どうして、生きる場所を職場に縛り付けられるのだろう。
なぜ、転勤や単身赴任で家族や大切な人を残し、一人で引っ越さなければならないのだろう。
どうして毎日、混雑するとわかっている電車に乗っては、我慢し続ける日々を送っているのだろう。
いつのまにか、自分をないがしろにしてしまっている瞬間はないだろうか。いまより家族や自分の暮らしを優先して生きることはできないのだろうか……。
そんな疑問や、希望を抱き、場所にとらわれずに働きはじめているひとたちがいます。
ノマドやその枠におさまらないワークスタイルは、やがて「普通」や「常識」になるかもしれません。
彼らはどんなふうに働き、どう暮らしているのか?
どこでも仕事を生み出せるようになったとしたら、その時、ひとはどうありたいと思うのか。
* * *
ダンサーの中込孝規さんは大手企業を退職し、1万人の子どもにダンスを教える世界一周の旅にでました。
評判がさらなる評判を呼び、ラオス・ルアンパバーン国際映画祭、ジンバブエ・ハラレ国際芸術祭などの国際的なイベントにダンサーとして出演。
また、日本とアフリカの子どもたちをインターネット中継でつなぐダンス交流会を、世界各地で開催するようになりました。
昨日はウガンダと日本の小学生をSkypeでつないでダンス交流しました。最高でした。
子どもたちの笑顔を見ていると、
世界ってなんて美しいんだろうと思います。 pic.twitter.com/TSmm2Z7L7s— 中込孝規@アフリカでダンス教えてる人 (@nakagome63) 2016年11月9日
帰国後は神奈川の平塚に「世界とつながるダンス教室」 開校。 現在も赴く先々で仕事を生み出しています。
世界一周を終えて、日本に帰ってきました!ただいま!みなさんありがとうございました!464日間、18か国、57都市をまわり、1万人以上の子どもたちにダンスを教えて一緒に踊りました。これから日本の地方に移住して、ダンススクール始めます。 pic.twitter.com/w8ZxOag5DT
— 中込孝規@アフリカでダンス教えてる人 (@nakagome63) 2015年11月14日
これまでにNHK「人生デザインU-29」や「日テレNEWS24」への出演の他、 社会に貢献する強い意志を持つ若者によって構成される世界経済フォーラム(通称:ダボス会議)のグローバルシェイパーズに選出されている中込さん。
その活動、生き方は若い世代を中心に注目を集めていますが、 中込さんが大手企業を退職し、その後の人生を変えた旅に出たのは2014年。 今からたった4年前の、26歳だった頃のこと。
当時を振り返り、中込さんは語ります。
「僕は超ネガティブ人間だった。でもチャレンジすれば、人は変われる。僕はみんなの背中を後押ししたい」 。
理想の暮らしを叶えるために必要な「武器」としての仕事を生みだせるようになろう。中込さんから、自分を自由にするワークスタイルを学びます。
中込 孝規(@nakagome63)
「世界とつながるダンス教室」代表。世界経済フォーラム・グローバルシェイパーズ。1988年生まれ。早稲田大学商学部卒。元ベネッセ社員。ストリートダンス(POPPIN)歴14年。大学在学中にオールジャパン学生ダンス選手権大会で優勝。教育系企業ベネッセに4年間勤務した後、退職。1年半で18か国57都市をまわり、1万人以上の子どもたちにダンスを教えた。ラオス・ルアンパバーン国際映画祭、ジンバブエ・ハラレ国際芸術祭など国際的なイベントにもダンサーとして出演。ブログはこちら。
(以下、中込孝規)
[1]半歩先のワークスタイル
2014年に、僕は世界一周の旅にでました。
1年半で18か国57都市をまわり、1万人以上の子どもたちにダンスを教えました。
帰国後も日本と世界を飛び回りながら、ダンスを教える日々。旅に出てから3年後の2017年には「世界とつながるダンス教室」を開講することができました。
本当にやりたいことをやるための一歩を踏み出したことで、大きく変化しつつある僕の人生。それは単に僕の活動だけではなく、働き方や暮らし方も。
これまでメディアに活動を取り上げていただくことはありましたが、「ワークスタイル」についてお話するのは、これがはじめてになります。
仕事の8割はダンスではなく「事務作業」
ダンサーというと、人前で話したり、ダンスを教えたりしているイメージをされるかもしれませんが、じつはパソコン作業している時間がすごく長いんです。
どんなデスクワークをしているのかというと、イベントやダンススクール運営のための調整です。
たとえば、以前福岡の小学校でダンスワークショップをしました。それはザンビアとインターネット中継したので、日本時間と現地時間で予定を合わせたり。ワークショップに申し込んでもらったら自分で返信するし、ワークショップ後には動画編集もします。カチカチ自分でつなげてますから(笑)。
下手するとずっとパソコンをいじっています。仕事が10あるとしたら、パソコン作業が8割を占めるくらい。自分の仕事は「ダンスを踊ること」というよりも、ひとの世界や可能性を広げること。
