「私、この会社が大好きなんですよ」。
その女性は、背筋を伸ばして話し始めました。「株式会社 石見銀山生活文化研究所(以下、群言堂)」は、「有限会社 松田屋」「ブラハウス」と何度か名前を変え、今のかたちに至ります。社内でお母さん的存在と言われる長見早苗さんが入社したのは、ブラハウスから群言堂に変わる転換期でした。
入社してから長らく、会長の松場大吉さんと所長の松場登美さんの近くで働いてきた長見早苗さんは、いま次の時代の繋ぎ目に立ち、会社の未来を見つめています。
伝えたいことは言葉にしないと伝わらない
── 今回の取材に当たり、長見さんにはどうしてもお話をお伺いしたくて。お時間をつくってくださり、ありがとうございます。
長見早苗(以下、長見) いえ、こちらこそ。私、これからどんな風に若いひとたちを育てていこうか、ずっと考えているので、今日はそのことをお話しできればと思っています。
── はい。「継ぐ」「世代交代」は、今回の取材を通じて、重要なキーワードだなと感じています。
長見 そうですね。
── 長見さんはいま会社での仕事や役職で言うと、どういったことをされていらっしゃるのでしょうか。
長見 ブランド部「登美」の課長として働いていますが、いろんなことをやっています。
── 入社時期は、いつなのですか?
長見 群言堂の前身の「ブラハウス」時代からです。私、もともとブラハウスのお客さんだったんですよ。昔から裁縫とか手を細々動かすことが好きだったし、縁があって入社しました。
── ブラハウス時代のことを、少し教えていただきたいです。
長見 1989年に、地元のお母さんやおばあちゃんたちの手縫いの雑貨や小物、アップリケなんかを販売する、ブラハウスのお店が大森町にできました。ブラというのはフィジー語で「こんにちは」を意味する言葉で、所長(松場登美さん)が名づけたものです。
長見 その頃、働いていたのは大森町で暮らす地元の方々がほとんど。けれど内職ですから自宅でも仕事ができるので、市街で雑貨をちくちくつくってくれている方もいて、合計すると100人以上の方が、ブラハウスの商品を手づくりしてくださっていたと思います。当時の本社には、10人くらいが集まって、ニワトリやクマのワッペンをつくっていました。
── ブラハウスが群言堂に変わった時、長見さんはどんな気持ちでしたか?
長見 ブラハウスのつくるもののファンだった私としては、少し複雑でした。でも、徐々に売上が落ちてきて、会長(松場大吉さん)が「ブラハウスを畳んで新しく方針転換しよう」と決めて。所長も最初は戸惑ったようでしたが、群言堂に切り替えることになりました。
ブラハウスは雑貨をつくって販売する会社でしたが、群言堂は洋服をつくる会社になります。しかも、大森町で暮らす大人の女性がまとうような服づくりを始めたので、ブラハウス時代におばあちゃんたちとつくっていた、かわいらしい小物類とは、少し毛色が違うんです。つくるものを変えるとお客さまが離れてしまうんじゃないかという不安もあったのですが、会長と所長のカンを信じて、ついていきました。
── 群言堂にとっての、いくつかある大きな分岐点のうちのひとつを、長見さんも経験されたのですね。
長見 はい。それからはもう、本当にいろいろなことがありましたね。1994年にブラハウスから群言堂に変わってから、つくっているものや人数が増えて部や課ができて、“組織”として動く必要が出てきた。ブラハウスの頃は、内職で働く方々があまりにも多くて、目が行き届かないこともあったんです。
私もそれまでは、大森町で手仕事をしていたけれど、だんだん仕事の幅も広がってきて、百貨店に入っている群言堂のお店に立ったり、高尾に「Ichigendo」という新店舗が出る時も、1ヶ月そちらへ移ってサンドイッチをつくったり……。
── ずっと地元の大森町で仕事をしていたのに、どんどん各地へ飛び回るようになっていったのですね。
長見 洋服の生地のことで、職人さんと直接やりとりさせていただくこともありました。それに、会長や所長の思いや決断をずっと近くで感じてきたという自負もあります。だから、ブラハウスから群言堂に変わったあとも、ふたりが考えていることを、どうやってみんなに伝えようか、そしてどうすればみんなが楽しく働けるかな、ということを考えながら仕事をしてきました。
── 現場である店舗販売から、モノづくり、そして会社の組織に関することまで、見てこられたのですね。そうすると、いろんな立場のスタッフの気持ちや動きが分かりますよね。他にも長見さんのような異動をされた方はいらっしゃるんですか?
長見 いえ、いないと思います。私、あと5年くらいで定年なんですけど、今まで群言堂一筋でしたし、立ち上げ当初を知っているスタッフも多くはないですから。
── ええ!? 全然そんなふうに見えませんでした……。群言堂のスタッフはお若く見える方が多いですね……。
長見 そう?(笑)
20年以上働いてきて、今ちょうど会長と所長が、本気で会社の事業も魂も、若いひとたちに継承していきたいと考えている時期に来ています。だから私が、ふたりの気持ちをきちんと分かってあげなくちゃって。
── 若いスタッフと、登美さんたちの架橋になるような。
長見 そうです。ちょうど、この取材を受ける少し前に「上司を立てないといけない」とか、「若いひとを前に出さないと」と思って、私はずいぶん引っ込み思案になっていたなって痛感する出来事があったんですよ。
でも、本気でこの会社を良くしたいと思うなら、もっと自分が前に出て、今までやってきた経験で教えられることは、教えなくちゃいけない。私が伝えなくちゃいけないことがあるんだと、改めて強く認識しました。察し合うのではなく、話さないと次の世代には伝わらないから、もっと言葉にしてみようという風に、考えが変わったんです。
若いスタッフが大森町での暮らしと働くことの楽しさを教えてくれた
── 長見さんは、今の群言堂を、どういう風に捉えていますか?
