十和田市の中心部には、歩いていると心惹かれるものが随所にあります。たとえばそれは、十和田市現代美術館だったり、安藤忠雄氏設計の十和田市民図書館だったり、大宮エリーさんのアートが施された商店街そのものだったりします。
そんななか、ふと目に入ってくるのが、2017年3月にオープンした「14-54 イチヨンゴーヨン」というスペース。
ここは、「株式会社クイーンアンドカンパニー」の事務所兼、さまざまなひとが自由に使えるオープンな交流スペース。地域おこし協力隊の活動拠点や、十和田市現代美術館の「街中ライブラリー(14-54 Reading Room)」でもあります。
運営しているのは、アメリカ出身の男性2人。クイーンアンドカンパニーの取締役であるアレックス・クイーンさんと、共同創立者のマイケル・ウォーレンさん。
日本で出会った彼らが青森県で会社を立ち上げ、「14-54」をつくったのはどうして? そしてそこに込めた想いとは? 2人にインタビューをしてきました。
十和田の街と、使われていない物件に可能性を感じた
── どうして十和田市に「14-54」を?
アレックス この建物は、もともと「久保田本店」という名前の書店で、その後はパソコン教室として使われていました。築60〜70年くらいの物件で、僕たちが見つけたときは空き家の状態。改修したから今はある程度きれいになったのですが、当時はお世辞にも美しい物件とはいえなかった。
でも、僕たちはそれにすごく可能性を感じたんです。
── 可能性?
アレックス スペースが広くて、十和田市現代美術館からの距離も近い。当時、僕たちは会社の事務所を青森県内につくるために、場所と物件を探していました。そのときにいくつもの物件を見てまわったのですが、空き店舗として紹介されたのがこちらの物件。すぐさま決めることに。
当初は、事務所兼、ひとが自由に交流できる場所、おもしろいことを企画できるイベントスペースとしての空間をつくりたいと思っていました。
でも、現在の「14-54」は、十和田市現代美術館の街中ライブラリーや、地域おこし協力隊の活動拠点としても機能しています。これからはキッチン機能を拡充して、カフェを開いたりもするかも。フリーランスや自営業など、場所を問わずに働けるひとたちが仕事をするコワーキングスペースにもなったらいいですね。
こういった構想は最初からあったわけではなく、場所と街との関係性の中で出てきたアイディアです。
── この物件に出会ったことで、構想が膨らんでいったんですね。
アレックス そう。日本の昔ながらの建物で、間口は狭いけれど奥行きがすごくある。じつはさらに奥に、僕らの住居スペースもあるんです。
── なるほど、とても素敵です。が、あの……前提としてすごく気になることがあるんです。そもそもなぜ日本にいらっしゃるのか、その中でなぜ青森県なのか。会社はどういった事業を手がけているのか。
そのあたりを、もう少し教えていただいてもいいでしょうか。海外の方が日本に魅力を感じてくださるって、すごくうれしいことだと思うんです。
アメリカで出会った日本に惹かれてやってきた
アレックス 出身はアメリカです。地元は地方都市。日本に触れるきっかけは、12歳のときに千葉県から高校生の留学生が遊びに来たことでした。そこで異文化交流が面白いなと思い始めて、日本語を独学で勉強し始めることに。
何か大きなきっかけがあったということではなく、ひととのつながりの中で自然と日本に関心や、関わりを持つようになったという流れ。最初はただただ面白かったんです。
その翌年の夏、大学2年生14歳のときに、初めて来日しました。行き先は、友だちの出身地である青森県五所川原市という街。家が塾を経営しているひとだったので、英語の授業を手伝ったり、塾生の個別指導を行なったり。
夏休みの長いアメリカだからこそ、数ヶ月単位で滞在できたのだと思います。その年から毎年の恒例行事として五所川原市へ行くことになりました。
── へぇ……そうだったのですね。ではマイケルは?
マイケル 僕は大学に入ってから日本語の勉強をし始めて。大学在学中に、夏休みに日本に2回くらい遊びに来て。4年生のときにジェットプログラム……日本にきて英語を教えるというプログラムに申し込んで、その採用試験に受かった。
で、「仕事があるのは青森県五戸町です」と。だから青森県に行きたいと言ったわけではないですね。
マイケル 日本語はがんばって勉強していたつもりだったけれど、青森県の南部弁、最初は全然わからなかった。何も聞き取れない。「これ日本語じゃない」と思ったこともある(笑)。でも、青森県がすごくすごく好きになったんです。
アレックス そう、好きになったんだよね。ちなみに僕は五所川原市が長かったので津軽弁の方に親しみがあって。同じ青森県でも全然言語が違うことに最初はびっくりしました。
一度は東京に出たけれど
── アレックスとマイケルは、いつ知り合ったのですか?
