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なぜ今「生活観光」なのか?石見銀山生活観光研究所 松場忠×発酵デザインラボ 小倉ヒラク|前編

今、私は何を継げるか?【島根県石見銀山・群言堂】特集、はじめます。

いま、「観光」が騒がしい。

インバウンド需要を取り込め、富裕層コンテンツを増やせ、2025年観光消費額22兆円目標を達成しろ、持続可能な観光じゃなきゃダメだ……。国は大きな観光という旗を振り、この国の基幹産業にしようとしている(実際、すでに基幹産業のひとつなのだが)。多額の税金が観光に注ぎ込まれ、多言語対応やコンテンツ開発といった受入れ環境整備が各地域でおこなわれている。

では、果たしてその「観光」の主役は誰なのだろう? 日本を訪れてくれる外国人なのか? インバウンドビジネスを展開する旅行会社や、コンサルタントのように見えていないだろうか? だが、本来観光とは、国民が、地域住民が幸せになるためのものではないのだろうか?

そのような問いを携えて、島根県、石見銀山へと向かった。この地に来ると、いまほしい答えがある。そう思える場所なのだ。

石見銀山――。この「灯台もと暮らし」でも2016年~2017年にかけて取材してきた地域だが、その地域がいま、新たな変化のフェーズを迎えている。

そのきっかけのひとつとなったのが、2019年に大森町を代表する企業のひとつ、株式会社石見銀山生活文化研究所(以下、「生活文化研究所」)が経営形態をグループ会社化するタイミングにあわせて新会社を設立(※1)したことだ。

※1 代替わりと新会社の設立……アパレルブランド・群言堂を運営する企画製造小売会社である株式会社石見銀山生活文化研究所と、「暮らす宿」他郷阿部家の運営を行っていた株式会社他郷阿部家の経営を統合し、株式会社石見銀山群言堂グループを設立。その下に、既存の生活文化研究所と他郷阿部家、新たに立ち上げた株式会社石見銀山生活観光研究所(以下、「生活観光研究所」)を配した。グループ会社の代表取締役社長には松場忠さんが就き、生活文化研究所の代表取締役社長に二女の峰山由紀子さん、生活観光研究所の代表取締役社長には松場忠さんが就任。それまで代表取締役社長だった松場大吉さんはグループ会社の会長に、登美さんは生活文化研究所の相談役にそれぞれ就くこととなった。1981年に大吉さんと登美さんが石見銀山に戻り、38年間にわたって第一線で活躍してきた二人が退くことによって、そのビジネスはますます加速する。

2022年にはグループ会社の株式会社石見銀山群言堂グループの代表となった松場忠さん。創業者である松場大吉・登美夫妻の三女と結婚したことを機に、大森町に居を移し、生活文化研究所に入社。マーケティング担当を経て、現在に至っている。

一方、発酵デザイナーの小倉ヒラクさん。2017年に刊行した『発酵文化人類学 微生物から見た社会のカタチ』(木楽舎)は5万部超のヒットとなり、文庫化。さらに2019年に渋谷・ヒカリエで開催した展覧会『Fermentation Tourism Nippon~発酵から再発見する日本の旅~』では5万人を動員。また、東京・下北沢「BONUS TRACK」内に「発酵デパートメント」を経営する「発酵デザインラボ株式会社」の代表取締役兼CEOでもある。

ふたりは同世代として、お互いの事業に近しいものを感じ、文脈は違えど尊敬しあっている。今回、2019年2月以来、ちょうど4年ぶりに大森町を訪れたヒラクさんは、忠さんと大森町の変化の速さに驚いていた。そんなふたりの対談は、近況を語り合うことからはじまった。

生活観光 島根県石見銀山 群言堂 松場忠×発酵デザイナー 小倉ヒラク
2022年冬には美容院もオープン。出雲市での店舗経営の傍ら、毎週日曜日だけ大森町で営業

生活観光 島根県石見銀山 群言堂 松場忠×発酵デザイナー 小倉ヒラク

 

