「自分の『幸せ』を手に入れることは、簡単だと思うんですよ。どこで、誰と、どうしていたら、自分らしくいられるかを知っていれば、自分は満ち足りていられる」。
アパレルブランド「URBAN RESEARCH」が手がける、エシカルファッション「かぐれ」のブランドプランナーを務めている、渡辺敦子さんは、そう話します。
敦子さんは、うつわの名産地である栃木県益子町のお店「starnet」を経て「かぐれ」での活躍後、妊娠・出産を期に、東京から岩手県遠野市へ移住を決めました。住まう家は、遠野のなかでも居住者が少ない山奥。
広い庭には時折、ニホンカモシカが出るという自然豊かなこの地へ、敦子さんが訪れた理由とは。まるで風が吹くように、自分の気持ちに素直に生きる、敦子さんにお話をうかがいました。
気持ちがいいから遠野に来た
── 東京から遠野に引っ越してきて、早々にすみません……。
渡辺敦子(以下、敦子) いえいえ、まだとても散らかっているのですが、どうぞ。
(注:取材は、渡辺さんが引っ越した当日に現地にて行われました)
── 敦子さんのご自宅へ来る途中、舗装されていない山道を通りましたが、ご近所さんはいらっしゃるのでしょうか?
敦子 道中に、一軒お家があったでしょう。あそこにはおじいちゃんがお一人で住んでいて、彼が唯一のご近所さんです。いつも農作業されていて、車で家の横を通り過ぎたりするときは声をかけたりしています。お互い、大切な存在です。
── なぜ、こうした山奥を選んで引っ越されたのですか。
敦子 以前から、森の中で暮らしたいという夢があったんです。朝、目が覚めたら窓の外に木がたくさん生い茂っているような風景を思い描いていました。いつかそんな暮らしができたら良いなと思っていたので、ここに来た時に「あ、良い感じだぞ」と。
もともと東京にいることにこだわりはありませんでした。それと、とにかく暑いのが苦手なんです。去年、東京で仕事中に暑さで倒れてしまったことがあって、その時に「ああ、もう東京は出ようかな」と思いました。
それから、この家には以前、カップルが住んでいたそうです。離れでは、一日一組だけ予約できる、オーガニックレストランを営んでいらっしゃったと聞いています。家の中もところどころご自身でDIYされたあとがあって、とても大事にされていた家だったように感じます。その方々とは、もう一度お話してみたかったな。
── 敦子さんご自身が山に憧れるのはどうしてですか?
敦子 住宅街で育って、友達と外で遊ぶのがぜんぜん好きではなかった子どもでした。ひとり部屋で絵を描いたり、本を読んだりしていたかな。今も、森の中にいるのが好きなだけで、山登りしたりキャンプしたりするのが好きというよりは、じっと植物観察をしています。
でも、単純に森の中にいたら気持ちがいいんですよ。なにかを選ぶとき「なんとなく気持ちがいいから」っていう感覚で選択することが多くて、この家に移り住んだのも、それが決め手でした。
── 数ある地域で、移住先を遠野にしたのも、やはり肌感が決め手だったのでしょうか。
敦子 そうですね。私も夫も、それぞれが気に入っている土地でしたし、友人も多く、仕事のことも含めていろいろ都合が良かったんです。そもそも、どこかへ移り住むということに関しても、ふたりともほとんど気負いがありません。移住先に根を張らなくちゃとか、定住しなくちゃという強い思いもないです。ですから、遠野に来たのも軽い気持ちと言えなくもないですね。
── 敦子さんは益子でも活動されていましたが、益子に移住しようとは思わなかったのでしょうか。
敦子 益子の手仕事の文化や、それを支える人たちのコミュニティーは、とても強固なものでしたし、すでに町の価値観が育まれている場所だと思います。一度完成された地域が、益子かなって。
文化レベルが高くて、おもしろい友人もたくさんいて、大好きな場所なんですが、私としてはもっと自然が溢れている環境で、これから形になろうとしているモノやコトにかかわる人たちと、なにか出来たらいいなって今は思っているんです。
借り物の街からリアリティのある地域へ
── 敦子さんが遠野を訪れるきっかけにもなった人との出会いについて、教えてください。
敦子 東京にいた頃、乗馬を習いに行っていたんですが、そこできくりん(菊地辰徳さん)と友だちになりました。移住を検討していたきくりんに付いて来て、初めて遠野を訪れました。風景の美しさが衝撃的でしたね。
その後、何度か遊びにくるうちに、まゆみさん(伊勢崎まゆみさん)や伊勢さん(伊勢崎克彦さん)と出会って、この土地で暮らしている人、暮らしたいと願う人たちが考えている「循環する暮らし」のイメージに共感しました。そして、この活動に協力したいなって思った。
伊勢さんは、その活動の中心にいて、自分のためだけじゃなくて地域のこと全体を考えている。農業をやるなら土のこと、水のこと、山のことまで目を向けなければいけないし、食べものひとつとっても、地域の環境がぜんぶつながってできているっていう考え方は、そのとおりですよね。
自分が生まれ育った場所の価値を受け止めて、さらに新しいチャレンジをしようとしていることも、すごいと思います。
── 益子にしろ、遠野にしろ、ずっとここにいたいと思う瞬間はありますか?
