「ものづくりの根っこ。それは、昔ながらの生活を体感し、無理なく実践すること。津軽も昭和村も、おなじような雪国。昔のひとたちが、生活のための『ものづくり』をして生きていたこと。そうしたことを知りたくなったときに、私はからむしを知り、昭和村に出会いました──。」

青森県弘前市出身の、山内えり子さんのご実家は、りんご農家。小学生のころまでは、明治生まれの曽祖母と大正生まれの祖父母、それに父母兄弟の8人で暮らしていたそうです。家族各々の手しごとに囲まれ、冬の日の「ゆったりと流れる時間が好きだった」と山内さんは語ります。彼女にとって手しごとの原体験は、生活と密接に結びついたところにありました。

津軽の手しごとといえば、こぎん刺し。かつては、麻やからむしが、その素材とされていました。いまでは、博物館などでしか目にすることはありません。ところが、昭和村ではいまなお「からむしの布」がつくられている。

「津軽に根ざしたこぎん刺しを、布からたどり直したい。」

そんな思いから、12年前に昭和村を訪れたのだという元・織姫体験生の山内さんに、お話をうかがいます。

山内えりこさん

山内えりこさん

山内えり子(織姫12期生)

青森県弘前市出身。20代半ばから自分自身の生き方を見つめ直し、幼少期から身近にあった「こぎん」の歴史を調べ始めると、昔の「こぎん」の着物は、麻やからむしの布でつくられていたことを知る。生きるために必要な知恵が残り、生活のなかに「からむし」が入り込んでいる昭和村の暮らしを身につけるため、2005年織姫体験生として来村。現在は「monderico」という名前で活動。昭和村で自ら織り上げたからむし布に、津軽ゆかりのこぎん刺しをほどこしたものづくりを行う日々。

青森県のりんご農家で育った幼少時代

「私の実家はりんご農家で、祖父たちがなくなってからは両親ふたりでいとなんでいました。

農家の仕事は、12月半ばまではお歳暮などで忙しいけれど、1、2月は雪も積もるし、家にいる時間が長いんです。父は家を直したり、母は縫い物や編み物をしたり、こぎんを刺したり。手を動かす父母と過ごす時間が小さいころから身近にありました。

母の世代のひとたちは、結婚前に洋裁や和裁、編み物などを習うひとも多かったそうです。なので母も、結婚後も子どもの服などいろいろつくってくれましたね。

母の手編みのセーターに腕を通すのが嬉しかった。実家には祖父母もいたし、みんなが起きている間、母は農家の仕事に加えて、家のことをやらないといけませんでした。

それでも夜中に編んでいたらしくて。朝は早いし、みんなのお弁当もつくらなくちゃならないし。『若かったからできたんだね』と母は言っていたけど、いま思うとすごいなぁーって。

私の感覚だと小学生くらいまでは、時間がゆったり流れていたんですよね。冬場はとくにゆっくりと。冬になると、母がいろいろ引っ張り出してきて、手しごとするところをジーッと見ていた記憶があります。見よう見まねで、自分でもやってみたりして。

中学高校は忙しくお勉強していたけど、小学生くらいまで、私もいろいろつくっていたことを覚えています。」

山内えりこさん
1年ぶりのからむしのフレッシュな匂いが懐かしい様子

津軽のこぎんを布からたどり、知ったのは「からむし」という言葉

「大学の卒業が近づくと、みんな一斉に就職活動を始めるじゃないですか。山積みの就職案内情報と、エントリーシートを書いていく違和感が私にはすごく大きかった。だからエントリーシートは書かずに、周りの大人たちに『働くってなんですか?』って聞いてみたりもして。

それでもなにかしら働かないといけなかったから、たまたま新聞に募集が出ていた学習塾に就職しました。『学習プランナー』として、塾生さんたちの進路相談を受けたり、教師を目指すアルバイトの大学生さんたちと接していました。

私の目には、彼らは本気で将来のことを考えているように映って、私はどうだろう? 本気で生きているかな? って思うようになったんです。それから少しずつ、幼いころから好きだった津軽の『こぎん刺し』について調べるようになりました。

調べていくうちに、『昔のひとたちは、その布をどうやってつくっていたんだろう』ということに興味がわいてきました。現代では、布を手がけるひとたちの多くは、糸を買ってつくるのが当たり前。でも昔、着るものも自分たちでまかなっていた時代は、糸からつくっているんですよね。