松場忠さん

松場忠

1984年、佐賀県鹿島市出身。文化服装学院シューズデザイン科を卒業後、靴職人に。2012年に妻の実家である石見銀山生活文化研究所に入社。2019年より、株式会社石見銀山生活観光研究所を設立、2022年に株式会社石見銀山群言堂グループの代表に就任。

松場忠さん

小倉ヒラク

1983年、東京都稲城市出身。生まれつきの虚弱体質だったが、発酵食品との出会い以降、すこぶる調子がよくなる。山梨・五味醤油と共同制作した「てまえみそのうた」がワークショップを通じて徐々にヒットしたことにより、発酵デザイナーとしてのキャリアが確実なものに。

観光が日本の基幹産業になっていくのは必然

小倉ヒラク(以下、ヒラク) 先日、インドとネパールに行ってきて。特に印象に残っているのが、カトマンズの東にあるバクタプルっていう、旧市街がまるっと残っているネパールでいちばん古いまち。観光客はエリアに入場料を払って入るんだよね。

松場忠(以下、忠) うんうん。

ヒラク ヒンズー教と仏教が入り混じっていて、巡礼の地なんだよね。まち中に小さな祠があって、そこに神様がいて、何気なく花が活けてあったりしながら、信仰がまちに溶け込んでいる。バクタプルはネパールでいちばんヨーグルトが有名な場所だから、僕の目的はヨーグルトの食べ歩きだったんだけど。

 あはは(笑)。

生活観光 島根県石見銀山 群言堂 松場忠×発酵デザイナー 小倉ヒラク
小倉ヒラクさん(左)と松場忠さん(右)

ヒラク ほかにも鋳物屋さんがあったり、うつわをつくっていたり、開いている扉をのぞき込むとお母さんが糸を紡いでいたり。ものづくりが根付いていることが見えたんだよね。500年続いている人の暮らしが保存されている場所。観光地化しているんだけど、いやな感じがまったくなくて、すごく楽しかった。

 僕はヒラクくんみたいにそんなに旅に出るほうじゃないけど、記憶に残っているのは、何気ない風景なんだよね。フランスに行ったときに、小学校を遠くから見ていて、子どもがキックボードに乗って移動している姿とか。その街での住民の暮らしぶりが垣間見えたというか。

ヒラク ちょうど思い出したんだけど、2006年に23歳のときに東京でゲストハウスをつくったんだよね。当時、ゲストハウスは京都に少しできはじめていたくらいで、東京にはほとんどなかった。訪日外国人も年間700万人くらいで、まだ日本に観光に来る人が少なかったし、日本の文化が知られていなかった。

 それがいまやコロナ前で3000万超。2030年には6000万人を目指してる。

ヒラク これから観光が日本の基幹産業になっていくのは必然だよね。伸びしろがあるというより、DXやFintechといった高度第三次産業に負けた日本が、消去法的選択だけど、生き残る道は“日本にしかないもの”、“ローカルなもの”になっていく。人も優しいし、街歩きも楽しいし、ローカルが売りになるという点で、観光立国になっていくのは避けられない。

生活観光 島根県石見銀山 群言堂 松場忠×発酵デザイナー 小倉ヒラク

観光客と暮らしをつなげるのは、ものをつくっている場所

ヒラク 国内でも、いろんな場所に行くし、石見銀山みたいな重伝建(※2)の場所にもよく行くんだけど、ここはイケてるなって思うのは、ものづくりをしている場所なんだよね。人の暮らしをそのまま見てほしい、見たいっていうのはそうなんだけど、暮らしだけがあっても、人に見せる理由がないんだよね。暮らしを見せる機会が必要で。

※2 重伝建(重要伝統的建造物群保存地区)……1975年の文化財保護法改正により創設された、歴史的な集落や街並みを残したいとする住民の意欲と地元自治体の取組を支援する制度。市町村が条例等によって決定した伝統的建造物群保存地区のうち、特に価値の高いものが重伝建となる。城下町、宿場町、門前町などの街並みが該当し、2023年3月現在、43道府県の104市町村126地区が指定されている。秋田・角館、石川・ひがし茶屋街、長野・妻籠宿、岐阜・白川郷、京都・伊根の舟屋、広島・鞆の浦、沖縄・竹富島などが知られている。

