「もしかして、世界の終わりってこんな感じかな」。
短い夏のある日、一人リビングでぼーっとしながら、そんなことを考えた。
ある日というのは、2018年9月6日のこと。
深夜と早朝のちょうど境目のような午前3時7分、北海道胆振東部地震が発生した。
不幸中の幸いで、わたしの暮らす家は停電こそすれ、ガスも水道も使えたし揺れによる被害もなかった。
地震が起きたことを知ったのは、まだ寝ぼけている朝7時ごろ。
何人かから届いた無事を案じるメッセージや着信の通知を見て、やっと頭が追いついた。
万が一に備えて浴槽に水を溜め、車のガソリンがほぼ満タンなのを確認してからリビングの窓を開けた。
我が家には、冷房がない。我が家だけでなく道内の一般住宅のほとんどは、エアコンがないという。風通しを良くするだけでじゅうぶんだからだ。
開けた窓の外からは、町役場の人々が拡声器で落ち着いて行動するよう、ときおり呼びかけている声がする。
ふう、と息をつき、ソファに深く沈む。
南中時刻に差しかかろうとしている白い光が、薄い黄緑色のカーテンからちらちらこぼれ、DIYで塗ったフローリングに影をつくっている。
「世界が終わる前の日は、もしかしたらこんな感じなのかもしれない」。
窓の外を見ながら、ふとそんなことを思った。
地震があったなんて、信じられなかった。
自然災害というのは、もっとこう、焦ったり途方にくれたり、とにかく落ち着かないものだと思っていたから。
2011年3月11日に、新宿駅の黒山の人だかりの中を歩いた不安な夕方と、2018年9月6日のいつもと変わらないおだやかな下川町の昼下がりは、違いすぎたのだ。
「じたばたしたって、仕方がない。すでに起きたことや、これから起きようとしていることをそのまま受け入れよう」という、諦めとはまた少し違う感情が、蜃気楼のように広がっていった。
北海道下川町という人口3,300人の町に住みはじめてから、約2年経つ。
もともとヨソ者に対する警戒心が薄い町で、わたしも移住して早々、かなり多くの方々に助けられた。
だからといって過剰に世話を焼くわけではなく、自分のことは自分でやろうとする人たちが多い、成熟した町という印象だ。その雰囲気は、今も変わらない。
けれど暮らし始めたたった2年の間にも、移住当初は現役だった商店やサービスが、少しずつ、姿を消していた。
事実、もとくらで紹介したスーパーも、2019年3月末に惜しまれながら閉店した。
加えて、突然発生した9月の地震と停電──。
自立することに関心が高いであろう下川町でさえ、停電は免れなかった。
「今この瞬間をどうやって生き抜くか」を突然問われた気がした。
停電の夜。
電気の代わりに灯したろうそくの明かりの揺らめきを見つめながら、「自分で生きる力と自分を生かしてくれる力──その両方がはたらいてこそ、人間は人間であるのだな」と、ふと思った。
わたしたちを生かしてくれる力は、人の手でどうにもコントロールできない自然の力だ。
一方、自分で生きる力は、いくらでも能動的に養える。
むしろ養わないと、命が脅かされるかもしれない、とさえ、思った。
人口減少だとか、まちづくりだとか、地方創生だとか、メディアで踊る言葉の数々。
それらの裏で営まれるとりとめもない生活は、激しい喜怒哀楽やら捨てきれないしがらみやら希望にあふれた理想やらで満ちている。
派手な言葉をまとう出来事も真実だけれど、それらを支えているのは名もなき人々の地道な営みだ。
インスタ映えもしないし、バズりもしない、生々しい生活こそ、真実。
都市を離れた地域で暮らして得られるいちばんの学びは、インターネットのタイムラインとシンクロしがちな都市とは違う真実に、五感で触れられること。
足腰のように、なにものかに頼れば頼るほど弱くなり、生活は脅かされる。
