「これまでぼくは、社会のルールや常識ではなく、つねに自分の心の声に従ってきた。
『おまえは変だ』『周りに合わせろ』と言われ、社会人になってからもいじめられて、すごく生きづらかった。一時期はボロボロになった。
でもギリギリ一線を越えず、がんばって生き抜いて、今日ここにいる。
今、ぼくは幸せです」。
* * *
自分の心の声をコンパスに、人生をデザインしてきたという、四角大輔さん。
現在はニュージーランドの原生林に囲まれた湖畔に拠点を構え、自給自足ベースの森の生活を営み、フライフィッシングや登山といった自分の好きなことをライフスタイルの中心に据えながら、1年のうち数ヶ月は世界中で移動生活を送っています。
2017年はニュージーランドに8ヶ月、日本に2ヶ月、そのほかの海外に2ヶ月、計15カ国31都市を巡るという、まさに旅するように暮らした1年だったそう。
湖畔の森で生活しながら、世界を移動しながら働く。ご自身の生き方を支える暮らしの工夫・考え方のことを「モバイルボヘミアン」と名付けています。
モバイルボヘミアンとは
「自分らしくいられる時間をできるかぎり長くもつための工夫」
「仕事、表現、生活のクオリティを極限まで引き上げるための考え方」
モバイルボヘミアンなひととは
- いつでも、どこでも、誰とでも仕事ができる状態にするために、高度なモバイルテクノロジーを使いこなす。
- 古い慣習に囚われすぎず、自由な発想ができ、クリエイティブな思考を持っている。世の中に流されすぎずに自分の心や信念に従って生きている。
- お金を稼ぐためだけ、食べるためだけに働くのではなく、得意なことや好きなこと、ライフスタイルそのものをコンテンツにして仕事をしている。参考:『モバイルボヘミアン 旅するように働き、生きるには』(ライツ社 刊)
このようなモバイルボヘミアンを体現している四角さんですが、なぜ場所にとらわれない暮らしを実現できたのでしょうか?
取材を通じてわかったのは、モバイルボヘミアンであることを支えるのは「人生をデザインする強い意志にある」ということ。
好きなことや得意なことが、まだ見つかっていない時、あるいは見失ってしまった時。やりたいこと、好きなことを仕事にしたいけれど、それができなくて、モヤモヤしている時。
ほんとうの人生のはじめる一歩を踏み出すために、ぜひ参考にしてみてほしい。
なお働き方の詳細は、本田直之さんとの共著書『モバイルボヘミアン 旅するように働き、生きるには』で紹介されています。
四角 大輔(よすみ だいすけ)
「人は誰もがアーティスト」というメッセージを掲げ、すべての人間に眠るオリジナリティを再起動すべく活動し、オルタナティヴな生き方を提唱し続ける執筆家。ニュージーランドの原生林に囲まれた湖で、持続可能な〝森の生活〟を営み、年の数ヶ月は世界中で〝移動生活〟を送る。著書に最新作の『モバイルボヘミアン 旅するように働き、生きるには』。『自由であり続けるために 20代で捨てるべき50のこと』など。レコード会社プロデューサー時代には、多数のミリオンヒットを記録。プロフィール詳細はこちら。
「好き」と「得意」はイコールになる
── 世の中で自分を活かしているひとは、自分の好きなことや得意なことを若い頃から育ててきたように見えます。四角さんもそのお一人です。得意なことはどうやって見つけましたか?
四角大輔(以下、四角) 「得意なこと」と「好きなこと」は違うと、よく言うよね。
ぼくも最初は自分の得意なことがわからなかった。
得意であったとしても、好きではなかったら、それをやり続けることは幸せじゃない。たとえ好きだったとしても、得意ではなかったら、それはそれで結構不幸かもしれない。
ただ、得意なことと好きなことは、イコールになっていくというのが、ぼくの最近の結論。
「四角くんって、ひとのいいところを見つけるのが得意だね」って、小学校の頃から友達によく言われてきた。
それが好きかどうかはわからなかったけど、得意と言われるからそうなんだろうと、他者に言語化されることで、意識しはじめて。
するといつの間にかそれがレコード会社で音楽アーティストのプロデュースの仕事になり、好きになっていた。
ぼくのいちばんの得意分野は、ひとのいいところを見つけて伸ばし、それをできるだけありのまま、世の中に伝えるプロデュース。今はプロジェクトやブランド、商品だとか、ひとに限らずいろんなものをプロデュースしている。
一方で、好きで続けてきたことも得意になった。
釣りは幼稚園に入園する前からやっているし、登山は小学校の頃から続けていて、気づいたら両方ともその道のプロとして、仕事になった。
四角 もっというと、野外でのサバイバルスキルや、魚を捕るための釣りのスキルが、自給自足のニュージーランドの暮らしに直結して役立っている。
見栄えのためだけにいい車や服に無駄なお金を使い、釣り道具や登山道具はケチって二流のものを使っていたら、今のぼくはないと断言できる。
得意だけど好きかどうかわからないことも、好きだけど得意かどうかわからないことも、ずーっと続けていれば、絶対にそれがイコールになってくる。
「自分の得意なことはなんだろう?」と、ぼくらはすぐに答えを見つけようとするけれど、もしそれがわからなかったら、自分がいま「好きだ!」と思っていることを10年ほど続けてみればいい。
中途半端にやめずに、最低10年間、何か1つをコツコツ続けていれば、誰でもその道の一流になれるから。
── でも、得意なことがわからなければ、好きで好きでたまらなくて打ち込まずにはいられないこともわからない自分がいます。
四角 じゃあ、心の声を聞いてみるのはどうだろう。
「お前はそれでどうやって食べていくの?」「それは仕事にもお金にもならないよ」「受験のときにそんなことをやっている暇はないでしょ?」
いろんなことを言われて、ぼくらはいつのまにか諦め、好きなことを忘れてしまう。周りの声や世の中の流行り、社会の常識を優先して、頭で判断し続けているうちに、いつの間にか自分が自分じゃなくなっているんだ。
でも、誰もが必ず、嬉しくてゾクゾクすること、楽しくてワクワクすること、感動して鳥肌が立つような経験をしてきたはずで。心が震えるのは「これに命を使ってほしい!」って、あなた自身に「命」が自ら伝えようとしてくれているんだと思う。
答えは世の中の常識や風潮にあるのではなく、(胸を指して)命であり、心にあるんじゃないかな。
アーティストモードになれているか?
