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【高知県嶺北・大川村】手づくりの「さくら祭」、烏骨鶏のネット販売…好奇心に素直に生きる川上夫婦の物語【夫婦対談】

大人が本気で遊び、暮らす町【高知県嶺北地域】特集、続けます。

高知県嶺北地域の中でも、もっとも山奥にある人口約400人の大川村。この人口は、離島を除いた日本の町村の中では、最も少ないそうです。

そんな大川村で暮らす川上文人さん・千代子さんご夫婦は、11年前にこの地にやってきました。

川上ご夫妻

山奥にある大川村には、当然のように仕事はなく、鳥や獣たちも多かったため農家になることもできませんでした。そこで川上夫妻は、烏骨鶏(うこっけい)を飼育しながら、自宅の裏山に桜の樹を植えることにしたのです。

川上ご夫妻の裏山

烏骨鶏の卵を販売するために、村のネット環境を整えました

川上千代子(以下、千代子) ふたりが知り合ったのは、私が15歳のときやね。

川上文人(以下、文人) そうやった、大阪やったね。

千代子 私は、もともと看護師をやっていたんですけど、新卒のひとたちが集団で都市部へ就職する集団就職でした。あるとき合宿があって、その行き先が大阪だったんですね。大川村は私の実家なんですけど、看護師をしていたときに病気をしてしまって。高知に一度帰って来たんです。

その頃から、年に1回くらい電話で話をする交流はあったんだけど。まだ20代の頃の話ですよ。11年前に大川村に戻ってきたときは、なんの計画もなかったですよね。

文人 まだ11年。まだまだこの山じゃあ僕らは駆け出しやから。当時、百姓して野菜をつくることも考えたけども「ひとの口に入る前に鳥獣がすべて食べてしまうよ」という話を聞いて諦めた。

僕が一時期、神戸にいる頃、烏骨鶏の卵が1個600円で売っているという話を聞いていて、「これはすごい!」と思ったんだ。それで、烏骨鶏を飼育して、卵の販売をしていこうという話になった。そのあと卵をネットで販売し始めたんだ。

千代子 ネットで販売と言っても、村にネットを引くところからですからね(笑)。

川上文人さん

文人 ははは(笑)。当時、大川村には、昔のダイヤル回線しかなかったからね。ホームページを作っても、ページを開くのに半日かかる状態やった。でも、村に掛け合っても「やりましょう」とはすんなり言ってくれんかった。

署名活動をして、250位の署名を集めて、村に持っていって「これだけ多くのひとが求めているのであれば」ということで、無線LANを開設してくれた。

大川村にはお店もスーパーもない。だから、物を売るのにネットしか選択肢がなかった。もともと大阪時代に、仕事で図面をつくったりメールをしていたりと、インターネットを使っていたから、できたのかもしれない。

千代子 私もブログを書いていましたからねぇ。

文人 そうそう、「烏骨鶏の卵」で検索したら、トップページくらいには来んと売れんやろう、って言われて。で、ブログを書いて、最終的にはトップページには登りつめた。逆に注文が多すぎて生産が間に合わんくなって、ホームページを閉じてね(笑)。

だから今は、関係があるひとにだけ売っている。すると今度は村長が「村議になって俺を助けてくれよ」と言ってくれた。僕が出来るのであったら構いませんよということで、村会議員に立候補したんだ。

千代子 村会議員になって何年になったんでしたっけ?

文人 5年目やね。今は、村会議員もやらせてもらっているから、住民のひとが僕らのやっていることをちゃんと見てくれる。

生きとったら歯ぎしりしながらやらないかんときもあるけど、最終的には楽しい人生が待っとるよ。辛いことばかりやない。せっかく生まれた以上、苦労ばっかしていたんじゃ、何のために生きるのかわからんじゃない。

自宅の裏山で自作の祭り「さくら祭」を始めます

千代子 お父さん(文人さん)が村会議員になって、2014年から「さくら祭」を始めて、2016年で3回目になるんですけど。私がブログを書いていて、あちこち写真を撮りに回っているうち、たくさんの桜がある場所が大川村にはほとんどないって気づいて。それから、桜の木を植え始めたんですよね。

文人 最初に桜を植えたのは11年前。ちょうど裏山の樹を伐採した頃やったね。10年もすりゃ立派な花見ができるやろと思ったんだ。みんなが楽しめるものを植えたかった。11年経った今、見事に咲いてきた。

川上千代子さん

千代子 私はブログで大川村の大自然、四季折々の花を撮っては投稿していました。最初はただ自然が大好きなので、みんなに見てもらいたかった。ブログの記事に「素晴らしい投稿がいっぱいありますね」ってコメントをたくさんもらうと、嬉しくなってしまって。

文人 僕らは自然の中で育ってきたから、自然のことを身体で覚えているよね。だからこそ来たひとも、ここは自然美を生かした場所だ、というのがわかる。

千代子 私が定年退職をした3年前に、県の地域支援企画員さんに「ちょっと相談があるんですけど」って言ったら、飛んできてくれた。「さくら祭りをしたいんやけど」って言ったら、やりましょうってすぐにOKをくれて、トントン拍子に進んでいきましたね。今年(2016年)は約400人が来てくれた。新聞を見てとか、若者はFacebookを見て来てくれたひとが多かったよね。