アレックス 僕は五所川原市に5年、むつ市に3年半住みました。そしてマイケルは五戸町に住み続けていた。互いに青森県の中でよく移動をしていたけれど。
マイケル 交差ばかりしていた(笑)。
アレックス 互いに存在は知っていて、面識はあったけれどね。親しい付き合いはなかった。でも、僕が慶應義塾大学に勤めて東京に引っ越してから、何回か泊まりにきてくれるようになったんだよね。
マイケル そうだね。アレックスがまだ23歳だったかな。今から5年くらい前の話。東京に行く用事があったら連絡するようになった。
その後、僕は五戸町の仕事が任期満了になり県内の仕事を探してみたんだけど、なかなか見つからない。時間が経って、東京で一度働いてみたいと思ったからアレックスに何かないかと聞いてみた。そしたら「もしかしたら慶應に職があるかも」と教えてくれて。
それで結果的に東京で一緒に働くようになりました。
アレックス 一方、僕は青森県滞在中の20歳頃から、本職の講師業のかたわら、個人で翻訳を手がけるようになっていました。最初はたしか「国際芸術センター青森ACAC」の翻訳でした。
それが口コミで少しずつ広がっていって、定期的に依頼していただけるようになり、青森県内の翻訳だけでなく、全国から依頼されるようになったので個人事業を立ち上げることにしました。
慶應義塾大学への転職後も、週末や夜、慶應の仕事が終わってから、ずっと何年もこの個人事業を平行して続けていました。
個人事業主で雑収入としてやっていたはずが、想像を超える量の依頼がどんどん入ってくるように。そのうち同僚のマイケルに手伝ってもらうようになり、さらには翻訳事業以外にSNSの管理やWEBまわりの制作、趣味だったはずのカメラが写真撮影や動画記録の仕事へとつながり、翻訳の付加価値として担当させてもらうように……。
同時に、マイケルの考案で一緒に開発していた、クラウド上の翻訳システムも本格的に機能し始めていました。
そんな折、十和田市現代美術館から仕事の依頼がきた。
マイケル それが十和田市との出会い。
アレックス そう。十和田市現代美術館の方と話していくうちに、通訳や翻訳事業だけでなく、もっと全体的な仕事を一緒にしていきたいと考えるようになりました。
同時期に、東京で数年暮らしてはみたものの、やっぱり暮らしのベースは青森県に移したい。できれば仕事のベースも、青森県がいいという気持ちが強くなっていって。
マイケル 僕も同じ気持ちだったから、2人で話し合った。
アレックス それで、今まで個人事業としてやっていた業務を法人化しようと。青森県を拠点にして、仕事に合わせて東京と行き来するような形であれば、収入は下がるかもしれないけれどなんとかやっていけるんじゃないかという話になりました。そして十和田市の物件に出会っていくことになる。
── 東京で暮らしながらも、青森県に戻りたいと思っていたんですね。
アレックス いろいろな仕事に携わらせてもらったけれど、僕たちがやりたいのはやっぱり地域貢献だと。地域に根ざして、街やそこで暮らすひとと一緒に何かしたいという気持ちを、ずっと持っていたんです。
十和田市に拠点をつくったのは、たくさん魅力があったから
アレックス 青森県内で色々と物件を探す中、最終的に十和田市を選んだのはよい物件に出会えためぐり合わせと、十和田市のサポートに魅力を感じたから。挑戦する人にはやさしい街だという印象ですね。
その一例として、「14-54」の改修費の一部も補助金が利用できました。行政のひとがフレンドリーで、ここまで身近に感じられる街はなかなかないんじゃないかなと今でも思います。
あとは十和田市の立地もよかった。最寄りの新幹線の駅「七戸十和田」まで車で20分だし、駅の駐車場が無料だから、定期的に東京と十和田市を行き来するのに都合がよかった。しばらく駅に車を停めておけますから。
あとは、暮らしているひとの影響も大きかったですね。商店街の方々に何度も救われています。あと、じつは「14-54」の内装デザインは、東京から移住してきた一級建築士の夫婦の会社「渡部環境設計事務所」さんが手がけてくれたんです。紹介してくれたのは同じく東京から引っ越してきた夫婦ユニット「字と図」のデザイナー・吉田進さん。彼は僕たちがプロジェクトを始めた当初から応援してくれていて、今も心強い相談相手になってくれています。
こんな感じで、住民同士のつながりも好きになれました。
アレックス 正直にいえば、拠点づくりで十和田市というのは、当初縁がなかったので選択肢としてまったく頭になかったんだけれど。今はすごく良い選択だったなと感じています。
地域活性化に貢献したい。アメリカ人とか日本人とか、関係なく
アレックス 幼少期から青森県にいたとか、日本人とか。そういうことでもないし、たまたまこの辺に住むことになったんだけど。でもいろいろなことがあって、日本で暮らし続けて。僕は今年で29歳だから人生の半分以上を日本で過ごしていることになります。
マイケル 「アメリカに戻らないの」とよく聞かれるんだけれども。僕は「日本でまだやることがあるから」と思っています。やることがなくなったらもしかしたら帰るかもしれないけれど、やりたいことがまだある。やることもある。
