30歳までずっと都会で暮らしていた伊勢崎まゆみ(以下、まゆみ)さん。大好きなアパレルブランドのお店で働いたのち、デザイナーとして独立、東京都は代官山の土地で、ファッションの道をさぁこれから。と思っていた矢先に、ひょんなことから出会った遠野。
そこで見た田んぼ、空、四季の移り変わりの美しさなど今まで目を向けてこなかった世界や価値観、そして家族となる人との出会いが、自分の人生を変えたとまゆみさんは言います。そして今は、まゆみさんを起点に変わる人たち、集う人たちが多くなっている。
風の人として舞い降りたまゆみさんが、土の人になる瞬間。現在は遠野市の綾織地区で、自然栽培「風土農園」を営む彼女に、結婚して遠野で暮らすまでの経緯と、この土地の魅力を教えてもらいました。
アパレルと代官山の暮らしが大好きだった
神奈川県横浜市の出身といっても、自宅は町の繁華街から離れたところにあったから、周囲に畑はあったはずなのに、若い頃はそういったものが全然視界に入らなくて。
小さい頃からずっと洋服が好きで、中学生の頃はファッションデザイナーになりたかった。でも父親が九州男児で厳しかったから、女伊達に大学や短大に行くもんじゃない……みたいなところがあってね。だから、専門の学科に入って学ぶってことが、私にとっては簡単じゃなくて。
そんなときに出会ったのが、高校生の時から大好きでライブに足繁く通っていた「TOKYO No.1 SOUL SET」の渡辺俊美さんが営んでいた、代官山の「エマニエル」というブランドのアルバイト募集のお知らせでした。
たくさんの人が応募していて、私はその面接の最後の1人だったそうなんだけれど、でも「なんかおもしろいこと言う娘だな」って思ってもらえて、雇ってもらえることになって。……私、おもしろいこと言った覚え、ないんだけど(笑)。
とにかく、採用されたのが、19歳の頃。芸能人やモデルさんなど、たくさんの業界人の方が行き来するお店だったから、そういった世界に刺激を受けながら、以後11年間洋服に携わって都会で生きていくことになります。
最初の転機は25歳の時。洋服が好きだという想いが「レディース服を作りたい」という想いに進化して、勤めていたお店のパタンナーの方にパターンやデザインのことを教えてもらって、自分のお店を開かせてもらいました。お店は、予想以上に順調な滑り出しで、看板を出さず「知る人ぞ知る」みたいな形で続けていって……。
今思えば、とっても調子に乗っていたんだと思います。代官山で、大好きなお店のそばで、好きな素材をたっぷりと詰め込んで作った自分の洋服を、好きな人にだけに売る。ふと周りを見れば自分よりも有名な人や、有名なブランドに囲まれていて。「私はこの世界でやっていける」なんて自負が、ちょっと生まれていたのかもしれません。
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東京を離れ、遠野で暮らす理由が分からない
28歳の時にフリーランスになって、テレビの衣装デザインや、知り合いの方のデザインを手伝ったりと、時間的にも精神的にも自由な暮らしを送るようになりました。そんなとき、ずっと一緒に働いていた友達が、遠野出身の奥さんと結婚して、遠野に婿養子に行くと聞いて。
「東京はこんなに楽しくて、欲しいものは何でも揃っている場所なのに、なぜ彼は遠野という場所にわざわざ行くんだろう?」と。
今思えば最低ですが、でも言ってしまえば冷やかし半分、友達がこれから新しく暮らすという遠野という場所をこの目で見てやろう、みたいな気持ちで気軽に訪れたのが、私と遠野の最初の出会いでした。
景色、人、自然との暮らし。森羅万象が私の人生を組み替えていく
遠野に来て、すべてが変わりました。
