「出戻り入社」という言葉があるくらいなので、一度退職した会社に再度入社する話は聞きますが、それをもう一度、2度退職して3度目の入社をした方の話を聞いたことがありますか?
愛媛県今治市にある「IKEUCHI ORGANIC」縫製検品出荷課の菊川さんは、2016年に、IKEUCHI ORGANICに3度目の入社をしました。
菊川 和彦(きくがわ かずひこ)
愛媛県今治市出身。1990年、IKEUCHI ORGANICの前身、「池内タオル」時代に初入社し、1995年頃に退職。2000年に再入社、2003年に退職。13年ごしで2016年に3度目の入社を果たし、現在に至る。好きなタオルは「オーガニック732」。理由はオールマイティに、タフに使えるから。
今回お話をうかがった菊川さんや以前公開した記事の矢野さんら、何人かの社員さんたちは、池内代表のことを親しみを持って「池内計司」とフルネームで呼びます。
最も古くからIKEUCHI ORGANICと池内代表のことを知っている菊川さんに、社風の変化や昔の池内代表について、聞いてみました。
2度の退職を経て2016年に3度目の入社を果たした菊川さん
── 最初に、どういうお仕事を担当されているか教えてください。
菊川 所属しているのは、生産部の縫製検品出荷課という部署です。縫製(ミシンでタオル生地の端々を縫い込んでいく工程)をして、刺繍をしたり、装飾・加工をしたり。そのあとは検品、パッケージングをして納品です。
この一連の作業を担当している部署なのですが、僕自身は加工全般を担当していて、スケジュールの確保であったり、作業の指示であったりが主な仕事になります。
── 菊川さんは、3度IKEUCHI ORGANICに入社されたとお聞きしました。
菊川 そうなんですよ。まだ社名が「池内タオル」のとき、最初に門をくぐったのが、27年前になります。
── 27年前ですか!
菊川 IKEUCHI ORGANICになってから入社したのは1年前、2016年です。
── なるほど。では最初の入社の経緯をまずうかがってもよいでしょうか。
菊川 ちょうどバブルが終わった頃でしたね。大阪の学校を卒業して、大阪でいちど就職してプログラマをやっていたんですけれども、就職した直後に父が体調を崩しまして。いずれ帰ることになるんだから、だったらこのタイミングでと思って、今治に戻りました。
当時は特に、今治で働くイコール、タオル業もしくは造船業でした。職業安定所にいって、最初にたまたま面接してもらうことになったのが、池内タオルで。
それが1990年なんですけど、当時は、うちの事務所ってすごくモダンな建築物だったんですよ。木造の工場、木造の事務所が多い中で、鉄筋だし、仕立て屋さんと間違えて来るお客さんも結構いたそうです。だから面接してもらうのも緊張して。
菊川 面接は、細かい内容はあまり覚えてないですけど、短い面接でした。ほとんど世間話に近いような、趣味の話をしたりして。最後に「じゃあいつから来る?」みたいな感じですよ。当時は正社員とパートさん合わせて20人前後くらいだったはずです。
当時は今ほどシステマティックじゃなかったですからね。たとえば2、30kgあるような俵のようなタオルの束を、一日2、300回は担いでいました。今とは比べ物にならないくらいの力仕事でした。
最初に入社した頃の社風
── 社風は今とは違いましたか。
菊川 変わったところは大きいですよ。もちろん一番大きいのは「オーガニックの素材以外は使わない」って決まっている状態になったことですよね。当時は卸しの仕事がほとんどだったので、とにかくノルマに従って、言われた通りのものを正確につくるというのが最優先されていたと思います。考える必要もヒマもなかったです。目の前に置かれたスケジュール通りにものを動かしていくイメージです。
── すごくお忙しかったんですね。
