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もう時間がない。それでも幸せな暮らしを守りたいから、はじめた観光地経営|石見銀山生活観光研究所 松場忠×発酵デザインラボ 小倉ヒラク|後編

今、私は何を継げるか?【島根県石見銀山・群言堂】特集、はじめます。

松場忠さんが代表を務める石見銀山生活観光研究所が中心となってまとめた、一冊の報告書がある。「石見銀山エリアにおける観光資源を活用した地域一体型経営の仕組みを利用した事業計画の策定報告書(令和3年度地域・企業共生型ビジネス導入・創業促進事業 オーガナイザー組織の持続可能な事業計画策定)」。

お堅い名前だが、ここに忠さんらが考える大森町での生活観光の未来が、ほぼ詰まっているといっても過言ではない。

経済産業省中国経済産業局の委託事業として行った報告書には、地域課題に対する地域側からの解決手法が事細かに記され、大森町ではそれらが既に実行フェーズに移っていることがわかる。

では、ふたりの会話の続きを聞いてみよう。

 

松場忠さん

松場忠

2019年に株式会社石見銀山生活観光研究所を設立し、2022年に株式会社石見銀山群言堂グループの代表になって以来、松場大吉・登美夫妻が約40年かけて築いてきた群言堂のあり方をどう受け継いでいくか模索しながら、大森町全体のまちのあり方を考え、観光という視点からまちの風景を未来に残すための活動を精力的に行っている。

松場忠さん

小倉ヒラク

発酵デザイナーとして書籍の出版、展覧会の企画を行いながら、発酵をテーマにした食のショップ「発酵デパートメント」を主宰。ライフワークである世界のローカルへの旅を続けつつ、発酵を起点に新たな概念を生み出し続けている。

いま動かなければ、まちは守れない

小倉ヒラク(以下、ヒラク) 前回、日本が観光立国になっていくことは避けられないっていう話をしたわけだけど、そのときポイントになるのは、“理解のある人たちがリピートして訪れる”という旅のスタイルにどこまでもっていけるか、だと思うんだよね。それは地域のポテンシャルとプレーヤーにかかっているわけで。野次馬的な人たちが押し寄せればオーバーツーリズムになっちゃう。でも、誰も来ないでくださいなんて言ったら経済が干上がっちゃう。

松場忠(以下、忠) 15年前に石見銀山が世界遺産になったとき、オーバーツーリズムを経験したんだよね。この町並みに東京の竹下通りみたいに人がわっと押し寄せて、まちの道を渡れなかった。

ヒラク そんなことあったの!? まだオーバーツーリズムなんて言葉ができる前だね。

 そう。それがいまは世界遺産登録前と同じくらいの入込数に戻った。でも、代官所前(※1)の事業者が、登録前よりも苦しいっていうんだよね。なんでかなって紐解いたら、観光の主要ルートが変わっていた。世界遺産センター前で車を停めて、バスに乗って、バス停で降りて龍源寺間歩(※2)に行って、また同じ道で帰るルートができちゃった。みんな町並み地区に寄っていないんだよね。人はいっぱい来ていたから、気付かなかった。

※1 代官所前……大森町の町並みの北端にある、町並みの入口にあたる場所。近くに食事処や銀山資料館などがある。

※2 龍源寺間歩……大森町のもっとも南側(山側)にある坑道。石見銀山観光のハイライトとされており、ほとんどの観光客がこの場所を訪れる。一方、ガイドなしでは間歩の価値が伝わりにくく、間歩だけを訪れて「がっかり世界遺産」という言われ方をすることも少なくない。世界遺産が「石見銀山遺跡とその文化的景観」と広域的であるにもかかわらず、一枚の写真で「龍源寺間歩」だけであるようなブランディングを行ってきてしまったことも原因。

石見銀山 龍源寺間歩(坑道跡)
石見銀山 龍源寺間歩(坑道跡)

石見銀山の町並み

ヒラク 悩ましいね。

 住民からしたら、『来てもらうのはうれしい。でも、まちを理解してもらえずに帰ってもらうのは悲しい』っていう思い。住民憲章に“暮らしがあるからこそ世界に誇れる良いまち”ってあるように、観光客数という指標に左右されながらも、量ではなく質、という方向を目指すことで、住民の腹は決まっていたんだよね。だから生活観光でも、不特定多数ではなくて、特定多数を目指すことにした。

