いまから4年前、「からむし織体験生事業」(以下、織姫事業)が20周年を迎えたことを記念して、1冊の冊子が刊行されました。

タイトルは、『からむしの学校』。

からむしの学校

事業の成り立ちとこれまでの歩み、参加した100名近くにのぼる「織姫さん」(からむし織体験生)たちの作品紹介と村へのメッセージ、記念シンポジウムの様子と指導にあたって来られた方々の横顔を収録したもので、この事業の全貌を知ることができる、良書です。

なによりもこの冊子には、愛情が満ちあふれています。昭和村に寄せる織姫さんたちの愛情、彼女たちを見守ってきた村の方々の愛情。何気ないひと言からも、こめられた深い想いがわきあがってくるような。掲載された情報以上のものが収められている。

そんなふうに感じるいちばんの理由は、冊子のタイトルにあります。「からむしの学校」──。

実際の織姫事業は、学校ではありません。からむし織の一連の工程と山村生活の体験プログラムです。でもそこは、さまざまな思いを持ってやってきた「織姫さん」のことを見守り、育てる場所。でこぼこな個性を持ちあわせた彼女たちが、時に葛藤を経ながら、そのままに生かされるすべを考える場所でもあり……。

「からむし」を通して育てるひとと、「からむし」を通して学ぶひとが共に時間を過ごすこの場所は、「からむしの学校」と呼ぶにふさわしい。

それは織姫としてではないものの、繰り返し村を訪ね、この事業のもとに集った方々と出会うなかで、私(筆者・中條)自身が体感してきたことでもありました。

この「学校」には、「開校」当初から四半世紀にわたって、からむし体験生である織姫さんを見守り続けてきた女性がいます。齋藤トキイさんです。

齋藤トキイさん

齋藤トキイさん(からむし織体験生指導員・振興公社織り子)

昭和50年(1975)、会津美里(旧会津高田)町から昭和村に嫁ぐ。「からむし織」を通した村おこしの一環として、高機織りの織り子に従事。平成6年(1994)「からむし織体験生『織姫・彦星』事業」開始とともに、からむしに熟練した村のおばあさん2名とともに織姫指導員を引き受ける。おばあさんたちが高齢のため引退された現在は、織姫2期生の羽染桂子さん、栗城玲子さんとともに体験生の指導にあたる。

齋藤トキイ(以下、トキイ)さんの正式な肩書きは、織姫指導員。機織りや糸績(う)みを教えるのが役割です。と同時に、織姫さんにとってトキイさんは、なんでも相談できるお母さんのような存在でもあります。

福島県大沼郡昭和村ところで、織姫さんはどんなふうに1年を過ごすのでしょうか。ここで簡単にまとめておきます。

織姫体験生のプログラム

(1)からむし(畑から織りまでの一連の工程)
①からむし畑(5〜7月にかけて)
からむし畑の春から夏にかけての作業(雑草取り、からむし焼き、施肥、垣作り、根の植え替えなど)
②からむし引き(7〜8月にかけて)
からむしを刈り取り、繊維部分を取り出す工程
③糸づくり(5〜12月にかけて)
繊維を細く裂き、繋ぎ、糸にする工程(苧績み(おうみ)、撚り掛け)
④織り(12月〜3月にかけて)
高機(たかはた)を用い、平織り帯1本を織りあげる工程。
3月には作品展を開催。


(2)山村生活体験
①家庭菜園程度の畑作業体験
②染色(草木染め)、草履作りなどの生活工芸体験
③郷土料理体験(笹巻き、梅漬け、そば打ちなど)
④村内行事への参加

体験プログラムは、平日の午前9時から午後5時まで。メインとなるのは、季節ごとのからむし作業の体験ですが、そのあいまに手製の漬物などを持ち寄ってお茶をする時間も、欠かせない日々の日課だそうです。

「織姫さんとは1年間、毎日「一服」にいろんな話をするんですよ、私も話好きだから。からむしのことだけじゃなく、恋愛話もするし、いろいろ。午前と午後に30分くらいずつ1日2回あって。そうするとだんだん情が入っていくんだよね」

齋藤トキイさん
体験生が通う、からむし会館の機織り部屋にてお話を伺う。写真左から、トキイさん、昭和村からむし振興室・金子まきえさん、中條、小山内

だからでしょうか、トキイさんはいつしか、「からむしは罪づくりではないかなぁ」と思うようにもなったとも言います。

トキイさんがそのように考えるようになったのはなぜなのでしょう?