 うんうん。

ヒラク 観光で来た人たちと暮らしをつなげるのは、ものをつくっている場所。もともと暮らしがあって、ものづくりをしていたところでも、重伝建とかがきっかけで観光地化すると、土産物屋とカフェと宿だらけになっちゃう。大森町の魅力も、ものづくりをしていて、そこに食とかクラフトとかが集まってきていることだと思うんだよね。

生活観光 島根県石見銀山 群言堂 松場忠×発酵デザイナー 小倉ヒラク
小倉ヒラクさん(左)と松場忠さん(右)

 群言堂はもちろんものづくりの会社だけど、中村ブレイス(※3)もものづくりの会社。どちらも、こだわったものづくりが起点にあるから、手を抜かない。この阿部家(※4)でも、宿づくりというよりは、いいものをつくって、おすそ分けをしている感覚。僕も、もともと靴職人だったから、ものづくりの息吹を大切にしていくことは大事だなと思う。

※3 中村ブレイス……義肢装具の製造・適合を行う中村ブレイス株式会社。1974年の創業で、創業者の中村俊郎さんは松場忠さんの義父・大吉さんの5歳上の先輩。大森町での創業は7年先輩。現在社員約80名を抱える群言堂と並ぶ大森町内の中核企業のひとつであるだけなく、古民家再生事業では町内最大手で、60軒以上の空き家を再生してきた。移住した社員の住まいとしてだけでなく、資料館、ゲストハウス、レストラン、喫茶店、パン屋、装飾品店などにも貸し出している。現在、会社経営は息子の中村宣郎さんが引き継いでいる。

※4 阿部家……他郷阿部家。江戸時代中期に建てられた石見銀山の役人宅。県指定史跡。登美さんが買い取り2001年から改修し、2002年から登美さんが住み始める。「暮らす宿」としてゲストが宿泊できるようにしながら、夕食は登美さんが同席するスタイルではじめた。大森町の暮らしを体感できる体験施設としての位置づけもありながら、他郷という「異郷の地でまるで自分の故郷のように迎えられる喜び、縁の尊さ」を感じられる場所となっている。

参考:今、私は何を継げるか?【島根県石見銀山・群言堂】特集、はじめます。

ヒラク ものづくりが中心にあると、お金を払ってくださいと堂々と言えるよね。

 買うっていう行為ができるからね。

ヒラク お客さんもそれを楽しみにして来るからね。お金の請求・支払いがすがすがしくできるよさがある。むしろ観光に行ってるのに、買う機会がないと暴動が起きる(笑)。お金のやりとりって、コト消費(※5)だけの観光だとあざとく見えるけど、ものを介在させると健全さが宿るから、かたちとしていい。

※5 コト消費……モノの消費ではなく、旅行やグルメ、習い事、趣味、体験、ヨガやマッサージなどのリラクゼーションなど、無形の消費行動を指す。SNSの発達により、自分の体験を公開し、反応を得られることがコト消費に拍車をかけた。現在はフェス、聖地巡礼、スポーツ観戦など、「今そこでしか体験できない」という再現性の低さと参加性を楽しむ「トキ消費」という言葉も現れている。

 ものづくりは嘘がないからね。コトだけだと空中戦になっちゃう。そうならないようにものづくりってあって。群言堂と他郷阿部家は、ちょっとした距離感の中で両方がそれぞれで成り立ちつつも、ものづくりの息吹と宿泊という体験がいい具合にミックスされてる装置になってると思う。

生活観光 島根県石見銀山 群言堂 松場忠×発酵デザイナー 小倉ヒラク

他郷阿部家

他郷阿部家
「暮らす宿」他郷阿部家。登美さんが暮らしながら5期に分けて改修した

参考:【島根県・石見銀山観光】暮らす宿・他郷阿部家|日本の美しい生活文化を語り継ぐ宿

ヒラク 最初にものづくりがあるって健全。ものづくりをするためには人が住まなきゃいけないから、ものづくりに関わる姿自体が、よそから来る人にとっては暮らしとして見える。人の暮らしって何を生業にするかで暮らしの在り方が決まるから。その土地に根付いたものづくりが残っているということは、その土地らしい暮らしが残っているということ。

