「まさか自分でお店をやるとは思わなかったー。」そう語るのは、けらけら笑う、笑顔の美しい女性。岩手県遠野市で手作りのパンを販売する「Bakery maru。」の店主、菊池真由子さんです。
結婚後に神奈川から移住して3人の子供を育てながら、同時に育んできた「Bakery maru。」のこれまでについて聞きました。
焼きたての香りがするパンが食べたくて
── マルさんが遠野に来たきっかけを教えていただけますか?
菊池真由子(以下、マル) 旦那さんが長男で、彼の実家に戻るという形で、一番上の息子が3歳のときに神奈川から遠野に引っ越してきました。移住してからもう10年が経ちます。
── お母さんなのですね。パン作りはもともとやっていらっしゃったんですか?
マル 私は農業高校でパンを専攻して、そのままパン製造の工場に就職しました。
── それからどのような経緯があって「Bakery maru。」をはじめたのですか?
マル 遠野だとスーパーでパンを買うことがほとんどですが、それだと袋を開けたときにパンの焼きたての香りがしないから、さみしくて……。だから最初は、自分の家族が食べる分だけ自宅でパンを焼いていたんです。1回で50個分くらい焼いて、残ったパンは近所のひとにあげていました。
そんなことをしているうちに、周りのみんなから「パンを売ってくれないかなあ」という声を少しずつもらうようになったんです。
── それがきっかけでお店をはじめたんですね。
マル いえ。パン屋は朝早くから仕事がスタートします。その大変さは身に沁みてわかっていたので、最初はパン屋をやるつもりはありませんでした。本当に身体を壊してしまうかもしれないから。
── それでも開店に踏み切った理由はどのようなものだったのでしょうか。
マル 7年間遠野に住んでできた友人がパン屋をやってほしいと思ってくれる気持ち、義母からの子育ての協力と、お店をやってみて!という応援、おばあちゃんになっても仕事を続けられること、そして自分が、自分らしく生きていけるような気がしたから、パン屋をやろうと決めました。
「on-cafe」の店主の礼子さんが「イベントでいつもパンを出すから、マルちゃんのパンを売ってみない?」と声をかけてくれたのも大きなきっかけです。1日限定のイベントだったのですが、そのあとも、お客さんから「パン屋を続けて欲しいな」と言っていただくこともあって。
このご縁で、週に1度、土曜日に「on-cafe」の店頭で販売させてもらうことになり、今は水曜日にパンの配達もやっています。今年の3月からは、遠野市内の道の駅「風の丘」で販売することにもなりました。
── パンを販売する場所が着実に増えているんですね。
マル そうですね。「いつ行ったらパンが買えるの?」って、お客さんによく聞かれるんです。これまで「Bakery maru。」の営業日は「水と土曜日です」と伝えてきてはいるんですけど、それでも毎日ではないから忘れてしまうものですよね。だから少しずつでも継続してパンを販売できる場所があったらいいなと思っていたから、場所が増えることはとてもありがたいです。
あのひとに食べてほしくて、パンを焼く
── 子育てをしながら「Bakery maru。」を営業していると思うのですが、仕事のスタイルについてお伺いしたいです。
マル 水と土曜日は店頭と宅配の販売があるので、たとえば今日は早朝の3時から7時くらいまで焼いていました。水曜は配達日なので、焼く時間に加えて、冷ます、梱包するという作業も発生します。
── 店頭で買うのと配達でラッピングされたものを買うのとでは、違った良さがありそうです。
マル なかには、パンを誰かへのおみやげとして買ってくれる人もいます。遠野の一般的なパンよりも、うちのパンは価格が高いと思う人がいるかもしれないけれど、少しでも身体にいいものを食べてもらうために、岩手県花巻市にある無農薬野菜と自然卵を作っている「和み農園」さんから卵を仕入れるなど、素材も工夫しています。
あとは菊池牧場さんという発色剤や保存料などの食品添加物を一切使わずにソーセージや牛乳を作っている方のお肉を使っています。すごくスパイシーでおいしいソーセージなんですよ。
── いちばん人気のパンは何ですか?