「織姫さん」として、この間に村を訪れた女性は113名。それぞれの顔を思い浮かべながら、思い出話は尽きません。今回は、織姫さんのことを一番近くで見守り続けてきたトキイさんの声に耳を傾けていきます。

お話はまず、これまでの連載のなかでも何度か話題になった「からむしだけで食べていくこと」の難しさについて、トキイさんのご意見を伺うところからはじまりました。

本人の意思もあると思うけど、やっぱり生活が一番だと思う

── これまでに、ほんとうはからむしを続けて村に残りたかったけれど、残れなかったという織姫さんもいましたか?

トキイ だいたいの子は、2年目以降も残っています。そして残る子たちはなにかと相談に来ますよね。真面目な子ほど、「続けていく自信がない」と悩んで相談に来たりして。でも残らない場合は、相談はせずに去っていくという子たちも。言いにくかったのかもしれませんねぇ。

── 私が感じた印象では、体験生後の研修生制度が修了する3、4年目がひとつのメドとなり、村に残るかどうかを考える方も多いのかなと感じました。実際にはどうなのでしょうか?

トキイ それは本人の意思もあると思うけど、やっぱり生活が一番だと思います。最初の4年はゆとりはないでしょうけど、一応生活はしていけるかなぁという程度に、「からむし織研修制度」(*2)。を利用すればなんとかやっていけるから。でも5年目からは完全に自活の道。
(*2)からむし織研修制度:体験生終了後、最長3年間は、研修生制度を利用することによって手当の支給がされる。(研修生制度の利用有無にかかわらず、織姫さんの多くは体験生終了後も村に暮らし続ける)

何年も残っていてからむしを続けている子は、アルバイトが村にあるから、その分を生活の足しにしているんじゃないかと思います。片手間でもそういう仕事を得られれば、残りの自由な時間でからむしを続けられる。本人はそれでよしとしているので怒ってもしょうがないけれど、私としてはイヤですね。

── イヤというのは、アルバイトをしながら織姫さんが「からむし」を続けていることがですか?

トキイ 村としては、融通のききやすい織姫さんを頼りにしている部分もあると思います。でも、それではほんとうの意味で生活の保障にならないからね。いまは仕事をしようと思えば、昭和村には若い人手を必要とする仕事がいっぱいあるんですよ。その時々のご縁次第でもあるけど、介護職とか事務職とか、いまは観光関連もあるし、かすみ草(*3)。なんかもそう。だから、からむしは部分的に続けつつ、仕事につく子も最近は多いかもしれません。
(*3)昭和村のかすみ草:全国の市町村の夏秋期で第1位の栽培規模を誇る。昭和村を支える産業のひとつ

昭和村・機織り機

── トキイさんが織姫さんを思って、真剣に向き合って怒ることもあるのですか?

トキイ みんなではないけれど、気兼ねなく言える子には言うこともありました。怒るというか助言ですね。踏ん切りがつかず、誰かが言ってくれるのを待っている場合もあると思うんです。だから、いまになっては戻れないかもしれないけど「無理せず、もとの生活に戻れよー」って。言っても聞きませんけどね(笑)。

── 織姫さんとして何年か村にいて、縁があれば村に残ってからむしを続け、そうでなければもとの暮らしに戻るべきだと?

