妖怪を見たことがありますか?

僕は、あります。幼い頃に、地元にあるお城のお堀で、河童(かっぱ)を見た記憶があります。あれは本当に河童だったのか、それとも他の何かなのか、今でも会うことができるのか……。ただの記憶違いかもしれないし、夢と混同しているだけかもしれません。しかし、そういった経緯からも、僕にとって妖怪は常に「とても気になる存在」であることは間違いないのです。

「灯台もと暮らし」は、過去に岩手県遠野市特集を行いました。

民俗学者の柳田國男が書いた『遠野物語』。その名の通り遠野が舞台となったこの本を読むと、妖怪は日本の暮らしに古くから根付いている存在ではないかと感じられます。

7月から東京で開催中の「大妖怪展」やシャルル・フレジェによる『YOKAI NO SHIMA』、妖怪ウォッチや雑誌の妖怪特集など、妖怪という言葉を聞くことが増えているとも感じます。「災いを運んでくる」「怖い」というイメージがあるのと共に、水木しげるによる漫画『ゲゲゲの鬼太郎』は、老若男女に愛されています。

「ぼくらの学び」の妖怪編である今回は「妖怪とは何か?」「どういった存在なのか?」、そして「なぜいま、妖怪は注目されるのか?」を学んでいきます。

第1回目となる本記事では、『山怪 山人が語る不思議な話』(以下、『山怪』)の著者である田中康弘さんにお話をうかがいます。マタギカメラマンとして多くの山に入り、実際に山でマタギの方々と共にたくさんの時間を過ごしてきた田中さんだから聞かせてもらうことのできたお話は、まさに「灯台もと暗し」な、お話の数々でした。

田中康弘さん1
田中康弘さん

マタギに話を聞くようになったきっかけ

── 今回は「ぼくらの学び」という特集企画でお話をうかがいたいと思っております。まず、田中さんご自身のことを聞かせてください。最初にカメラマンとして活動を始めた経緯を教えていただけますか?

田中 はい。はじめたのは25年以上前で、出版の仕事がメインでした。当時は雑誌の仕事を多くやっていたんですけど。中野に事務所がある『モノ・マガジン』でずっと仕事をしていて、あるとき、同僚が秋田県の阿仁町(あにまち)に行って、そのとき初めてマタギというひとたちが暮らしていることを知りました。

マタギって何をするひとなのか、普通は詳しく知らない仕事ですよね。なんとなく「山で猟をしているひとだろうな」くらいのもので。

── そうですね。僕も「灯台もと暮らし」編集部に来るまでは、触れる機会がなかったです。

田中 話を聞いたらものすごくおもしろかったから、ある編集者に「こういうマタギのひとがいるんだけど」と企画を出しました。私は阿仁町のマタギがどんなひとかも全然知らない状態です。最初は一泊二日で会いに行ったんですが、話を聞かせてくれたマタギの方がサービス精神旺盛で話がとてもおもしろかったので「また遊びに来ていいですか?」と聞いたんです。そうしたら「いつでも遊びに来てください」と言われたので、通うようになった。それが阿仁マタギの方々とのお付き合いの始まりです。

なぜ山に惹かれたのか

── マタギや阿仁町に魅了された理由ってありますか?

田中 私はもともと九州の佐世保市出身だから、山の食文化も自然環境も、気候も何もかもが珍しかったんですよ。「おもしろい!」の一言でした。最初のマタギの本『マタギ 矛盾なき労働と食文化』を出すまでに20年近くかけて取材をしたから、できたんですよ。2、3年で大急ぎで取材していたら、いろんなことがわからないままだったと思います。

── 何度も会いに行って、関係性を築いていくんですか?

田中 多いときは年に7、8回は行っていました。今年も阿仁町にはすでに行きました。はじめは、どうしてこういうところにひとが生活しているのかなぁ、と不思議に思いましたね。「なぜ、ひとは山に入っていくのか」と、その理由を探りたかったのはあるのかもしれない。

一日に40km歩くわけですよ。体力的にも厳しいし、自然環境も厳しいので事故も起きるし、死んでしまうこともある。そういうところで「生きる」というのは、どういうことなのかなと考えていました。

── 生きる……。この本を出すことになるまではどういったストーリーがあったんでしょうか。

田中 マタギのひとたちは、宴会でたくさん話をするわけですよ。何かがあって仲間内で集まるたびに、宴会になる。たとえば熊が捕れたら大宴会になって、次々にひとが来て飲みます。そこで何をするかって、延々と話をするわけです。カラオケとか、他に遊びがありませんからね。夕方6時くらいから宴会が始まって、日が変わって1時まで続くこともあります。