マル まんべんなく人気があると思います。みなさん好みで分かれるので、その人が好きなパンがあるんです。「あの人が今日パンを買いに来るって言っていたから、これを焼こうかな」と思えます。お客さんとの距離が近いのが、都会でパン屋をやるのと違うところじゃないかな。
マル 遠野でパンを焼くということは、「誰のために焼くか」がダイレクトに見えることだと思うんです。都会でも地元密着型というお店は当然あるとは思いますが、基本的には不特定多数の人に売ることが前提。でも遠野は、パンを販売できる場所そのものが少ないですから、イベントなどの人とのご縁で、特別なときだけパンを焼くというスタイルに落ち着いています。
毎週数百から数千個以上パンを焼くのではなく、お客さんと直接話して「本当に食べたいパンを作る」ことができるんです。
遠野でパンを作る楽しさは、食べてくれる相手に気持ちを込めてパンを焼けるところなのかもしれません。私が焼いたパンが、誰かの記憶の片隅にある、おいしい思い出になれたらといつも思っています。
物語をスタートさせるには「準備」が大事
── これまでお話してくれた「Bakery maru。」ができるまでのストーリーをご自身で振り返ってみると、どんなことを思いますか?
マル たぶん神奈川に住み続けていたら、どこかのパン屋さんで働くことはあったかもしれないけど、自分でお店を始めるなんて絶対なかっただろうなぁって(笑)。
── じゃあもともと「パン屋さんを開業したい」という夢があったわけではないんですね。
マル 自分でパンを作れるんだから、産地直送販売所のひとカゴ分で毎日販売したいねって話をしていました。そしてゆくゆくはお店もやれたらいいねと。でも、それくらいの気持ちでした。
じつは礼子さんに声をかけてもらう1年位前、まだパンでお店をやろうなんて考えていないときに「近所のパン屋さんがなくなってしまうから、居抜きでお店をやらないか?」という話をいただいたことがあるんです。でもそのときの私にとっては突然だし、話が大きすぎるから断ってしまいました。
マル そのとき、「何かをやりたい」と言う前に、やりたいことに向かってちゃんと準備をしていないと、物語は始まらないんだとつくづく実感したんです。自分のやりたいことを実現するためには、道筋を綿密に考えながら、常に動かきゃいけない。
それから少しずつ意識はしていたけれど、こんな早い段階で礼子さんに声をかけてもらえるなんて思っていなくて、うれしかったですね。
子どもの成長に合わせて「Bakery maru。」を続けたい
── これから「Bakery maru。」をこんなふうにしていきたい、という展望はありますか?
マル とりあえず今の仕事のスタイルを確立させたいです。おかげさまで毎日パン作りをさせてもらっているのですが、生活のリズムがごちゃごちゃしている状況でもあります。中学校と小学校と保育園に子供がいるので、仕事はセーブしなきゃいけないと思うことも多々あります。
── 3人のお子さんの食事を作ったり、学校行事に参加するだけでも大変そう……。
マル そうなんです。お店を始めたときは、下の子が1歳になったばかりで、おんぶしながらパンを焼いていたこともありました。今でも学校の行事から何から、カレンダーに書ききれないくらい予定がいっぱいで。長男が高校に入れば少し落ち着くし、小学校組がふたりになれば少しは楽になると思うので、あともう少しするとまた違ってくると思います。
子どもの成長によって、目まぐるしく生活環境が変わっていくので、自分自身もこれからどんなふうになるのかわからない。だから、子どもの成長に合わせて「Bakery maru。」を続けていきたいと、今は思っています。
── そういう環境で「Bakery maru。」を続けてきて、今後も続けていくと。かっこいいです。また遠野に来たら、パンを食べに来ますね。
お話をうかがった人
菊池 真由子(きくち まゆこ)
2005年に神奈川県から岩手県に引っ越す。2012年11月に「on-cafe」のイベントを機に、「Bakery maru。」として毎週土曜日にパンの販売を開始。2013年の6月から自家工房を建ててパンを焼いている。遠野市で義父、義母、夫、長男、長女、次男の7人暮らし。子育てが終わったら酵母を育てるのが今後の夢。好きな食べ物は茶碗蒸し。趣味は洋服集め、美味しいものを食べること。
このお店のこと
Bakery maru。
<毎日「遠野 風の丘」で販売>
住所:岩手県遠野市綾織町新里8地割2-1
アクセス:JR遠野駅から車で8分。JR綾織駅から車で9分。
営業日:毎日販売中
<土曜日は「on-cafe」にて販売>
住所:岩手県遠野市中央通り4-26
アクセス:JR遠野駅から徒歩4分
営業時間:土曜日(11時から。パンがなくなり次第終了)
<市内を巡回販売>
水曜日:遠野市内を巡回・配達販売。
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(イラスト:犬山ハルナ)