その日、生まれ変わった「喰丸小」を目の当たりにした私は、以前から慣れ親しんだ木造校舎のあまりに変わらない佇まいに呆気にとられ、驚きを隠せませんでした。
使えるものは丁寧に取り出し、傷んだ部分は取り替える。
古くなった建物を単に取り壊し、新たに建て直すことよりもずっと、労力のかかる方法かもしれません。けれど、スクラップアンドビルドばかりでは残せない価値がある。
そのことに多くのひとが共感し、工事費用の一部(寄付総額12,347,000円・寄付者数365名)をクラウドファンディングの活用によってまかない、息を吹きかえした建物。それが喰丸小学校です。
「無くすのは簡単ですけどね。冬には雪下ろしだって何回もしないといけないし、維持していくのはほんとうに大変。」
「かつて日本中どこででも、次世代においてこそ実現される豊かさに対する期待とそこへの投資があったはず。
小学校って本来、そんな思いが結実した灯火ともいうべき場所だったと思う。喰丸小はまさしくそういう場所として、昭和村はもちろん、日本のこれからを照らし出す存在ではないか。」
この度、「喰丸小」の改修工事を通じて可視化された、地域における本当の文化的資産とは、一体どのようなものでしょうか。
工事中の様子を振り返りながら、「喰丸小」に託された今後の役割についてお伝えしていきます。
新しくつくるよりも、手間のかかった改修工事
築80年。廃校から37年が過ぎ、ジワジワと老朽化が進んでいた「旧喰丸小学校」の改修工事に、昭和村が着手したのは2017年6月9日のこと。
一階部分の壁板と床板をすべて剥がし、建物全体をジャッキアップ。土台となる基礎を固めていくところから工事は進められていきました。
11月に訪ねた際、校舎全体は雨風を防ぐためのグリーンシートにすっぽりと覆われて。一歩足を踏み入れると、もとの面影は少なく骨組みだけの姿となっていました。
使われなくなった建物の傷みは早いものです。ここまでなんとか持ちこたえてきたけれど、校舎の内部、屋台骨となる柱の腐食部分は何箇所も継ぎ木がされていました。
階段部分は、倒壊寸前。ワイヤーで引っ張り太い木で外から支えたり、なんとか持ちこたえている状況のなか、「もしも階段部分が崩れていたら、この建物はもうダメだった。改修できなかっただろう」と、担当者の男性は語ってくれました。
工事の方針について、改修計画(案)には、こんなふうに記されていました。
「利用者の安全を第一に、旧校舎は可能な限り現状保存し、必要な補修・補強工事を行うとともに、現在の外観の風合いを残すため、木製の窓枠を復元し、外壁の板材をできるだけ再利用する」
工事を担当した大工さんたちは「新しくつくるよりもすごく手間がかかって、大変だった」。そんな言葉を漏らしながら、一本一本柱を継いで、一枚一枚の板をもとの場所に当てはめていったそうです。
まるで子ども時代の記憶が詰まった『タイムカプセル』
改修工事の着手からおおよそ一年。
2018年4月26日。かつての廃校「旧喰丸小学校」は、名前を「喰丸小」に改め、昭和村の暮らしに寄り添うみんなの学び舎(集い場)として、再出発しました。
昭和村役場の産業建設課・観光交流係長の菅家弘樹(かんけ ひろき)さんは、完成した「喰丸小」についてこのように語ってくれました。
「喰丸小が完成して、なにかが大きく変わったというよりも、残してもらってよかったという気持ちの方が大きいですね。
それまでは安全性の理由から、村民も校舎に立ち入ることはできませんでした。けれど、今回こうして改修工事をしたことによって、校舎内部にどなたでも自由に入って見学・利用してもらえるようになりました。
卒業生の方の、『昔のことが蘇ってきて、涙が出る』という言葉。卒業生でない方でも、子どもさんと一緒に見学に来て、『父さんも昔こういう学校に通っていたんだ』と話をされているのを見ていると、『あぁよかったなぁ』と感じます。
昭和54年まで、昭和村には4つの小学校と1つの分校がありました。各小学校の卒業制作の展示物も、喰丸小に集合しています。ここは、子ども時代の記憶が詰まった『タイムカプセル』みたいな場所だと思います。
板張りの床や手作りの机とイス。かつての小学校という、学び舎ならではの懐かしい空気感を感じていただけるのではないでしょうか。」
昭和村の暮らしといとなみの縮図。「喰丸小」のこれから
再び利活用が可能となった「喰丸小」に託されたのは、次の4つの役割です。
1 【 学 び 】 ── 村での学びをサポート
〈放課後子ども教室の開放・図書室を自習スペースとして活用・各種ワークショップの開催〉
2【 暮らし】 ── 村の暮らしをサポート
〈高齢者の生活支援(地域サロン、茶飲み場)・情報交換の集い場〉
3 【 交 流 】 ── 都市農村交流・移住サポート
〈観光情報の発信基地・観光誘客イベントの開催地・移住、定住相談窓口の設置〉
4 【 産 業 】 ── 村の産業をサポート
〈カフェ・手仕事、工芸品の制作・特産品の販売〉
いずれも、この村の暮らしやいとなみに根ざしながら、いつでも・誰が来ても利用できるひらかれた場所。そんなことができるのが、「喰丸小」という場所が持つ懐の深さでもあります。
敷地内に新たに隣接された「蕎麦カフェ SCHOLA」の窓からは、校庭のイチョウの木と校舎を眺めながらゆっくり深呼吸。店主自慢の手打ち蕎麦も美味しくいただけます。
「喰丸小」は、私たちが生まれるずっと前から、昭和村の子どもたちと、ここに暮らす人びとのいとなみを見守りつづけてきました。
私たちは往々にして、「変わること」ばかりを求めてしまいます。そして、いままで当たり前だった風景や存在が失われ変化するとき、変わらずにあり続ける当たり前の存在の尊さに、ふと気がついたりするのかもしれません。
時間の経過とともに、かつての喰丸小学校は自然に溶け込み、いつしか昭和村の風景の一部となりました。眺めるばかりの人工物は次第に風化していきます。ひとの手や想いが介在することがなければ、再びこうして活用されることは叶わなかったでしょう。
廃校から38年目を迎え、息を吹き返した「喰丸小」。
これからは、外から眺めるばかりの風景の一部ではありません。改修工事を終えた喰丸小には、誰もが安心して校舎内部へ足を踏み入れられるようになりました。村に暮らすひとをはじめ、関わる人びととともに新たな記憶を培う場所として。
今後は、村民はもちろん、村外から訪れるひとにも「どんどん使って欲しい」と菅家さんはお話します。「喰丸小」で展覧会やイベントを開いてみたいという方はぜひ一度、昭和村の観光交流係へ問い合わせをしてみてください。
- 喰丸小FBページはこちら
文/中條美咲
編集/小山内彩希
写真/小松崎拓郎
(この記事は、福島県昭和村と協働で製作する記事広告コンテンツです)