ダンスで交流する時間を最高のものにするために、調整や打合せ、SNSを更新したりすることも大切な仕事なんです。
ダンサーであろうと「テクノロジー」を駆使する
ノマドするひとは、電源とWi-Fiとパソコンが必要なイメージがあるんです。
僕の場合は、極端にいえば何もいらない。道具がなくても踊れます。
でも、じつはいつもたくさんの荷物を現場に持っていきます。
いいダンスワークショップにするためにはパソコンや撮影機材が必要だし、海外と日本を中継するからネット環境も必要。
地方や海外に行く時は、13インチのMacbookProとデジタル一眼レフカメラを持って行きます。世界一周中の相棒はGoProで、今はCanonのカメラ。あとはSIMフリーのスマホに国内だったらWi-Fiも、場所によってはスピーカーも持っていきますね。国内ではBOSEを、海外ではタンザニアで買ったラジオを使います。
「ダンスは身ひとつでできる」と言いましたが、道具とネットを駆使して仕事する。もちろん出会った方々からツテをいただいて……というのもありますが、ネット経由でお仕事の依頼をいただくことも多いです。
仕事を決める「2つの基準」が自由をつくる
お仕事の依頼をいただいた時に、どの仕事を優先するか? 何をやり、何をやらないのか?ということも、僕のワークスタイルに大きく影響しています。
仕事の優先順位を決める判断基準は2つあります。
1つは、勝手に聞こえるかもしれませんが、僕がやりたいことに合わなければ、その仕事は受けないようにしています。たとえ謝礼が良くても、です。
そもそも、僕はダンスをつうじて世界中の子どもたちが友達になったらいいなと思っています。僕自身、友達がいない時期がありましたがダンスのおかげで世界中に友達ができたから、そういうふうに思っていて。
そして、一歩踏み出せないけど、一歩を踏み出したいひとの背中をめちゃくちゃプッシュしたい。僕は一歩踏み出して変わったから。
だから、一歩踏み出すきっかけになる!って思えるような、明らかにポジティブで幸せな空気感で満たされるダンス教室になると、いい機会をつくれたなと思います。
逆にいうとそういう場にならないと僕自身が満足できない。ひとの世界や可能性を広げる機会をつくることが僕自身の楽しさ、気持ちよさであり、嬉しくて、楽しいところ。
この想いがないと、世界とつながるダンス教室は成り立たないんです。
だから例えば「ダンス中継っておもしろいですね!やりましょう!(ウェーイ!)」というノリだけのお仕事はお受けしていません。
実際に一度だけ、僕個人として満足できなかった経験があるからです。それはルワンダと日本をつないでダンスのワークショップをした時のことで、どうして世界をつないでダンスワークショップをやりたいと思っているのか?という、僕の想いを協力してくれるひとたちに共有しきれなくて。
結果的に上面だけの交流になってしまったな……せっかく時間を割いてもらったのに、このダンスワークショップは画面の向こう側にいる子たちにとってプラスになったんだろうか?と思ってしまって。その失敗をしてからは、むやみに仕事を受けるのはやめることにしました。
ダンスは僕一人でやるものじゃないから。
協力してくれるひとたちとの関係があって、初めてワークショップはいい場になります。
もう1つの仕事を決める基準は「お金」のこと、自分の値付けの話です。
これまで僕は、ダンスでお金をもらうことにずっと抵抗がありました。
会社員だったからかなぁ。
会社員のとき、何の対価でお金が払われているのかわからない状態で、毎月銀行口座を確認する度に振り込まれているような感覚でした。お金をいただくということに慣れていなかったのだと思います。
独立した今は、活動を持続させるためにお金が必要。ダンスの対価としてお金をいただくようになったのは2016年からです。
都度見積もりを提示して仕事をするのはフリーランスの方からするとごく普通のことだと思いますが、それだけでお互いがハッピーになれることに気づきました。
見積もりを提示したときの相手の反応で感じられるのは、そのひとの熱量。こんな言い方は失礼かもしれませんが、「うわぁ、そんなに高く(お金を)取るんですか!」みたいな方とではなく、こちらが提示した金額を受け入れてくれる方と一緒にやりたい。むしろプラスアルファで払ってくれる方もいます。
「どうしてもこれくらいしか出せないので、この金額でやってくれませんか?」とか、「集客に合わせてお支払する謝礼を相談させてもらえませんか?」と言ってくれたり、お金で満たせない部分は想いをたくさん伝えてくれたりする方とお仕事することもあります。
コミュニケーションは、そのひとがどのくらい熱量があるのかを測る基準になる。だから見積もりは毎回提示してコミュニケーションする。
仕事を決める2つの基準は、本当にやりたいことをやるためのワークスタイルを支えてくれるものでもあります。
[2]どこでも仕事をつくれるようになったら?