長くいればいるほど慣れてくるし、友だちもできていく。
アレックス そう、友だちとコミュニティがこっちにある。たとえば、五所川原市のお祭りは14歳から毎年参加しているから……今年で14年目。もはや古株(笑)。 地元のひとたちが「おめえ会長やればいいでばな」とか冗談半分でも言ってもらえる感じの付き合いをさせてもらっているほどのコミュニティ感覚。
地域に根づいた活動はその頃からずっとしています。そこに魅力も感じる。どちらかといえば日本に居たほうが自然というか、落ち着く。顔がこうだから、最初はみんな馴染めないかもしれないんだけどね。でも僕自身は、日本語で話している方が違和感がなかったりするかもしれないくらいで。
マイケル 僕、アメリカ人だな。あははは(笑)。
アレックス 僕は、日本人ではないです。でもアメリカ人だという強い主張もない。
マイケル まんずな(青森県の方言で「納得いった」の意味)。
アレックス 会社の事業の柱のひとつは現状、翻訳だけれど、翻訳ばかりをずっとやっていきたいわけではない。地域を盛り上げるのに何が必要かというのをしっかり考えて、それで我々2人でできることがあれば、それに携わっていくという。
そのひとつとして、アートでまちを興そうというのがあって、十和田市現代美術館の発信や「14-54」の街中ライブラリー事業も手伝わせてもらっているわけです。
マイケル 僕も、毎年「五戸ミュージックフェスティバル」の企画を運営している。それも地域活性化のひとつとしてみてもいいかもしれないし。最終目標は、2人が2本の足で立って、地域に貢献すること。地域の人と一緒に盛り上げていくこと。
これからのアレックスとマイケル
アレックス 僕の翻訳のはじまりは美術館関連の仕事だったから、今でもすごく美術館の仕事が多い。そうすると自然とアーティストや作品に詳しくなって、思い入れも強くなる。
だから今後のことについて話すと、まず3年以内に青森県内の美術館間ネットワークをつくりたいと思っています。我々は青森県立美術館、国際芸術センター青森、十和田市現代美術館とはそれぞれ付き合いが長いから。そこはつなげられるのではないかなと。
マイケル 弘前市に美術館ができる計画もある。青森県内が美術という観点でつながったら、より県として大きなことができるんじゃないかなって。もちろんそれが日本国内に範囲が広がるのが一番いい。
アレックス 個々で勝負しても無理な時代だというのもありますよね。
あとは、別軸だけれど地元のひとに、もっとプライドを持ってもらいたい。そのためのアクションは続けていきたい。これは十和田市に限らず、今まで青森県にいてずっと感じていたこと。「どうせ五所川原市」「どうせ十和田市」「どうせ青森県なんか……」そんな風に言う、地元の子たち。
そうではなくて、ここは本当にすばらしい。開拓の文化だとか、米どころだとか、南部弁だとか。八甲田や奥入瀬、十和田湖などの大自然に恵まれている大切な場所です。
それを、ライフワークとしてもっともっと伝えていくと同時に、地元のひと・外のひとを問わず青森県を好きになってもらった人に、いかに住んでいただけるかというのが大いなる課題です。
東京や大都会にはない地域のよさを活かしつつ、新たな形で職を生んでいくことについて考えたいです。いずれ「14-54」が十和田市に根付いたコーワキングスペースになるというのも大切な目標。
マイケル あとは、我々は、自分たちのプロジェクトもやりたい。方言の辞書をつくりたい。音声をアーカイブしていくとか。オーラルヒストリーライブラリーをつくりたいと思っていますね。地元のひとに、地元のことばで青森県について話してもらう。それを映像や音声で記録して、さらに書き起こしもして。
アレックス それ以外にも、やりたいことはたくさんあるんです。そのはじまりが十和田市の「14-54」。今も定期的に東京に仕事に出かけています。だから、どうしても月の3分の1ほどは不在にしてしまうけれど……。基本的には住居も事務所も十和田市だから。誰もが気軽に遊びにこられる場所に育ってくれたらいいなと思っています。
マイケル オープン間もない頃に地元の高校生が遊びに来てくれたのはすごくうれしかったよね。
── なるほど……! すごくよくわかりました。お話を聞かせてくださってありがとうございました。「14-54」と一緒で、入り口はこじんまりとしていたのに、奥行きが深くて世界観があって、なんだかすごく素敵な時間でした。
オープンはしたけれど、ここは100%完成された場所、ということではないのですね。これから街と一緒に進化していく場所。私も、街のひとや、美術館や十和田湖に観光にきた方々など、たくさんの方が「14-54」に立ち寄ってくれるようになるといいなと思いました。
アレックス&マイケル いつでもどうぞ。一緒に卓球、しましょう。みんなが来てくれるのを十和田市の商店街で待っています。
「14-54」について
住所:青森県十和田市稲生町14‐54
電話番号:0176-78-9154
営業時間:10:00〜16:00
定休日:月曜日
「14-54」公式サイトはこちら
株式会社クイーンアンドカンパニーの公式サイトはこちら
(この記事は、青森県十和田市と協働で製作する記事広告コンテンツです)