わたしたちを生かしてくれる自然の力は、恵みこそもたらしてくれるが牙も剝く。だからこそ、自分で生きる力は能動的に養わないといけない。
誰も守ってくれない。
自分の身は自分で守るしかない。
地震を機に少しずつ濃くなっていった確信は、絶望というほど鬼気迫るものではないけれど、虚しさというほど他人事でもない感覚──「世界が終わる前の日は、もしかしたらこんな感じなのかもしれない」と、昼下がりの光の粒を浴びながら覚えたポジティブではないけどネガティブでもない蜃気楼みたいなあの感覚に、とてもよく似ていた。
ずいぶん前から、わたしはわりと、事態を大げさにとらえがちなところがある。
「自分一人で解決できることなんてたかが知れている。命は有限だから何もかもが叶うわけではない。けれど、とにかく生きねば」と、ふと思ったりする。
地震の時だって気が動転して「世界の終わりだ」なんて、感じただけなのかもしれない。
けれど、一瞬で当たり前を奪われたあの夜、わたしはどこかで根拠もなく「まだ大丈夫」と胡座をかいていたのかもしれないと気づいたのだ。
「あのお店は無くなっちゃったけど、まだ大丈夫」。
「停電は起きたけど、いますぐ対策を打てば、まだ大丈夫」。
根拠のない希望的観測は、時に足元をすくう甘い蜜。
時代の渦に巻き込まれて変わってゆく現状に目隠しして、その場しのぎの生温かい時間に身を委ねたところで安心安全が保証されているわけでは、ない。
前置きが、長くなった。
地震によって起きた停電をきっかけに、約2年間わたしの自由を許してくれた自立精神の強い下川町という地域の、ふところの深さとその基盤となる歴史が、一つのキーワードを浮かび上がらせた。
それが“自治”という言葉だ。
人間たるあり方を自分で作り上げていく力を持つこと、とるにたらない生活を自分で営む力を鍛えること──それらを言い換えた表現として、わたしにとってピタリときたのが“自治”という言葉だった。
自治というと「自治体」だとか「自治会」などの、どこか堅苦しくて身近なようで身近でないような、グレーの濃霧に包まれたもの感じられるかもしれない。
“自立”という言葉でも、知りたいことを表現するには適切なのだろう。
けれど、“自立”より“自治”の方が、誰かと一緒に自分たちの足で生きていく、その主語が、一個人ではなくコミュニティであるような気がしたのだ。
当たり前だと思っていることが崩壊し、収縮と消滅が加速する未来はまぬがれない。
その道筋の上に立ち、わたしたちは、どうやって生き残るのだろうか。
人間たる存在として生きていくには、どうしたらいいのか?
「自治って、いったい、なんなんだ」。
そんな問いを、この特集では掲げたい。
……だいぶ大風呂敷を広げてしまったなと思う。
途中で「自治」というキーワードから、離れるかもしれない。
けれど「自治」という言葉は、横串だ。人間たる生き方を模索する最中に、違う横串に出会うかもしれない。
だからまずは、目の前に立ち現れた「自治」という海に、飛び込んでみたいと思う。
「世界が終わる前の日は、もしかしたらこんな感じなのかもしれない」。
けれどもまだ、わたしは生きている。
これを読むあなたもまだ生きている。
世界はまだ、終わっていない。
生きているなら、残りあとどれくらいでも生きていかねば。
「“自治”ってなんだ?!」目次
自治と祭り
- 一度消えた祭りを復活させた女性たち
- 危機的状況がないと自治は生まれない?
- 排除しない。でも貫きたいものはある。“ネオヒッピー”という生態系
自治とアート
- 歴史と誇りを担うアート – ルーマニアの場合 –
- 自然の営みを受け入れ、共存するためのアーティストインレジデンス
自治と北海道
- アイヌに導かれた人々が、マイナス30度の土地に根を下ろした理由
などなど