一目見て、なんて美しい場所なんだろう、と。遠野に来た当日に、その友達が地元の人を交えた飲み会を開催してくれたのですが、その時に「先輩にパラグライダーをしているひとがいる」と教えてもらって。翌日、早速パラグライダーに乗せてもらいました。
陸とはまた違う、空から見る遠野の美しさに感動しました。山も、川も、田んぼも、空も、すべてが本当にきれいで。代官山で洋服を作りながら見ている景色もきらびやかだったけれど、でもまったく違う世界がそこにはあって。
あとは、景色もそうだし、乗せてくれた人も好きになった。じつは、その人が後に夫となる人(伊勢崎克彦さん)だったりもするのですが……(笑)。
「遠野に行きたい」気持ちがつのる
東京に戻ったあとも、なんだか遠野のことが頭から離れませんでした。最初に訪れたのが7月だったのですが、翌々月の9月、大きなお祭りがあるという日に、遠野を再訪しました。
「じつはパラグライダーをやってみたくって」なんて言い訳しながら、もう一度伊勢崎さん(伊勢崎克彦さん)に会う口実として、パラグライダーに乗せてもらったりして。
遠野って、やっぱり綺麗だなぁなんて思っていたら、今度はお祭りのときに、伊勢崎さんが突然ぐったりしているおじいちゃんのところに駆け寄っていってしまいました。どうしたんですか、と聞いたら、「この人が酔っ払って歩けなくなったって言うから」と、おじいちゃんをかついでどこかに消えていってしまったんです。結局、初めて来た遠野祭りの会場で2時間ひとりぼっち(笑)。
ひどいですかね?(笑) でも、なんだかそういう人に出会ったのも初めてで。それまではどんなお店で働いているかだったり、おしゃれかどうかだったり、あとは新しい情報を話し合える人かどうか、とかってところに魅力を感じていたもので……(笑)。伊勢崎さんに、「今日は西から風が吹いてるなぁ」とか、山を歩いているときに「この苔、素手で触ってみて! 気持ちいいよ」とか言ってもらって、とにかく楽しくておかしくて。
こうやって、少しずつ、少しずつ、私の中の何かが組変わっていくのを感じながら、遠野で過ごす時間を増やしていきました。
月の半分を遠野で。残りの半分を代官山で
自然やモノの大切さ、農業の愛しさや素晴らしさも、遠野で学んだ大きなことの1つです。いえ、根幹と言ってもいいかもしれません。
例えばトマトがあるから、1年分のトマトソースを作るとか、そういう考え方はそれまでの私にはかけらもなかったから、それだけで心を打たれました。おばあちゃんたちが夏にきゅうりを漬ける作業を見るのも、ただ1回漬けるだけじゃなくて、腐らないように2回、3回と漬け直して、厳しい冬をしのぐ為に季節を見通して食べ物と向き合うんだなぁ、とか……。
食べ物をコンビニとかで済ませるんじゃなくって、自分の畑や田んぼで採れたもので1年間を暮らすっていうサイクルが私には本当にかっこよく見えてしまって。
それを自分で実践したくなったら、もう知らないこと、学ぶことだらけで。どんどん、どんどん楽しくなりました。
月の半分は、遠野で借りたアパートを拠点に畑仕事をして、そして残りの半分は東京でアパレル、デザインの仕事をして……というサイクルを半年ほど続けた時に、私の中ではっきりと遠野で過ごす時間と、東京で過ごす時間のずれを感じるようになりました。
のんびりした日常と、せかせかした日常。
その頃には、私はもうどうしても遠野の暮らしがしたくなっていたから、アパレルの仕事は辞めて、遠野に移住することを決めました。
……でもほら、来るからには、伊勢崎さん、結婚してくれないと、ね(笑)。色々と話して、両親にも会ってもらって、住所を遠野に移してから1年後。当時伊勢崎さんが働いていた「クィーンズメドウカントリーハウス」のみなさんが馬も含めて総出で協力してくださり、遠野ふるさと村で、昔ながらの馬に乗っての式を挙げさせてもらい、めでたく私は伊勢崎まゆみになりました。
ふふ、長いですね、私が遠野で暮らし始めるまでの経緯。