やがて、昔の着物や野良着の材料が、麻やからむしで出来ていることを知りました。それからですね、『からむしってなんだろう?』って、気になりはじめたのは。

インターネットで検索してみると、昭和村の『からむし織体験生』のことが、すぐに出てきました。糸づくりや機織りだけでなく、素材の栽培まで全部教えてくれるところは他にはなかったですし、博物館などでしか目にしないような道具たちが現役で使われているということにも惹きつけられました。一度見てみたくなって、雪解けしたばかりの5月の連休に、初めて村を訪ねました。」

福島県大沼郡昭和村
春の昭和村。佐倉集落、双体道祖神と庚申塔(筆者撮影)

疑問はいっぱいあった。だから応募して、織姫になりました

からむし織の里でバスを降りると、他所にはない空気感を感じました。雪はもうほとんどなくて、ちょうど桜もチラチラと咲いていて、すごくいいなぁと思って。それが私の昭和村の第一印象でしたね。

からむし工芸博物館を訪ねたあと、実演コーナーも覗いてみました。やっている作業に興味はあるんだけど、知識もないし、どう聞いていいかもわからない。ただただジーッと見ているばかり。でも、村のひとたちには『この子は織姫志望で来たんだろうな』って、すぐに伝わっちゃうんですよ。自分が逆の立場になったいまならわかるけど『どうぞ見てってください』という感じだったんじゃないかな。

そのときは、道具が動いてることがすごく不思議だったり、わからないんだけど、とにかく見た。ただ見て帰った。でも、疑問は膨らむ一方。「からむし」という植物が布になる過程は相変わらず全然わからない。

津軽ではすでに昔のものとなった『からむし』を、昭和村ではいまも手がけるひとがいる。

昭和村を訪れてからいっそう、この単純な事実が無視できないものになりました。やっぱり『からむし』やってみたいなぁって。そうした関心に突き動かされるまま、織姫になって、初めてからむしの畑から糸づくり、機織りまでを体験したという感じです。」

山内えりこさん

来てみてどうでした?

ここからは、山内さんが昭和村に来てからの暮らしぶりをご紹介します。

「1年目はやること全部が初めてで、忙しかったから楽しかったです。からむしの一連の作業以外にも、運動会やゴミ拾い、村の行事にはできるだけ参加をするのが体験生の条件でした。」

もともと、ゆっくりと物事に専念できる性格ではなかったと、当時をふり返る山内さん。昭和村に来て少しずつ、ものづくりへの取り組み方も変わっていったのだとか。

「私たち織姫に、からむしを教えてくれてた、ふたりのおばあちゃんがいるんですけどね。そのおばあちゃんたちからは、この村の時間の流れも教えてもらいました。それからですね、気持ちがゆっくり、じっくりできるようになったのは。」

福島県大沼郡昭和村

「いまは畑を借りて、からむしを育てています。からむし引き(*1)。の期間は、だいたい3週間。朝起きて、畑に行って刈り取って、水に浸している間にご飯を食べて、それから『からむし引き』。刈り取った分は、その日のうちに全部引かないといけない。この時期はこれしかしないから、やり終わると達成感があるんですよね。私のなかでは夏のお祭りに近い感覚。地元のねぷた祭りと重なって、血が騒ぐ感じがするんです。」

(*1)「からむし引き」:土用を過ぎた7月下旬から行われる。からむしを刈り取って、糸となる繊維を引き出す作業。

からむし引き

「からむし引きは後半になるにつれて、気力も体力もしんどくなるけど『やんなきゃー』って気持ちを追い込みます。朝の4時に起きて、夕暮れどきまで毎日作業に費やします。だんだん体も疲れてきて、暑さにやられてひどいときは、背中に大根おろしを乗せて暑気払いしたり。この辺の民間療法なんですけど、すごく効きますよ。」

肉体的にも過酷に思えるからむし引き。「終わるとどんな気分になりますか?」と尋ねてみると、「終わったら?解放されて放心ですね(笑)。まずは寝転がって竿にずらりと掛けた、からむしをボーッと眺めたりしています。」そして、からむしを引くおばあちゃんたちとお茶呑みしながら、無事に終わったことを報告し合い、つかの間のひとときを楽しむそうです。

