水は、どこにいても手に入る――わけではありません。国土面積の約7割が森林という豊かな自然を持つ日本でも、排水の処理がうまくいかなかったり、雨が降らなかったりすると、水不足に陥る地域があります。

その上、現在は雨水を濾過する“自然のダム”の役割を果たす森林そのものが荒れ、十分な水を貯蓄できない問題も発生しているのです。

水不足、荒廃した森林、それらの問題を解決するべく、10年以上前から地道に広がっている取り組みがあります。それが「どんぐり銀行」です。

どんぐり

「どんぐり銀行」は、本当に存在している銀行、というよりは、森林保全のための取り組みのことを指します。

まず新鮮などんぐりを日本全国から集め、苗木を育てます。その成長した苗木を、1本につきどんぐり100個と交換できるというもの。貯金したどんぐりが、苗木となって返ってくる、という仕組みです。その苗木を、大川村の山に植林することもできますし、持ち帰って好きなところに植えることもできるのです。

「どんぐり銀行」の本拠地は、離島を除く町村で、日本で一番人口が少ない村と言われている高知県嶺北地域の大川村。人口約400人という小さな村から、もしかしたら日本の森林が変わるかもしれない。なぜなら、この村には地元を愛するひとたちがたくさん暮らしているから――。

どんぐりを貯めて森を育む「どんぐり銀行」

── どんぐり銀行の仕組み自体は、香川県から生まれたと聞きました。でも、本店は大川村なのですね。

近藤京子(以下、近藤) 香川県のどんぐり銀行の仕組みを分けていただき、どんぐり銀行大川村として活動をしています。一年間に全国から100万個のどんぐりが全部大川村に集まってくるがです。

近藤京子さん
近藤京子さん

── 香川県から大川村へ、というのはどういう経緯があったのでしょうか?

近藤 大川村には早明浦ダムがあります。これは四国のみずがめで、香川県や徳島県に水が流れます。でも昔、ダムの水がカラカラに乾いてしまったことがあって。それは、雨が降らなかったということもありますが、人工林が多くて、水が蒸留されなかったことも原因やったのかとも思います。水源地でもある大川村の山を守らんと暮らしは守れないという気持ちが下流域のひとたちの動きになり、どんぐり銀行を始めようということになりました。

── なるほど……四国全体のことを考えたとき、要となるのが大川村だったのですね。

近藤 川の源流におる自分らにとっては、水がいつでもあるのが当たり前。でも、香川県やほかの地域の状況を見ると「ああ、私らが森を守らな、いかんのや」っていう気持ちになりました。

いまでは会社ぐるみでどんぐりを貯金してくださるところもあって、毎年100万個くらい届きます。

── すごいですね……! どんぐり銀行がある「大川村ふるさとむら公社」(以下、ふるさとむら公社)は、もともとどういう施設なのでしょうか?

近藤 ここ一帯の施設は「自然王国白滝の里」というがです。白滝はもともと鉱山やったんですが、その跡地を村づくりの拠点にしていて、廃校を宿泊施設として再利用しちゅうがです。

キャンプ場や体育館、こんにゃくづくりや豆腐づくりなど、村のおばちゃんを講師に招いて体験できるイベントもやっているがです。

大川村ふるさとむら公社
自然教育センターの廊下。学校として使われていた面影がある
大川村ふるさとむら公社の畳の部屋
研修や宿泊所として利用されている

村の外へ出ようとは思わない。大川村が好きなんよ

── 近藤さんが、ふるさとむら公社で働き始めたのは、どういう経緯からなのでしょうか。

近藤 もともとここは、白滝鉱山という鉱山でした。1972年に閉山したあと、1985年に「白滝の里」を新しく始めようということになりました。そのときに、企画の担当者の方に、いっしょにやらんかって声をかけてもらって。

じつは当時、大川村の役場の試験を受けた時に見事に落ちまして(笑)さあ、どうしようかと思っていたところやったんです。それで自分の成人式の時に白滝構想を聞いた時「これはどうも私の仕事かな」と感じていました。ここでの仕事は、一番はひととのふれあいがあり、もとくらさんみたいなメディアの方とやりとりをしたり、何気ない雑務もやります。なんでも屋ですね(笑)。でも、日々いろいろな方に会って話したり、新しい取り組みのために積極的に動いたりできて、楽しいですよ。

── では、大川村の外のひとと接する機会が多いんですね。

近藤 そうですね。大川村のことを、もっと多くの方に知ってもらいたい、そして実際に大川村に来てもらいたい、って思いながらやっています。

── ご出身は大川村ですか?

近藤 はい、生まれも育ちも大川村です。高校3年間だけ、隣の本山町の高校へ行っただけで。私ね、外へ出たいって気持ちは、じつはまったくなくて。

── へぇ! どうしてですか?

近藤 なんでか言うたら、ちっちゃいときから青年団が踊る、盆踊りが大好きやったがです。

── 盆踊り?