今日を逃したら、同じ季節は1年先までおあずけだから
そこからは、まさに漫画、映画の『リトル・フォレスト』の世界です。「生きるために食べる。食べるためにつくる」。『リトル・フォレスト』は私にとっての田舎暮らしのバイブル的存在で、毎日が発見の連続。
2006年に遠野に移住することを決めて、2015年で早9年。あの頃感じたときめきは、まだ今日も遠野に感じるし、土いじりは楽しいし、知らないこともまだまだたくさん。農業をしていると、毎日が愛しいの。だって、季節は変わっていってしまうから、今日を逃したら1年先までチャンスがない、ということが当たり前にある。
私は伊勢崎さんと結婚して、嫁入りという形で遠野に来たけれど、昔代官山で暮らしていた頃は、流行の洋服や、人気のご飯屋さん、遊び場などに触れて、消費すること自体が自分の自信だったり、心の豊かさにつながると思っていたりしました。
随分変わったねぇ、なんて友達に言われたりすることもあるけれど、あのとき洋服に感じていたわくわくを、今はそれ以上の大きさで遠野の自然や暮らしに感じるようになっただけ。
もちろん、農業なんて全然知らないド素人がこの世界に飛び込むということだから、わからないことや、辛いこともたくさんありました。特に、今の夫である伊勢崎さんと、「風土農園」で自然栽培を始めてからは、辛くなかったとは言えません。自然栽培の大切さが理解されないこともあったし、批判や指摘をいただくことも多かったです。
でも、不思議とやめてしまおうとは思わなかった。佐々木悦雄さんをはじめ、遠野の自然栽培の先輩たちからも、いつも力をもらっていました。「自然栽培をしましょう!」なんて、周囲の方に自分たちの信じるものを押し付けるように説いてしまった時期もあったけれど、でもいつからか、「自分たちが楽しんで農業をする姿を見ていただくほうがずっといい」という気持ちになって、素直になって、それでここまで、続けてこられた気もします。
私たちの気持ちの持ちよう以外にも、世の中の風向きが、少しずつ変わってきたのをこの2年、3年くらいで感じたりもしています。同世代の農家の仲間が増えたり、より多くの方がオーガニックの良さに目を向けるようになったり……。
そういえば最近は、農業に夢中になって、当初「別々の世界かも」なんて思い込んで封印していたファッションへの情熱も、4年前に敦子さん(渡辺敦子さん)に出会ったことも影響して、復活してきたんですよ。
農家だからといって、好きなファッションを楽しむことを辞める必要はないし、洋服作りだって、今の暮らしに最適な形で、再開する方法がある。最近はそう思って、子どもの洋服やターバンなどのファッション小物作りをまた楽しみ始めています。
遠野は本当に美しい場所で、素晴らしい人たちがいて、まだまだみんなの知らないことが詰まっていて、これからどんどん楽しくなっていくんだよということを、もっと多くの方に知ってほしい。伊勢崎さんの描く未来を、私も一緒に実現させていきたい。
「空市」もその1つ。やりたいことはたくさんあるから、1つずつ、1歩ずつ。今日も遠野は、とても綺麗です。
お話をうかがったひと
「風土農園」伊勢崎 まゆみ(いせさき まゆみ)
神奈川県横浜市生まれ。都内のアパレルメーカーで販売兼デザイナーとして活動中の20代のとき、友人に会いに訪れた岩手県遠野の景色に魅了され、9年前に東京から移住。16代続く農家へ嫁ぎ、夫と共に『風土農園』として、無農薬・無肥料の自然栽培で米と豆作りを始める。四季を通して、農家の暮らしの中からつなぎ、築き、生まれた発酵食の豊かさや自然の中にあるもので暮らす“生きる力”を知り、「暮らしの文化」を外に内に伝えていくべく活動中。
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(イラスト:犬山ハルナ)