昭和村の冬は、ひっそり、忙しい。
土から育てた「からむし」を糸績(う)みしたり、籠やほうきを編み組みしたり。
秋に仕込んだ漬けものは塩抜きをして、乾物は水で戻したり。
それから、じっくり干したお餅を油でカラッと揚げてみたり。そんな「揚げ餅」は村の郷土食。 凍(し)みたり溶けたり、くり返すことで旨みが増すのだそう。
これらはいずれも、冬の仕事。
何は無くとも、この村で生きていくために、朝(昼)晩の雪かきも日常の一コマ。
昭和村の暮らしかた。
それは、衣食住にまつわるあらゆる「知恵」と「技術」が、ひとつの家、小さな集落のなかに循環する暮らしかた。
昭和村を訪ねて、まずそのことに驚く若者も少なくありません。
“どうしてここには、これほど多様な「手しごと」が残されているのだろう?”
その理由が知りたくて。私たちは再び、昭和村を訪ねることにしました。
「手を動かし続ける理由? なんだろうねぇ。
じいさんばあさん、親たちの姿を見よう見まねでやりはじめたら、この手が勝手に覚えちまって。 毎年欠かさず続けてる」
季節に合わせて、毎日の調子に合わせて、淡々と手を動かす。
それは特別なことではなく、きっととても自然なこと。
けれども、ひとつの場所でひとつの仕事をする社会に慣れた私たちは、そんな暮らしぶりをただ古いものとして、見過ごしてしまっているのかもしれません。
それらがつい、50年ほど前まであたりまえに根付いてきた暮らしかたであることを知ることもなく。
「あんまり雪が深いので、気持ちが滅入るときもある。
それでもこうして手を動かせば、布や道具や食べものまで、なんでもかたちになって、そのうち春がやってくる」
ゼロからなにかがかたちになる喜びは、肌身で感じる宝もの。
重ねて村を訪ねるなかで、私たちは思いました。
「話を聞くだけでは捉えきれないことも、実践すればこの手が覚える」
「技術というのは、一生つかえる技をいうのかもしれない」
そして、そんなふうに手を動かし始めた「雛」を待っていてくれるひとがいることも知りました。
「次はいつ来る? それまで、この籠は完成させないで残しておくよ。
意外とやってみればできるもんだから」
音もたてずに降りつづく冬の花。その美しさとは背中合わせに、自然の力はときに容赦がないけれど。
その厳しさゆえに、工夫をこらす昭和村の暮らしはきっと、“古いから美しいのではなく、美しいから古くいられる”もの。
戦前からこの平成まで続く、深く厚みのある「知恵」や「技術」に、私たちは生命力を感じられずにはいられません。
「手を動かせば宝になる」。
時代を超えて手から手へ伝わる、息の長い暮らしを訪ねて。
【福島県大沼郡昭和村】特集、続けます。
(この記事は、福島県昭和村と協働で製作する記事広告コンテンツです)
文:中條美咲
編集:小山内彩希
写真:小松﨑拓郎(タクロコマ)