暮らしと仕事に欠かせない「拠点」と「仲間」
ときどき「ノマド族ですか?」と聞かれることもあるんですが、僕はノマド族ではないと思っています。
ノマド族は場所に関係なく仕事ができる。いっぽうで僕は、有難いことに中込孝規という人生のストーリーに共感してひとが集まってきてくれているので、どの場所でもその場で仕事をつくりだせる。その場で何かを始められるタイプなので、ノマドとはちょっと違うかな。
2017年には「世界とつながるダンス教室」の立ち上げのために、平塚に拠点を構えました。
拠点を構えた理由は、子どもたちの成長を見続けながら、一緒に成長していける場が欲しかったから。
僕は大学生の頃にキッズダンススクールでダンスを教えていました。当時小学4年生だった子が、二十歳になった今はそのダンススクールで先生をしていたり、小学6年生だった子が大学4年生になって「就職決まりました!」と連絡をくれたり、時々お茶したり。そんなふうに子どもとの関係が続いているのが僕は嬉しい。平塚でも、そういう未来をつくっていける場を築きたいと思っています。
じつは取材前にあるひとたちとお昼ごはんを一緒に食べていたんですよ。平塚にいる画家さんと、彫金作家さんと、革作家さんの3人と、世界一周を終えてから仲良くなったんです。
僕は埼玉県出身ですが、魅力的な仲間がいたから、縁もゆかりもない平塚に引っ越してきました。
彼らはフラットで、謙虚で、アーティストとして自分の道を開拓しているところがかっこいい。好きなことで周りのひとを喜ばせながら、自分らしいライフスタイルで生活しています。
できるかぎり自分の人生を生きているひとたちのそばにいたいと思っています。
ワークスタイルは過渡期。ひとりから、チームで動きたい
これまでは一人ではないけど、ずっと一人で走ってきました。 一人で旅して、日本大使館やJICA、ベネッセといったいろんな組織とコラボするけど……でも一人。そのタイミングでそういうひとたちと一緒に踊って、またバイバイする。
一緒に伴走してくれるひととチームで活動できたらいいな。でも、チームの潤滑油として現場に立つ仲間を支える役目を果たすよりも、自分も最前線で目の前にいる子とずっと接していきたいという思いもある。そういう葛藤があるけれど、今後はチームでやっていきたい。
そもそも、今やっていることを一人だけで実行することはほとんどありません。
インターネット中継するなら、アフリカにも日本にも受け入れてくれる中継先がないと実現できないですから。
僕がやっていることに関しては協力してくれるひとが必要だし、世界とつながるダンス教室という輪の中に入って、継続的に運営を助けてくれる仲間と一緒にやっていくことがこれからの目標です。
マイノリティを確固たるものへ
会社員、起業家、旅人、ダンサー、どのコミュニティでも僕は浮きます。そもそも旅しながら世界中の子どもをつないでいるダンサーはいないです(笑)。子どもたちにダンスを教えながら世界をまわっているひとも聞いたことがない。
マイノリティであるのはさみしい。だけど、マイノリティをさらに確固たるものにしていくつもりです。
僕はもともとウジウジしていて動けない超ネガティブタイプでしたが、いまは積極的に行動できる(タイプ)。どちらの気持ちもわかるからこそ、両者をつなげられる。
ダンスは僕の強みです。ダンスは表現そのものですが、言語の壁を超えてひと同士が仲良くなるための手段でもあります。
でも、僕が見据えている先にあるのはダンスだけではないんですよ。
夢は、学校みたいなものをつくりたい。そこには魅力的でワクワクする大人たちがいる。世界中の子どもたちが友達になって、自分らしく生きられる場所。それはいづれ世界中に拠点のあるコミュニティになっているような──。
まだ言語化しきれていないのですが、まずは今年世界とつながるダンス教室に、ダンスに関係なく僕が素敵だと思っている建築家やライターさんをゲストに招待しようと考えています。
5年前、子どもたちにダンスを教える世界一周の旅に出ました。やりたいことを叶えるための一歩踏み出したら、たくさんの魅力的なひとたちに出会うようになったから。
僕は、素敵な大人と子どもが出会える場をつくりたいんですよ。
文・写真/タクロコマ(小松崎拓郎)
(この記事は、合同会社cocowaと協働で製作する記事広告コンテンツです)