2016年、ダンス、演劇、音楽劇などのパフォーミングアーツが好きなわたし(編集部・立花)は、「私はアートで救われるのか」という問いを掲げて様々な方に取材を行いました。
その結果、私自身が救われた経験があるからこそ、その経験を誰かと共有したいということが分かり、同時に次なる疑問がわいてきました。それは「私はアートで誰かを救えるか」。アートという表現方法を通して、誰に何ができるかを考えます。

わたしの出身地は、静岡県富士市という、その名の通り富士山のお膝元です。

かぐや姫伝説から始まり、わたしの地元には脈々と流れる歴史がありますが、個人的にはあまり垢抜けない印象を持っていました。垢抜けないし、富士山という圧倒的なランドマーク頼みな、よく言えばマイペースな雰囲気が流れている気がしていたのです。

編集部・立花の地元あたり
編集部・立花の地元あたり

風光明媚ではありますが、正直あまり地元を好きになれずにいました。けれど、歴史の分厚さで言えば他の地域に勝るとも劣らない場所であることは確かでしたし、アートを用いて地域の価値を掘り起こすには、ピッタリな地域だと思っていたのです。そんなことを考えている最中に見つけたのが、2016年の秋に開催された「するがのくにの芸術祭 富士の山ビエンナーレ2016フジヤマ・タイムマシン」という芸術祭。ディレクターは、十和田奥入瀬芸術祭や六本木クロッシング2016展でキュレーターを務めた、小澤慶介さんです。現在は、東京都の下町・清澄白河にアートスクール「アートト」を構え、活動されています。

【アートに学ぶ】シリーズを通して、わたしは「芸術祭は地元への愛着と危機感に結びついているはず」という仮説を持っていました。

その仮説は正しいのか、“地方創生”の文脈で展開されるたくさんの芸術祭の裏にある秘密を「アートで誰かを救えるか」という問いへの答えと合わせて、小澤さんに教えていただきました。

地元の方が危機感を持って始めた「するがのくにの芸術祭 富士の山ビエンナーレ2016」

── 「アートで私は誰かを救えるか」というテーマで、いろいろな方にお話を伺っている今回の特集なのですが……。

小澤慶介(以下、小澤) 大きいテーマですね(笑)。

── はい、身の程知らずな壮大なテーマを立ててしまったなと思いました……ただ、個人的にアート、主に演劇が好きで自分自身の経験と、これから取り組みたいと思っていることに繋げたく、今回のテーマにいたしました。本日は、よろしくお願いいたします。

小澤 はい、よろしくお願いします。

── 突然ですが、小澤さんは「するがのくにの芸術祭 富士の山ビエンナーレ2016フジヤマ・タイムマシン(以下、富士の山ビエンナーレ)」のディレクターをなさっていましたよね。

小澤 はい、2016年10月28日から11月27日までの約1ヶ月間、開催された芸術祭ですね。

── わたしは静岡県出身なのですが、芸術祭の開催エリアがドンピシャでわたしの生まれ育った地域なんです。

小澤 ああ、本当に? 田子の浦から由比あたり(*1)にかけて?

── はい、まさにそこで育ちました。まずお伺いしたいと思ったのが「ぶっちゃけ静岡、どうでしたか?」ということなのです。

(*1)田子の浦港は東京駅から東海道線の鈍行列車で行くと3時間ほどかかる静岡県東部エリア。由比は田子の浦港からさらに30分ほど西へ行ったエリア。駿河湾に面している町

小澤慶介さん

小澤 そうですねぇ(笑)。はじめて訪問した時の印象は、冬でも明るくて比較的暖かく、知り合った住民の方々が皆穏やかだったというものです。

── わたし自身は4月末から北海道の下川町というところへ移住するのですが、アートで地域の魅力を紡ぎ出せないかと考えています。下川町に関しては、歴史とはまた別の他の視点から魅力を引き出したいと考えているのですが、まずは正直なところ、静岡には芸術祭を行う土壌というか、受け入れ側としての素地って、小澤さんはどれくらいあると感じられたのか教えていただけると嬉しいです。