編集部が訪れた4月半ばは、一面に芝桜が咲いていました
編集部が訪れた4月半ばは、一面に芝桜が咲いていました

「出会いはTAKARA」さくら祭でひととの出会いを実感して欲しい。

文人 さくら祭に来ると、ひととの出会いを実感できるよ。出会いはTAKARA。せっかく知り合えたんだったら、ずっと交流を続けていきたいやん。僕はそう思っている。出会いをいかに大事にしていくかっていうのは、僕のモットーでもある。

ひとを大事にすることは、会社勤めの中で教わったことなんだ。昔は「俺らが会社を大きくしているのに何を偉そうなこと言っとるか」と会社に対して思っていたけど(笑)、そうじゃない。退職してからは、会社が僕という人間を作ってくれたんやなって思って、会社にも感謝しているよ。

それは大川村でも同じこと。400人の村でいがみあったってしようがない。みんながワイワイ言って、楽しんだもの勝ちでしょう。お金にしてもそう。少ない人数で奪い合いしたってしゃあないから、いかに外貨を稼ぐか、考えないといかんよ。

こういう考え方はふたりでそれぞれ持っているけれど、その先にある「こうしたら大川村やさくら祭がもっとよくなる。ひとが集まってくれる」という気持ちは一致しているからね。だからこそ、喧嘩しながらでも、やっていける。

千代子 喧嘩することは最初からわかっていますからね。いつも楽しくやろうって言っているのに、つっかかってくるから。喧嘩腰でやられるとおもしろくないからって、いつも離れるんです(笑)。

文人 やっぱり僕も、もともとは電気屋の職人ですから。

千代子 もともとは関係ないのよ、ここに来たんやから楽しくせないかん(笑)。

文人 職人魂がまだあるのよ。この祭りにたくさんのひとが来てくれたら、最高やろうなって思う。それを想像すると、職人魂が騒ぐわけ。やっぱりただ桜を植えただけでは、それはどこでもあるやん。その中に芝桜を入れたり、みんなが作った提灯を置いておいてみたりすると、他のどこにもないものが出来上がる。ものづくりの楽しさをみんなで分かち合えるんだ。

千代子 たくさんのひとに、さくら祭に来て欲しいんですよ。イベントでお餅つきをしたり、プレゼントの抽選会をしたり、ひとが集まって楽しんでもらうことが嬉しいんです。

あとね、一個だけやってみたいアイデアがあってね。この間ドローンで撮影したとき、向こうの山から裏山を見たら、裏山の桜の花がハート型に見えたじゃないですか。だから、さくら祭に、一時間に一本くらいバスをだして、この家からハート型の桜の花を見るためのバスを出す。そうしたらみんな行くと思う?

文人 それはいいよね。車を走らせれば15分くらいであちらの山まで行ける。偶然、桜の樹がハート型になっていたのには驚いたねぇ。あと僕は、桜だけじゃなくて、滝を見てもらいたい。ここから少し歩くと、村指定の文化財の銚子滝があるから。

向かいの山から見ると桜の樹々がハート型に見える。ピンク色の芝桜の右上辺りです
向かいの山から見ると桜の樹々がハート型に見える。ピンク色の芝桜の右上辺りです

千代子 ハートがあるから、私たちもずっと仲良くやってこれたのかねぇ?

文人 こうして長く一緒にいられるのは、お互い干渉せんことよ。ほったらかしにしておくことが一番いいのかもわからん。

千代子 そうかもしれないねぇ。改めて考えると、私たちは似たもの同士。さくら祭に、たくさんのひとに来ていただいて、みんなに見て欲しい。最終的には、ふたりが目指す先は一緒なんですよね。

文人 それぞれが今を大事にして生きていくこと。そりゃ、あんたと俺とはものの考え方が違う。しかし、さくら祭を通じて、たくさんのひとが集まってくれて、喜んでくれることを一番に願っている。それが幸せな生き方なんやって、ふたり共わかっているから。

お話をうかがったひと

川上 文人(かわかみ ふみと)
1953年2月10日に、周囲が海の町、鹿児島県出水郡長島町で生まれる。1968年4月より2004年9月まで関西の電気設備会社勤めとなるが、義理のお父さんが病気で入院のため退社。妻の実家である高知県土佐郡大川村に帰り現在に至る。「海で育った人間がなぜ山に帰るのか?」それはすべての環境は、山で作られると信じているから。

川上 千代子(かわかみ ちよこ)
1952年9月22日に大川村で生まれる。1967年4月に大阪に集団就職するが一年もしないうちに病気で大川村に帰省。快復後、高知市内へ就職。看護師になる。その後神戸で仕事をしていたが2004年に父の病気をきっかけに大川村にUターン。2012年に定年退職し、「さくら祭」を開催して第2の人生を堪能。こんにゃく・豆腐づくり、梅の収穫際等のワークショップを行い様々な方と交流を図っています。

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くいしん

編集者。1985年生まれ、神奈川県小田原市出身。→ さらに詳しく見る

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【高知県嶺北・大川村】故郷を離れ、400人の村で根を張る暮らし。それは地域おこし協力隊の挑戦する日々でした 【高知県嶺北・大豊町】世界が認めた吉野川で遊ぼう!「ハッピーラフト」と一緒に

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