、さらにその学びをオンライン大学で提供するという長期計画です。

このプロジェクトのゴールは、島でフィールドワークをしながら、オンラインでビジネスの学習ができる「BBT大学海士町サテライトキャンパス(仮)」を構え、島の大学をつくること。隠岐島前高校魅力化プロジェクトや、隠岐國学習センターなど教育事業でも大きな注目を集めている海士町で、なぜ、いま大学設立へ向け動き出したのか。信岡さんと須子さんが、その思いの丈を語ります。

島に大学をつくりたい!

巡の環はもともと、島に大学を創りたいというビジョンを持って起業されました。ただハードを創るだけではなく、学べるための土壌やコンテンツを内製できるようにするべく、まずは地域に根ざす「イベント企画や運営」、長年受け継がれてきた海士町の歴史や暮らしの知恵の「学びと継承」、海士町の資源を発信するための「メディア」事業の3軸に基づいて活動を続けてきました。この3軸は、海士町が長年抱えていた課題解決に向け、持続可能な地域づくりを目指して設定されています。

信岡良亮さん
信岡良亮さん

信岡「海士町は、隠岐諸島のなかで3番目に大きい中ノ島という島全体が一つの町という場所です。行政や町の方の様々な取り組みの結果、今や人口2,300人の離島に移住者が約400人にもなりました。これは、1億人の国に2,000万人の外国人が移住して暮らしているようなスケールです

今でこそ、地域おこしの成功例として取り上げられる海士町ですが、人口問題と財政難という2つの課題を抱えています。高齢化率は約40%。島に高校までしかないため、就職や進学のタイミングで島をまず出て、30代〜40代になって何割かのひとが帰ってくるという構図のため、20~30代の子育て世代や働き盛りの世代は、島になかなか戻ってこないのが現状です。

信岡「海士町の現在の人口の年代構成比率は、日本の40年後の姿と非常によく似ています。高齢化が進み若者層が減る。町がいつ消えるかという危機感がありますが、さらに言えば今の日本全体の出生率は、1.4。この出生率のままだと親と孫の3世代で個体数が半減してしまい、生物業界で言えば絶滅危惧種になるんです。この町を一つの物差しとして考えると、日本もいつ消えてしまうかわからない」

なぜ、ここまで出生率が低下してしまったのかというと、子どもを比較的産み育てやすい田舎から産み育てにくい都会へ、多くのひとが移動して、子どもを産み育てにくい社会を創ってきたから。経済面だけを見ると現在の日本の田舎は確かに厳しいけれど、田舎からの流入人口がなくなれば都会はもっと急速な人口減少の一途をたどっていくのは一目瞭然で、人口面を見れば都会は大変な赤字なのです。

信岡「僕はよくメタファーとして、田舎はひとを育てるお母さん、都会は稼ぎ頭のお父さんというふうに表現するのですが、このお父さんとお母さんが役割分担をして関係が良好にならないことには、いつまで経っても課題解決にはなりません。都会と地域、どちらの状況も理解して歩み寄り、健全なコミュニティをつくるという目的のために、僕は拠点を海士町から東京へ戻しました」

信岡さんたちは“お父さんとお母さんの関係を良好に保っていく”ために、巡の環が学んだことを、海士町へ還元できるような仕組みづくりをしています。たとえば、企業を誘致して研修の場として提供したり、大学と連携して暮らしの知恵や文化を学ぶツアーを実施したりしているのです。

はで干ししているスライド

信岡「これは、大学生と地元のおじいちゃん達が、はで干しをしている写真です。お米を収穫後に稲を干す作業なのですが、ふつうは逆さにして引っ掛けてかけていくところを、海士町は横に立てかけていくんですね。そして昔は、干した稲で町の神社のしめ縄をつくっていました。本来はそうやって資源が町内で循環していたんです。さらにここでつくったお米は、「ご縁を結ぶ一合米ひとつむぎ米」として、巡の環が運営する海士Webデパートで販売しています」

須子「自分が関わったものには、お金を出したくなりますよね。出身地でなくても、地域へ愛着を持ってくれる交流人口を増やすための施策は、今いろんな地域がやっていますが、海士町はいち早くそのための事業をスタートさせました。

頭で考えて理論立てていくと、みんな同じ結論のイノベーションにしかなりません。そうではなく、自分はどうしたいのか、自分だけが感じる違和感から問題提起をして行動を起こしたことのほうが、仲間を集めやすいですし、継続出来る。そういう意味で、海士町の原動力は、町長をはじめとする町民が持つ危機感です。だからこそ、なせる改革なのだと思います」