 そういう暮らしが手に取れるような、見てわかるような、観光という視点まで含めたまちのあり方をつくるという段階に来ている。ちゃんと見せられる姿をつくっていきたいね。

群言堂本社
左奥に見えるのが群言堂本社。その右が1996年に広島県世羅郡上下町から移築した豪農屋敷の「鄙舎(ひなや)」。2016年には茅葺きの葺き替えも行った。水田の中に置かれるのは大森町在住の彫刻家・吉田正純による作品

ゼロイチではない、ブリコラージュ

 お互い違うキャリアだし、扱っているテーマも違うんだけど、本質はほとんど同じだなと思ってて。それをもっと話したいなって思ってた。ヒラクくんの場合は発酵っていうフィールドで制限をかけてるけど、僕らは大森町というフィールドで制限をかけている。

ヒラク 忠くんは全てを扱うけど、場所は大森町だけ。僕は全国、世界もフィールドにするけど、発酵というテーマに限っているよね。

忠 その制限のかけ方が、いままで見いだせなかったものを見いだせるひとつのポイントになるなって思ってて。

生活観光 島根県石見銀山 群言堂 松場忠×発酵デザイナー 小倉ヒラク

ヒラク 大森町の生活でも、発酵食品とそれを作っている地域を巡る発酵ツーリズムでも、ブリコラージュ(※6)的な面白みがあるよね。すでに存在する文化や暮らしを元に、新しく作れるものは概念くらい。背景も文脈もない地域に、いきなり恐竜博物館とかつくれない(笑)。

※6 ブリコラージュ……ヒラクさんが最もリスペクトするフランスの文化人類学者、クロード・レヴィ=ストロース(1908-2009)の概念。レヴィ=ストロースは「いままでに集めてもっている道具と材料の全体をふりかえってみて、何があるかを全て調べ上げ、もしくは調べなおさなければいけない。そのつぎには、とりわけ大切なことなのだが、道具材料と一種の対話を交わし、いま与えられている問題にたいしてこれらの資材が出しうる可能な回答をすべて並べだしてみる」と書く。(クロード・レヴィ=ストロース著、大橋保夫訳『野生の思考』みすず書房、1976年 p.24)人間が考えた設計図に沿ってつくるエンジニアリングとは対照的な概念で、素材からかすかに聞こえる声を聴きながらつくること。

 ゼロイチ(※7)ができないんだよね。

※7 ゼロイチ……0→1。まだ世の中に存在しない製品やサービス、価値を生み出すこと。あるいは、まったく何も準備されていない状態から新しい事業を立ち上げること。

ヒラク ゼロイチができないのは、いまの時代っぽいなと思う。

 群言堂としても、『新しいものをつくってくれ』と言われると、しんどい。新規出店よりも、居抜きを使うほうが楽。手がかりがあるから助かるというか。いまさらゼロイチをつくりたいわけではない。古民家再生のように本来は100の価値があるのに1しか見えていないものを、1から10にしたり100にしたりすることでも、社会の中での役割というか、仕事はあるなという気がしてて。

生活観光 島根県石見銀山 群言堂 松場忠×発酵デザイナー 小倉ヒラク

生活観光 島根県石見銀山 群言堂 松場忠×発酵デザイナー 小倉ヒラク
文明を排除した家として蘇った「無邪く庵」。地域の人やお客さまが来てくださった時にお酒を飲んだりお食事をしたりする空間に

ヒラク 20代のころまではゼロイチがかっこいいという価値観があったんだよね。最近、北欧の有名発酵ガストノロミーのオーナーシェフが日本に来たがっていると聞いて。北欧の発酵だけでなく、麹とか日本の発酵も取り入れて成功したけど、その必然性が見いだせずに悩んでいるみたい。歴史的な必然性を見出しに日本に行きたいと。個人的には永平寺に一緒に行くしかないだろと思ってるんだけど(笑)。

