青森県・奥入瀬(おいらせ)渓流といえば、風光明媚な渓流で知られる全国でも有数の景勝地。四季折々の美しさを求め、ハイキングやドライブで多くの観光客が訪れます。
でも、この場所を愛す「おいけん(奥入瀬自然観光資源研究会)」の方々が強くおすすめするアクティビティは、じつは「コケさんぽ」。
コケさんぽのコンセプトは、「立ちどまるから、見えてくる」。ほとんど歩かずに、コケをはじめとした小さな自然の魅力をじっくりと味わう、スローな奥入瀬の楽しみ方です。
奥入瀬ハイキングにおいては、数キロを3時間かけて歩く人が多いといわれますが、コケさんぽでは500メートルを進むのに3時間かかることも。
灯台もと暮らし編集部はそれを聞いて、正直なところ「全然進まない……?」と、ちょっぴり意味が理解できませんでした。
けれど、一度奥入瀬渓流に足を踏み入れて、ルーペでその世界を覗いてみたら瞬時にわかりました。
むしろ、隣をすっと通り過ぎていってしまう人々に声をかけて、「待って!ここにすばらしい自然景観が!コケが!」と腕をつかみたい衝動にかられる。
……何を言っているのか分かりませんね? 「視点を変えると、世界が変わる」「立ちどまれば、見えてくる」ということに、私たち編集部は気がついたのです。
さて。その意味を解説すべく、プロにお話をうかがいましょう。
十和田市出身、一度は東京に進学・就職したものの、奥入瀬や十和田湖の素晴らしさを再発見してUターン。現在は「おいけん」ネイチャーガイドとして日々自然に触れ合う玉川えみ那さんが、ここからの話し手です。
(以下、玉川えみ那)
すべての始まりはコケだった
十和田市の自然景観は、遠くに見える八甲田山、十和田湖、そして奥入瀬渓流と別々に語られることが多いのですが、じつはすべてつながっているひとつの自然です。
約1万5千年前、八甲田火山由来の火砕流台地が、十和田湖の決壊によって起きた大洪水で一気に削られ、深い谷ができました。それがこの奥入瀬渓流です。
十和田湖の別名は「十和田火山」。奥入瀬の谷ができた後も、十和田火山は活動を続けます。最新の噴火は約1100年前。その際も奥入瀬の谷はダメージを受け、再び死の世界になりました。
現在の奥入瀬は、そこから再生されてできた森なんです。何もない岩だらけの谷が、どうして今こんなにも植生豊かな森に育ったのか。それは、コケのおかげです。
ほとんどの植物は、土の中に根っこを伸ばして水分や栄養分を吸い上げて生長します。けれど、水分や栄養分がない岩の上で植物が生きていくのはとても難しいですよね。
岩がコケむすことで、コケのマットができ、そこがたくさんの植物の苗床になります。植物は、岩の上の水分を頼りに生えては枯れを繰り返していく。それが積み重なった結果、土がつくられていきます。
また、じつは奥入瀬の川の中の岩はすべてコケむしており、それぞれが天然の盆栽・コケ玉のようになっています。この秘密は、水量の安定。
もし、水量が安定していなくて、大雨のたびに増水を繰り返す川だとしたらどうでしょう? 岩にコケが定着できず、やはり植物も根付けません。この「水量の安定」こそが、奥入瀬らしい景観をつくりあげています。
水量が安定している理由のひとつとして、雨や雪が降っても、十和田湖が一度受け止めてくれることが挙げられます。しかも、奥入瀬渓流自体、そんなに高低差がないんです。十和田湖は標高400メートル。一番下流域の14キロ地点でも標高200メートル。全長14キロで高低差200メートルと緩やかな勾配です。
十和田湖が天然のダムの役割を果たしていること。そこから流れ出す渓流が緩勾配であること。いくつかの条件によって、川の水量が安定し、奥入瀬独特の景観が育まれてきました。
この、一見ふつうなようでいて特別な自然がつくり出すのが、世界でも有数の渓谷美として愛される奥入瀬渓流の姿です。
すべてのはじまりがコケだというのは、なんだか少し不思議ですよね。「コケってすごい」。そうおっしゃる方もたくさんいらっしゃいます。
「Pause…Oirase speaks to you.」視点を変えると世界が変わる
灯台もと暮らし編集部のみなさんが感動してじっくり見てくださったコケ。すべてのはじまり、奥入瀬のベースという役割だけでなく、姿形も本当に美しいんですよね。
ただ歩いていても、コケの形なんてみんな見向きもしないですし。ただの緑のマットじゃないですか。
でも、私たちのコンセプトはそこ。「立ちどまると、見えてくる」。
これを英訳で「Oirase speaks to you.」と訳してくださった方がいます。立ちどまったら、奥入瀬が話しかけてきてくれる、と。
コケだけでなく、小さな虫や、シダの葉の様子。よく見るとそれぞれまったくデザインが異なります。緑と一言でいっても、薄い色、濃い色、淡い色、黄色に近いもの……様々な色があるように。