須子善彦さん
須子善彦さん

さらに「大学をつくるとはいえ、具体的なことは何も決まっていません」と須子さんは続けます。

須子「今回のこのプロジェクトは、参加してくれる学生とともにつくりあげようと思っています。ですから、どういう大学をどこにつくるのか、どういうカリュキュラムを組むのかというようなことから、みんなで考えたいんです。BBT大学は、場所を問わずオンライン授業を受けられますが、学生さんのみなさんは学びを実社会でより役に立てるために、インターンや起業、自分が所属する会社等で学び実践する機会を設けている。大学も学んだ知識を現場で実践することを推奨してきました。実践現場を持ちながら学び続けられることこそオンライン大学の真価なのだと思います。今回も、プロジェクトの立ち上げメンバーとして現地での経験値を積めるという点は、地域でのビジネスを志す学生に限らず、全ての学生にとって実践的な学びを得る意義があると思います」

公・共・私のバランスで社会は成り立つ

また、「大学をつくりたいという思いは、巡の環の設立当時から考えていたことです」と信岡さんは話します。

信岡「今回のプロジェクトの発端は、僕が東京の企業を退職した頃からずっと抱いてきた『どうしてみんな一生懸命働いているのに未来は明るくならないんだろう?』という疑問にあります。

町のみんなは、海士町の取組みを成功事例だと思っていなくて、まだまだやらないといけないことばかり。財政も人口も持続可能とは全然言えません。とはいえ、いろんなところを見させてもらうほど、日本のなかでもがんばっている地域ベスト3に入ると、僕は思います。それでも『まだまだ全然ダメだ!』と言われてしまうならば、これ以上どうすればいいんだろうと迷ったことがありました。その時に気づいたのは、努力が足りないのではなくて、仕組みが間違っているんじゃないかということです」

戦後の日本の経済の仕組みは、お母さん(田舎)がひとを育て、国の経済を回すのはお父さん(都会)という構図で成長してきました。稼ぐために都会へ行き、その稼ぎで田舎で暮らすひとが生きていく、という流れです。けれど、日本全体の人口がこのまま減少し続ければ、推定では2100年には4,700万人になると言われています。これがどういう数字かというと、現在の関東と関西に住んでいる人口の合計数くらい。ということは、数字だけ見ると日本人は関東と関西に住んでいるひとたちだけということになります。このままの流れでは、都会が稼ぐモデルが崩壊し、都会に経済的な側面を頼りきっていた田舎も共倒れしてしまうのです。

信岡「もし、海士町がもっともっとがんばって、今後海士町だけが移住者が増えたり出生率が上がったりしても、日本全体の問題解決にはなりません。それなら日本全体の出生率を変えて、社会が持続可能になるほうが大事だと思うようになりました」

持続可能な社会をつくるための仕組みとは。信岡さんはペンを手に、3つの輪を描きました。今こそ注目したい仕組みのヒントは、じつは江戸時代以前の日本にあるといいます。

信岡「ひとが生きていくコミュニティを、公・共・私で区分すると、分かりやすいと思います。かつての日本は、“共”のシステムが強固でした。『○○村の太郎です』とか『○○町の田吾作です』とか、村や集落などの“共”にアイデンティティがあり、次に“私”という意識でした。けれど、明治維新後に政府が立ち上がって、税金を“私”から“公”へ収めさせるようになり、“公”が強くなってきたんですね。その間、“共”はほぼ放置され、やがて会社という組織が“共”の役割を担うようになります。終身雇用が保障されたり健康診断を実施してくれたり『○○社の太郎です』と名乗るようになります。私たちを守るシステムとして“共的な”会社が機能するようになっていきました。ただ、会社の力が弱くなってきている現在、再び“共”の存在が薄れてしまってきているのです」

“公・共・私の3つは、それぞれ担う役割も、やるべきことも違います。たとえば、経済偏差値なるものがあるとして、偏差値50でないと生きていけない世界で、「偏差値40でも生きていけるための仕組みや保障をつくり、生存のハードルを下げる」のが“公”の役割です。“私”は「自給自足で生きて50を超えられる手段を自分でつくる」こと、“共”は、「一個のチームを組んで、みんなで平均点50を越えられるようにがんばる」のが、役割です。

須子「終身雇用制の崩壊が始まっているという話は、みなさんも聞いたことがあると思います。これからは、新しい“共”が必要です。自治する学びの集団が“共”を担えるように、その仕組みをどうやってつくるのか。それをオンライン大学で学べないかと考えています」