ヒラク うんうん。

 もう一度竹下通りみたいになることは誰も望んでないわけだし、少ない観光客数でも、効率というか、熱伝導率を上げることはできるんだよね。いま町が取り組んでいるのは、大森町の玄関口とも呼ばれている代官所跡を旅の玄関口にして、目的地の龍源寺間歩までの一本道を観光に来るお客様に楽しんでもらうこと。その道中にある施設も、共通チケットなどで一緒に見てもらえるようにして客単価を上げる実証事業やレンタサイクル、グリスロ(※3)も含めて、地域の事業者と協議をして交通拠点を代官所前に集約した。

ヒラク パッケージ性を高める、ということだね。

※3 グリスロ……グリーンスローモビリティ。電動等のクリーンエネルギーで、時速20km以下で運行する車両。石見銀山では2021年に環境省の実証事業で運行を開始し、2022年度は大田市が主体となり運行した。実際の車両管理等は地域でレンタサイクル事業も営む河村電気が担っている。

ぎんざんカート(石見銀山グリーンスローモビリティ)
ぎんざんカート(石見銀山グリーンスローモビリティ)。大森代官所跡から龍源寺間歩の区間を移動できる。

 

生活観光 石見銀山
引用:石見銀山エリアにおける観光資源を活用した地域一体型経営の仕組みを利用した事業計画の策定報告書

 イベント打つとか、コンテンツ増やすとか、集客するとか、疲れるじゃない(笑)。そういうことじゃなくて、町として構造の部分を改善していかないといけない。この地域には、強いコンテンツを打ち出し続けて、消費され続ける体力はないからね。

ヒラク エネルギーが伝わる効率を高めると、根本的にがんばらなくてよくなるからね。忠くんは生活観光研究所っていう観光の会社を立ち上げて、観光のパッケージングも含めてほかのステークホルダーとも一緒にやっていくことになるわけだけど、具体的にどう落としどころをつくろうとしているの?

 まず落としどころになるのは、地域一体型経営に移行することだと思ったの。観光というと仲が悪いわけじゃなくても、ビジネスの上ではまちの商店や宿がライバル関係になってしまいがち。でも、本来同じ方向を向いているはずなんだから、みんなで成り立たせる方法があるはずだって思ってる。自分の会社は立ち上げ以来厳しい状況なんだけど、ずっとその下地づくりを続けてきて、ようやく見えてきた。大吉さんが動いている一般社団法人石見銀山みらいコンソーシアム(※4)では龍源寺間歩の指定管理を受けてマネジメントできる段階まで来たし、石見銀山大田ひと・まちづくり事業協同組合(※5)も立ち上がった。町全体でひとつのエコシステムをつくろうとしてるところ。

石見銀山 地域一体型経営について
引用:石見銀山エリアにおける観光資源を活用した地域一体型経営の仕組みを利用した事業計画の策定報告書

※4 一般社団法人石見銀山みらいコンソーシアム……地域一体型経営を進めるうえでのオーガナイザーとなる組織。松場大吉さんが理事長となり、共通チケットの運営、グリーンスローモビリティの運行、龍源寺間歩の指定管理を行う。

※5 石見銀山大田ひと・まちづくり事業協同組合……2020年にできた新しい仕組み「特定地域づくり事業協同組合」を活用。地域の8社で共同で設立し、人材派遣業をもたずとも地域内での人材派遣をすることで、季節ごとの雇用ニーズを埋めることができるようになる。大吉さんを代表に、みらいコンソーシアムや河村電気、生活観光研究所などに職員の派遣を行う。

ヒラク まさにセルフ公共事業だね。

 土地の文脈を理解したうえで未来に向けた視点を持つ人が公の事業をやらないといけないんだなってすごく思うようになった。だから、自分たちで公の事業に着手できるリレーションづくりを、この3年間やってきたし、そこに汗をかいてきた。

ヒラク 正当性を得るための信頼関係づくりって大切だからね。

 そうして動いているうちに、大田市の観光戦略にも地域の目線でアドバイスしてほしい、と市から言われるようになった。行政の計画や戦略はある種”予言の書”みたいなもので、戦略に沿って行政も民間も動く。観光の会社を立ち上げた甲斐がでてきたよね。

