浅草から東武線を北上することおよそ3時間半。
会津田島駅からさらに北へ車を走らせ、峠を越えると、福島県西部の会津地方に位置する昭和村に着きます。
『灯台もと暮らし』では、小千谷縮(おぢやちぢみ)や越後上布(えちごじょうふ)の原料となる「からむし」を育て、糸を績み、布を織る女性たちの物語を特集してきました。
今冬は、昭和村でホウキや網カゴなど〝暮らしの道具〟をつくっている佐々木良作さんのもとへ。
佐々木 良作(ささき りょうさく)
昭和9年生まれ。福島県昭和村の野尻集落で生まれる。農家として36年間葉タバコを栽培した後、葉タバコの廃作奨励をきっかけに、カスミソウ農家に転身。引退後は手仕事の職人へ。現在暮らしている松山集落は奥さまの実家。
若者のあいだで、からむし織のような〝てしごと品〟の使いやすさや、長く使い続ける価値観が見直されつつあるように思います。
その本当の魅力は、つくり手の暮らしにあるのではないでしょうか?
なんでホウキをつくっぺと思ったっけかなぁ
夏は農家にとって田畑の仕事が山積みとなる時季。
一方で、冬になると作物を育てられなくなります。田んぼや畑が厚い雪に覆われてしまうためです。
11月下旬から4月上旬までの長い冬のあいだ、雪崩を防止するための(道路に設置する)スノーガードがなかった頃の雪深い昭和村の冬は、たとえるならば陸の孤島。出稼ぎに行けなくなる年もありました。
冬は、次の夏の農作業で使う道具の準備の季節でもあります。
「いやぁ、手仕事はたいしておもしろいとは思わなかった」と、渋く笑う良作さん。
良作さんが10代だった昭和20年頃は、まだ農作業で草鞋(わらじ)やザルが必需品。
夏場は家業の農業を手伝い、冬になると来夏の道具の準備をするように親から言いつけられました。まだまだ良作さんは遊び盛り。てしごとは楽しくもありませんでした。
それでも、親からの言いつけですから、手を動かさないわけにはいかず……。
こうして毎年繰り返されていく、農家の営み。
冬の仕事として、良作さんがはじめてホウキをつくったのは30代の頃です。
「(ホウキのつくり方を)習得するために何度も知人に教えてもらったけども、毎年続けてきたわけではなかったなぁ。ホウキづくりから離れていた期間は、葉タバコの百姓に専念して、そのあとは花をつくりはじめてだな」
良作さんは、農家として36年間葉タバコを栽培。その後、葉タバコの廃作奨励をきっかけに、1983年から20年弱、カスミソウを育てて暮らしてきました。
つまり、良作さんがホウキをつくらなくなってから、再びつくりはじめるまでに経過した時間は、なんと50年。
「なんでもう一度ホウキをつくっぺと思ったっけかなぁ。ホウキグサをもらってからかなぁ」
たまたま材料となるホウキグサを村の知人に譲ってもらった良作さんは、素材を活かさないのはもったいないと、15年前から毎年ホウキをつくり続けています。
「手仕事なんていうのは、1回覚えれば、なあ。何十年経っても、多少は衰えるかもしれねえけど、あんまり衰えることなくできんじゃねえのかなぁ」
土からつくる昭和村のものづくり
ホウキづくりは、雪に囲まれる冬の仕事。
6月頃からホウキグサの種をまき、10月頃、大きく育つと3mほどになる穂の先端から1mを刈り取ります。
その後、乾燥させたホウキグサを使って制作にとりかかるのは、お正月前から。
ホウキグサに付いている種は、稲を脱穀するための機械で削ぎ落とし、機械では落としきれない細かな種は、切れなくなったノコギリでつくったお手製の道具で削いでいきます。
こうして、しなやかでやわらかな材料のできあがり。
外側は特によいものを27本、内側に約50本。茎の1本1本を針金で編んでいき、ホウキの柄となる竹に固定します。
このときの柄の角度が使いやすさに大きく影響するため、良作さんなりのこだわりがあるそう。
最後に穂の根本に近い部分を畳糸で編み、穂先をはさみで整えれば完成。
また、機械で削ぎ落としたホウキグサの種は、来年の収穫にむけて畑にとっておきます。
果実は収穫できないような厳しい環境。村のひとたちにとって身近な素材は、今や私たちにとっては身近ではなくなってしまった素材を活かしている、昭和村の暮らし。
掃除機やプラスチックのざるが存在しなかった、戦前からの営みが続いているのです。
自分たちの日々のためにつくってきた良作さんのてしごと品の数々は、現代において見えづらくなってしまった「ものは土からつくられている」ということを教えてくれます。
「綺麗」な仕事をしたい
「ホウキは1本、ざるも1つあれば充分。上手に使えば、何十年も持つからさ」
良作さんの手で生み出されたものは、毎年開催される村の老人作品展で優秀賞を受賞。作品を買いたいという村人が多く、今年も抽選となり完売したそう。
「近頃は毎年のように、みんなホウキを喜んで買ってくれっから、(老人作品展に)出してんだけど。軽くていい、肩こらない、なんてな。何本も持ってったりしてな」
村人の要望に応えて、2〜3合炊くのにちょうどいい米研ぎざるまで自作しました。
「もとのざるは大きかったんだけども、大きいとみかんが入りすぎてさ(笑)。少し小さくするほうが果物を入れておくのに丁度いいし、可愛い。いまの若い女性たちには小さいほうが好まれるんだということで、このサイズをつくるようになったな」
良作さんは、何がなんでも手仕事にこだわっているわけでも、自分の中で目標やゴールを定めているわけでもなく、フラットな心持ちで日々、目の前のホウキの角度や網目を整え、一つひとつ仕上げていきます。
「手仕事が楽しく感じられるようになったのは、ここ10年くらいだなあ。思うようにできねえこともあるけど、喜んでくれるひとたちがいるから、綺麗な仕事をしたい」
今回の昭和村滞在で目にしたのは、訪れた家々の居間や玄関にそっと立てかけてある、良作さんのホウキ。
丁寧につくられた手仕事の品々は、今日も村のひとの暮らしに寄り添っています。
(この記事は、福島県昭和村と協働で製作する記事広告コンテンツです)
文・写真/小松崎拓郎(タクロコマ)