ローカルの仕組みを学ぶことがグローバルで役立つ、その理由

人口の課題は、もはや日本だけの問題ではありません。韓国や中国、シンガポールなどでも都市部を中心に深刻な状態になってきています。

今回のプロジェクトの立ち上げは、海士町に大学をつくり持続可能な社会の仕組みづくりを学ぶことはもちろん、「グローバル=海外」としか見ていないひとたちへのインパクトを、どれだけ与えられるかという裏テーマがあります。

須子「海士町で実践できたソリューションが、日本の他の地域や世界の各地域でも実現できるかもしれない。そこまで見据えて、日本がこれからどう変わっていくのかの実例を率先して体現する役割を引き受けているのが、海士町です。だから、地域の規模でいうと日本の離島ですし、すごくローカルに見えるかもしれないけど、視点はかなりグローバル。都市と地域の関係性をどう構築していくかは、各国が抱える共通の問題ですから、海士町と共に学べば、その学びは日本だけでなく世界の課題解決に向けてスケールできるかもしれません」

タグボートのスライド

信岡「海士町がかっこいいのは、お金儲けをしたいんじゃなくて、島全体が島の未来を考えてコミットしているところです。海士町で暮らしている一次産業を営む自営業のおじちゃんやおばちゃんは、概念やビジョンだけではなく実践的なことを考えられるひとたちです。財政難に陥った離島だからこそ、経営や生活に対する視点は都会よりもシビアかもしれない。でも、地元の方が話してくれることってすごく具体的だし、地に足がついて力強いなと感じます。

日本の田舎は負け組ではない。経済を回して拡大するだけじゃなく、現地で幸せな暮らしをするために持続可能なモデルをつくりあげるために、まずは海士町が背中を見せる。そのためにも志を同じくする仲間が集まるのを、僕はすごく楽しみにしています」

参加者
海士町の実績を見ながら、このプロジェクトを通して「自分は何がしたいか?」と考える

説明会では途中、参加者の方々で意見や感想を述べ合う機会も設けられました。なぜこのプロジェクトに興味を持ったのかという話題に始まり、海士町での経験で得られることと自分たちがしたいこと、そのためにいま何ができるのか。

参加者

参加者
説明の参加者の方々のほとんどが東京以外から来場していた

海士町初の大学を立ち上げるためのバックアップとして、信岡さんや須子さんのサポートはもちろん、巡の環の社員であり、BBT大学でもラーニングアドバイザーを務める岡部有美子さんが海士町に常駐しています。これからどんなメンバーが集まり、どんな大学が立ち上がるのか、今後の海士町の取り組みとプロジェクトに注目です。

お話をうかがったひと

信岡 良亮(のぶおか りょうすけ)
株式会社アスノオト代表取締役CEO。BBT大学経営学部専任講師。関西で生まれ育ち同志社大学卒業後、東京でITベンチャー企業に就職。Webのディレクターとして働きながら大きすぎる経済の成長の先に幸せな未来があるイメージが湧かなくなり、2007年6月に退社。小さな経済でこそ持続可能な未来が見えるのではないかと、島根県隠岐諸島の中ノ島・海士町という人口2400人弱の島に移住し、2008年に株式会社巡の環を仲間と共に起業。6年半の島生活を経て、地域活性というワードではなく、過疎を地方側だけの問題ではなく全ての繋がりの関係性を良くしていくという次のステップに進むため、2014年5月より東京に活動拠点を移し、都会と農村の新しい関係を模索中。2015年5月株式会社アスノオト創業。

須子 善彦(すこ よしひこ)
BBT大学経営学部専任准教授。函館市出身、東京在住。慶應義塾大学SFC政策・メディア研究科博士(政策・メディア)。専門はソーシャルサーチ、ソーシャルメディア、SNS、地域情報か・地域活性化、マイプロジェクト。IPA未踏ソフトウェア創造事業にて「天才プログラマ・スーパークリエータ」認定。著書『地域SNS最前線 Web2.0時代のまちおこし実践ガイド』(共著)。大学教員、社会起業スタッフを経て現在は教育ベンチャーBADO株式会社を創業、代表取締役CEO。

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立花実咲

1991年生まれ、静岡県出身の編集者。生もの&手づくりのもの好き。パフォーミングアーツの世界と日常をつなぎたい。北海道下川町で宿「andgram」をはじめました。→ さらに詳しく見る

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