 うんうん。

ヒラク そういうのって面白いなと思ってて。クリエイティブのサイクルとして、僕らの上の世代がゼロイチをやったから、逆にいまフロントラインのひとたちは、ゼロイチをやる時代じゃないよなって思っている。ゼロイチをやる必然性がないから。

まちのスタンスとしての「生活観光」

生活観光 島根県石見銀山 群言堂 松場忠×発酵デザイナー 小倉ヒラク
三浦類さん(左)。2011年に群言堂入社後、情報発信担当として「三浦編集長(のちの「三浦編集室」)を立ち上げるなど、若返る群言堂の顔として多方面で活躍。島根県の移住ポスターにも登場

ヒラク 具体的にどういうかたちで、このまちで観光をやろうとしているの?

 3年前に“観光やります”って言ったときに、“え、観光やるの?”っていう反応だった。観光っていう言葉に手垢がついていて、観光一辺倒ではなかった歴史(※8)もあるし、いまさら観光業を始めてどうすんのって。でも観光という言葉が『国の光を観る』から来ているように、地域を見てもらって持ち帰ってもらうことこそ大森町だからできることというか、むしろこのまちは観光で食べていくんじゃなかったのって。

ヒラク うんうん。

 このまちには住民憲章(※9)があって『暮らし』がキーワードだった。だから『生活観光』っていう言葉に帰結するんじゃないのかなと考えはじめたのが、そもそもの生活観光研究所のスタートで。稼ぐビジネスプランはなかったんけど、まずは立ち上げなきゃって。

ヒラク 観光が手垢のついているテーマだとしたら、食だって同じ。それでも食をやめようとか、やらないという選択肢はない(笑)。去年、僕が仕掛けた観光プログラム(※10)が強烈に炸裂したんだよね。クリエイティブディレクターをお願いした藤本さん(※11)からは、発酵を起点に日本の旅が活性化するようなプログラムにしようよ、ってに言われて。やってみた結果、みんな『このお味噌つくってるとこに行きたい』『このお酒つくってるとこに行きたい』って。渋谷ヒカリエからだとどうしても遠出になっちゃうけど、北陸が展示会場だと、関東圏に住んでいる人にとっては展示会に行くこと自体がもはや旅になってる。だから、会場をチェックイン場所にして、北陸3県の55か所の発酵蔵を開いてもらい、そこを訪れてもらうプログラムにした。結果、3万3000人が来たよ。

 動きはずっと見てたけど、すごいよね。

 

ヒラク 経済効果でいうと、ミュージアムの物販と興行収入は2000万円強。3万3000人が5000円ずつ使っていたら、およそ1.5億円くらい動いたことになる。新しい旅のかたちだなって思ったし、生活観光に近いものができたと思ってるんだけど。

 そうだよね。

ヒラク ところでさ、忠くんの生活観光の定義ってあるの?

 あのね……、ない!

ヒラク (笑)

 でも、人の暮らし、生き方、まちでのあり方とか、なんというか、“生活の息吹”みたいなものが、実は光り輝くもの、国の光なんじゃないかって思って。そう考えると、暮らしぶりを感じられる地域って意外と少ない気がして。観光地化してしまうと、お店がたくさん立ち並ぶけど、人が暮らしている姿が見えなくなる。でもこのまちは住民ファースト、暮らしファーストだから、暮らしぶりが伝わる、暮らしが見える。それがすごく楽しいんじゃないかって思ってきてて。

ヒラク うんうん。

生活観光 島根県石見銀山 群言堂 松場忠×発酵デザイナー 小倉ヒラク
大森町の暮らしを伝える「根のある暮らし編集室」

 そういう地域であり続けるスタンスを持つのはいいなと思ったし、まちの人もそういうことを意識して花を生けていたり、玄関前を汚さないように心がけていたり、見えないおもてなしというか振舞いが、意識が脈々とつながっている地域だから、それでいいんじゃないかなって。