昔の津軽の女たちを思い、糸を績み、布を織り、こぎんを刺す──

山内さんをはじめ、からむしを主体とした生活を、村で試みる織姫さんは少なくありません。けれど、「からむしで食べていくこと(お金を稼ぐこと)」は、とても難しいことでもあります。

それでもつくり続けたいと願う織姫さん。その理由を知りたくて、私(筆者・中條)はこの村に通い続けているのかもしれません。

山内えりこさん作品
刺し子の仕事着。山内さんのお母さんが嫁入りの際に母親から持たされたもの。細かく細かく、全体に刺し子がほどこされている

「食べることや暮らしに関わること、生きるのに必要な知恵など、昭和村にはまだいろんなことが残っています。そしてそれを見たり聞いたりできて、気付くこともたくさんあります。生活のなかに『からむし』が入り込んで、帽子を編むひとがいたり、機織りをするひとがいる。

その時間の流れのなかでは、現代も過去も一瞬で飛び越えてしまう感覚です。私は津軽を思い、昔の津軽の女たちを思い、糸を績(う)み、布を織り、こぎんを刺しているんです。昭和村で暮らすおばあちゃんたちを見ていると、こういう時代でも、『もの』をつくっていいんだって、肯定できる感じもあるので。」

こういう時代でも、「もの」をつくっていいんだ。

えり子さんからの言葉を受けて、私は聞きました。「それは逆にいうと、いまの時代は、自分の手でつくること、手しごと自体が求められていないように感じるということでしょうか?」と。

えり子さんはこう言います。

「そう。求められていないというのは、本当はどうなのかわからないけれど感覚的なものとしてあって、どうやって伝えたらいいかなぁって考えていたんですよ。でも、少し前の時期よりも確実に、いまは手しごとに取り組むひとも増えていると思います。だから小さい動きでも、また少しづつ変わっていくのかなって。変わっていく可能性はあると思う。」

ひとの手でつくられる布は、エネルギーに満ちている

「私の目標は昔のように、からむしの布にこぎんを刺して、生活のなかで使われていた着物を自分の手でつくってみること。そして、質のいい『からむし』を育てて引いていきたい。そこに近づきたいから、とにかく毎年、栽培から織りまでを続けていける環境を維持してる。それができることに感謝をし、生きているんです。からむしを残してくれた昭和村のひとたちがいて、こぎんを刺し続けてきた津軽のひとたちがいるから、私はいまこうしてつくっていられる。

なかには、からむしの布にこぎんを刺すなんてと、感じるひともいるかもしれません。刺さなくても綺麗じゃないですか。特に手績みの糸は、機械紡績の繊維みたいに切り刻まれないからね。植物をそのまま糸につないでいく上に、ひとの手が加わっていく。全部自分たちの手でつくったものだから、エネルギーがありますよね。からむしの布は、それだけでも力がある。」

山内えりこさん作品
山内さんが畑から育てたからむしの布に、ふるさと青森のこぎん刺しをほどこしたもの

「私もほんとうは切らないで、大きい布をそのまま活かしていけたらと思います。でも、自分でつくったものを売って、生きていこうと決めたから。いまはまだ、小さなものをつくるために、布にハサミを入れるしかないんですよね。売れていくのは嬉しいんだけど、『あぁ、次はこれを切るしかないかぁ』って。せっかく織り上げた布にハサミを入れるのは、勿体無いなぁって思うこともありますね。」

山内えりこさん

「そういう意味では、まだまだほんとうに納得したものには至っていないんです。でもこれからは、1年に1回でもいいから、大きい布をそのままに、刺していくことを目標にしています。」

畑から育て繊維を取り、糸を績み、布を織り——。一枚の布を手にするためにどうしてこれほどの手間をかけるのでしょうか。

布を織り上げたとき、「ただ眺めている時間がとりわけ好き」。そんなふうに語る山内さんのやわらかな表情を見ていると、手しごとをしながら生きることに、理由はいらないと思うようになりました。

戻りの道で、「monderico」

つくり手、山内えり子さんの屋号は「monderico ─もんどりこ─」。これまで耳にしたことのない、不思議な響きの言葉です。

「『もんどりこ』って、地元のねぷた囃子の掛け声なんです。いまはこうして、昭和村でからむしを育てて布にしているけれど、私、青森県の出身だよって意味をどこかに込めたくて。津軽のひとたちに伝わるように。