トキイ そうそう。私はいつも言うんですよ、「ここで根付けなかったら、帰れよぉ」って。それでいいんです。帰って何年か経った時に、1年でも2年でも暮らした昭和村が「自分の人生で輝いてたなぁ」、「いい昭和村だった」とふり返ってもらえたらいいの。ずっとここにいられる条件が揃ったら別だけど、それぞれの事情もあるでしょうし、全員が全員は難しいでしょ。

── たとえばもとの生活に戻ったから、トキイさんの思う「幸せ」におさまっていくとも限らないですよね。織姫さんたちは「からむし」と関わり続けることに喜びだったり、生きがいを感じているようにも思えます。

トキイ だからねぇ、「からむしは罪づくりかなぁ」って思っちゃうの。織姫さんたちの気持がわかるだけにです。大げさなようだけど、まぁ、ここに来たから人生が変わったという子もいるわけだから。

── やっぱり「からむし」で食べていくことは難しいのでしょうか?

トキイ からむしだけでは難しいと思う。せめて、かすみ草くらい稼げるならいいと思うけど。

── たとえば、からむしが昔の換金作物のように収入につながっていくのであれば、トキイさんももう少し安心できますか?

トキイ いくら織姫さんが引き継いだとしても、量的にも質的にも昔のままに残していくのは難しくなってきていると思います。収入面が良くなったからといって、それだけでは、からむしはとてもやりきれないよ。お金よりも「残したい」という想いがあることが大事なんだよね。あとはからむしを引く楽しみ。「お金になるから」なんて、勧められないよ。

── 収入面が良くなったからといって、やりきれるもんじゃないというのは?

トキイ からむしをつくるのに、日数自体はそんなにかからないんだ。でも、畑囲いの萱(かや)を準備をしたり、糸績みしたり。そこにかかる労力を計算してみると、いまの労働に見合った金額にはとてもならないもんねぇ。

今年から織姫さんに誘われて、私のところでも畑を始めました。その子はなんでも「昔のひとがやっていたようにやろう」と言うのよ。それは大変だから「やらない」って言ってもダメよ。私もついついほだされて、昔ながらの方法でやっています。萱刈りなんて嫌いだったけど、行くようになりました。そうするとわかるんですよ、「これはお金だけじゃないなぁ」って。

だけど、だからといって、人生をそれに捧げてしまうのはどうなんだろうとも。親心ですかね。織姫さんたちを見ていると、つい気持ちが入っちゃうんだねぇ。

からむし
翌年の火入れに備え、秋に萱刈りをして、乾燥させておく

村に残り続けるには、結婚しか方法はないの?

── からむし栽培は織姫さんの想いでつながっている部分がとても大きい。一方で、トキイさんとしては2、3年楽しんで根付けなければ帰った方がいいという想いもある。織姫さんが「からむし」を続けていくには、どうしていくのがいいのでしょうか。

トキイ 生活の基盤があっての担い手だったらいいけれど、ひとりでは私はオススメしない。

── たとえば仕事(生活力)を持って、織姫体験生に参加することも、可能だったりしますか?

トキイ それは、いいんじゃないの? 織姫としてのカリキュラムをこなす上で並行して仕事を続けていけるなら、私はいいと思いますよ。でもね、何年か楽しんだらそれまでの生活に戻って、親が望むような人生送りなさいって思うかなぁ。

── トキイさんが大切だと思うのは、親が望むような人生なんですね。

トキイ そんなふうにしてる子は少ないでしょうけどね(笑)。

── それは織姫さんたちに、「幸せ」みたいなものをつかんでほしいからですか?

トキイ そうそう。本人は、私とは違うところで幸せかもしれないよ。でもそれは私にとっては幸せじゃないから。いや幸せだろうけども、でもそれじゃないんだって。

お父さん、お母さんが安心する身になってもらいたい。つまり結婚だね。からむしやりたいんだったら、ちょっと不本意で「私には向いてない男だなぁ」って思っても、村でご縁があったのなら、「ちょっとくらいは目をつむって望まれたら、いけーって!」って、いつも言ってます(笑)。

昭和村の暮らし

齋藤トキイさん
「(元織姫さんが)村の暮らしをまとめた冊子を送ってきてくれたよ。ここに写るのは見慣れたふつうの風景だから、私がふだん見過ごしているものばかり。彼女の目にはとまるんだね」トキイさんは嬉しそうに見せてくれました

── トキイさんがそこまで織姫さんのことを思えるのはなぜですか?