ヒラク いい関係性だね。

 いま動かないと、この大森町でさえ詰むと思った。2040年問題(※6)が取り沙汰されてる中で、大田市も財政破綻があり得る話。いまの子どもたちが30代になったとき、水道がひけない、町並みを直すお金がないっていうことが、生きてるうちに現実になり得ちゃうんだよね。いまから17年後って、もう時間がない。そうならないようにコミットしないと、会社をやってる動機(※7)につながらないなって。

※6 2040年問題……65歳以上の高齢者人口がピークになる。福祉関連予算の増大、労働力不足などにより、自治体の半数が財政破綻の危機にさらされるとされている。

※7 会社をやってる動機……石見銀山群言堂グループの社是は「根のある暮らし」。そもそもインフラが維持できなければ、暮らしも成り立たない。

ヒラク 会社のインフラもなくなっちゃうかもしれないからね。

 地域あってのブランドだから、美しい地域だとしても、自分たちで経営して回していく強さがないと成り立たなくなっていく。社会システムの変革が余儀なくされるなかで、まちの暮らしが連綿と続いていくために、いまのうちにできることはなんでもやろうと思ってる。行政、民間関わらず巻き込めるところはどんどん巻き込みながらやっているし、わかっててやらないと、まちの暮らしを守れないリスクが高まっている、ということだけが見えてきている段階。

幸せな環境を継承していくことが観光人の仕事

小倉ヒラクさん 石見銀山・生活観光

ヒラク 発酵ツーリズム北陸をやったとき、群言堂と同じくらい覚悟持っている蔵がいくつもあったんだよね。5万坪の耕作放棄地を買って商業施設をつくろうとしてる、とか。普通5万坪なんて買わないよね(笑)。でもそうしないと未来がない。やりたいというより、未来を楽観視できないから、自治体と動いて、数十年単位の投資をしてる。

 ある意味、資本調達の方法はあると思うし、お金より時間に追われている。文化を継承していくために時間とお金を使わないと間に合わないという危機感があるね。

ヒラク ただ“残しましょう”と言われても、モチベーションが湧かないよね。いろんな人が来て楽しんでいる、インスピレーションがここにあるんだよという機会をつくらないと維持とか継承はできない。

 代替わりして、あなたに大吉さんや登美さんの思いは継承できるんですかっていう問いがあった。僕と話してるのに、僕の背後にいる大吉さんの守護霊と話してるみたいな人はいっぱいいたよ(笑)。

ヒラク そんなん継承できるわけないよね(笑)。

生活観光 島根県石見銀山 群言堂 松場忠×発酵デザイナー 小倉ヒラク

 そうなのよ。そもそも違う人間だし、見てきたものも違うし。でも、自分たちなりの答えで、自分たちなりの歴史のページをつくることができると思いますよ、と答えてる。大吉さん・登美さんにもできなかったことができると思うし、積み上げてきてもらったものを、否定せずに享受すればいいと思っているから。享受しながらも、自分たちの時代感、世代感にあわせたものを継ぎ足していきながら、次の世代に渡していけばいいと考えるようになったんだよね。5年くらい悶々と考えていたけど、『そこで比べるのはやめよう』って思ってから気が楽になった。

ヒラク 金沢のふたつの蔵が印象に残ってて。ひとつは老舗味噌醤油醸造所で、社長のお父さんが地域の名物凄腕おじさんなんだけど、今回は息子の耕平さんに前に出てもらうことにして、展示会中に金沢のスポークスマンみたいなことをやってもらった。最初お父さんは息子が前に出ることに懐疑的だったけど、お父さんとは全然違う振舞いながら、いいパフォーマンスをしていた。最終的にはお父さんにとってもよかったみたい。お父さんは継いでもらいたいから同じパフォーマンスを期待しちゃう。お父さんが土俵をつくると同じパフォーマンスをしなきゃいけなくなるけど、僕みたいな第三者が関係ない土俵を用意して、息子に好き勝手してもらった。機会をつくれば、あとは勝手に世代継承が起こっていくんだろうなっていうのがあった。