菊川 はい。でも、それ以外は割とラフでした。制服もなかったですし、変な格好じゃなければOKで。昔の池内タオルは町工場でした。今は「企業」と呼べる会社だなって思いますよ。あとは、どの業界も一緒だと思うんですけど、ある年代までは「職人さんと若手」っていう付き合い方なんですよね。我々の年代くらいまでやったんかなと思うんですけど、先輩とか上司とか社長とかでもぶつかっていってました。
逆に今の若い20代の子たちを見て「なんでそこで反論しないんだろう」とか「頭にきたなら言えばいいのに」って思うこともある。体でぶつかっていくものだったんでしょうね、昔の仕事って。今は頭を使うでしょう。僕ら世代はぶつかりあいながら成長していったので、そういうのがないと、ちょっとだけさみしいような気もしますね。
突然、退職して独立。再入社、2003年の退職まで
菊川 入社して4年半か5年目くらいに、突然辞めました。朝、「今日で辞めます」と伝えて。今思えば、若気の至りです。若いから安直な考えで独立して、今までコミュニケーションで得た業界のひとたちとのつながりがあれば、自分にもやれるんじゃないかと思ったんです。自分で経営者をやってみたいなというのもあって、辞めて。池内代表は来るもの拒まず去るもの追わず。「いきなりだな」とだけ言われて、翌日からタオル縫製業界で独立したんです。
それから4、5年やってたんですけど、実際にフタを開けてみると、いつでも仕事があるわけじゃないんです。1社だけでまかなえるものでもなく、今までやったことない見知らぬタオル屋さんに営業かけなきゃいけない。そして、ことごとく断られる。「明日からどうしよう」と、不安で夜も眠れない、食べ物も食べられない頃があったんですよね。家を出るけど、行くところがないので、当時ちょうど建設中だったしまなみ海道にある展望台に車を止めて時間を潰してました。ものすごく苦い思い出です。
でもあるとき後輩から「うちのタオル縫ってくれないか?」と連絡をもらって。喜んで行って、その会社の部長さんからは本当に助かったわって感謝してもらえて。僕が廃業するまで、そのタオル屋さんはずっと仕事をくれてました。あの恩は絶対に忘れることないと思います。そこからなんですよ。そのタオル屋さんの知り合いのタオル屋さんがどこかないかって言われては「こいつがいるよ」と紹介してくれて、どんどん輪が広がっていきました。最終的には飛び込み営業で仕事もらっていたときよりもはるかに仕事をいただけるようになって。こういうふうに、ひとのつながりってできてるんだなと実感したときがありました。
ただ、それから4、5年やってみて、自分は経営者には向かないなと思って、IKEUCHI ORGANICに戻りたいなって思ったんです。そうしたら池内代表が「ええよ」と言ってくれて。それがまた軽いんですよ。「いつから来る? 明日?」みたいな(笑)。
そのときは2000年前後なんですけど、ちょうどオーガニックをやりだした頃です。最初は会社を支えてるのがバスタオルやフェイスタオルだったんですけど、今度はタオルハンカチに変わってたんですよね。商品が小さいので、もう異常な量をつくっていて。オーガニックっていう言葉を聞いたのも初めてだったので、池内代表が「これからはオーガニックだよ」って言うんだけど「オーガニックってなんだよ、まずそこから説明してよ!」って伝えて(笑)。
そのあとは民事再生の直前くらいに、退職しました。退職して民事再生のことを知ったときは、正直ショックでした。「自分にまだ何かできることがあったんじゃないか」って、考えていたし、それは今でも思います。あのとき退職していなかったらどうだったんだろうと、申し訳なくなることはありますね。
3度目の入社は驚かれた
── そこから昨年2016年までは離れられてたわけですよね。
菊川 13年くらい離れていました。その間は、別のタオル会社で働いていて。IKEUCHI ORGANICに戻る前は約9年間、営業職として働きました。
── 「出戻り」という言葉もあるくらいで、2回入社するというのは珍しくないかと思うのですが、菊川さんが3回目の入社を決めた決め手ってなんだったのでしょう?
