ふるさとを同じくする人たちで、盛り上がるのは「地元あるある」。地元しか流れていないCMや、ローカル店などいろいろな「あるある」がありますが、その中でも特に分かりやすく支持され、共感を呼ぶのもののひとつが、方言です。
地元では当たり前に使われている方言に着目したある動画と、その制作元となったプロジェクトが、いま注目を集めています。
180万回以上再生されている、この動画。宮崎県小林市の行政から発足した「てなんど小林プロジェクト」がつくったもので、小林市民はもちろん市外に住んでいる小林出身者へも一気に広がり、話題を集めました。
宮崎県小林市「てなんど小林プロジェクト」とは
宮崎県小林市役所の企画政策課から、2013年に動き出した「てなんど小林プロジェクト」。地元の方々に公募して地域の魅力を再発見できる写真コンテスト、動画コンテストの開催や、地元の社会人による企画のためのワークショップの開催、西諸弁をあしらったTシャツやLINEスタンプなどを展開しています。
「てなんど」とは聞き慣れない言葉ですが、これは造語。小林市の方言である西諸弁(にしもろべん)で、てなむとは「一緒に」という意味を持ち、地域の魅力をブランド化して届けたいという思いから「てなむ」+「ブランド化」で「てなんど」という名づけ、立ち上がったプロジェクトです。
さまざまに活動をする「てなんど小林プロジェクト」(以下、てなんど小林)。今回の動画は、どのようにして生まれたのでしょうか。また、プロジェクトが目指す町の未来とは。発起人であり現在もプロジェクトの柱を担う、柚木脇大輔さんと鶴田健介さんに伺いました。
市民に愛着を持ってもらうことから始めたい
── まずは、お二人のなれそめについてお伺いしたいです。
柚木脇大輔(以下、柚木脇) なれそめ(笑)。
鶴田健介(以下、鶴田) 市役所の同じ企画政策課配属で、広報を担当している自分と、企画担当の柚木脇さんが一緒のセクションだったんです。ぼくは写真を撮って編集することができたので、「てなんど小林」のサイトに掲載されている写真を撮ったり、西諸弁ポスターをつくったりしていました。
柚木脇 鶴田は黙々とものづくりをする職人タイプで、ぼくはどっちかというと外へ向けて人を引っ張ってきたり、企画を立ち上げたりする立ち位置で、バランスが取れているのだと思います。
── 地域の魅力を発信するという方法はいろいろありますが、動画を選んだ理由はどうしてでしょうか。
柚木脇 写真や動画を使う理由は、ネット上で小林の情報収集しようと思っても、なかなかイケているのが出てこないと思ったからです。市の公式サイトはあっても、もっと親しみやすい情報や雰囲気のものが必要だと感じて。というのも、他の地域に比べてあまり主体的に魅力を発信できていない自分たちを歯がゆく思ったんです。言ってしまえば、そういう嫉妬心や焦りから、なんとかしなくちゃと考え「てなんど小林プロジェクト」の土台となるアイディアが生まれました。
── 動画をつくることの最終的な目的というのは何になりますか?