 ほんとだね。

ヒラク もうひとつは、東京にも食のセレクトショップを出店している歴史ある酒蔵。そこの大旦那は21世紀美術館を金沢に呼んだ立役者でもあるんだけど。発酵ツーリズム北陸で金沢に滞在しているとき、大旦那との飲み会で耕平くんを呼んだんだよね。そしたら『俺も親父の背中が大きく見えたけど、気付いたら家業を継いでいたんだ、お前もがんばれ!』って、耕平くんを励まし、エールを送ってた。

 うんうん。

ヒラク 金沢にはいっぱい醸造蔵があるけど、だいたいの蔵元がその大旦那のお世話になったことがあったり、何かしらの関係があって。ひとつの組織だけでは継承ってできなくて、斜めの関係性が必要なんだよね。耕平くんには大旦那が必要なのかもしれないし、継承のためには何か別の業種の会社が必要かもしれない。地域の関係性の中で人が育っているというか。金沢というまちの、文化を継承する生態系を垣間見れた気がした。だから続いてくんだよね。

 観光に関わる仕事をはじめて、まちの文脈をより意識するようになったね。製造小売だけをやっている立場から、地域のことを考えなきゃいけない立場に変わった。このまちの場合は銀山の歴史(※8)があるからって、その歴史を記した書物も読んだし、地域の人といろんな話をした。調査していくと、大森町の過疎化がはじまったころ、歴史的な価値があるから守らなきゃという住民活動として、大森町文化財保存会(※9)が結成されているんだよね。それが60年近く前。さらにその12年後に、大森小学校石見銀山遺跡愛護少年団(※10)が結成されて、学校教育の中で、文化財保存をやりはじめた。

ヒラク それはすごいね。

※8 銀山の歴史……14世紀に発見された石見銀山は、16世紀に本格的に開発され、産出された銀は海外へ大量に輸出された。17世紀には江戸幕府の直轄地(天領)となり、一時は世界の産出銀の3分の1を占めたとされる。1923年に閉山。①大航海時代における世界経済や文化交流への多大な影響を与えたこと、②その当時の坑道や工房の跡がよく残っていること、③街道や港など流通の現場となった鉱山町や港町が今も人が暮らすかたちで残っていること、④鉱山資材に使うための計画的な伐採植林等の環境配慮型の持続可能な鉱山運営が評価され、2007年に世界遺産に登録された。

※9 大森町文化財保存会……町内の文化財の保護と保存を目的に1957年結成。清掃活動を続けてきただけでなく、初期には案内看板や標識の設置から遊歩道、登山道整備まで行っていた。愛護少年団の活動支援も行っている。大森町の全町民が会員となっている。

※10 大森小学校石見銀山遺跡愛護少年団……石見銀山遺跡が国史跡に指定された1969年に結成。大森小学校全児童が加入し、地域住民と一体となって活動している。「私たちの町、大森の歴史をよく知ろう」、「大森の史跡と文化財を愛護しよう」、「力を合わせて美しい郷土づくりに努めよう」をスローガンに活動し、「調べる」「発信する」「守る」活動を行っている。これまで50年以上の卒業生すべてが活動を経験していることにより、文化財の中で、文化財とともに暮らす価値を知り、将来を考える力が養われている。

 そうした活動をはじめた人、そしてその教育を受けてきた人たちがいま町のキープレーヤーになってて、文化財保存から重伝建、そして世界遺産に選定されて、今がある。そう考えると、発酵で言う継ぎ足しみたいなことに近いかもしれないけど、文脈を受け継いできたことでしか見いだせない味わいがあると思うんだよね。

ヒラク うんうん。

 その継承のつなぎ手になっている感覚が持ててから、すごく幸せになった。時間軸の中で自分が受け継ぎ手として、一部の役割や振舞いを担える。子どもが5人もいると、まちのことが自分ごと化するんだよね。

ヒラク 人口の何%かは担ってるわけだもんね。

 1%は松場家の子どもだからね(笑)。すごく幸せな環境にいるから、幸せな環境をちゃんと継承していくことが仕事だなって思う。それって金銭的な豊かさではなくて、環境的な豊かさというか。地域環境や社会の継承のために、大人としての責任を果たすために稼ぎをやるというか。そういう感覚が腹落ちしてから、より覚悟が決まってきた。