その宴会に何度も参加していると、同じ話を聞くことがあります。いわゆる、鉄板の話ですね。しかも以前に聞いた時よりも、ちょっとおもしろくなっているよなぁ、と思うことがあるわけです。何度も話して聞かせることで、話の完成度が高くなっていました。「話って育っていくものなんだな」と感じたんですよ。

聞くひとの反応を見つつ、ひとの口から口へ伝わっていく。こういった宴会の場は、昔話だとか、伝承の場として、大事な場なんじゃないかなと考えだしました。

田中さんと話をうかがうもとくら編集部

語らう場の重要性

── まず、「場」が重要だったわけですね。

田中 そうです。いろんなひとたちと話をしているうちに、だんだんポロッと『山怪』に書かれているような、山での奇妙な話を聞けるようになっていきました。

最初は大蛇の話でしたね。体長6mくらいあるアナコンダみたいな蛇を見たという話で。そんなものが日本の山にいるのかと思うじゃないですか。それを同じ山の別のひとに聞くと「いるわけない」と言うひともいれば「いる」と断言するひともいる。「あれ?」と不思議に思い始めて、いろんなひとに「大蛇を見たことがあるか?」と聞いていきました。

それまではマタギと言っても、阿仁町のマタギしか知りませんでしたが、青森や、新潟と長野の県境の旧秋山郷などマタギの集落はたくさんあるんですよ。最初のマタギの本を出してから、全国を回るようになって、おかしな話を聞くようになったわけです。『女猟師』で取材した兵庫県の吉井さんに話を聞くと、もっと具体的に「妙な出来事」について話してくれましたね。私自身も、ひとりで阿仁町の山の中でテント張っていると、妙なことが起こるんですよ。

固い地面に薄いウレタンマットを敷いても楽ではない。気持ち良く眠れることはない。時々うとうとする程度である。何時くらいだったろうか。物音で浅い眠りから覚めた。
“ガサガサッ、ガサガサガサッ”
テントのすぐ横で聞こえる音は、何かの足音のようだった。
「狸でも来たのか? 何だろう?」
その足音は私の頭のほうに回り込むと止まったようだ。そして鼻息が聞こえるのである。
引用:『山怪』P.178テントの周りには

── 『山怪』に書かれていることですね。

田中 はい。これは山では人間はそういう体験をするものなんだなと。山には何もないのではなくていろんなモノがいて、いろんなことが起きるという前提で考えたほうがいいだろうと思い始めました。そして、そういった話を聞くためだけに、本格的に取材を始めたんです。

そうしたら思った通りに話が出てくるんです。この本のための取材は半年もなかったですよ。2014年の6月に入って年末には書き終えていましたから。で、本が出たのが2015年の6月。取材自体は苦労しなかったですね。

妖怪は本来、姿形のないもの

「しかし今日は長かったなあ、さすがに疲れた、早くホテルへ入ってビール飲もう」
朝ホテルを出て、かれこれ十二時間が経過していた。
“次の交差点を左です”
左? あれ県道真っすぐじゃないのか……。
“次を右です”
自分の中では県道を真っすぐに進めば朝来方面に進むはずだと思っていたが、ナビは左折させた。
引用:『山怪』P.172ナビの策略

── 『山怪』の中のカーナビのお話が心に残っています。河童や天狗と違って、カーナビに何かが憑いているというのは、姿を見られるわけではないので「なんなのだろう」という気持ちが大きかったです。

田中 それはね、本来は姿形のないものなんでしょうね。目に見えないことが、存在していないことではないので。ただ……エネルギーであることは間違いないですよね。

── 妖怪は、なんらかのエネルギーなのですか?

田中 うーん……感受性の問題なんですよ。遠くからでも電波を受け取れる高性能なラジオもあれば、全然電波を拾わない安物のラジオもありますよね。人間も一緒で、それを感じるひともいれば感じないひともいるんです。感じるひとの中には、モノとして感じるひともいれば、目に見えない冷たい空気として感じるひともいるだろうし。

感じることのできるひとが話をしているうちに、話が育つことがある。そのあとに今度は“絵”として、神社やお寺で、みんなで見られるような形になっていく。だから私が聞いてきたお話は、民話とか伝承になる前の、ゆりかごみたいな状態の話だったんだとは思っていますよ。ひとが集まってきて、話をするという土壌がないと、そういう話は育たない。本にも書いているけど、いまはそれが失われつつあるんですよ。