柚木脇 動画としては「移住促進」という言葉がついていますが、ぼくたちとしては小林市民の方々や出身者の方に届けたいという気持ちが強いんです。小林市出身者が、もう一度故郷に目を向けてくれるものをつくりたいと思っています。
柚木脇 正直、移住ってすごくハードルが高いと思うんです。仕事や生活、暮らしのすべての拠点を変えるということですから。ただ、市の人口減少も深刻な問題だということも事実。10年後にはふたりにひとりが高齢者の町になると言われています。けれど、県外では現在の4万6,000人という小林市民の数倍の小林出身の人々が暮らしています。彼らの1,000人でも2,000人でも小林のことを思い出して、ぼくらのやっていることに反応してくれて、小林市に何かあったらいつでも駆けつけて手伝いますよ、力になりますよという存在になってくれたら、ある意味その方々も人口のうちだという考え方をしてもいいんではないか思うんです。そういう人たちも含めた人口だっていう捉え方をしていくほうが健全なのかなって。
鶴田 人口減少というのは、いま日本の各地が抱えている問題だと思います。けれど、豊かな自然と新鮮な食材があって、あたたかい人々が住んでいるということだけを謳っても、人はなかなか動かない。ぼくらは、町に愛着を持ってもらうことから始めたいなと思うんです。「町のために何かしたい」と思い立つのは、きっと愛着があるから。すぐに人口減少の課題解決に直結するわけではないけれど、まずは背伸びをしない等身大の町から、いかに魅力を引き出し、地元の人々に喜んでもらうかが大事だと思います。
例えば、県外に住む出身者の方が10人でも20人でも小林市でがんばっている団体や個人のfacebookの記事に「いいね」を押してくれたら、それだけで地元で活動している人たちの励みになりますよね。遠くに住んでいるので、なかなか小林市には帰れない、でも遠くからでもできる範囲のことで地元を応援したいという人を増やしていきたいと考えています。
柚木脇 きれいごとばかり並べたような、地元の人が見て「嘘だ」と思うプロモーションをしても、意味がないと思うんです。見ず知らずの人へ向けた情報発信ではなくて、小林出身の人たちが振り向いてくれる、違和感のないものをつくりたいですね。でも、見てくれる人、関わる人が楽しめることというのは大前提にありますけど。
── だからこそ「西諸弁」に着目したのですね。
柚木脇 そうです。動画制作チームで小林市民が共感しやすい「あるあるネタ」を探しているうち、今の子どもたちにも西諸弁が外国語みたいに聞こえて、なかでもフランス語っぽいと言われているというエピソードを聞いたんです。
鶴田 動画に登場するシーンも、何気なく「地元あるある」を盛り込んでいます。道が広いから渋滞はほとんど起きないけど、トラクターがゆっくり走っている時は後ろの車が詰まる、とか、水道水と自然の湧水では質が変わらない、とか。
── 動画をつくってみて、小林市の方々の反応はいかがでしたか。
鶴田 たしかにフランス語に聞こえる!と。県外の方からも、たくさんコメントをいただきました。小林市出身の方々からは、動画が人気になってから、あまり話さないようにしていた西諸弁に誇りを持てたという人が増えたかなと思います。昔はコンプレックスだったけど、地元の方言があるってイイことかも、と。
柚木脇 「てなんど小林プロジェクト」をはじめ、動画に登場する方々や西諸弁ポスターの写真などは、なるべく小林市出身の方々にご協力いただくようにしています。町の人口が増えるというよりは、地元に対して何かしたいと考える人の数は確実に増えている印象です。
高校生と動画制作。話題になることより制作のプロセスを大事にしたい理由
── 動画のプロジェクト自体は、第4弾まである連続ものなんですよね。
柚木脇 そうです。2015年12月に、第2弾を公開しました。
── 地元の小林秀峰高校の高校生たちと一緒につくった動画とうかがいましたが、それはやはり先ほどおっしゃっていた町への愛着をはぐくむというプロジェクトの目的から実行したのでしょうか。
柚木脇 「てなんど小林」の動き方として、10数名の小林市出身の方々のワークショップを経て企画を詰めていきます。彼らの共通点は小林市在住、もしくは小林市で働いているというだけで、職業は様々です。
ある日のワークショップ中、地元の学校でキャリア教育のようなことができないかという話が持ち上がったんです。自分たちが子どもだった頃、世の中にどんな職業や仕事があるのかということを知るきっかけがなかった。だからこそ、いろいろな仕事に触れる機会を、ぼくたちで提供できないかと思って。