トキイ それが正しい考えじゃないかもしれないけど、親心だね。たしかに仕事として生きる道もあるよ。でも人間の道なんて言うと古いかもしれないけれど、女の人だったらお母さんとしての道も歩んでもらいたい。

── お母さんとしての道。

トキイ 織姫さんたちに言うのよ、「お母さんにならないと、お父さんとお母さんがどういうふうに育てたか、本当のことはわからないよ」って。子どもが熱を出したり、怪我をすれば本気で心配するし、怒りたくなくても怒んなきゃいけない。そういう経験をしないとどのくらい心配してお母さんが育ててくれたかわからないんだから。

からむしのことはもちろんだけど、そういうことも、自分のこととして考えて、みんなにも実感してもらいたい。こないだも40歳を過ぎて出産した織姫さんが、「子どもを産んで初めて親の気持ちがわかった」って。私は「そらみろ」って言ったんだけどさ(笑)。だから実感しないとわかんないんだよ、ほんとうのことは。

── 毎年新しく村を訪れる織姫さんには、そういう心配も含めて「幸せ」になってほしいですか?

トキイ ちょっとキツイ言い方になるけど、自分たちは「からむし」を続けられることで満足しているかもしれない。でも、私はせめてもう少し稼げるように、安定したふつうの生活を送ってもらいたいという気持ちですね。それだけで結婚っていうのは違うのかもしれないけれど。

── トキイさんが、結婚の仲立ちをされたりすることはあるんですか?

トキイ 仲立ちをしたことはないですけど、もし付き合うようになったら、いい悪いは言いますから結婚が決まる前に「連れて来なさい」とは言ってきました。決まってからじゃ遅いから。まぁね、「よくないぞぉ」っていうと、そのあと報告に来なかったりもするんだけど。でも結婚式でね、私がよくないと思ったのは間違いだったなぁということもありましたよ。

── 結婚式にも出席されるんですか? 本当にお母さんみたいですね。

トキイ そうだね。この辺で結婚する子は、だいたい行ってますね。

── トキイさんのような懐の深いひとがいるから、織姫さんも安心して昭和村にいられるというか。

トキイ そんなことないよぉ。

── 例えば織姫さんたちが、一緒に生きていきたいひとを、村に連れてくるのはどうですか?

トキイ ここ最近は、織姫さんに村の男性を薦めることも少なくなりました。だから私も自分の好きな相手を「連れておいでー」と言ってます。それは一番いいことだ、安心できるもの。

齋藤トキイさん

── 織姫さんたちがこの村に根を張って、からむしを続けてもらえたら、それはトキイさんとしては理想的なかたちですか?

トキイ 私としては一番だ。ここに根っこを張って、からむしを継続してくれるなら。やっぱりここで生きていくと決めたひとじゃないと、ほんとうに信頼することは難しい場合もありますから。いつ帰っても自由という立場のままでは、任せられないことがあるのも現実なんです。

── トキイさんの望むかたちで村に根を張り、家庭を築く織姫さんや、必ずしもそうではないけれど「からむし」があることによって、村に暮らし、関わり続ける方も多い。いずれにしても、昭和村にとって「織姫さん」の存在は大きいんだなぁと感じます。

トキイ それはもちろんです。織姫事業が始まった当初はね、いまのように村の受け入れ体制はできていなかったの。でもいまは「織姫さん」が来るのを、村のひとたちも毎年心から楽しみに待っています。私もだよ。

最初はできなくていいんだ。できなかったひとはいないんだから

からむし会館の機織り部屋

── 織姫さんはみなさん1年間で、からむしの布を織り、作品を完成させられるんですか? 糸づくりも織物も初めての方も多いと聞きます。

トキイ 糸績みに限らず、手しごとは数をこなせば自分のものにできるから。体験が始まるときに言うんですよ。「最初はできなくていいんだぁ。できなかったひとっていないんだから」、「2、3日だけ頑張れば、あとは絶対できるから」って。

── 手先があまり器用でなくても、みなさんできるんですか?