時間帯や季節、光のあたり具合によって変わる森の様子や、五感をフルに使って感じる植物の手触り、香り。通常は数秒で通り過ぎてしまう数メートルの間に、じつはものすごい生態系と発見が詰まっています。
それに気づくきっかけのひとつが、「立ちどまる」ということなんです。
一度は出た地元。けれどいつしか「幸せ」を感じる場所に
生まれも育ちも十和田市。東京に憧れていたわけではなかったけれど、実家を出たくて。高校卒業後は東京・町田の大学へ。
毎日は楽しかったし人に恵まれていたし、就職も順調に決まったけれど、社会人になってからもずっと「ここが私の生きていく場所なのかな?」と違和感を抱きながら暮らしていた気がします。
20代前半のときに、父が突然、奥入瀬で事業を始めました。もともとアウトドアが大好きな父。とある日にキャンプ仲間が持参したカヌーで、こっそり夜明けの十和田湖に漕ぎだすと、あまりの美しさに感動。そのとき、自然体験ツアーの会社を立ち上げようと思ったそうです。
それが後に私が地元の自然に向き合う大きなきっかけになりました。それからは奥入瀬や十和田湖の美しさに魅了され、ちょくちょく十和田に帰ってくるように。父の会社が主催するアクティビティツアーにも友人を誘って参加したりもし始めました。
新鮮な発見ばかりの中、特に印象的だったことがふたつありました。
ひとつは、「ネイチャーガイド」の存在です。ガイドという職業はなんとなく知っていたものの、まさか十和田湖や奥入瀬で、そんな人たちと深く関わることになろうとは、それまで考えたこともありませんでした。
そしてもうひとつは、そのネイチャーガイドの中に、十和田湖や奥入瀬の自然に惹かれて、北海道からの移住者が数人いたこと。あとから北海道と東北の自然は質が全く違うことを知るのですが、その時は「あの大自然の北海道からなぜ!?」ととても驚いたのを覚えています。
「自分が当たり前だと思っていた十和田の自然に魅力を感じて、移り住むひとがいるとはどういうこと?」「……ここは、そこまでひとを惹きつける力のある特別な場所なんだ!」と気持ちが変化していきました。
どんな物事でも、どんな場所でもそうですが、存在が大きすぎる、あるいは近すぎて、本質が見えない、聞こえないことってありますよね。私にとって奥入瀬は、まさにそれでした。
そして彼らネイチャーガイドと歩く森が、上手く表現できないのですが、とにかくすごく「幸せ」でした。
彼らにただ滝や植物の名前だけを紹介されるだけだったら、もしかしたら今も十和田の自然の本当の魅力を知らないままだったかもしれない。
でも、私がこれまでお話してきたような、この土地にしかない魅力だったり、植生だったり、どうしてこの森がこんなに豊かなのかとか。全部ひっくるめて体感させてくれる。
素敵な魅力が、私の地元の森には詰まっていたという喜びと、新しい発見、彼らが紡ぎ出す森の物語に感動したんだと思います。彼らがいなかったら、今の私はいません。十和田に帰ってきてガイドを目指すようになったのも、私が感じた「幸せ」な気持ちを、ここを訪れた人たちに伝えたい、共有したいと思ったから。
毎日にも意識を向けたら、気が付かなかったことに気付けるかもしれない
後に思えば、無意識のうちに比較していたのかもしれません。たとえば奥入瀬の森の中や、十和田湖の真ん中に浮かんでいるとき。そこは、森と水と生き物しかいない世界。
けれど、たとえばどこでもドアがあるとして、ぱっと一瞬で東京に場所が移ったとしたら。人工物と人間だけ。「同じ四方1平方メートルの世界なのに、同じ日本なのに、こんなに違う」って。
そんな想いを段々とつのらせながら、最後の背中を押す出来事になったのが2011年の東日本大震災。帰ろう、と思いました。
今、Uターン歴5年です。ガイドとして活動しているので、奥入瀬や十和田湖についてお話させていただく機会は多いですが、私はまだまだ勉強中の身。日々、昔感じた幸せを感じながら、さらに知識と経験を積みたいなと思う毎日です。
人生も、一つひとつの物事に対して意識を向けた方が、すごく充実していて楽しいと私は思います。
コケや小さな自然を観ることは、じつはそれと、とても似ているのかもしれません。ただ早足で歩くだけでは、通り過ぎてしまうから。
時間ができたら、ぜひ遊びに来てください。ゆっくりとじっくりと、奥入瀬渓流や十和田湖の世界をご案内します。
お話をうかがったひと
玉川 えみ那(たまがわ えみな)
1985年生まれ。青森県十和田市出身。大学進学と同時に上京するが、故郷の自然の素晴らしさを再認識し、2012年にUターン。現在はNPO法人奥入瀬自然観光資源研究会(通称・おいけん)に所属し、「コケ」や「シダ」「きのこ」などの小さな自然を通して、奥入瀬本来の価値・魅力や、新たな奥入瀬の楽しみ方を発信している。
(この記事は、青森県十和田市と協働で製作する記事広告コンテンツです)