鶴田 動画のプロジェクト自体、シティプロモーションよりも、じつは制作のプロセスが重要だし「てなんど小林」の目的でもあるんです。ネット上でバスったり、話題になったりして取り上げていただくことも大事ですが、高校生たちが自ら悩んで企画してプランナーに提案するためにプレゼンする。たった数十秒の動画をつくるだけでも、地元のことをいろいろ調べなければなりません。どんな要素を入れれば、宮崎県小林市だって伝わるのかをつかまなくちゃいけない。PRや動画制作の仕事に直に触れてもらうことで、こういうクリエイティブな仕事もあるんだと知ってもらったり、アイディアを形にしたりする経験を提供したかったんです。
柚木脇 高校生のほとんどは進学や就職で市外へ出て行くかもしれません。でも地元のことを考える経験があれば、小林のことへの思い入れは自然と強くなると思うんです。そうすれば、いずれ小林へ帰って来るかもしれないし、帰って来なくても地元への思いを忘れずにいてもらえたら嬉しいなって。なにより出身校の後輩の応援を、卒業後もしてもらいたいと思っています。
── 確かに高校時代に仕事とは何か、ということを考える機会は少ないかもしれません。大学へ入学しても、あっという間に就活の時期になって急に「働くとは」を考えさせられて困惑する学生も多いです。
柚木脇 企画ってこんなに通らないものなんだって、世知辛さを体感してもらうのにも良いかもしれませんね(笑)。でもみんな真剣に取り組んでくれました。何度も壁にぶつかりながら。動画の撮影時は試験の時期と重なってしまったんですが、撮影現場を手伝いに来る子や様子を見に来る生徒が思った以上に多かったです。
行政だけではできない新しいことにチャレンジを
── 4弾まであるということで、今後の「てなんど小林」の動きについて教えていただけますか。
鶴田 まだ動画の内容が確定しているわけではないですが、地元の人たちとつくるということには徹底的にこだわりたいと思っています。いま、地域の広報やPRは行政だけでやる時代ではありません。
新しいことをやろうとする時は、壁も多いものですが高校生や市民の方々と協力して成功体験を得ながら、少しずつ基盤を作っていきたいですね。
柚木脇 プロジェクトに関わる人たちが楽しめるものをつくりたいです。打算的になったり、苦し紛れにつくったりしたものは結果的に質が劣ると思います。それから、どうしても外部から有名なデザイナーやプランナーを呼んで地域活性化の施策を考えるところも少なくありませんが、ぼくらのやり方としては、地元出身であることにこだわりたい。
このプロジェクト自体が、これまで住民の方と出身者の方をターゲットに、極力住民の方と出身者の方の協力を得ながら進めていくという地産地消的な振り切った考え方でやってきました。ですので、コンサルタント役も住民の方や出身者の方だと思っています。
小林市を発信するための下地を、市民であるぼくらでつくらずに、外部の意見ばかり求めても、何もない畑に種を撒いて実までつけてくださいと言っているのと同じ。畑を耕して種を撒いて芽を出させるのはぼくたち住民しかできないと思います。そこに、外部の肥料や水をやれる人が協力してくれ、少しずつ成長させていく。その外部の人が都会に住む出身者だとなおその成長速度は高まるのではないかと思っています。私たちのプロジェクトはそういうプロジェクトだと思っています。せっかくなら行政だけではできないことに、住民の方や出身者の協力を得ながらどんどんチャレンジしていきたいですね。
(この記事は、宮崎県小林市と協働で製作する記事広告コンテンツです)
お話をうかがったひと
柚木脇 大輔(ゆきわき だいすけ)
1978年宮崎県小林市生まれ。小林市で高校まで過ごし、福岡県に進学・卒業後、路頭に迷いかけるも小林市役所に入庁。特技は特筆すべき様なものは何も無し。趣味は、サッカー経験者ではないのにサッカーJリーグ中継を見ること。よって、Jリーグオフ期間中の趣味は特筆すべき様なものは何もなし。海外サッカーは特に興味なし。公務員になるべくしてなった男。
鶴田 健介(つるだ けんすけ)
1981年小林市の隣町えびの市生まれ。12歳で地元を離れ、県北の全寮制中高一貫校へ。卒業後、進学のため上京。“西諸弁”の訛りが抜けず、大学デビューを盛大に失敗。大学卒業後は東京に残り、職を転々としながら自分探しに没頭。26歳で帰郷し、将来の夢であった公務員に。地元を約15年離れていた経験から、地元を俯瞰する癖がある。