トキイ やりたいと思って来る子たちなので、不器用な子でもできますよ。なんでもそうだけど、次の作業をして、初めて前の作業のここが大切だというのがわかるんです。だからわからなくなったら、翌年に出来上がったものから遡ればいいの。でも結局は、1年過ぎないと反省を含めて実感はできないということでもあるんだよね。

── そしたらまた来年も「残りたい」という気持ちになりますね。

トキイ そうだと思います。これまでも、私からみたら「なんでこんないい仕事を辞めてくるの?」という子がいっぱいいたもの。そしたら織姫さんによく言われました。「トキイさんはずっと村にいるから、からむしとか村のよさがわかんないんだよー」って。

── それは逆に、織姫さんたちはなぜそこまで熱心になるのか。ギャップのようなものを感じるという?

トキイ からむしはすごいものだとは思いますよ。でも、正直いえば、織姫さんが思うほどに、私は思えていなかったなぁ。

── 織姫さんたちはなにか、「からむし」というものに幻想を見ているように感じられたのですか?

トキイ 「ゼロから全部できているのがすごい」って言うんだけど、農業はそれがふつうだもんね。織姫さんたちはこう言うのよ、「なんにもないところから、畑に植えて布がつくられるのはすごい」って。

でも、いまは幻想を見ているなんて思わないかなぁ。昭和村ではもともとのからむし栽培者のひともだんだん少なくなってきていて、今年も思ったんだよね、「昭和村のからむし栽培は、織姫さんが、からむし引きや糸づくりをやっていてくれるから続いている」って。昭和村は、「彼女たちが来てくれたことで輝いた」と言ったらおかしいけれど、それまで日の目も見ずに続けていた昔ながらのことを、都会のひとたちが「すごいすごい!」と言ってくれて。この村の生活自体に、みんな前より自信を持つようになった。

だからこの村も昔のまんまいこうとか、昔ながらのやり方を大切にしようという気持ちが、だんだん浸透しているよね。昭和村のじいさまばあさまも、輝きだしている。だからそれは幻想なんかじゃないよね。彼女たちのおかげで私たち村の人間も、からむしはすごいんだって感じられるようになったんだもの。

織姫体験生
7月下旬の早朝。織姫体験生として初めての刈り取り作業が、雨のなか行われた

── 現状のからむし栽培は、織姫さんがいることによって、昔ながらの方法のまま、途絶えずに続いている部分も大きいということですか?

トキイ そうだと思います。いま生きている80代以上のおじいさんおばあさんは、昔ながらの栽培方法を守っているけど、そのひとたちもいずれは途絶えるでしょう? その次の世代の私たちは、ついつい簡単なほうに行きたくなるんだよ。でも織姫さんたちは無理をしてでも、頑なに「昔ながら」でやることが大事だと示してくれる。だから私たち村の人間も、昔ながらの暮らしに想いを深くしたっていうかね。

── トキイさんはこれまで織り子さんとして機織りを中心に教えられていて、「からむし引き」は10年ほど前から始められたんですよね?

トキイ それくらいになりますかね。以前は、からむし引きの季節になると「10日間だから頑張ってこいよぉ」って織姫さんたちを送り出していたんです。「引いた分は自分のものになるんだから、がむしゃらに引いてくるんだぞー」なんて言って。

そのうち大芦(*3)。の引き手もだんだん少なくなってきたので、私も覚えてみようと思って、織姫さんと一緒に引くようになりました。自分で経験してからは、「がむしゃらに引いてこー」なんて言えなくなりましたね。からむし引きはとても大変なことだと知ったから。だからそれからは、「体だけ気ぃつけて頑張ってこー」とだけ、声をかけてます。
(*3)大芦(おおあし):昭和村の中でもとりわけからむし畑が多く、品質の良い「からむし」がとれる集落。

── 「からむし引き」を始められてみて、それまでと織姫さんの見え方が変わったのですか?