ヒラク そうだよね。

 感度がいい人は、花が生けてあることに気付くんだよね。『これって取り決めでやってるんですか?』って。でもそんな決まりはなくて。ささやかだけど、来てくれる人に気を遣うことが、自分たちの暮らしぶりもととのえることになる。家にお客さんを呼ぶからきれいにするように、まちに人が来るから、きれいにしなきゃっていうプラスのサイクルがずっと生まれている状態、それを持ち帰ってもらうのが生活観光だなって思ってる。

石見銀山・生活観光

※8 観光一辺倒ではない歴史……16年前の2007年、石見銀山が世界遺産に登録された。その登録までには、観光資源化したい行政と、生活を侵される心配をする地域住民の対立があった。いまでこそ、バルセロナやヴェネチアなど観光都市を中心に「オーバーツーリズム」という言葉が当たり前になったが、そんな大都市を待つまでもなく、人口400人の街が観光客を受け入れるとはどういうことか。住民の間にはのっぴきならない不安が漂っていた。当時のことを、大吉さんは著書でこう振り返っている。

私は、もともと世界遺産自体を否定していたわけではありません。ただ世界遺産に登録されたらもうかる、人がたくさん来て町が潤う、そういった経済一辺倒の行政の姿勢には異議を唱えました。

たいていの人が飛びつく話かもしれませんが、私からすると、大手観光業者の思惑に踊らされた烏合の衆に大森町が荒らされる、本当の町のよさがなくなってしまうのではないかというこわさがありました。

(松場登美『過疎再生 奇跡を起こすまちづくり 人口400人の石見銀山に若者たちが移住する理由』小学館, 2021年)

※9 住民憲章……大森町内の各自治会が集まる大森町自治会協議会の下部組織であるルール検討委員会が世界遺産登録にあわせて策定。観光客増加による街の雰囲気の変化を危惧し、暮らしを一番に考える住民の共通認識として、町内三か所に看板を設置し、来訪者に向けて伝えている。

石見銀山 大森町住民憲章

このまちには暮らしがあります。

私たちの暮らしがあるからこそ

世界に誇れる良いまちなのです。

私たちはこのまちで暮らしながら

人との絆と石見銀山を

未来に引き継ぎます。

    記

未来に向かって私たちは

一、歴史と遺跡、そして自然を守ります。

一、安心して暮らせる住みよいまちにします。

一、おだやかさと賑わいを両立させます。 

※10 去年仕掛けた観光プログラム……2019年の展覧会『Fermentation Tourism Nippon~発酵から再発見する日本の旅~』の後継企画として2022年に福井・金津創作の森美術館で開催した『Fermentation Tourism Hokuriku~発酵から辿る北陸、海の道』のこと。2万3000人が来場。

※11 藤本さん……有限会社りす(Re:S)代表で、編集者の藤本智士さん。2006年に日本の地域に着目した雑誌『Re:S』(2006~2009)を創刊し、地域編集者のさきがけとなったほか、秋田県の伝説的な広報誌『のんびり』(2012~2016)の編集長を務めた。2020年より、地域編集を学びあうオンラインコミュニティ「Re:School(りスクール)」主宰。秋田県にかほ市にある元小学校「にかほのほかに」プロデュースも行う。ヒカリエでの展覧会に続き、北陸展でもクリエイティブディレクターを務めた。

 

(この記事は、株式会社石見銀山生活観光研究所と協働で製作する記事広告コンテンツです)

 

文/安藤 巖乙 写真/小松崎拓郎 編集/立花実咲

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安藤 巖乙

1987年生まれ。新潟・十日町⇒東京⇒十和田湖畔。雑誌『Discover Japan』の編集を経て環境省で国立公園の利用を考えたのち、地域観光の実行戦略部隊へ。観光の限界を感じながらも、観光の力を信じている。人生の2/3は特別豪雪地帯。

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もう時間がない。それでも幸せな暮らしを守りたいから、はじめた観光地経営|石見銀山生活観光研究所 松場忠×発酵デザインラボ 小倉ヒラク|後編 【島根県石見銀山・群言堂】暮らす町を愛して働く。生活文化のラボラトリー「gungendo」店長 六浦千絵

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