長見 私だけかもしれないけれど、前と比べてすごく雰囲気が変わったように感じます。個人プレイヤーがいなくて、みんなつながってる感じ。
── 今までもアットホームで、協力し合っている会社であるようにお見受けしますが、そうではなかったのですか。
長見 私たちは、自分がやりたいことをやるというよりも、会長と所長について行くだけで必死だったところがあります。それに、立ち上げ当初の群言堂の社員の中には、働く場所がここしかないから生活のために仕事をするというひともいたと思うんです。それは、当たり前のことで、良い悪いではありません。
けれど今、大森町に移住してくる若いひとたちは「群言堂でコレがやりたい!」と目標が明確なひとが多い。彼らはこちらが恥ずかしくなるくらい、前向きで一生懸命なんです。
── 若いひとたちが、群言堂さんが築き上げてきた価値に惹かれる時代になってきたということではないでしょうか。
長見 そうかもしれない。私たちも、若いスタッフに教えられることもたくさんありますよ。広報課の類くん(三浦類)や、「Gungendo Laboratory」で植物担当の鈴木くん(鈴木良拓)にしても、若いひとたちが大森町に根をおろして働きたいと思う、その熱意が、とても新鮮で。私にとって大森町は地元だったし、群言堂も長いこと仕事をしている会社だったから、いろいろなことが当たり前になってしまっていたのだと思います。そこに魅力を感じる若者たちを見ていると、ハッとしますね。「私も、仕事や生活を、もっと楽しみたい!」って。
── 三浦さんや鈴木さんなどの新しい世代と触れ合うことが、世代交代を意識するきっかけだったのでしょうか。
長見 何か明確なできごとがあったわけではなく、会長も所長も変わろうとしているなと肌で感じるようになったのが、大きなきっかけです。自分たちがしていた仕事を、新しいメンバーに任せてみようと、すごく我慢している。会社の未来を見越して、意識的にしていることだと思います。だから、私はふたりを支えながら、若いスタッフの力が発揮できるように環境を整えたい。
── 考えが変わってから、具体的にどんなふうに環境づくりをしていらっしゃいますか?
長見 毎日出勤後に朝礼があるんですが、朝礼をもっと楽しい時間にできないかと思って。連絡事項を伝えるだけでしたので、自分の話をする時間を設けたり、体操を取り入れたりしてみました。すると、なんとなくみんなが朝礼の時間をより楽しんでいるように感じられて。
あとは大森町へ移住してきた若いひとたちに、地域の集まりやイベントを紹介しています。この地域での暮らしを楽しみたい、好きだと思って来た子たちばかりだから、なるべく早く、ここに馴染んで楽しんでもらえたらと思っています。
ここは大好きな会社だから守りたい
── 取材を通して、ここで働く方々の想いや働き方を伺っていると、「このひとがいるからあのブランドをつくろう」とか「このひとがいるなら新しいことをやってみよう」という、出会いありきの進み方を選ぶ会社なのだなと感じます。
長見 昔から「風土があって、制度がない」ってよく言われます(笑)。風土も、いいものもあれば悪いものもある。悪い風土を次世代につなげたらダメなんです。今まさに、企業理念にある「美しい循環」という言葉の意味を考えているところなんですけれど……会社が継続して、ひとが、文化が、循環していくにはどうすればいいんだろう、と。
── その答えには、たどり着けそうですか?
長見 分かりません。ただ、不平不満を言う前に、自分がやるべきことを果たそうとは強く思っています。これで正解ということはありませんから、制度を考えたり、仕事の仕方を変えてみたり、やりながら考えればいつか群言堂らしさと新しい世代の価値観が気持ちよくはまって、みんなで共有できる日が来ると思っています。
── 長見さんが、心の支えになっている方は多いと思います。
長見 そうだといいんですが。私も昔は会長に逆らって、生意気なことを言ったこともありました。今は反省しています(笑)。でもね、私、この会社が大好きなんですよ。群言堂が生まれたばかりの、まさに一年生の頃からずっと働いているし、ここがなくなると、私困っちゃうんです。
── それは大吉さんと登美さんが好き、ということですか?
長見 もちろんふたりのことは好きだし、とても尊敬しています。その気持ちと同じくらい群言堂という会社が、好きなんです。会長と所長とは、大森町という地域で暮らしていくうえで、ずっと付き合っていくだろうと思っていて、会社がないとふたりとは縁が切れてしまう、とは思っていません。
── 長見さんが願う「これからの群言堂の未来」があるとしたら、それはどんな姿なのでしょう。
長見 お客さまも従業員も「あの時、群言堂と関わって良かった」と心から思える会社でありたいと思っています。お洋服を買ってくださった方も、宿「他郷阿部家」に宿泊されたお客さまでも、何年か経って、また群言堂に帰ってきたくなるような、そんな会社。だから今、ここがなくなったら大変なんです(笑)。会社を好きな私や、好きでいてくれるひとたちのためにも。
お話をうかがったひと
長見 早苗(ながみ さなえ)
大森町で生まれ育った生粋の大森っ子。1994年(有)松田屋(当時の社名)に入社。入社当初から企画製造に携わり、現在はブランド部・登美で生産管理を担当している。過去に洋服で使用した素材と型をほとんど記憶しているため、社内で「生き字引」と言われている。昨年から「いい会社づくりプロジェクト」メンバーとして活動し、社員一人一人が輝くことができるよう積極的に取り組んでいる。前向きで明るい性格で、常に成長したい気持ちに溢れている。休日の楽しみは大好きな料理を作り、ご近所に配ること。
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