トキイ なんでもそうだけど、満足したものってできないんですよ。それまでは「織姫はなぜ村に残るのかなぁ」ってずっと考えていたけれど、自分で始めてみて、ようやくわかりました。彼女たちは、次の年もからむしを引きたいから残るんだろうなぁって。それが正しいかどうかはわからないけれど、私はそうじゃないかと思います。残る子はだいたい引くもんね、次の年も。

今年の研修生の子は、からむし引きがしたいから、自転車で峠を越えて大芦まで、早朝から手伝いに通っていました。「どのくらい時間かかるんだ?」って聞くと「30分くらい」って。峠を越えてだよ。それこそ、雨が降ろうと、ヤリが降ろうと行くんだもんね。私が車で送っていくというと、「トキイさんは用事ないんだからいい、いい」って遠慮をしてダメなんだ。ほんとうに頭がさがるよ。私自身が学んでいます、ほんとうに。

福島県大沼郡昭和村・大芦
昭和村のなかにはいくつもの峠道がある

── トキイさんはこれから、どういうひとに「織姫さん」として村に来てもらいたいですか?

トキイ 私はなんにも知らない子に来てもらいたい。それでからむしがどういうものか、1年体験して感じてもらって、好きになるかダメになるかは本人次第だけど、「楽しめっかなぁ」っていう気持ちのひとがいいと思う。

私は村に来た織姫さんにはまず、「ここでは立ってるものには全員声かけろよー」って教えるんですよ。そうすれば、村のひとから声もかけてもらえるし、野菜やなんかも村のじいさま、ばあさまが持ってきてくれるから。昭和村にいると心地いいんだって、人とのつながりが──。

ちょっと厳しいことも言ったけど、真っ当に生きていくってどういうことかを、日々の体験で感じてほしいですね。


からむしの学校。そこは、女性(ひと)としての生き方を学び、考える場所

カタン、トントン、カタン、トントン。

カタン、トントン、カタン、トントン。

… … … …

機織りは、一定のリズムと力加減を保ち続けることがコツ。
心が揺れると、安定した織にはなっていかない。

そのためのおまじないは、「平らなこころで、じねんとやれよー」

根を張って、腰を据え、じっくり向き合っていくことは、ものづくりの大事な要件。それはたんに「ものづくり」だけの話ではなくて、雪深いこの村に暮らすひとたちとともに、関わりながら生きていく上でも欠かすことはできない事柄でもありそうです。

齋藤トキイさん
「やっぱりからむしのよさは手績みだよね。これやるとハマるからやらないほうがいいよぉ」とトキイさん

「ほんとうのことは実感しないとわからない」

そう語るトキイさんは、昭和村の生まれではありません。42年前、峠を越えてお嫁さんとしてやってきて、この村の文化をゼロから学ばれました。トキイさん自身が「織姫さん」でもあったといってよいでしょう。

「2、3年楽しんで、元の生活に戻ればいい」

そうした言葉の根っこには、「からむしが大事なのもわかるけど、いちばん大事にしてほしいのは、あなたたちそれぞれの人生だから」。そうしたトキイさんの願いが込められているように感じられます。

この村に、残るひと・残らないひと、根を張るひと・自由に生きていくひと──

たくさんの女性たちの歩みを深く受けとめ、包み込みながら、トキイさんは心配の分だけ言い続けます。「ここで根付けなかったら、帰れよぉ」って。

からむし

今年もすでに、平成30年度(第25期)の「からむし織体験生『織姫・彦星』」の募集が始まっています。募集期間は10月31日まで。

なお、トキイさんも心配するように「からむしでは食べてはいけない」から、「からむしで食べていくこと」を目指した取り組みが、今季からスタートします。「昭和村からむし織糸づくり研修事業」として、極細の手績み糸をつくる職人を目指した研修内容です。募集期間は11月15日までです。

  • 第25期「からむし織『織姫・彦星』体験生」募集 詳細はこちらへ。
  • 福島県大沼郡昭和村へのアクセス方法はこちら

(この記事は、福島県昭和村と協働で製作する記事広告コンテンツです)

文章:中條美咲
編集:小山内彩希
写真:タクロコマ(小松﨑拓郎)、伊佐知美

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