敦子 その感じはよくわかりません。居る場所が離れてしまっても、関わり続けたい人たちやプロジェクトは、他にもたくさんあります。「かぐれ」の活動もそうです。今は遠野に居て、この地域の魅力を存分に味わっていますが、物理的な距離が離れたからといって、すてきなものたちと離れ離れになってしまうわけではないですよね。
関わり続けたいと願えばいくらでも叶う。好きなものとの距離が遠くなってしまうことへの不安はありません。
── 敦子さんには土地への執着がなくて、人への想いがあればどこへでも行けるという感覚があるのかなと感じました。
敦子 そうですね。たとえば私にとっての東京は実家もないし、ぜんぶ借り物で暮らしていたような感じがあったので、離れることにもぜんぜん抵抗がありませんでした。もちろん、そこで出会った大切な人たちもいるけど、彼らとはどこにいてもずっと関わっていけるし、東京の街のおもしろさはいつでもそこに行けば味わえるものなんですよね。
東京に集まる情報や人やものは、東京の外から集まってくることが多いです。でも、それらを受け取る側ではなくて、生まれる場所のほうがリアリティを感じます。東京のおしゃれなランチに出される美味しい野菜は、地元へ行けばもっと新鮮なうちに安く手に入る、なんてことも多いでしょう。いろんな地域には、東京に集約される前の、ホンモノがあると思いますね。
── リアリティのある地域と、東京との関係性は対比構造なのでしょうか。
敦子 いえ、それぞれの土地に、それぞれの役割があると思っています。生み出すのは各地域が得意でも、それを上手に見せたりデザインしたりして広めるのは、東京だったり、ほかの場所の方ができるかもしれませんから。「かぐれ」でも、地域で生み出される素晴らしいものを、都市で紹介するという活動を行っていました。
ただ、今までは都市で消費するというサイクルが固定化されていましたが、これからはそのサイクルも少しずつ変わっていくでしょう。地域で生み出したものを地域間で消費する、という循環が生まれて、都市に集中していたものが少しずつほぐれていく気がします。
これから新しい命を迎える土地として、遠野を見る
── 敦子さんご自身は、出産を期に遠野へ移住されましたが、子育てをする場所としての遠野は、どういう環境ですか?
敦子 それが、困ったことに遠野市には赤ちゃんを出産できる場所がないんです。今は隣の花巻市まで車で一時間かけて定期検診などに行っています。こういう現状は各地域で起きていると思いますが、生まれたあとのサポートやケアが万全だったとしても、まず産まれる前の環境が整っていないと、子育てをする以前の問題になってしまいますよね。
助産師さんの活動に制限があったり、産院が閉まってしまったり、たくさん課題がありますが、これから遠野に戻りたい、暮らしたいと思っている女性に「遠野は出産にも子育てにも良いところだよ」と紹介できるくらい、制度や仕組みが確立されると良いのですが……。
── 子どもを産む場所がないと、いくら子育て支援が充実していても出産に踏み切れませんよね。
敦子 そういう大変さはあるけれど、遠野のこの自然の中で子育てするのは楽しみです。土があって草木が茂っていて、虫も鳥もたくさんいるし。今は、夫も遠野と東京を行ったり来たりですが、子どもが生まれたらいっしょにこの場所で過ごす時間を大切にしたいと思っています。
── 赤ちゃんができてから、敦子さんご自身の変化はありましたか?
敦子 子どもができてから、自分の幸せが自分のものだけではないと思うようになりました。
── 家族ができると、自分本位じゃいられないということでしょうか。
敦子 自分に関わってくれる人たちがいるから、今の私がつくられていることを実感しています。だから、自分本位じゃいられないというよりは、周りが幸せじゃないと、私も悲しい。シンプルに、そう思うんです。
自分の状態がベストであるのは大前提で望ましいんですが、家族や、周囲のみんなの状態も私自身のこととして良い状態であることが必要になってきました。
── 敦子さんのように、周りといっしょに幸せを育んでいけたら、とてもすてきですね。
敦子 そうかな(笑)。でも自分の「幸せ」を手に入れることは、簡単だと思うんですよ。どこで、誰と、どうしていたら、自分らしくいられるかを知っていれば、自分は満ち足りていられる。
人って、どうしても周りに何かを求めがちですよね。でも、つまるところ自分がどうしたら楽で気持ちよくいられるかが分かれば、いろんなことが簡単になるんじゃないかなって。
そういう意味で遠野には、先の伊勢さんをはじめ、自分の理想を追究して、周りを巻き込んでみんなの心地よい暮らしを実現しようとするような、「幸せ」を自分で見つけて突き詰めている人が多いのかもしれません。
── 敦子さんは、遠野では何か新しいことを企画中ですか?
敦子 まだ暮らし始めたばかりだから、観察中です。でも、すばらしい素材はいっぱいありそうです。
野山の素材を、自然に暮らしに取り入れている人たちの知恵を、都会で暮らす若い人たちにうまく伝えられたらいいなと思ったり、遠野の地元の農家さんの、とても美味しい野菜やお米が、もっと外へ出ていく仕組みがあればいいなとか、その食材をうまく活かす料理家さんが遠野に来ないかな、とか。
見ず知らずの土地でも、一歩踏み出してそこに暮らす人と関わると、その地域の魅力がグッと近くに感じられます。いろんな地域に関わってみたら、より生活が豊かになると思うし、その土地に暮らす人にとっても刺激となります。
ですから今は、遠野のおもしろさをたくさんの人に伝えて味わってもらうことで、これからの遠野がますますすてきなところになったらいいなって思っています。
お話をうかがったひと
渡辺 敦子(わたなべ あつこ)
栃木県益子町にあるSTARNETにて、ものづくりと地産地消、循環型の暮らしを経験した後、(株)アーバンリサーチで、天然繊維と生活雑貨の店「かぐれ」を立ち上げる。ブランドのコンセプト、商品企画、イベント企画等のディレクションを手がける傍ら、日本の手仕事と、食を中心とした暮らしに関する分野でフリーで活動する。2015年7月から産休に入り、岩手県遠野市で暮らし始めた。
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(イラスト:犬山ハルナ)