「自分の幸せを追求したら農業にたどり着いた」と、穏やかな笑顔で語る山下一穂さん。元バンドマンだった山下さんは、2006年に高知県嶺北地域・土佐町に全国初の有機農業を教える学校を設立した人物。
また、同じ嶺北地域の本山町で、無農薬有機農業を営む「山下農園」のオーナーでもあります。
元バンドマンがなぜ就農したのか
── 山下さんは元バンドマンだったとうかがっています。まったく違う世界へ転身されたのはなぜでしょう?
山下一穂(以下、山下) 自分にとっての幸せを探して、幸福を突き詰めていった結果、バンドマンから教職を経て辿り着いたのが農業だったんよ。
20代のときはバンドマンとして成功したいという思いがあった。だけども売れないバンドマンからのし上がっていくには、夜中から朝まで仕事をして、始発の電車で家に帰るような不規則な生活をしなければならない。それで神経的に参ってしまって、体調を崩してね。日中だと熟睡できないし、イライラしたり、身体が冷えたり。自分の心と身体の不調をどうすればいいのかというのが、ぼく自身のテーマやった。
── 実際に農業を始めたのはいつになりますか?
山下 仕事として農業を始めたのは48歳のこと。
それから数年前の40歳の頃は、ぼくは塾の教師だった。今ぼくが住んでいる家に祖母が暮らしていて、90歳を過ぎて亡くなったんだよね。で、「この家と墓を孫の一穂が守れ」と記されていた祖母の書き置きをきっかけに、高知市内から本山町のこの空き家に、風を通しに帰ってくるようになりました。
その頃もまだ神経性体調不良で、食事と生き方をなんとかしたいと思っていて。玄米を食べ、肉類を控え、そして添加物のない食材を選んで食べていた時期があってね。自然食品店で有機野菜を買ってみるんだけども、おいしくないんよ。見てくれも良くない。
だったら自分でつくってみようと思って、高知市内の家の近くの市民農園を借りて、有機野菜を栽培してみた。そうしたら、おいしくて綺麗な野菜ができた。ぼくはのめり込むタイプだから、実家の前の90坪程度の畑でも野菜を育て始めたんだよね。
山下 野菜の栽培に慣れてきたある日、ふと「野菜をつくって飯を食えるかもしれない」って思った。それからは、わいたイメージを大事に参考になる本を読み漁って技術の勉強に励んだんですよ。
── そこまで野菜づくりに夢中になれたのは、なぜだと思いますか?
山下 たぶん幼児体験にあると思う。子どもの頃の思い出の風景は、見渡す限りの田んぼ、その向こう側に川と、遊び場の山がある。田舎の里山で泥まみれになりながら遊びまわっていた原体験を追体験できると、自分の心が開放される気がするよね。
今でもよく釣りをするけれど、大人になってからはアウトドアライフ的な遊びがすごく気持ちいい。農業をやる前までは、遊ぶことに少し後ろめたさを感じていたけれど。子どもの頃から母親に「まじめに働く生活をしなさい」と口酸っぱく言われていたからね。自然を楽しむといっても遊びだけだと、なんとなく、これでいいのかなぁと(笑)。
山下 ところが百姓になれば、朝から晩まで農作業する。アウトドアライフなわけだよね。しかもより自然への感覚を駆使する仕事でしょう? 農業は釣りよりもおもしろい。なおかつ働いていますから、後ろめたさがない(笑)。農業はぼくにとって究極のアウトドアライフ。
日本の農業を変える。田舎からの国造り
── 率直な質問ですが、就農した今、山下さんは幸せですか?
山下 うん、ありがたいことに。とにかく夜にぐっすり眠れるような幸福感を、やっと感じることができるようになった。毎日、安心して生活できる。そしに、野菜が売れるようになると、この幸福感は自分のつくったものを選んでくれる消費者に支えられていると気づきました。
それからは、消費者に対して心からの「ありがとう」という感謝の気持ちが生まれて、自分が世のためひとのために何ができるかを考えるようになったのね。
── それが、山下さんが農業を営むうえで掲げる目標ですね。
山下 そう。ぼくが等身大で取り組める農業から、大きな目標を掲げた。いつかは農業の「高齢化」と「担い手不足」を解消したい。
そのために個人農家が多い田舎では、良質な野菜をつくらなきゃならない。時期によって変動はあるけれど、たとえばキャベツの平均市場価格が1個250円以下だとしたら、ぼくが育てたキャベツは1個380円で売れる。高いお金を出して野菜を買うということは、おいしくてきれいな、質の高い野菜を求めているひとがいるということ。市場全体の2~3割は、特に良質なものを求めるお客さんです。
── 良質とは、有機野菜であればいいのでしょうか?
山下 いや、それは違うんだよ。ぼくの野菜は有機JAS(*1)に認定されていないから、認定マークのラベルを貼れなくてね。つまり山下農園の野菜を買うか買わないかは、消費者が自分の目と舌で決めている。
(*1)有機JAS認定マーク:農林水産大臣が定めた品質基準や表示基準に合格した農林物資の製品につけられる認定マーク。
カテゴライズ主義で与えられた「有機野菜」という情報を鵜呑みにして、消費者は選択していない。そもそも消費者の多くは、有機農業と慣行農業の農産物という対立構造で考えていないからね。本当に求められているのは、有機JAS認定マークの有無より、野菜のおいしさです。
── 良質を求める消費者の需要を満たせば、大量生産できない個人農家でも経済性を確保できるんですね。
山下 でもね、残念ながら、今のところほとんどの田舎は、都市の後を追うように大量生産・大量流通に向かって進んでいて。もちろん安定供給や商品の均質化、手頃な価格での提供とか、大量生産・大規模流通が世の中に与えるメリットはたくさんあって、食の市場の7割くらいのひとは、それで満足している。とはいえ良質を求める消費者の需要に対応できる生産力は、極めて脆弱なのよ。
── 本当の田舎の良さを発揮できていないということでしょうか。
山下 ぼくはそう思うよ。個人農家が多い田舎は、小規模だからこそ追求できる「質」で勝負するべき。大型チェーン店の料理よりも、個人経営だけど腕利きの料理人がつくる一品のほうが味の「質」では勝るでしょう。その小さな市場を満たせば、個人生産者の経済性を確保できるし、満たされていない需要に対する供給ができる。市場の隙間が埋まることで、小さなお金が回り、もっと経済が潤っていくよね。
── なるほど……。山下さんが「田舎からの国造り」と掲げる意味が、わかりました。農業の次の担い手が増えていくことを期待したいです。
山下 ぼくのライフワークは有機農業の推進と人材育成。日本の農業再生を担う一員であるという自覚をもって、さらにステージを広げ、学び、働き、歩み続けていきます。
このお話をうかがったひと
山下 一穂(やました かずほ)
「山下農園」代表。「有機農業参入促進協議会」会長。1950年高知市生まれ。高校時代はバンド活動にのめり込み、大学進学のため上京。授業には出席せずドラマーとして銀座等のナイトクラブ、ディスコに出演する日々を送るが、次第に肉体的な苦痛や業界のしがらみに耐え難くなり帰郷。その後、郷里で30代から学習塾で教師として働くが、しばしば体調を崩すようになり、自然と無農薬野菜等の体にいい食べ物に目を向けるようになる。そして40歳の時に実家を継ぎ、家の前に90坪程度の畑で家庭菜園を始めたことがきっかけで有機農業の道へ進む。その後、48歳で新規就農。当初から有機農業にこだわった野菜づくりをしており、現在では県内外からの注文が絶えない日々を過ごしている。