ねぷた囃子の掛け声は、行きの道が『やーやどー』で、戻りの道が『もんどりこ』。」

福島県大沼郡昭和村
山内さんが暮らす大芦集落。良質なからむしがとれることから、大芦に畑を求める織姫さんも多いそう

この名前には、村で過ごして得た山内さんなりの人生観が込められているようです。

「村での生活も長くなり、この間に亡くなられたひともたくさんいます。親しみを持っていたおじいちゃんおばあちゃんが多いから、そういう意味では『死』が生活の延長線上にあると感じるようになりました。

昨日までふつうに元気にしていた方が、朝起きると息を引き取っていたりして。そういうふうにできるってすごいなぁって。それまで私は、『死』とは明らかに一線を引いていました。だけどここでは、もっとふつうに日々の時間の中で迎えていくひとが多くて、その流れがなんか自然だなぁって。

私も40歳になって、生きるとか死ぬとか、前よりも感じられるように成長もして、人生の折り返し地点を過ぎたという意味を込めて「monderico ─もんどりこ─」と名づけてみました。今度は死に向かうんだよ、って意識もあったんです。それは決して大げさなことではなく、昭和村の暮らしの一部のような気もして。

クラフトフェアの出店などで村を離れると、昭和村の空気感が他にはないものだと実感します。この村を包み込む静けさと、夜の暗さを求めて、『昭和に帰りたいなぁ』と思うんです。」

福島県大沼郡昭和村
玄関先に置かれた椅子。仲のいいおばあちゃんが訪ねてきたときに、すぐに腰掛けられるように

「村のおばあちゃんたちがこの暮らしを続けている間は、なるべくそばにいて、いろんなことを教えてもらいたい。いまはまだ、真似事だから。私も出来る限り、おばあちゃんたちのように、純粋に生きるため、食べるために時間を使いたい。ものづくりはその大事なひとコマ。そんなふうに生きていけたらいいなと思うし、それが私にとっては理想的。

からむしの栽培に関してもまだまだ勉強中。私のものづくりはようやくスタート地点です。」

「ゆっくり、じっくり」。腰を据えたものづくり

「働いている布たちが『すごいなぁ』と思って。」

山内さんが手しごとに向けるまなざしは、「もの」の向こう側で働くひとや、使われる「もの」自体への尊敬にどこまでも溢れていました。

山内えりこさん作品

後日、図書館で目にした本の中で、私はこんな一文を見つけました。

「津軽で刺し子が発達したのは、木綿が栽培できなかったこと、麻の着物で冬の寒さをしのぐためにはびっしりと刺すことで、防寒の役目を果たしていたことが関係している。」

『津軽こぎんと刺し子 はたらき着は美しい』(1998)

しんしんと雪が降り積もる夜。深い静けさに包まれた家のなか、囲炉裏を囲い、糸を績み、布を織り、こぎんを刺した女たちがいたこと。歌いながら、数えながら、時間の流れを行きつ戻りつ──。

そうした女(ひと)の生き様に思いを馳せて、山内さんはこれからも自らの手で、ものを生み出す道を進んでゆくのでしょう。

「ゆっくり、じっくり。」

この村に流れる時間とともに。

からむし

えり子さんが最初に訪ねた「からむし織の里」は、「からむし工芸博物館」「織姫交流館」「郷土食伝承館 苧麻庵」からなる複合施設です。工芸博物館では、昭和村でいとなまれてきた「からむし織」の歴史を知ることができます。「織姫交流館」では、村の方々が手がけたからむし織など物産の購入ができるほか、からむし織の体験や、実演の見学もできます。興味を持たれた方は、最初に訪ねてみてはいかがでしょうか。

今年もすでに、平成30年度(第25期) 「からむし織体験生『織姫・彦星』」の募集が始まっています。

募集期間は10月31日まで。

  • 第25期「からむし織『織姫・彦星』体験生」募集 詳細はこちらへ。
  • 福島県大沼郡昭和村へのアクセス方法はこちら

(この記事は、福島県昭和村と協働で製作する記事広告コンテンツです)

文章:中條美咲
編集:小山内彩希
写真:タクロコマ(小松﨑拓郎)、伊佐知美

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