生活観光 群言堂 松場忠さん

ヒラク 東京でデザイナーやっていたときは地に足がついていない感覚があったけど、いつの間にか伝統の担い手になってる。そんなこと、若いころにイメージしてなかったな。

 僕もだよ(笑)。

ヒラク 発酵デザイナーを名乗って、日本の発酵文化の割と重たいバトンを受け取って、オフィシャルに持っちゃってる。でもそれも悪くないような気がしているし、思ったより不自由ではない。伝統を継がなきゃいけないとなると、不自由になるかと思っていたけど、むしろ適度に制限をかけられることで、より振舞いやすくなる。

 世界が広がるよね。前回の居抜きの話じゃないけど、よりどころがあるというか。

ヒラク とりあえず使えるキッチンはここだけで、みたいなシバリがあったほうがね(笑)。

 手がかりを探しながら受け入れればいいし、与えられたパスを受け取りながらやっていけばいいかなって。

ローカルならではのエコシステムをつくる

ヒラク 生物学的な話になるけど、実はサンゴっていう生き物はいないんだよね。サンゴの骨格になる原生生物はいるけど。僕らがサンゴって呼んでるのは、実はいろんな生き物の集合体がひとつの生き物みたいに振舞っている姿。忠くんたちがやろうとしている地域一体型経営とか生活観光は、サンゴ状態になってるんだよね。

発酵デザイナー 小倉ヒラクさん

 そうだね。

ヒラク 個体ではスケールしないかもしれないけど、ある程度の地域のリーディングカンパニーが、地域全体をひとつのフィールドとしてサンゴ状態になるようオーガナイズしていくと、ひとつのまとまりとしてまあまあスケールが生まれるのはローカルならではの面白みだと思う。

 うん、まさしくやろうとしてることはサンゴだね。

発酵ツーリズムにっぽん/ほくりく
引用:発酵ツーリズムにっぽん/ほくりく PR TIMES

ヒラク エコシステムをつくっていかないといけない。発酵ツーリズム展でも思ったけど、ある程度立場の違う人が同じ方を向いて協力しあって経済が連動している姿をつくっていかないと。野心ある若者が、サンゴをつくることを面白がるような背中を見せたいよね。

 自分なりに一生懸命やりながら、しっくりくる選択をし続けた結果がいまだよね。選択し続けることで修羅場はたくさんあるけど、それは別に大したことなくて。ヒラクくんもまあまあ修羅でしょ?

ヒラク 現在進行形でまあまあ修羅だけどね(笑)。でも、ぜんぜん平気になってくるよ。この手の修羅はぜんぜん修羅ではないというか(笑)。

忠 些細なことでは落ち込まなくなってるよね(笑)。

ヒラク 普通の人が直面したらふさぎ込みそうなのに、余裕で昼寝している自分がいる(笑)。

 わかる(笑)。

ヒラク 異様に情緒が安定してくるんだよね。自分の幸せや自分の成功ばかりを追い求めて成功する人は多くなくて。自分のためって疲れるんだよね。家族とか、地域とか、自分以外のために汗かいたり苦労したり損する人生のほうが、抽象的な意味を追い求めなくていいから意外に幸せなんじゃないかな。日本人は理不尽な苦労を多少なりとも背負ったほうが情緒が安定する、ある種幸せになれる民族なんじゃないかって思うよ(笑)。

 苦労は買ってでもしろって言葉が響いてくるね。

ヒラク 意外に重たい言葉だよね(笑)。

 この地域で苦労も背負いながら暮らしてるって、幸せよ(笑)。

生活観光 島根県石見銀山 群言堂 松場忠×発酵デザイナー 小倉ヒラク

 

(この記事は、株式会社石見銀山生活観光研究所と協働で製作する記事広告コンテンツです)

 

文/安藤 巖乙 写真/小松崎拓郎 編集/立花実咲

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安藤 巖乙

1987年生まれ。新潟・十日町⇒東京⇒十和田湖畔。雑誌『Discover Japan』の編集を経て環境省で国立公園の利用を考えたのち、地域観光の実行戦略部隊へ。観光の限界を感じながらも、観光の力を信じている。人生の2/3は特別豪雪地帯。

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なぜ今「生活観光」なのか?石見銀山生活観光研究所 松場忠×発酵デザインラボ 小倉ヒラク|前編

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