── 話が語り継がれる重要な「場」が失われている。

田中 昔は、田舎に行けばみんな囲炉裏端でご飯を食べながら、話をしていたわけです。じいさんが「今日、山に行ったらなぁ」なんていうふうに、延々と。今は田舎に行ったって核家族で、子どもはいません。子どもがいても、子どもたちは自分のことで忙しくて、山に行かない。みんなで集まって話をする場がないんですよ。

こないだもね、そういう話がなくなったのはテレビが出てきてからじゃないかなという話を聞いて。たしかに私も思い返せばそうなんですよ。そういうものが育つ場そのものが今、なくなりつつあるというのは本当に感じますね。だからこそ、急いで取材して回っているんです。

田中康弘さん2

昔話ではなく「小さい話」を残していく

── それらは残していくべきものだとお考えですか?

田中 そうですね。たとえば郷土の食文化や伝統芸能、あとは手業。山仕事とか塗り物や漆器。そういうものは残そうとするじゃないですか。なぜ残そうとするかというと、そこでひとが生きてきた証でもあると思うし、長いこと受け継いできたからこそ残っているものだから。

ただ、それらももちろん大事だけれども、私が思うのは、昔話ではなくて、昔話に育っていく条件とはなんだったのか。昔話になるまでの、人々が語って語って膝を付き合わせて育つもの。そういった原石が、本当に大事な部分ではないのかなと思ったわけですよ。そこに誰も目を向けていない。

── 伝承自体ではなく、「伝承されていく様」に焦点を当てるというのは、僕らも意識している点なので、すごく共感します。

田中 完成された昔話ってのは、完成しているんだから本にして置いておけばそれで終わりなんです。ひとの生活そのものが残っていないと、材料も残らない。そのひとの生活、生き方や生き様がないと、私が言っている小さい話も、生き残れないんですよ。でも、そこに誰も目を向けていないんですよね。

なんで私はここで生きてきたのか

── そういった小さいお話がそこまで重要な理由とは、なんなのでしょうか。

田中 小さな話が残るかどうかは、地域そのものが生きているかどうかという話とつながるんです。みんなそこにはあんまり気づいていないんだけど(笑)。おばあちゃんの味噌のつくり方とか、名産品とかお菓子とかはみんな取り上げるんだけども、それと同じくらいにひとの対話は、生きていく上での大事な要素。大事なアイデンティティのひとつだと思う。「ここで生きていく意味」は、そういうアイデンティティが強くないと薄れるんですよ。

今の時代みたいに田舎に行っても、どこにでもある食べ物を食べて、働きに行くのも車で一時間くらいのところの街へ行って働いてとなると、不便なところで暮らす意味が薄いんですよね。昔のひとはその土地で暮らして、働いて、自分たちの身体をつくってきた。人間関係もつくってきた。田んぼや畑もあって、そこで飯を食ってきた。そこで生きてきた。アイデンティティがいっぱいあるんですよ。だから、ある一定以上の年齢のひとは、どんなに不便でもその場を離れないんですよ。

だからこそ、「こんなところにいてもしようがない」となれば、出ていってしまいますよね。みんなそう感じてしまっているのが、今なんですよ。私が思うには「なぜ私はここで生きていくのか」と思う材料、「これがあって、これがあって、これがあって、これがあったから私はここで生きるんだ」という材料があれば、ひとは簡単にはそこから離れないですよ。

── 完成された昔話と、『山怪』の一番の違いはなんでしょうか?

田中 昔話はやればやるほど類型化していって、全国どこにでもあるような、土地に依存しない話になってしまう。でも80歳のマタギの方に聞く話は、ここ100年くらいに起こったことなんですよ。「ひょっとしたら私にも同じことがあるかも」って思えるじゃないですか。

昔話というのは、そういった文脈がないから、想いを深く持てないですよね。『山怪』には、自分で想いを深く持てる余地がある。ひとによっては「怖い」と言うんだけど、私は怖いとは思わない。妖怪だって同じですよ。

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お話をうかがったひと

田中 康弘(たなか やすひろ)
長崎県佐世保市生まれ。雑誌、冊子等の撮影、執筆を生業とする。秋田県の阿仁マタギとの交流は20年に及び「マタギ自然塾」として活動を行う。狩猟採集の現場から「地の力」とそこに暮らす人々の生活を常に見つめてきた。著作『マタギ 矛盾無き労働と食文化』『女猟師』『マタギとは山の恵みをいただく者なり』『日本人はどんな肉を喰ってきたのか』(いずれもエイ出版社)『山怪 山人が語る不思議な話』(山と渓谷社)Twitter:@momorinnkoto

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