近藤 大川村の若者中心で組まれた青年団っていう地域活動があるんやけど、そこが主催する夏祭りがあって、その時に踊る青年団の盆踊りが、もう本当にカッコよかったがですよ! 1960年代から、ずっと続いている盆踊りなのですが、「私も大きくなったら絶対に青年団に入って、あの踊りを踊るんや」って小さい頃から決めていました。

── 心をわしづかみにされていたのですね。ということは、もちろん青年団に入られたのですか。

近藤 はい。隣町の本山町の高校に進学したあとも、大川村に仕事があろうがなかろうが、卒業したら絶対村に戻って青年団の活動をしようと決めていました。

まぁいま思えば、私は周りの環境に恵まれちゅうと思うがです。いまこうして働けているのも、声をかけてくださった方がいるからだし、村のひとと結婚して、いまもこうして大川村で暮らせていますしね。

大川村
大川村はこの山々の先にある

── 私は地元に対して、ものすごく愛着があるというわけではなくて……だから近藤さんのように地元が好きな方と話すと、いいなぁとちょっぴりうらやましく思います。

近藤 うーん、なんでやろうねぇ。

この仕事を始めてから、Facebookを運用し始めて、写真を撮る機会が増えたんよ。そうすると、今まで全然気にしていなかった村の景色や周りの山、四季の移ろいが、すごく特別なものに見えてきた。それに、大川村って、本当に山の中だから交通の便も悪い。

だけど私は、それを全然苦と思っていない。自然が体に染み付いちゅうがろうか(笑)。いくつになっても、大川村が好きながやね。

よそから来た子も、みんな村の子どもたち

── 大川村は人口が日本で一番少ないと言われていますが、その小ささも魅力につながっているのでしょうか。

近藤 そうですねぇ、ほとんど村まるごと家族みたいなものです。

近藤京子さん

── 嶺北の方々は、親戚が多いから苗字だと誰かが判別できなくて、下の名前で呼び合っているというお話を小耳に挟みました。

近藤 そうやねぇ。私も、「きょうこ」「きょうちゃん」「お京さん」って呼ばれゆうよ(笑)。

── 一気に距離が近くなる気がしますね。

近藤 400人くらいしかいないと、ほとんど知っちゅうし、結婚すれば村のひとがどんどん親戚としてつながっていくし。だから、移住者が増えるとすぐ分かりますよ。「あれ、知らん顔がおる」って。

── そこに対する抵抗感は、村の雰囲気としては、どうなのでしょうか。

近藤 昔はね、どう接したらいいか分からんひとも、やっぱりおりました。でも、徐々に村の外からひとが入ってくるようになった。地域おこし協力隊のひとたちも集落で住み、地域の方々ともふれあって、いい感じになっちょります。いま大川村にいる協力隊のふたりは、村の娘をお嫁さんにしちゅう。万々歳です(笑)。

── Iターンのひとたちは、増えているのでしょうか。

近藤 少しずつ増えていますねぇ。

私は、協力隊にしろ山村留学の子にしろ、よそから来た子らも大川村のものとして接しゆう。よそのひとっていう意識はまったく持たないようにしているがです。じゃき、来た子らは全員呼び捨てで呼んどるよ(笑)。山村留学生の子どもたちも協力隊のみんなも、大川村の子どもとして思っちゅうき。

── 山村留学は、大川村で暮らしてくれるひとを増やすための取り組みでもあるということですね。

近藤 そうですね。山村留学で大川村での暮らしを体験した子どもたちが、いつか村に戻ってきて住んでくれるのが理想ではあります。

自分は見られないかもしれない未来に向かって

── 移住して来た方々が根付くには、近藤さんのような存在は、必要不可欠だと思います。

近藤 そうなんかな。

……でも、山村留学にしろ、どんぐり銀行にしろ、大川村を守らないかんっていう気持ちは常にありますね。最近は、私にも孫ができたから、なおさらそう思います。

── え! すごい若いおばあちゃんですね……。

近藤 いやいや(笑)。子どもたちは、大川村の宝物やからね。

じつは、私の父も林業じゃって、苗子を背負うて、ずっと山あがって一生懸命木を植えとったがです。でも、いまはその人工林が問題になっている。当時は財産だと思って木を植えていたのに、今は木を切ることでお金を生むという事実が、なんかねぇ……時代の流れだとは思うけれど、ちょっと切ないなって。

── おこなっていたことは違っても、家族や村を守りたいというお父さんの気持ちは、きっと近藤さんとは変わらないのでしょうし、だからこそなおさら切ないですね。

近藤 勉強になったなと思います。いま何気なくしていることが、何十年か先、孫たちのためになるかどうか、考えるようになりました。

大川村で暮らす以上、村の暮らしは自分らの手で守るものやと思っています。それに、保水力のあるどんぐりの木を育てることは、大川村だけやなくて土佐町や本山町、大豊町やほかの四国の県のためにもなります。森林の問題は、目に見えてすぐに解決できる話ではないき、本当の意味で森や山が元気になるのは、私らの孫よりも、先の世代かもしれない。でも、いまやらんとね、次へつながらんき。

もちろん、人口の問題もあるから、住んでくれるひとが増えるのもうれしいんやけど、まずはこういう取り組みをしている村があるということを、知ってもらいたいなって思っているがです。

お話をうかがったひと

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近藤 京子(こんどう きょうこ)
大川村で生まれ、大川村立川口小、大川中学校を卒業。本山町にある県立嶺北高校で3年間ソフトボール部で鍛えられました。昭和61年より「大川村ふるさとむら公社」職員になり、現在に至ります。

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