小澤 芸術祭を開催するにあたって、文化的な資源が豊富にある地域だと思いました。富士山があり、何千年も前から火山の噴火や地震で地形がつくられた。戦国時代には、多くの武将がこの土地を奪い合っていたし、江戸時代は東海道の宿場町として賑わい、また明治時代に入って開国すると要人の隠居の地としてたくさんのひとを受け入れてきました。戦後には製紙業が栄えて、今でも製紙工場が町のあちこちにあります。

「富士の山ビエンナーレ」はアートをとおして、富士市や静岡市、富士宮市にまたがるエリアが持つ歴史的な背景を掘り起こし、光を当てるようにアーティストたちや市民有志とつくった芸術祭でした。

──  「富士の山ビエンナーレ」のメインコンセプトは「時の響き合いから今を考える」でしたが、なぜこのように設定されたのでしょうか。

小澤 それは、少し話が長くなるんですが……2013年に青森県十和田市の「十和田奥入瀬芸術祭」のキュレーターをしていたときから考えつづけている個人的なテーマなんです。

時間の感覚というのは、例えば「1日8時間労働」や「10秒チャージ」という言葉があるように、区切り方によっていろいろな質感とそれを支えている社会的な思惑があるなと感じています。

── 質感と思惑というのは?

小澤 時間は漠然と流れているのではなく、国家とか企業とか、ある社会的な主体が時間を区切って表し、伝達することによって、人間の考え方とか行動のし方をある方向へ向かわせる力が生まれるということでしょうか。

そうしたことを踏まえつつ、十和田奥入瀬芸術祭では、僕が2011年3月11日の大地震の後に感じ取ることのできた複数の時間の感覚に注目しました。

それらは、十和田奥入瀬(おいらせ)という土地の生態系ができた数十万年単位、千年に一度の大地震という時の千年。清原元輔が詠んだ歌がそれを告げていますね。(*2)今の宮城県多賀城市あたりのことが歌われているんですが、それによると千年前も同じ地域に津波が来たということが分かります。そして、福島の原発の事故によって知らされた、プルトニウムの半減期である二万五千年。さらに、大地震によって動きを止められた近代社会が培われてきた二百年、あるいは僕らが生きている数十年。

(*2)ちぎりきな かたみに袖を しぼりつつ 末の松山 波こさじとは:互いに袖をしぼりながら約束したじゃないですか。末の松山(現在の宮城県仙台市にあったと伝わる山)を波がけして乗り越えないように、絶対に心変わりはしないと。それなのに、あなたは浮気をしたんですね。(引用:小倉百人一首

東日本大震災以降、僕は、これらのさまざまな時間を意識するようになりました。それぞれ違う時間の感覚が共存している状況にどう向き合えばいいのか、ずっと考えているんです。

多くの人たちは、近代社会が設定する時間の感覚で生活していると思うのですが、千年に一度起きるといわれている地震に直面すると、目先のことではなくて惑星規模の時間感覚でものごとを把握するようになる。そういう時、「僕たちは、どのような時間の感覚を選び取って生きてゆきますか」という問いを投げかけてみたくなったんです。

── 「富士の山ビエンナーレ」は、戦国時代だとか江戸時代、明治時代という時間の積み重ねという意味で、十和田奥入瀬とは視点が違う展開ですが、そういった過去の歴史や時間を掘り起こしてアートで見せるということについて、地元の方々の反応はいかがでしたか。

小澤 「この土地にはさまざまな時代の痕跡があるので、まずはそれらを市内外の観客のみなさんに見てもらうのはどうですか」と、地元の方々と相談をしながら進めたので、とても協力的でした。

小澤慶介さん

小澤 けれど歴史に光を当てるというのは、いいところばかりを取り上げるということではありません。この地域が持っている輝かしい歴史、そして負の歴史も包み隠さず見せていくのが僕のやりたいことでした。つまり、それらすべてを踏まえて、僕たちは今どんな世の中にいるのかということを確認することからはじめようとしたわけです。

それについても「ぜひその方向性でいきたい」と快諾してもらいました。

── それは主催者でもある地元の方々が、富士や蒲原エリアをなんとかしたいと切実に思っているからなのでしょうか。

小澤 それはありますね。僕がディレクターとして「富士の山ビエンナーレ」に入ったのは第2回目だったのですが、ビエンナーレ自体は、市や県といった行政ではなく、この地域に対して危機感を覚えている地元のひとたちが立ち上げたんです。