── 自分の心の声を聞くということが、自分の人生を切り拓いていくために必要なこと。
四角 うん、そう思う。ぼくは心の声をシンプルに聞き続けて、追求してきただけ。
こうしたら認められる、褒められる、儲かる。だからやろうと考えるのではなくて、誰かに頼まれなくてもやってしまうことってある?
ぼくだったら、フライフィッシングが好き、ロングトレイル登山が好き、自然が好き。だから湖に行くし、森に行くし、山に行く。
お腹の底や胸の奥から湧いてくる“これがやりたい、これが好き!”っていう感覚に従って行動している状態を、ぼくはアーティストモードと呼んでいて。
四角 でも、やりたいことや好きなことを続けていくためには、おのずと面倒くさいことも生まれてくる。
決して好きでもないし、夢中にもなれないんだけど“自分の人生にとって絶対に必要だから”と腹落ちさせて、「よしやるぞ!」とスイッチが入った状態がアーティストモード。
ぼくはニュージーランドの永住権を取るために、書類審査や英語の試験、その他にもたくさんの面倒な条件をクリアしなきゃいけなかった。それらはまったく楽しくはないけど、間違いなく自分の人生をアップグレードさせてくれる永住権につながる。
そんなふうに“腹落ち”した時、ひとは誰もが、がんばれる。
自分の意思で、人生をデザインしてほしい
── アーティストモードになることで、自分のほんとうの人生を始められる。四角さんの生き方そのものが作品に見えます。
四角 そう言われるのがいちばん嬉しいな。ぼくはこれまで音楽アーティストをプロデュースする仕事や、自分の言葉で表現する活動をたくさんしてきた。
そのなかでも究極の作品は、我が人生そのもの。自分の好きなことをライフスタイルの中心に据え、「森の生活者」として持続可能な生き方を追求しながら、旅するように働き、暮らす「モバイルボヘミアン」として生きること。
ぼくは自分の生き方で表現したい。
── 人生という表現活動をつうじて、次世代に伝えたいことはありますか? 四角さんの生き方は、ヘンリー・デイヴィッド・ソローのように後世で参考にされるのではないかと思います。
四角 ありがとう。生きているということは、誰もがアーティストで、いまこの瞬間も表現しているということ。
「いやいや、ぼくはアーティストではないです。恥ずかしいのでやめてください……」と、言いたくなるかもしれない。
じゃあ君は、なんでそういう髪型にしているの? どうして今日、その服を着ているの? なぜこの学校、この仕事を選んだの?と問いたい。
人生って、意識するしないに関わらず、日々選択の連続だよね。生きるということの全てが表現活動で、いまの自分はこれまでの表現活動の結果そのもの。
だから、いまこの瞬間の選択に妥協せず、自分の意思で、自分の手で、人生をデザインしてほしい。デザインした人生そのものが、あなたの作品だから。
── それはつまり、選択を他人や社会にゆだねないということですよね。
四角 たとえ恩師だろうと、親友だろうと、親戚のエリートのおじさんであろうと、誰が何を言おうと、自分の人生が終わってしまうその瞬間まで責任を持ち、人生をデザインするのは自分自身。だから、何よりも自分の心の声を大事にしてほしいと思う。
「あのとき親に言われたとおりにしたけど、本当は別のことをやりたかった」って……。死に際に、誰かのせいにはしたくないよね。
でも、「自分の心に従え」と言うと、周りを傷つけてでも自分勝手に生きていいと勘違いするひとが必ずいる。「頭がつくりだすニセの欲望」と、命からのメッセージである「心の声」を混同しないように。
肉体の端っこにある頭と、体の真ん中に宿る命は、まったく違う存在。打算や損得思考で自分を支配しようとするやましい脳と、美しく純粋な心。どっちに従って生きるべきか、言うまでもないよね。
そして、ぼくらの肉体とは100%大地産の成分でできた有機体。その真ん中に宿る心は、地球環境や他の生物、他人を傷つけるような指令は絶対に発しない。
ぼくは社会のルールや常識ではなく、つねに自分の心の声に従ってきた。そうすることで、めちゃくちゃ叩かれてきた。「おまえは変だ」「周りに合わせろ」と言われ、社会人になってからもいじめられて、すごく生きづらかった。一時期はボロボロになった。
でも、ギリギリ一線を越えず、がんばって生き抜いて、今日に至った。
今、ぼくは幸せです。
きっと当時のぼくみたいに、“こんなふうに生きたい”と心は叫んでいるけど、周りから反対されるし、その声に従ったら出る杭は打たれるといって、諦めたり、苦しんでいるひとがいると思う。
大丈夫。心の声の先にこそ、本当の幸せがあるから。
そのひとたちに、このメッセージが届くといいな。ぼくの人生を通じて。
クラウドファンディング実施中
写真提供/四角大輔
文/小松崎拓郎(タクロコマ)
(この記事は、合同会社cocowaと協働で製作する記事広告コンテンツです)