菊川 営業職もやってみて、自分の持っているスキルや経験をもうちょっと活かしたいなと思ったんです。いくつか転職先の候補を考えたのですが、IKEUCHI ORGANICも入っていました。なんだか、また「おもしろそうな会社になっているな」って感じたんです。
── 社名がIKEUCHI ORGANICになったり、ブランドイメージも変わったり、みたいなところですか?
菊川 相変わらず、おもしろいことやってるなと。はためで見ているよりも、近くで見ているほうがおもしろいかなと思いました。で、池内代表に「ちょっとお話があるから時間をください」と声をかけて。「何?」って言われたので、「戻らせて!」って伝えたんです。そうしたら「マジで!?!?」って言われたんですけど(笑)。
── あははは(笑)。
菊川 最終的には納得してくれた様子でした。そうしたら「うちは今度、社長が阿部になるんやけど、阿部がオッケーならええよ」と言ってくれて。そのあと無事に阿部社長からもOKが出て、2016年の5月の末に、見事に通算3回目の入社をしました(笑)。
27年でIKEUCHI ORGANICはどう変わったか
── 改めて戻ったIKEUCHI ORGANICは、どんなふうに変わっていましたか?
菊川 仕事は、各々が指図を受けてその通りに動くというよりも、各々が考えて選択するような流れになりつつあります。自由度が広がってると感じますね。やるべきことが「オーガニックしかしない」と決まっているわけですよ。逆に言うと、逃げ道を自分たちで塞いじゃってるんです。それしかないんだから、どう活用するのか、いいものにするかは自分たちで考えなきゃいけない。ひとりよりふたり、ふたりより10人というように、それぞれの意見を出し合っていい結果を導き出す流れができはじめてるのかもしれないですね。
── 2000年から少しの時と今では、各社員のみなさんが池内オーガニックというブランドや会社のことを大切にしている、好きだったりとかっていう気持ちが違うんでしょうか。
菊川 池内タオルの頃は「会社に雇われている」という感覚だったと思うんですよ。それは悪いことではなくて、会社というものは当然そうですよね。でも今のIKEUCHI ORGANICは、社員もパートさんも含めて、「我々がIKEUCHI ORGANICを支えてるんだ」という気持ちができつつあると感じますね。
── 今つくっている商品には、どんな思いを抱きますか?
菊川 まだまだですね。もっともっと突き詰めないといけない気がしています。今の状態で満足していたらダメだと思うんですよ。これだけのタオル産地ですから、すごい優秀な会社はいっぱいあります。「あそこはあんなすごいことやってるんだから、うちもすごいことやらなきゃ」って奮い立って、もっとよりよいものを目指さないと、本当によいものはできないと思います。真似ない、媚びないというのは大前提ですけど、「IKEUCHI ORGANICらしいもの」を、もっともっと、どんどん考えてつくっていかないと、最先端ではいられないって考えています。
── 何度か池内代表の話が出ましたが、27年前から池内代表は魅力的でしたか?
菊川 どうでしょうね。魅力的と言う言葉が的確かわからないですけど、おもしろいんですよ(笑)。タオル業界の自分としては一番最初に入った会社の経営者なので。本人には一回しか言ったことないんですけどね、僕の中では池内計司は親父なんです。
あのひとを見てタオル業界の流れや、タオル屋さんとしての仕事や考え方も真似ているところもあるし、もちろんその反面「違うんじゃない?」ってところもあるし。みんなそうじゃないですか、親に対して好意的な部分もあれば反発的なところもある。そういうところを全部含めて池内計司は親父です。本人はそういう言われ方は嫌いでしょうけど、僕はそうやって思っていますね。
編集後記
じつは菊川さん、取材のあと、2017年10月に、3度目の退職が決まったそうです。「灯台もと暮らし」は今後の菊川さんのお仕事を応援しています!
(この記事は、IKEUCHI ORGANIC株式会社と協働で製作する記事広告コンテンツです)