これは、東京都の町田市から、福島県の奥会津に位置する昭和村に移住したご家族の話です。
一家の大黒柱である工(たくみ)信幸さんは、村の主要産業であり、夏秋期収穫量で日本一を誇る昭和村のかすみ草農家として、移住し新規就農。
事のはじまりはかすみ草農家としての信幸さんをインタビューすることでしたが、下調べをすると、どうやら人一倍家族思いであることが伝わってきました。
もしかしたら移住を決めた理由は、「家族」にあるのかもしれない。街の風景も生活する環境も都会と大きく変わる、昭和村だったのはなぜだろう。
ふつふつと湧く疑問。そこで今回は縁の下の力持ちである彩(あや)さんと学校から帰ってきた子どもたちにもご協力いただき、移住の決め手を教えてもらいました。
工 信幸(たくみ のぶゆき)さん、彩(あや)さんご家族
2008年に東京の町田市から福島県昭和村に移住。信幸さんはかすみ草農家へ転身。信幸さんと彩さん、元気な4姉妹と末っ子長男の7人家族
織姫になりたかった
── 今日はご家族で昭和村で暮らしはじめた背景を教えていただきたいです。そもそもは、お二人のどちらかが昭和村のことをご存知だったのでしょうか。
工信幸(以下、信幸) もともと昭和村は知らなかったんですけど、織姫制度ってあるじゃないですか。妻が織姫さんになりたがっていまして。
工彩(以下、彩) 学生の頃のことですね。
信幸 結婚を機に行ってみようと、新婚旅行ではじめて昭和村を訪ねました。昨日ペンション「美女峠」に泊まっていましたよね?
── はい、泊まりました。
信幸 あそこに2泊したんです。
── 滞在中はなにを見て回られたのでしょうか?
彩 からむし織りの体験ができる織姫交流館(現:道の駅 からむし織の里しょうわ)で織姫さんにお会いして、今の駅長さんともそのときにお話させてもらいました。
── はじめての昭和村滞在はどんな印象でしたか?
信幸 漠然と自然が豊かでいいところだなという印象でした。
彩 いいところだよね、食べ過ぎたね、というような(笑)。
信幸 ただ、その時点で移住しようと思いました。
── なぜ移住したいとまで思えたのでしょう。
彩 結局、私が村のことをすごく気に入ったので。
信幸 からむし織が近くにある環境に嫁を連れていきたいなと。あと、こういうところで子育てができたらいいんだろうなと思えたのが、昭和村に来るきっかけです。
嫁の体調の変化に気づいたのは、旅行の最後の食事をしていた時。新婚旅行から帰ってきてしばらくしてから、長女を妊娠していることがわかったんです。
移住は夢物語に。必要資金は500万円
信幸 ただ、昭和村に住みたいなと思っても、仕事がないんですよね。求人があるかというとほとんどないのが現状なので。
じゃあどんな仕事をしようかと考えた新婚旅行の翌月に、六本木で開催する新農業人フェアというイベントに昭和村が出展すると聞きました。
── タイミングがいいですね。
信幸 そう。そのイベントに行ったときに「かすみ草農家の新規就農の資金として500万円が必要。農業は甘くないぞ」って言われて(笑)。
そんなにお金はないし今すぐ移住するのはむずかしいなぁと、一旦諦めることにしました。
信幸 それからは毎月収入の半分以上を貯金して、3年でお金が貯まりました。
── ちゃんと貯金できたことを尊敬します。
信幸 ぶっちゃけて言うと(笑)、じつはその3年間はあんまり移住のことを考えていなかったです。
彩 夢物語みたいだったよね。
── 移住のことが頭から離れていたのに、どうしてまた昭和村で暮らしたいと思ったのでしょう?