ですから、まずは自分たちが生まれ育った土地やその歴史を包み隠さず知ってもらうことからはじめることに抵抗はなかったと思います。たとえば、富士市なんて1970年代は「公害のデパート」と呼ばれているくらい、水質汚濁や大気汚染が酷かったんですよね。

── はい。今でも製紙工場の煙突がたくさん立っていますし、JR東海道線の富士駅に着くと若干「ん? なんか臭うな……」と感じる方もいるかもしれません。

小澤 外に洗濯物を干していたら穴があいたというエピソードも聞きました。それくらい汚染が進んでしまった過去があります。もし芸術祭が、行政や企業主催のものだったら、見せ方によっては公害について作品化することは難しかったかもしれません。

芸術祭は問題提起にも問題の先送りにもなる

小澤 つくりかたによっては、同じ地域で芸術祭を開催したとしてもまったく違ったものになるんです。言い換えると、芸術祭は、対照的な二極のあいだでどのような位置取りをするかで、変わってくる。

── どういう二極化でしょうか。

小澤 社会学者の吉見俊哉さんが言っていた話ですが、19世紀の万博は、未来を照らし出す役割があったんですが、20世紀に入ると、それが社会問題から人々の意識を逸らすように機能しはじめる。

もっとわかりやすく言うと「この地域には社会的課題が山ほどあるけど、一旦それは忘れて楽しもう~!」というときに芸術祭が機能することもある(笑)。2020年の東京五輪も、ある見方をすれば、そういうふうなものと捉えられるかもしれませんね。

見たくないものから意識を逸らすか、直視されてこなかった問題や埋もれた史実を明らかにするか。この二極の間のどの位置で芸術祭を考えるか。それによって、主催者の思惑が分かると思います。

── 今、いろいろな地域で芸術祭やフェスティバルが増えていますが、それらのすべてではないにしても地域に対する危機意識が動機なのがほとんどだと思っていました。でも、必ずしもそうとは言えないんですね。

小澤 「富士の山ビエンナーレ」のように、地域社会で動いているひとたちが危機意識を持つところからはじまっているということはあるでしょうね。とはいえ、芸術祭を語るときには、国や地方自治体レベルで議論され動いている部分もあります。人口減少や空き家の増加をどうくい止めるかとか、増加するお年寄りの生きがいをどう生み出すかとか、若いひとたちに残ってほしい、もしくは移り住んでほしいとか、そのためには新たな産業を生み出さなければならない、とか……こうした課題が芸術祭を行う動機にもなる。

ですから芸術祭は、ある意味、現代の社会構造に組み込まれつつ成立するものだと考えられます。作品をつくって見せるだけではなくて、福祉や産業、住環境の整備と密接に関わっているんです。

とはいえ、現場で関わるひとたちがアイデアを出し合い、主催者、アーティスト、作品、地元の人々、観客などがうまく関係し合って、地域社会に新しい知やひと、お金の流れを生み出すことができればいいですね。そこで育まれた生態系や古くから住んでいるひとたちを傷つけないでできれば、なおのこと。

なんだか、込み入った話になっちゃいましたが(笑)。

小澤慶介さん

アートは、いつも外からやってくるもの、あるいは生きるための技

── 初めは純粋な危機感や、作品づくりに対する情熱から始まった芸術祭でも、大企業や行政の力関係で中身が大きく影響を受けることも珍しくないのですね……。

小澤 ……そうですね。とはいえ、アートが投げかける「いつもと何かが違う」という感覚、地元のひとが抱く危機感とかやる気を損なうことなく、大きな力を利用することも踏まえながら粘り強く続けたほうが、芸術祭に関する動きも大きなうねりになると思いますよ。

── わたしは、どんな芸術祭であれ、せめてアートの異質な感じは残したものであってほしいと思ってしまいます。馴染まないからこそ伝えられるものがあるんじゃないかと思っていて、包括されてしまうと閉じてしまうような気がして……うまく言えないんですが。