信幸 なんとなく(笑)、単純に楽しそうだなと思っただけかもしれない。
彩 私もなんとなくで。彼もたぶんそうだと思うんですけど、この村が無農薬で農業をやっているとか、そういう具体的なイメージを持たずに来たから、理想と現実のギャップに悩まないでいられたのかなと。
信幸 ギャップはまったくないよね。来て、その場で起きたことを全部受け入れて、楽しんでいる。
── それはつまり、かすみ草農家になるために昭和村に引っ越そう、というような考えはなかったと。
信幸 うん。ただシンプルに、暮らすためにかすみ草農家として就農しようと決めていただけですね。
正直なことを言うと、ここで暮らしていくには公務員になるか、農協で働くか、かすみ草農家になるしかないと思う。
で、俺はかすみ草を選んだから、この仕事を続けていれば生活はだいたい安心なんだろうなっていう思いもある。村の主要産業としてかすみ草を栽培する農家を守ってくれるというか、これから良くしてくれるっていう気持ちも伝わってくるし、部会全体でもそうしようと努力している。
先が見えない農業ではないですし、今はかすみ草をもっと盛り上げていかなきゃなっていう自分の思いもあります。
移住の決め手は子どもの姿
── 少し話が戻るんですが、お金の準備もできて再び移住したいと考えるようになってからはどんなアクションを起こしたんですか?
信幸 役場の方に相談しに、また新農業人フェアに行きました。「もう一回移住を考えたいです」と。
彩 そこで勧められたかすみ草栽培体験のワークキャンプに参加したんです。渡辺保雄(わたなべやすお)さんの畑で仮植作業を体験させてもらいました。
子ども2人、長女は2歳、次女はまだ乳飲み子。長女はすごく人見知りでそれまでひとと交われなかったんですけど、保雄さんにすごく懐いちゃって。
彩 私もおじいちゃんのところに行く~!って言う。その姿を見て、じゃあ昭和村で暮らそうって。
信幸 子どもも楽しそうだった。引越し先を決めるって、親の気持ちだけで決めるものじゃないのかなと。
彩 子どもが見たことのない、いい顔をしてるって感じられて、それが移住の決定打でした。ここに来たのは結果論なんです。
「脇目も振らずに走れます」
── 移住後の人間関係の広がりは、かすみ草を通してですか?
信幸 はい。あとは子どもですね。はじめに入った村営住宅は子どものいる家族が集まっている地区だったんですよ。
彩 村に来て間もない頃は子どもが保育所に入っていなかったので、まわりのママ友さんに良くしていただきました。ここでの暮らしを教わりつつ、みんなにわーっと遊んでもらって(笑)。
── 子どもたち同士が遊んでいて、その姿をお母さんたちが遠くで見守りつつ雑談しているような。
彩 そうですね。
信幸 下手すると親は子どものことを見ていないからね。
彩 年上の子たちが年下の子の面倒を見てくれたり、近くで畑仕事をしているひとが見てくれたりします。
── 彩さんがいて、お子さんが生まれたことも影響して、そういった暮らしのために仕事があるんでしょうか。
信幸 それはどうだろう。ちょっと違う気がする。子どもたちに対しての責任はもちろん感じてはいるけど。そのために頑張っているかと言われると、そうではない。単純に仕事が楽しいんだと思う。
かすみ草農家としてまだ未熟ですけども、頑張ればああいうふうになれるという、目標となる先輩が近くにいるじゃないですか。
── 昨日、かすみ草農家の立川さんや栗城さんにお会いしました。
信幸 収穫できる花にまだ満足できていないのは、畑からとれる収量が立川さんたちに追いついていないからです。仕事の効率を立川さんレベルまで上げたいですね。
── かすみ草農家の方がたくさんそばにいるというのは心強いですよね。
信幸 それは村の主要な産業になっている作物が少ないことも大きいかもしれない。でも、だからこそかすみ草1本。
選ばなくていい。脇目も振らずに走れます。
文・写真/小松崎拓郎
(この記事は、福島県昭和村と協働で製作する記事広告コンテンツです)