小澤 閉じている芸術祭は、なくなりはしないでしょうね。

── アートっていうと、どこかアーティスト自身の考えや思いを表現するものというイメージが強かったんです。表現欲求の表出のひとつの形として、彫刻や絵画やダンスで表現するのかな、と。でも小澤さんのお話を伺っていると、アーティストがつくる作品って、そういうものばかりじゃないんだって思いました。

小澤 アーティストと呼ばれずとも、表現するひと、同時代を鋭く見抜いて僕たちに提示するひとから、既存の価値観にしがみついているひと、また個人的な趣味の範囲を出ないひとまでいろいろな方がいるし、それを見るひとも作品の価値判断に関わりますよね。

とはいえ僕は、アーティストって職業の一つだから、ある種の存在理由があると思っているんです。ライターとか編集者だって「これを伝えたい」っていう「これ」と「伝える先」の対象者がいますよね。アーティストも、伝えたいことと、届ける先を持っているべきじゃないかなって、思う部分があります。「今、誰に何を伝えたくて表現をしているんですか」ということを、僕は聞きたいし、知りたい。

── 小澤さんはいろいろなアーティストたちと一緒に企画や作品をディレクションされたり、展示をキュレーションされたりしてきたかと思うのですが、アートは誰かを救っていると思われますか?

小澤 それは……分からない(笑)。僕自身がディレクションやキュレーションをする上では、救おうと思ってやっているわけではないからです。

ただ、以前、水戸芸術館の展覧会を見に行った時、その展覧会を担当した学芸員が教えてくれた話があります。ある日、高校生くらいの男の子が受付にやってきて「この展覧会を企画した学芸員は誰ですか」って聞いてきたそうです。その学芸員が男の子のところへ出向いたら「僕はこの展覧会で、ずいぶん気持ちが楽になりました」って言われたそうです。

── へぇー! そのエピソードを伺えただけでも、なんだか報われた気持ちです。

小澤 「救われる」といっても、そのようなひとが一つの展覧会で一人いるかいないかくらいだと思います。というのも、もし一つの展覧会や企画で「救われました!」と言うひとが大勢いたら、それは煽動する力が凄まじいということですから。僕としては、いろんな感じ方とか見え方のお皿をいっぱい出して、好きな作品を選んで、それぞれに考えてもらえればいいかなって思っています。

── 救われるかどうかは、受け手次第ということでしょうか。

小澤 難しい問ですよね……アートには、もともと術(じゅつ)あるいは技という意味があります。生きるための、世界を知るための技。

つくり手は表現をとおして技を繰り出せるかどうか。それがうまく合ったときに、受け手はそこに表現されたもの以上の何かを感じ取って視界が開けるのかもしれません。

何かを伝えたい時、絵が一番適切なら絵を描けばいいし、身振り手振りで伝えられるならそれを研ぎ澄ませていけばいい。あるいは写真を撮ったほうが伝えられるなら写真を使えばいいし、詩を詠んで一番伝えられるなら、それがいい。とはいえ、つくり手がある技が適切と思って使っても、受け手はつくり手と同じようにそれを受け取れないこともあるし、それに気づかないこともある。そこを、ある目的(この場合は、救うという目的)に合わせて技を繰り出そうとすると、それは自由のない強制力になり、アートとは呼べないようなものになってしまうような気がします。

お話をうかがったひと

小澤 慶介(おざわ けいすけ)
清澄白河のアートスクール「アートト」の代表で、キュレーター。ロンドン大学ゴールドスミスカレッジにて現代美術理論修士課程修了。NPO法人アーツイニシアティヴトウキョウ[AIT/エイト]にて、2001年から15年間、現代アートの講座(MAD)のプログラム作りに携わり、自らも講義をした。近年では、「十和田奥入瀬芸術祭 SURVIVE この惑星の時間旅行へ」(2013年)や「そらいろユートピア」(十和田市現代美術館、2014年)、「春を待ちながら」(十和田市現代美術館、2015年)など、数々の展覧会を手がけた。また、「六本木クロッシング2016展 僕の身体、あなたの声」(森美術館、2016年)では共同キュレーターを、「富士の山ビエンナーレ2016 フジヤマ・タイムマシン(2016年)ではディレクターを務めた。現在、「Asian Art Award supported by Warehouse TERRADA」ディレクター、法政大学非常勤講師を兼務している。

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